元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

研修会など参加で忙しい日々      11月8日ー15日

2012年11月18日 | 日記
●11月15日(木)

    <手づくり市と真如堂>

 8時過ぎに知恩寺の手作り市に。友人の主宰者の臼井さんらに挨拶をして注文していた手作りの帽子屋さんでハンチング帽を購入。寒い冬にぼくは帽子が必需品です。
 その後、紅葉が美しい真如堂に立ち寄って、鉦講(かねこう)をしている知人らに挨拶してお参り。朝からお酒を飲むわけには行かないので甘酒をいただいて市役所に。

    <議員研修会> 

 10時から本会議場で全議員が集って議員研修会。年に3回かな、学識経験者に色々な話をしてもらうのです。
 今回は大島仁市会事務局長が地球環境政策監のときに「環境モデル都市」に京都市が選定されたときの委員会のメンバーであった柏木孝夫東工大特命教授が、「地方自治体における今後のエネルギー政策について」講演。
 ぼくは民主党の全国自治体議員議員フォーラムでお話を聞いたことがあり、色々な裏話など氏の自由奔放な、時には脱線しそうなところもあり、もちろん異論は大いにあったが、原発問題も含めてエネルギー問題についてのお話を面白く聞かしてもらいました。

    <民主党自治体議員近畿ブロック研修会>

 昼前には、京都駅から新快速で兵庫は明石大橋の舞子ビラ神戸に。2時から民主党自治体議員フォーラム近畿ブロック研修会。掛水すみえ兵庫自治体議員団代表など兵庫県連にお世話になって以前から計画されてきたのだが、まさか明日16日に国会が解散になるとは、夢にも思わなかったよ!
 ぼくは、この近畿ブロックの代表世話人ということで冒頭に挨拶。しんどい状況だけれど正々堂々と民主党の自治体議員として誇りを持って選挙戦を闘おうと挨拶。
 講演の第一部は「二つの災害を通して防災教育を考える」と題して、県立舞子高校の環境防災科長の諏訪清二先生。阪神大震災を契機に、2002年に環境防災科がスタートしているが、英語の教員であった諏訪先生が科長になって、様々な防災教育に取り組まれてきた。そして昨年の東日本大震災以降、高校生がボランテイィアとして被災地を訪れて、避難所などでの経験したことなども語られ、防災教育の在り方について真っ向から提起。京都の高校教育では考えられないこと。その先取りの教育姿勢に敬服した。
 第2部は、元観光丁長官の溝畑宏さん、このおっさんは、松井孝治参議院議員の高校時代からの悪友だと噂を聞いていたが、ともかく面白い!京大教授だった親父さんとのことも含めて、そのオモロイ役所人生と大分県での活躍ぶり、そして観光立国としての日本の今後の在り方について、面白おかしくかつ真面目に左京区生まれの関西人の誇りをもって「観光行政について」喋らはりました。

 講演会の後、近畿の滋賀、京都、大阪、奈良、和歌山、兵庫の代表の世話人が集まり幹事会。来年参議院選挙が終わってから京都で研修会を開催することになりそう。
 懇親会では、崎元神戸市議の娘さんらの弦楽四重奏の「きらら」の演奏と各府県議員団の自己紹介と最後は衆議院選挙に出馬する神戸市議横畑議員の激励会。ホテルの温泉に入って英気を養い、テレビを見ていると、民主党からも離党者が出て、石原何某と橋元何某と渡辺何某とか河村何某とか、第三極勢力も国会議員諸兄はあわてふためいてはりますが、明石大橋の夜景を見ながら就寝。すべて夢うつつ。

●11月14日(水)

    <不登校セミナー打ち合わせ>

 午前中、京都駅前のホテルで「不登校支援センター」が12月8日に企画している「不登校解決セミナー」の打ち合わせ。この春に京都支部が発足したのだが、ぼくの「ひとくち日記」を読んで泉さんが訪ねてきたのは5月だったかな。セミナーを開催するということで相談に乗ってきた。理事長の瀬尾君も若い。京都では初めての開催。
 パトナの所長をされていた教育大学の桶谷守教授と原清冶佛教大学教育学部長のお二人の専門家がパネリスト。いちおう学校の教員やPTAのみなさんらが対象で、「前向きな不登校支援とはー予防と不登校児童の状態を知る」とサブタイトル。
ぼくは門外漢だが、喋ることになっています。参加ご希望のお方は、052-485-9421へ。予約制です。

