元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

糸井國雄さんを偲ぶ 追悼      5月26日

2020年05月29日 | 日記
5月26日(火)
 
新型コロナウイルスの影響で改修後の開館が延期されてきた、京都市美術館が約3年ぶりにオープンした。予約制で入場者数も制限。

     <糸井國雄元ペスタロッチ保育園園長を偲ぶ>

糸井園長を偲んで、追悼文としたいと思います。以下少し長文ですが、ご笑覧いただき、それぞれが糸井園長とのことを思い出していただければ幸甚です。

糸井園長が、岩国の教会から京都に赴任されたのは、もう40年近く前でしょうか。ぼくの娘、奈々が2,3歳の頃だと思います。岩国からの引っ越しをしてこられたときに我が家で1泊してもらったのです。
娘はもちろんペスタロッチ保育園でお世話になりました。以来、ぼくも「ぶどうの会」という保護者会の会長をしてバザーのお手伝いをしたり、マージャンをしたり、日本海に泳ぎに行ったり、たくさんの思い出があります、選挙の時は推薦人にもなってもらいました。

ぼくの「ひとくち日記」の2001年9月9 日を読み返すと
<わが娘がお世話になったペスタロッチ保育園・日本キリスト教団錦林教会50周年の集い。糸井園長とは20年の付き合い。同志社大学神学部の当時からの悪友や保護者会で遊んだ友人たちと一杯酌み交わす>と書いています。

そしてこの間、自分の書いたものを整理していたら、錦林教会創立50周年の記念誌「ぶどうの樹」に僕は次のような文を寄稿しています。

<娘の奈々が今年成人式を迎えました。糸井園長との出会いも20年になります。20年前、岩国から京都に来て、ぺスタに着任する前の夜、園長は引っ越しの手伝いに来ていた岩国の僕の友人とともに、我が家に泊まったのでした。一宿一飯のご縁です。
ぼくは岩国の反戦喫茶「ほびっと」に行ったり来たりしていましたが、「ほびっと」でお世話になった岩国東教会の田口重彦牧師の後任として、「ほびっと」閉店後糸井牧師が着任され、同志社の先輩でもあり名前を知っていたのです。
その縁で、娘のぺスタにお世話になりました。娘もぺスタの空気が合ったのでしょう。すくすく育ちました。
娘が在園中、中央市場で働いていましたが、保護者会の会長もさせられ、バザーでもこき使われました。また土山さん、水上君、川島君とよくマージャンをしましたね。娘が卒園後もバザーでオークションの司会をしたり、卒園児の「ぶどうの会」で日本海に海水浴に行くのも楽しみでした。ぼくは園長やぺスタで出会った友人たちと一緒に遊べたことも楽しい思い出です。
ぺスタは子供たちだけでなく大人の遊びと出会いの場でもあったのです。飲みながら子育てについて園長はアドバイスもくれたのです。つまりぼくは親として育って行ったのです。
 その後、園長にも推薦人になってもらい3回目の挑戦で市会に送ってもらいました。

市会議員として、保育行政の要望を受けるための左京区の保育関係者との年に一度の懇談会の場でも出会います。保母さんの代表として来られる前川先生と園長の参加にほっとして、自己紹介の時に「糸井園長には娘がお世話になりました」と挨拶をするのです。
 少子化時代を迎えて、保育行政の充実にこれからさらに努めなければなりません。これからはもっと子供たちがのびのびと育つ個性ある保育園が求められます。園長はこの20年、それを実践してこられたと思います。娘はわが祖母とたまに日曜学校の教会に行っているようです。これからもお世話になります。そのうち孫ができてぺスタにまたお世話になるかもしれませんね。また麻雀をしましょう!>
以上は、今から20年前の文章です。

そして、2009年3月22日の日記です。

小雨模様、ペスタロッチ保育園に。糸井園長が今年で勇退されるということで送別会を兼ねたもちつき。娘がお世話になりました。またおふくろも教会にたまに礼拝に行っている。
ぼくは、その後もバザーのときに顔を出し、「ぶどうの会」のメンバーとビールを飲みかわしました。そして麻雀もして遊んだものです。糸井園長、28年間の在職。お疲れさまでした。そしてありがとうごじました。

2012年6月9日の日記には、次のように書いています。

 夕方は、娘が世話になったペスタロッチ保育園に。卒園児の保護者会、「ぶどうの会」のバーベキュー大会に。糸井元園長も参加されていて久しぶりに会う。今は悠々自適の生活のようだが、ペスタロッチでは28年、園長をされていた。長い付き合いになりました。これからもお元気で。

 保育園を去られたのち、糸井さんご一家は、岩倉の花園の閑静な住宅地に居を構えられていたが、なんどかお邪魔したこともあります。
「いのちの電話」の広報誌の編集もされていたのです。
2017年に発行さされている「いのちの電話ニュースレター」の編集後記に次の文章を寄せられている。

<最近、人と人との触れ合いが減っているように感じる。身体の触れ合い は、握手やハイタッチ、ハグなど、安心感を共有する。言葉で触れ合うのは、 人と人を結ぶ力があるが、最近では短時間で結論を説明することが目的 になっている。気持が触れ合う機会も減っている。人と会うのが煩わしくなり、無駄な時間を解消するために、便利な道具が開発されている。触れ合いを当たり前とおもえる関係を大切にしたい>

この春ある友人から糸井さんの体調が悪くなっていたことを聞いていたので心配をし、覚悟をしていたが、訃報を聞いて、無念の思いがした。もういちど一緒に飲んで麻雀をしたかった。

思えば、糸井園長に出会って40年です。ぼくも古希を過ぎました。
77歳でした。ほんとうに色々とお世話になりました。心よりご冥福をお祈りいたします。アーメン。
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