元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

マサホのひとくち日記 12月20日ー31日

2009年12月31日 | 日記
●12月31日(木)

 急に寒くなった。2009年の大晦日。午後、吉田神社での大祓式に。この1年を無事に過ごせたことに感謝。わが還暦に甦った年。今年は歴史的な政権交代の年であった。もうこれにつきる。この1年を振り返っておく。
 
 京都市会は、門川市政2年目の2月予算市会では、「未来まちづくりプラン」による予算編成がされた。同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会の報告書も出されたのを機に、この間ぼくが本会議で同和行政について代表質問をした議事録を冊子にした。かっての隣保館であったコミュニティセンターは、職員の引き上げがあり大きく転換した。また保育園連盟の補助金の使途を巡って不明瞭さが浮き彫りになりプール制を巡っての特別監査請求も行われた。
 5月の連休前にメキシコで発生した新型インフルエンザは、日本にも及び空港での検疫など物々しい体制がとられて異様なマスク社会が出現し、修学旅行生など相次ぐキャンセルで、100年に一度といわれる世界同時不況の影響と重なって京都経済も疲弊。5月市会では繁議員が議長に、わが民主からは安孫子和子さんが副議長に就任。休む間もなく、麻生政権による緊急経済対策の補正予算を巡って6月臨時市会が50年余ぶりに開会。
 
 そして風雲急を告げて、7月21日に麻生総理は錆びた天下の宝刀を抜いて解散総選挙に。歴史的な第45回衆議院選挙が8月18日に公示。暑い!熱い!夏の選挙だった。なんと民主党は308議席を獲得して政権交代を、前原誠司議員はなんと10万票で圧勝。1区では平智之候補が伊吹文明氏に勝ち、3区泉ケンタ、4区北神圭郎、5区の小原舞さんも比例復活、そして6区山井和則議員の全員当選の快挙!いやはやこの地殻変動には我ながら驚きました。
 そして鳩山総理が誕生したのは9月16日。前原国交大臣、山井厚生労働政務官、福山哲郎外務副大臣、松井孝治内閣副官房長官、泉ケンタ内閣府政務官とそれぞれが新政権の重要ポストに就任。「平成維新」「未知との遭遇」が始まったのだ。「事業仕分け」は活気的だったが、生みの苦しみか、多少右往左往しながら12月末には予算編成もなった。政治献金の問題や普天間基地問題など抱えながら、年が明けて本格的な国会での論戦が始まるのだろう。見守りたい。
 
 9月市会定例会は、今年から緊急経済対策の補正予算とともに財政財政健全化法の施行により公営企業会計と平行して普通会計決算も審議することになり、9月15日から10月28日までの長丁場。新政権が発足して、与野党攻守を変え、意見書を巡って自民・公明と民主・共産のつばぜり合いが始まる。賛否同数で議長裁定による採決という事態が生じるようになったのだ。
いやはや今まで考えられなかった構図になったよ。
 11月市会定例会は、11月25日から12月10日までで補正予算や補助金に関わる条例制定が審議された。この市会でも意見書を巡って自民、共産、民主、公明が入り組んだパズルのような組み合わせの複雑な構図が出来た。政権交代は、京都市会にも実に大きな変化をもたらしたのだ。さて来年はどうなるかな?

 個人的なことを少し。還暦を迎えて甦りを図ろうと大文字山には4回ほど登ったし、なんと言っても昨年始めた吉田剣鉾を差すのも2回目で「扇鉾」を京大正門前などで差して今年も天空から神が降臨した。中性脂肪の数値はちょっと高いが、血圧や心電図やコレステロールなど問題もなく体調も良くて、アルコールもタバコも美味い。風邪一つひかなかった。年末のホームページのウイルス攻撃には多少参ったが、なんとかリニュアルもできた。
 
 そして12月になって愚息、穂人が東京の法律事務所で就職も決まり弁護士の道を歩み始めてほっとした。またわが青春の反戦喫茶「ほびっと」のことを初代マスター中川六平君が「ほびっとー戦争を止めた喫茶店」を講談社から刊行してくれたのも嬉しかったこと。出版記念会には鶴見俊輔先生も元気な姿を見せていただきました。本には若かりし「マサホ」のエピソードが満載だよ。
 
 さらに、5月30日のデンマーク大使とエコサイクリングは好天に恵まれて市長や知事と一緒に走れてよかった。鈴木マサホ市政懇談会は、4月に京大会館で、9月に平安の森で、12月に熊野神社で開催。教育福祉委員会での他都市調査は、鹿児島、福岡、広島に。自治体議員フォーラムなどでも東京には秋に3回行ったか。