    <池坊美佳さんにインタビュー>

 午後は、事務所にて、わが「左京ライフ」に登場してもらうべく来夏の参議院候補の池坊美佳さんにインタビュー。
 生い立ちや華道の世界のこと、学生時代のこと、東京の京都館館長時代のこと、好きな食べ物や趣味のこと。選挙と国政の舞台でしたいこと、そして左京のことなど1時間ほどフランクに喋ってもらう。面白いエピソード。彼女が通っていた高校は左京の哲学の道近くだが、その登校する坂が制服の色からゴキブリ坂と呼ばれていることを初めて聞いて大笑い。

    <予算要望を提出、16日に解散?> 

 3時過ぎに議員団室に。国会中継で野田総理と安倍総裁の党首討論の真っ最中。
 4時には、ぼくと隠塚、松下議員と3人で予算要望について市政記者室に。
 およそ30分、解散問題で記者室もざわついている雰囲気のなかで政策要望、重点要望、分野別の要望などをぼくが説明。事業仕分けのことも話題になったが、16日に解散が決まったようですよ、と記者から聞き、びっくり仰天。代表質問もしないかんし、この年末にえらいこっちゃ。

 午後5時からは、議員団のメンバー14人で市長第一応接室に。市長と3人の副市長と行財政局。総合企画局の局長らが座る中で今枝団長から予算要望書を提出。取りまとめの責任者として重点要望など主な項目について説明をする。政策制度要望が15件、予算要望が45件(うち重点要望が13件)、各行政区の要望が33件で合計93項目になった。13年度予算にしっかり反映させてちょうだいよ!

 夜は、年に一度の議員団と市長副市長、局長、両公営管理者らとの懇談会。たまにはワイワイと喋るのもいいよ。散会後、帰途ジャズが流れる四条木屋町下がるの「ろくでなし」へ10数年ぶりに行く。なつかしい店。
帰宅してテレビで、党首討論の
 
 模様や今後の選挙日程や第三極の右往左往ぶりを見入る。「16日に解散します」と凛々しく言い放った野田総理。されど厳しい選挙になりそうや。がんばるのみ。
  
●11月13日(火)

     <議員団で事業仕分>

 民主・都みらい議員団主催の第3回「事業仕分け」の日。9時前に会場のロイヤルホテルに。構想日本のスタッフや今回から参加してもらった市民判定人のみなさんと開会式。前回、ぼくはスーパーバイザーだったが今回は仕分け人。市民判定人の役割は、議論を聴いていて判定をすること。
 
 最初に「安心すまいづくり推進事業」について。担当者から説明があり質疑。この事業は十条烏丸の公団住宅にある店舗に「すまい体験館」もありセミナー開催や住宅の相談業務を行っているが、通行人も少なくロケーションがイマイチ。市民に知られていなくて入館者も少ない。ぼくは要改善を求めたが、仕分け人は再検討、市民判定人も再検討の判断。
 2番目には「京都市あんぜん住宅改善資金融資制度」について。各金融機関がリフォーム融資などもしているのでぼくは再検討、他の仕分け人は不要、市民判定人の判断は、市民ニーズを的確にとらえ直して利用しやすい制度になるように再検討。
 それから3つ目は、「高齢者マシン筋力トレーニング普及促進事業」について。健康づくり協会に委託して、油圧式マシン等を備えた「いきいき筋トレルーム」での中・高齢者の筋トレ事業が実施されているが、健康づくり協会の在り方についても議論になったが、仕分け人は要改善、市民判定人は、事業の対象とする市民と事業効果の検証をして、委託の在り方についても再検討の判断がなされた。いずれも市会での委員会での質疑とまた違う緊張感があり、答弁する課長もたいへんそうでしたよ。
 なお2班に分かれて午後も行われて、合計12事業について仕分けが行われたが、そのその他7事業の結果は以下の通り。伝統産業の日関連事業は再検討。小売商団体助成は再検討。「京都消防」発行委託については要改善。環境保全資金融資制度は不要。蛍光管拠点回収事業は要改善。ゴミ減量エコバスツアーは要改善。元離宮二条城の運営も要改善。路上喫煙禁止条例の推進も要改善。消費者啓発事業も要改善となった。詳しくは議員団のホームページをご覧ください。

