元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

教育福祉委員会他都市調査で福岡、広島に  8月6日ー9日

2012年08月13日 | 日記
●8月9日(木)

    <教育福祉委員会 他都市調査 3日目>

 朝9時過ぎに広島駅から山陽線に乗って新井口駅で下車。
 タクシーで広島市衛生研究所に。生活科学部と微生物科学部、環境科学部の3分野に別れて疫学情報や食品化学の業務、また残留農薬の検出に当たり、広島はカキの産地だが、貝毒試験も行われている。説明の後、館内の分析機器類などを見せていただく。
 そして、午前11時2分。館内放送で黙祷。今日はナガサキの被爆から67年目の夏。わが大学時代の友人で被爆2世の黒岩君のことを思いながら黙祷。元気にしてるかな?
 もちろん京都市には、衛星環境研究所があり市民生活の安全確保のために同じような取り組みがされている。新型インフルエンザやO157など、何か事件が発生するとたいへんだ。がんばってちょうだい。

 昼食は駅ビルでもちろん広島焼きを食す。行列の店を避けて入ったら老婆が一生懸命焼いておりました。美味しかったよ。

 午後は、広島市役所議会棟に。教育委員会の担当者から少人数学級の取り組みやスクールソーシャルワーカー活用事業について説明を受ける。4年前から全ての小中学校の少人数学級の導入を開始。35人以下としているが、一学級の場合非常勤講師を加配してティームティーチングを実施している。現在は99・3パーセントの実施率。
 また「いじめ・不登校対策」としてスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、生徒指導アドバイザー制度などを活用して取り組みにあたっている。専門的な知識技術をもつソーシャルワーカーが問題を抱えている児童や家族に支援を行う。昨年は5人の担当者が140件ほどの問題解決にあたったという。どこの都市の教育委員会もあの手この手で問題解決を図ろうとしているのだね。
 およそ2時間近く説明を受けて質疑。その後、市内電車で広島駅に。

    <わが友、加藤裕史と再会>

 そこで一行と別れて、ぼくは、友人の加藤裕史と再会。7年ぶりかな?
 ぼくが社会党推薦で初当選したときの選挙参謀。一期目、市民センター左京のメンバーと衆議院選挙で複数擁立運動をしてぼくが除名になったり、まあ色々なことがありました。
 彼は自治労清掃支部を立ち上げ書記長として活躍、また組合運動を離れてからは、東山花灯路の立ち上げに尽力。定年前に退職して故郷の広島に帰り悠々自適かと思いきや大病を患い大手術。されど手術も成功して病魔に打ち勝ち、
今では焼酎も飲めるし元気。髭に白髪が混ざったな。駅ビルの中の居酒屋でおよそ4時間近く四方山話。ぼくも元気をもらったよ!友よ、お互い元気でもうちょっとがんばるか!東京行きの最終の新幹線で帰京。 


●8月8日(水)

    <修猷館高校を視察>

 教育福祉委員会の他都市行政調査の2日目。地下鉄で福岡県立修猷館(しゅうゆうかん)高校に。まずは立派な校舎にびっくり!なんと!黒田藩の藩校として天明4年1784年に設立されたという歴史ある学校。
 生徒自らが企画運営する伝統ある多くの行事などを紹介したビデオを見て、びっくり。とりわけ大運動会が凄い!もちろんクラブ活動も活発。そして九州大学に100人、東大に15人など進路実績なども抜群。
 校則もないのが素晴らしい!自由な校風で自立心を育む教育がなされて高校生活を謳歌しているのだ。体育館も講堂も立派。資料館もあり、同窓会ももちろん活発なのだろう。政治家では廣田弘毅や緒方竹虎をはじめ荒巻元京都府知事もあの山崎拓の出身校。
 夏休中だったが、運動会の準備や卓球やバドミントン、書道や吹奏楽などクラブ活動で汗を流す生徒たち。青春時代はええなあ!高校制度の改善を巡って京都でも色々と議論がされて答申が出されたところだが、この視察を踏まえて今後も議論していきたい。

    <九州国立博物館に>

 午後は、西鉄大牟田線と大宰府線に乗って大宰府は天満宮直ぐ近くの九州国立博物館に。暑くて熱中症気味。九州国立博物館の入り口は山裾にある長い長いエスカレーターで登ると巨大な建物が現れる。ようこんなところにデカい建物を作ったものだ。特別展として「15人の京の絵師」展が開催されていたが、視察目的は学校に貸し出す「きゅうぱっく」の説明と体験的展示室「あじっぱ」の視察。
 「きゅうぱっく」とは、ひとつのトランクにテーマ別の学習用具が収納されていて、学校の教材としてこともたちが楽しく学習できるもの。京都市の埋蔵文化財研究所でもこんなものを開発したらどうやろか!
 この博物館はアジアに視点を向けているが、「あじっぱ」と名付けられた展示室は、屋台風にアジア各国の遊び道具や楽器が並べてあって誰でもが触って遊べる場。早速、ベトナムのブースで天秤を担いだり、モンゴルの楽器を鳴らしてみたりで、アジアを体験。子どもたちも楽しそう。
 博物館そのものを見るには数時間かかりそう。見学はまたの機会ということでちょっと残念。西鉄で博多に戻って新幹線で広島に。ハードスケジュール。夕食は中華料理でした。某議員の楽しい雑学話を聞いて和気あいあい。