 政権が交代して、民主党の議員として責任重大であることを痛感。2月予算市会では、門川市政も満2年になり久しぶりに代表質問に立つ予定。そして11年4月の市会議員選挙7期目の挑戦に向けて、市民派の初心に戻って、「自治・共生のまちづくり」を目指して、もうひとがんばりするぞ!来年の今頃はゆっくりしてられないやろな。
 みなさん、良いお年をお迎えください。

●12月30日(水)
 
 2009年も残すところあと2日。事務所で雑務。夕方いきつけの「ひげ床」で散髪とマッサージをしてもらい一年の疲れを癒してもらう。この1年お世話になりました。
 そして夜8時から吉田自主防災会と吉田消防分団のメンバーと一緒に2班に分かれて歳末特別警戒のパトロール。自主防災会の赤いジャンパーを着込んで「マッチ一本、火事の元。お休みになる前に戸締りと火の元の確認してください。火の用心!火のよーじん!」とマイクを持ちながら夜の地元吉田は中大路から下大路、近衛町を巡回。拍子木の音が静かな町に響き渡る。吉田学区は無火災記録が1079日目。この間、京大でも火災がなくてよかった。
 それから10時過ぎに聖護院分団の消防器具庫に立ち寄ってお疲れさん会。聖護院では無火災記録が1377日目。4年近く火災がない。ほんまにご苦労さんです。

●12月29日(火)

 昼過ぎ、経糸の会の鶴山さん宅で餅つき。ノンアルコールビールで静岡名産の鰹のたたきをとつきたての餅を食しながら、来年6月に企画している野田淳子さんのコンサートについて打ち合わせ。歌手生活40年という彼女のプロデユースで上條恒彦さんや作業所「あおい苑」の仲間のハンドベルの演奏などでヒューマンふれあいコンサートを開催することになった。お楽しみにね。
 その後、梶宏さん・寿美子さん夫妻と介護や福祉の四方山話をして、

 夜は、消防分団まわりの3日目。修学院第二分団、修学院分団から子どもの楽園横に新しい器具庫ができた上高野分団、風の冷たい八瀬から大原、そして江文峠を越えて静原分団へ。もう20年近く前、路肩にぼくの車が落ちかけてちょっと騒動になりかけたことがあるのだが、今もそのことを知っている古参の団員から冷やかされるのだ。今年は雪もないし凍てついていなし安心。
 それから鞍馬へ。この初夏の京都市消防総合査閲で優勝を果たした鞍馬分団は25年前にも優勝していて器具庫の正面にはガラスケースの中に二本の優勝旗が誇らしく飾ってある。汗と涙の結晶や。おめでとうございます!鞍馬のあとは市原野消防団。黒瀬分団長は京都市の職員。仕事と消防団活動を両立させてこられた。ほんまにご苦労さまです。帰宅は11時前。
 今年は、久多、広河原、花背にも行ったので、これにて27分団すべて回ったぞ!今のところ左京の火災件数は昨年より2件少ない15件をキープ。すごいね。そして京都市内は昨年より11件少ない182件でこれまた記録更新中!この火災件数の少なさは誇るべきことだ。

●12月28日(月)

 仕事納めの日。昼前、議員団室へ。机の上の資料を整理して庁内の自治労市職などの組合、また秘書課などご挨拶に慌ただしく回る。午後は、事務所にNTTコミュニケーションの人とパソコンの家庭教師!のビジューさんに来てもらってインターネットのプロバイダーの変更やホームページのリニュアルについて打ち合わせ。ウイルス攻撃にあって3週間ほどか、ようやく終戦を迎えた。ホームページもリニュアルされて再スタート。ほっとした。
 
 今夜は消防団周りを休憩。1949年に日本に来たという80歳を超えてのお元気な在日韓国人の方と懇談。「志は高く、愛は深く、友情は広く」という乾杯のときの言葉が印象に残った。朝鮮戦争やフリーメーソンや宗教やご家族のことや今は亡き飯沼二郎先生のことのことなど多岐にわたるお話を聞く。帰途、熊野のジャズ喫茶「やまとや」でほっこりとしてジャズを聴いて帰宅。

●12月27日(日)
 
 昼、出町柳駅近くにこの春オープンした「かぜのね」に。喫茶店かな。夜はお酒もおいている。奥の部屋にフリースペースがあってその場所で、山口県は上関の原発建設問題についてびわ茶をいただきながら話し合う「祝島茶会」。冨田貴史君という青年が報告。「みどり未来」の環境グループの女性らが参加。
 アメリカはスリーマイルの事故があったのは1976年だったか、或いはぼくが「月刊地域闘争」の取材で敦賀に行ったのは1980年だったか、原発問題についての第一世代や。そしてチェルノブイリの大事故の後、伊方原発問題の脱原発のニューウエーブが第2世代とすると、今の世代は第3世代になるということかな。上関の漁民等の運動やそれを応援?しているカヤック部隊の話、また生物多様性のことや民主党の環境問題政策などが話題になった。
 ぼくが京都市会で原子力防災について提起したのは90年代だったかな。現在日本には確か53基の原発が稼動している。ほんまに安全・安心かいなというとやっぱ不安だよね。