    <障害のある市民の雇用フォーラム>

 午後、ぼくは「事業仕分け」を抜けて「障害のある市民の雇用フォーラムー一人一人の働きたいという願いを実現させるために」に参加。主催は、総合支援学校生徒の進路開拓をめざす「巣立ちのネットワーク」。
 支援学校卒業生で勤続5年した青年らに表彰状が授与され雇用企業には感謝状が贈呈。その後、在校生と教員が二人で支援学校における学習や就労に向けた実習の取り組み報告や卒業生の就労体験の発表も行われた。

 分科会では、元リクルート出身で障がい者の雇用対策で活躍されてきた秦政さんが「障がい者雇用の現状とその支援」と題して、この間の現状と雇用が企業にもたらす意味、仕事の作り方、また福祉だけでは障がい者を支えられなくなるであろう日本社会の今後の予測などを話された。その後参加者の自己紹介が行われ、企業の人、教育関係、相談機関の人などが意見交換。ぼくは市会の代表質問で障がい者福祉のことを取り上げますと宣言したよ。

 途中で退席して、事業仕分けの閉会式と構想日本や市民判定人との懇談会に戻って暫し懇談した後、泡盛同好会に。

   <泡盛同好会>

「古酒は寝て待て!輝く泡盛。京都泡盛同好会 京の錦秋の集い」は、ぼくが毎秋楽しみにしているイベントのひとつ。
 ゼスト御池の沖縄物産展の店主で事務局を担ってこられた松田明さんが亡くなり、昨年は開催されなかったが、今年は檀王法林寺の信ヶ原雅文済職が頑張られて再開された。会長は門川市長。
 ぼくが初めて沖縄に行ったのは二十歳の時。本島から与那国島まで行った。もちろん復帰前で渡航証明書を持っていった。あれから40年余、沖縄と泡盛が好きで毎年楽しみにしている。沖縄から酒造組合の面々や琉球新聞や沖縄タイムス、また関西の県人会や京都の沖縄ファンが集う。ゴトウゆうぞうさんの軽妙な司会でミス泡盛の女王による抽選やエイサー島唄で盛り上がり、泡盛を堪能して気分は最高! 

●11月12日(月)
 
 午前中、事務所で雑務。雑務とは、色々な行政資料を読んだり、郵便物を開封して、色々な催しの案内が来ているので手帳に書き込み、また返事を出したりで、それだけでも時間がかかる。
 来客は「日本いのちの花協会」代表の宮田さよこさん。ぼくと同世代で介護や高齢者福祉について色々と教えてもらっている。看護師の経験を活かして、1995年よりホスピスケアを含む専門看護・介護付きの有料老人ホーム「花の家」を開設。医療とケアに人間の尊厳をと、高齢者福祉の先頭を歩いてきた人。大阪で「ビハーラの会」などで頑張っているぼくの友人を紹介しようと思っている。
 午後は、岩澤有徑さんらと彼のお父さんの日本画家岩澤重夫さんの展覧会に向けてどうするか協議。再来年の秋を目指して準備にかかられることに。

    <宇治市長選挙に山本正府会議員が立候補>

 さて、京都の民主党にとっての大きなニュースは、宇治市長選挙に山本正府会議員が出馬するらしいということ。宇治市会議員として3期つとめた後、99年から宇治選挙区で府会議員に初当選。現在4期目か、府会議員団の代表幹事や府連の幹事長としてこの間活躍してきた同世代の。関西電力労組出身の議員。
 自民党の議員と共産党の候補者が久保田現市長の不出馬表明を受けてすでに立候補を予定しているが、さて、民主党の旗色が悪い時によう決断しはりました。投票日は12月9日。山井議員や宇治の市会議員団、さらに6区の議員が総力を挙げれば勝てるのではないかな。応援に行かなくっちゃ!