 テレビでは野田総理と谷垣総裁が会談して「近いうちに国民の信を問う」ことを確認したというニュース。時期を巡っては色々と取りざたされているようだが、いずれにせよ、選挙が近いなあ。

●8月7日(火)

      <教育福祉委員会の他都市調査で福岡へ>

 9時前に京都駅へ。教育福祉委員会の他都市行政調査で一路博多へ。市会事務局の吉田愛ちゃんが引率者。自民4人、共産3人、民主2人、公明2人、京都党1人の12人の委員と2人の部長。
 博多に着いて昼食の後、福岡市市民福祉プラザの中にある「介護実習普及センター」に。施設を運営している福祉サービス協会の方から説明を受けて場内を見学。福祉用具展示では、車いすやおむつや食器類や靴、押し車、トイレなど高齢者に必要な品物が展示されていて、ぼくも車いすに試乗。また高齢者が暮らしやすい住宅のモデルルームもあり、ベッドにぼくも寝転んでみたりする。あと何年かしたら、両親にはもちろんだが、ぼく自身のためにも必要になるのだろうな。介護講座も行われていた。最近では男性の受講者も多くなっているとのこと。わが身のことを考えた視察でした。

 それからタクシーでヤフードーム近くの福岡市こども総合相談センター「えがお館」に。
 このセンターは20歳までの子どもや保護者を対象に様々な問題を保健、福祉、教育分野から相談を受けて支援しようとする施設。京都でいうと児童相談所と子ども相談センターパトナが合体した感じかな。相談事業、虐待児童への一時保護所もあり、不登校対策として適応指導教室も開設されている。またスクールソーシャルワーカー事業についても説明を聞く。 どこの都市も不登校児童や問題行動を起こす児童・生徒に対して色々と工夫がされているのだ。およそ1時間半ほど説明と館内の見学をして投宿。夕食の後は、やっぱり博多ラーメンで締めました。

●8月6日(月)

     <ヒロシマから67年目の夏>

 昨夜の疲れが出てぐったり。ヒロシマから67年目の夏。学徒動員で広島に行っていて被爆した親父も93歳か。多少マダラだがおふくろと仲良く暮らしている。
 被爆2世のぼくも63歳の夏を迎えた。青春時代、白血病で早死にすると想像していたが、頭髪はすっかりなくなったものの大病を患うこともなく元気だ。よう生き延びてきたなあ。反核と反原発と不戦と平和を誓う日。

     <未来づくり教育フォーラム>

 10時前、国際会館へ。未来づくり教育フォーラムに参加。京都の教育関係者や全国からの参加者で満員。特別講演は作家での国文学者の林望さんの講演「子育て、私の考え方」を拝聴。リンボウ先生として色々と著書がある人。中学時代のことや両親との家族のこと、読書のこと、いじめのこと、子育てのことなどご自分の経験に照らして、淡々と語られる。慶応出身ということで慶応ボーイのスマートさをもった人。ぼくと同世代で同じ時代を過ごしてきた人だが、学者一家のお坊ちゃん育ちのお話でした。

     <未来への手紙プロジェクト・生まれくる君へ、育ちゆくあなたへ>

 午後は、議員団室に来客。30年ほど前、ぼくが京都イングリッシュセンターでバイトをしていた時の学生だった毎日新聞の記者。「未来への手紙プロジェクト・生まれくる君へ、育ちゆくあなたへ」のことで京都市の担当部長とともに懇談。社団法人「日本フィランソロピー協会」が主催して、「赤ちゃんへの手紙」を募集。「君が生まれたあの日」を歌う加藤登紀子さんが選者になりFM放送で彼女が朗読し、また毎日新聞紙上で紹介されるというプロジェクト。
子どもを産む世代にぜひこのプロジェクトを知らしてほしいとのこと。なんらかの形で協力しましょう。ぜひ書いてみてね。


 午後4時からは、北大路ビブレで人権擁護委員として啓発活動。「私は私らしく今を生きる」と書いた附箋を配る。全国共通の人権相談ダイヤルは0570-003-110です。人権侵害にあっている人、ぜひお電話を。およそ1時間弱5、6人のメンバーで配る。ビラを配っても普通はとる人は少ないけれど、みなさん気持ちよく受けとっていただきました。

     <徳ちゃんと乾杯!>

 6時からは、夏恒例の今枝団長の「徳ちゃんと乾杯!」のビアパーティ。市長や国会議員秘書そして同僚の議員らが参集。会場は、納涼会の雰囲気。
 今枝団長は、中央市場は青果、バナナ屋さん出身の議員で8期目。京都市会の最年長だが元気や。なんと4夜続きのパーティですよ。ぼくは当選する前、4年間中央市場の塩干部は「山本水産・山安」で丁稚車を引きモートラに乗って走り回っていた。山本水産も倒産したが、今はその当時の売り上げや店舗数は半分。
さみしくなったが、中央市場周辺には、水族館もできたし、すし市場もできた。よかった、よかった。
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