 夜は9時前に地元吉田の消防分団に左京消防署長、分団長、区長が来るということで区役所横の吉田消防分団の器具庫に走る。自主防災会の委員さんらも赤いジャンパーを着て参加。ほんまにご苦労さん。吉田学区では無火災が千日を越えたという。素晴らしいこと。これも学区民の防火・防災の意識の高まりがあるからかな。激励の後、例によって4人の女性団員さんたち手づくりの温かいにゅう麺をいただいて温まった。女性団員さんが分団員になっても15年近いかな。ほんまにようがんばらはります。

●12月26日(土)
 
 土曜日の朝はゆっくりしたかったが、在日無年金高齢者と障害者の救済を求める政策要望について友人が来所。NPOなど各種市民団体などの要望活動についての新政権になってからのやり方について説明。民主党京都府連が窓口になって民主党本部にあげて集約して政府に伝えるという制度について説明。上手く機能したらええのだが、いづれにせよ年明けになるなあ。
 午後は事務所で資料の整理など雑務。
 そして夜は、消防分団回りの2日目。今夜は、梅景団長と荒木署長、そして山内左京区長に同行。まずは北白川、養徳、松ヶ崎を回る。この3団では、少年消防クラブの児童たちも寒さにもめげず参加。いい経験やな。以降、岩倉南、明徳、岩倉北と回るがやっぱり寒い。前原事務所の斎藤君や自民党の大西議員も呉越同舟。葵、下鴨と回って散会した後、例によって養徳分団で美味しい名物のスタミナうどんとおでんをご馳走になって体が温まる。もう20年ほどになるかな、ぼくの毎年の恒例の歳末の夜。昔はみかん箱を持って回ったなあ。

●12月25日(金)

 午後、左京区役所に。山内左京区長等と区役所の移転問題で懇談。松ヶ崎に新総合庁舎の建設が進み11年には移転することに決まっているが、交通アクセスのことや現在の区役所の跡地活用をどうするのか、南部に住む区民にとってはサービスが低下するし、新区役所までの交通の便も悪い。単純に民間に売却することがいいとは思わない。今後、地元吉田の要望などをまとめることが大事だし、議論し、また提案したいと思っている。
 その後、この間ウイルス攻撃を受けていたホームページについて色々と相談。この際、プロバイダーも変えてリニュアルすることにした。
 
 夕方、保育園に働く保育士のグループ、福祉保育労働組合左京支部のみなさんが10人ほどが来所。プール制の検討委員会が明日答申を出すことになっていて、交渉も行われるとか。保育園連盟へのプール制やその他の補助金の使途について、不適切な流用が行われていて、プール制のあり方そのものの見直しがされるところだが、現場で働く保育士さんたちの思いを聞く。検討委員会の答申を受けて予算編成がどうされるのか、注目をしたい。
 
 そして夜は年末恒例の歳末特別警戒にがんばっている左京消防分団の激励に回り始める。今日が初日、まずは西川、辻川の2人の副分団長と予防課長らに同行して地元の吉田から、新洞、川東、聖護院、岡崎、錦林東山、淨楽、養正の南部の8分団を回る。ホカロンを貼ることもない暖かさ。寒さに震えることなく各分団を回って帰宅したのは10時前。今年の左京の火災件数は15件とのこと。昨年より2件少ない驚異的な少なさ。これも消防団や自主防災会の活動のお陰ですよ。それにしても毎年、毎年ご苦労さんです。

●12月24日(木)

 今年最後の教育福祉委員会が開催。保健福祉局からは、「京都市未来こどもプラン(仮称)」(原案)について報告。「京(みやこ)・こどもいきいきプラン」の後継プランとして「こどもに笑顔、みんなではぐくみ、子育て“きょうかん”都市・京都を目指して」児童虐待対策、子育て支援の待機児の解消、延長・一時・休日保育の拡充や仕事と子育ての両立支援など施策数210項目を網羅。
 ぼくも子育て支援政策監に、いきいきプランの総括と当事者である子どもの意見を聞く場づくりや数値目標の設定、また「こどもを共に育む市民憲章を推進する条例」の制定、OK(おやじの子育て参加に理解がある)企業認定制度について質疑。 
 請願については、生活保護の母子加算復活の要請など取り下げや留保。その他一般質問では、障害児の学童保育や保育園プール制のことについて共産党議員が次から次に質疑。3時ごろに終わるかと予想していたが、なんのことはない教育委員会との質疑が終わったのは午後5時前だった。
 急いで四条京阪でのクリスマスイブだというのに民主党2区総支部として今年最後のビラ撒き。寒いし、ビラは受け取ってもらえないし気合が入らない。久しぶりに家で晩飯。