 夜は明日の議員団主催の「事業仕分け」で仕分け人になるので資料を読み。

●11月11日(日)

    <民主党2区総支部定期大会>

 雨の日曜日、午前中、ぼんやりテレビで将棋を見る。
 午後、ウエスティン都ホテルで民主党2区総支部の定期大会。先立って幹事会を開催して式次第や議案書の確認。
 
 大会は70人ほどの参加者。前原総支部長から挨拶は、冒頭に東京後援会の事務所費問題のことでその経費の使い道について、やましいことはないと説明。社会保障と税の一体改革など野田政権は大きな仕事を成し遂げ、「近いうち」とは年明けではうそつきになり、先送りすることなく、解散は早い方が良くて、そうでないと壊滅的になると見解を表明。
 またコンクリ―トから人へと成果を上げたこと、方向性が間違っていなかったこと、党内ガバナンスへの反省などおよそ20分ほど演説。
 以降、活動報告は幹事長としてぼくが、決算報告は豊田議員、監査報告もありそれぞれ満場一致で確認され、解散総選挙での前原議員と池坊美佳参議院候補の必勝に向けてがんばろうとする活動方針、また予算案も承認された。
 そののち時間があり、会場から意見が出されたが、最後に島内研君が必勝に向けてガンバローコール!円滑に終わり、ほっとしたよ。
 まあ解散は年末で、選挙は年明けかな?
 されど民主党への支持率がガタ減りで、第三極もなんやかんや動いているし、厳しい選挙になるのは覚悟しておこう。
 夜は久しぶりに我が家で鍋。鍋の季節になりましたなあ。

●11月10日(土)

    <ユイ・ハート福祉まつり>

 快晴の土曜日。南禅寺門前の京都市国際交流会館へ。NPO法人京彩都の石井岩吉さんらが中心となって準備を進めてこられたぼくも多少の手伝いをした「ユイ・ハート福祉まつり」の日。
 あおい苑、いきいきいわくら、いろり舎、修光学園、テンダーハウス、ゆりかもめ、よしだ学園、楽々堂など左京の福祉施設のブースが並び、手芸品やクッキーなど多彩な商品に七彩の風の野菜などが展示販売。
 舞台では色と健康について岩崎英和さんが講演をして、また「グルボ・カフェジーニョ」がブラジルのサンバの演奏、フルートやピアノの演奏に、御茶席も準備されて、障がい者も含めて200人ほどの参加者が三々五々来ていただいた。教育委員会、保健福祉局の担当者にも来てくれました。みなさん感謝です。

    <「いい歯の日週間」記念行事>

 途中2時間ほど、地下鉄で二条駅の歯科医師会口腔保健センターでの「いい歯の日週間」記念行事に多くの府市会議員とともに参加。80歳以上で20本の自前の歯がある人の表彰式や口腔ケア推進優良施設へ感謝状の贈呈、また川柳コンテスト優秀作品賞の発表など。<歯を抜いて 「し」が「す」となって「愛すてる」>が優秀作品でした。

    <同志社総政会 懇親会>

 夕方は、同志社大学の寒梅館での総合政策研究科の同窓会「総政会」の年一回の総会と懇親会。向かいの運動場だったところが烏丸キャンパスとして、立派な建物が完成していてびっくりしたよ。ぼくは4代目の会長だった。
 松田現会長ら役員さん、そして今里教授ら修了生が40人ほど集まりワインを飲みながら近況報告など。開講したのは1995年、阪神大震災とオウムサリン事件で騒然としていて、ぼくは3期目の当選を果たした春。経済学者の伊多波良雄先生が指導教員、しごかれました。修士論文「京都自治体論」を書いて98年に修了。後期博士課程にいつかチャレンジしたいな。1
 10時頃か2区大会の議案書について前原事務所の齊藤君と打ち合わせ。

●11月9日(金)

 朝、わが下大路町の町内の西村芳太郎さんの告別式。町内会長や氏子講社や自主防災会の役員として活躍されていたが、この秋のおまつりには参加されていなかった。入院されていたのは聞いていたが、突然の訃報に驚く。家族葬ということでしめやかに告別式が行われた。享年78歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

 11時過ぎには、日本画家岩澤重夫さんのご子息、岩澤有徑さんらと美術館に。岩澤画伯は、大分県日田市出身で日本芸術院会員、文化功労者。2009年に逝去されたが、子息の有徑さんとは2年ほど前に出会い、京北町のアトリエにもお邪魔した。美術館での展覧会開催に向けての潮江館長らと懇談。美術展開催の内情をお聞きするが、色々とたいへんやなあ。

 昼食は、京都国際学園の金晃理事長と。以前から話をしたかった人。白川にあった韓国学園が東山区の本多山に移転するとき、地元住民の反対運動がおこり教育委員会との交渉にぼくも参加したり、教育委員会が外国人教育基本方針を策定するときに奔走したことなどぼくが喋り、金さんの日本での学生時代や韓国に行っていた時代、在日の社会のことなどおよそ2時間、生い立ちや学園のことなど大いに語り合う。これからも同時代を生きる同世代の友人として語り合えたらうれしいな。カムサハムニダ。

 その後、議員団室に立ち寄って、青木、松下議員と予算要望の最後の仕上げ。いちおうぼくが責任者として取りまとめてきたが、松下議員がようがんばってくれた。来週14日に議員団として市長に提出することになる。

 夜は、鴨沂高校同窓会事務局の金子さん宅にて上野民夫会長も参加して親睦のひととき。校舎の建て替え、運動場のこと、また月刊誌「エコノミスト」が鴨沂高校の卒業生のことを取材するとかでワイワイ。

●11月8日(木)

    <教育功労者表彰式>

 午前10時から京都市生涯学習センターにて教育功労者表彰式に正副議長と教育福祉委員会のメンバーが来賓で出席。平塚歯科医師会長ら33人、PTA連絡協議会など団体や学校20団体、また永年勤続の学校医や薬剤師ら13名、そして30年勤続の教育委員会や教職員ら347名のみなさんの表彰式。つい数年前までは、わが同世代の友人の教員が表彰されていたが、みんな退職した。されど何人かの知り合いの教員と挨拶。市長等の挨拶ののち、例によって記念写真。何度もフラッシュがたかれて目が痛い。

     <福祉施設を見学>

 午後は、人権擁護委員委員協議会の高齢者・障害者の人権委員会のメンバーとして市立病院の北側の京都市こころの健康増進センターの3階にある京都市朱雀工房の見学会に。京都光彩の会が、精神的な病のある人たちのために就労移行支援事業と就労継続支援B型事業を行っている。指導員の方から概略の説明を受けて、箱折りの作業を黙々とされている部屋で利用者からも作業の行程の説明。それから利用者とも懇談。
 ある人はサラリーマンとしてバリバリに仕事をしていたが、鬱になってここに通い始め、社会復帰を目指していることなどお聞きする。配食サービスなども利用者が行っているが、企業就労の困難さをも聞き、またグループホームなどの建設も時には、地元住民の反対運動が起きるなど、精神障がい者に対する偏見も未だ根強いことを改めて実感した次第。
 

 4時ごろには、議員団室で予算要望の仕上げをするべく、松下、青木議員らと打ち合わせ。また貴船の観光トイレの使用料について環境政策局の担当者と懇談。公共下水道が敷設、供用開始されて水洗化が図られたが、さてその使用料を補助制度でなんとかならないのか、と要望。
 夜はとある女子会に乱入したのち、某市長選挙の候補者に白羽の矢が立った、10数年来の友人と懇談。
 声をかけてもらって彼は光栄に思い、喜んでいたが、奥さんの反対や様々な周辺の状況を聴き、また選挙のしんどさなどを考えて、彼の気持ちはすでに断念の方向にあった。民主党に勢いのある時だったら、もろ手を挙げて、立候補せい!と言えるところだが、そうはいかん御時世。残念ながらこの話には幕が下りた。ぼくの役割はここまで、さて誰が立候補するのかな?
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