●12月23日(水)
 
 昼、銀閣寺前町の大文字保存会の前会長井上さんの告別式。ミレニアムを記念して2000年の大晦日に大文字の送り火をするのにご尽力もされた。当時の京都市のスタッフ等も参列。心よりご冥福をお祈りいたします。
 午後、映画「月下の侵略者」の事務局会議。チケットの配布状況や仲尾宏さんの耳塚に関する解説書のパンフレットの最終校正など。

 夜は、大木工務店のお客さん感謝のクリスマスパーティ。寺田バレエのプリマドンナたちによる「くるみ割り人形」や江藤ゆう子さんと沖縄は宮古出身の瑞慶覧さんのオールデイズでダンスタイム。そしてサンタ姿の社員さんが子どもたちにプレゼント。この不景気な時代にすごくがんばっている会社だな。住宅の新築、改装は大木工務店に。
 帰途、叡電元田中の立ち呑み処「串かつ さかな屋のあと」で友人等と飲む。末の弟の常連の店。ええ店でっせ!

●12月22日(火)

 午前中、衆議院第一会館に。山井厚生労働政務官の事務所にて政策秘書の近澤君と懇談。近澤君は、かっては大津市役所の職員で同志社の総合政策科学研究科のわが同窓生。
 山井政務官の仕事ぶりや官僚との微妙な関係を話してくれたり、障害者自立支援法の問題や後期高齢者医療制度の廃止の問題、また雇用問題やテント村のこと、そして子ども手当てのことなど色々と今後の見通しについて懇談。
 なによりも嬉しいのは、年金のこと、雇用貧困対策、医療、介護、子育て支援、障害者雇用・福祉など厚生労働委員会の質問研究会の厚生労働省の予算編成に関わる各行政分野の資料を準備しておいてくれたことだ。新政権が福祉分野でどいう制度改革を行っていくのか、予算編成をするのか大いに参考になる。2月予算市会での代表質問や教育福祉委員会での質疑に活用しよう。山井政務官の益々の活躍と彼を支える近澤秘書の奮闘を期待しよう。
 昼食をみんなで議員食堂で食べていたら偶然、この夏まで民主党京都府連のスタッフだった藤田君と出会う。某衆議院議員のスタッフとして手伝っているという。元気で何より。
 
 午後、全農林労働組合の専従として東京で仕事をしている粂山隆志君と久しぶりに会う。彼はかって「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を歩いていた時のメンバーでプロレス仲間。えらく痩せて精悍な体格になっていてびっくり、今ではフルマラソンに挑戦をしているという。いやはや人は変わるものだ。ちょっと時間があったので新橋でパチンコしたら久方ぶりの大勝利!
 新橋名物?立ち飲み屋で串かつでホッピー飲んで機嫌よく帰途につく。

●12月21日

 朝、議員団の山岸、中野、青木、山本ひろふみ議員と新幹線で新横浜経由、東急東横線に乗って川崎市は元住吉駅へ。モトスミ・ブレーメン通り商店街を視察。商店街組合の事務局長の吉川能信君は、鴨沂高校の同級生。彼の案内で商店街を歩く。
 商店街のモール化事業をする際、「中世ヨーロッパ風の商店街にしよう」とドイツはグリム童話のブレーメンの音楽隊で有名なブレーメンに決定したという。赤御影石の混じったアスファルトの升目の入った道路は中世風の石畳風で素晴らしい。アーケードはなく青空が見えるのも気持ちがいいし、街灯やサインゲートなどもブレーメン風で洒落ていてええ感じ。そして何よりも車は通らず買い物客で賑わっているのだ。
 伊藤理事長さんから説明を受ける。ブレーメンとの国際交流はもちろんのこと、空き缶回収機の設置などペットボトルなどのリサイクル、1店1エコ運動、エコバッグキャンペーンなどの取り組みで環境大臣表彰も。街角コンサート、地域ふれあいテント村などイベントの開催、ポイントカードでの環境促進、さらにこれからは景観形成や福祉に力を入れると熱い想いを語っていただいた。

 視察の後、民主党政令指定都市政策協議会に。高島副幹事長から地方分権制度と自治体要望の制度化の課題などの説明の後、総務省の担当者から議員年金検討会の最終報告書ついての説明もあり、議論も行われた。名古屋市の河村市長の諸施策についての報告やこの春政令指定都市になった岡山市議会からも初参加もあり、今後、政令指定都市の政策協議の充実と交流を深めること確認できた。
 散会後、議員になる前に労組の専従として東京生活の長かった山岸議員に彼の思い出の地を案内してもらう東京散策。最後は後楽園のラーメン屋で〆。
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