●4月23日(土)
選挙から15日後には収支報告を選挙管理委員会に提出することになっているので、カミさんと作業。エクセルに打ち込んで項目別に分け、領収書を貼る作業など。
夕方、わが選挙対策委員会の総括会議。40人ほどのメンバーが集まってくれて勝利を喜ぶ。
メンバーの某氏は、東日本の大震災の影響で選挙活動の自粛ムードの中で、なおかつ民主党政権への批判の中での厳しい選挙戦であったが、昨年春からの10回を超える市政懇談会の開催とビラ撒きや、上高野、岩倉での支持者の拡大、前原後援会の強力な応援、またシルバーパワーの威力が大いに発揮され、チームワークもよかったことなどが、勝因であろうと、と分析。ぼくにとっては7回目にして初めての高位当選でした。今後は、市民派議員として、市民の側に立ち、行政の代弁者になることなく、人間死ぬまで勉強だと叱咤激励もされた。みんなありがとう!これからが正念場だ。
解散後、街中の錦水館での毎年恒例の同志社民俗学研究会・竹田ゼミの同窓会。宴会は終わって部屋での二次会に合流。1968年の入学で同じクラスだった面々と顔を合わす。みんな喜んでくれたよ。彼らと出会って42年だ。
●4月22日(金)
昼、山内左京区長と異動で新しく副区長になった辻副区長と懇談。新総合庁舎のオープンを連休明けに控えて引越しがたいへんみたい。今年度に実施する左京の諸事業や区役所跡地のことなど色々と意見交換。辻副区長は、長く総務課の議事係りに在籍していたので旧知の仲。がんばってや!
午後から事務所にこもってカミさんと選挙の収支報告書作成の作業。
●4月21日(木)
昼過ぎ、自習ネット「英語広場」を主宰している阪東君が来所。太陽光発電の里親制度について政策提案を聞き実現に向けて議論。面白いアイデアやな。ちょっと体調を崩しているようだが、早く元気になってほしい。
その後、宝ヶ池地域の環境を守る会のメンバーと関西電力の関係者との話し合いに同席。福島原発の事故を受けて福井県の高浜や美浜原発の安全性のことや地震対策について説明会をしてほしいという要望。されど関西電力は新聞広告を出したが、説明会の開催などしたくないようだ。市民の不安に応えるべきだと思うが、いかがなものか。
夜は、第二次統一自治体選挙で奮闘している西川博司議員の応援弁士で宇治市へ。小倉の住宅地にある小さな集会場での演説会。久保田宇治市長も応援弁士に。ぼくと同世代で、水問題やウトロの問題に取組んできた西川議員とも長い付き合いになった。民主党への逆風下だが、がんばってほしい、と20分ほど応援演説。帰途、国道筋で久しぶりにパチンコ。勝ちましたがな。
●4月20日(水)
午前中、市原野の元自治連会長の中村さんと消防局の防災危機管理室を訪ねる。災害時用に開発製造された備蓄燃料「燻華薪」(いぶした薪)を被災地に送れないかという相談。京都市から派遣された消防職員や市職員、また現地のボランティアの受け入れ体制など色々と話を聞く。京都市は政令指定都市として仙台へ特に人員を派遣しているが、さて、我々は何ができるのだろうか?
午後は、事務所で資料の整理など。
●4月19日(火)
朝10時から議員会。大島仁新市会事務局長ら市会事務局の新旧メンバーの挨拶。初当選を果たした片桐君、松下君が初めて顔を見せたが、現職の安孫子和子さん、山本恵、藤川剛君の3人がいないので意気消沈モード。
小林団長のもと今期の民主・都みらい議員団の役員人事。新団長には今枝議員に決定。副団長に山岸、代表理事には隠塚議員、意見書調整などする市会運営委員に2期目の山本ひろふみ議員と久しぶりにぼくがその役を担うことになった。新人のつもりでまあ1年間やってみようか。その後、机の上の資料整理など。
夕方は、今枝議員のちゃんこ屋「横綱」で安孫子さん、山本恵、藤川君も参加して、これまでの議員団のメンバーで選挙のお疲れさん会。なんとなく暗い雰囲気でした。
●4月18日(月)
午前中、吉田神社の例祭。総代や氏子講社の役員さんたちと参拝。選挙勝利のお礼を兼ねて厳粛に頭を下げる。直会では、お元気になられた鈴鹿隆男講社長が、鴨長明の「方丈記」に記されているという都を襲った地震の話をされたのが印象に残る。地元の長老のみなさん方に選挙のお礼。「よかったですね」とみなさんに喜んでもらえて感激もひとしお。夕方、決算委員会と予算委員会での市長総括質疑を冊子にするための編集作業。
●4月17日(日)
朝、祖霊社の横の社務所を新築する為の地鎮祭が執り行われる。宗教法人として大元講社が府から認可も受けた。剣鉾を収納することもできる施設として夏には完成の予定。午後は、ちょっと疲れが溜まっているのか、家で爆睡。夕方、選挙資料関係の整理など。また2月予算市会の報告をまだしていないので市民派議員レポートの原稿を書き始めるが、さてどうするか。また決算委員会と予算委員会での市長総括質疑を冊子にしようと考えた。
●4月16日(土)
午前11時から動物園の「おとぎの国」の竣工式。日本で2番目に古い動物園の再整備の第一弾。レッサーパンダの園舎や子どもたちがヤギなどと触れ合える園舎ができた。園舎の上には遊歩道があり、東山などの景色も最高。
午後、松ヶ崎の妙法の裾野に竣工した新左京総合庁舎の内覧会。市政協力委員のみなさんらと新築なった庁舎を見学。木の香りのする3階建ての広々としたスペース。大きな会議室もあり、保健センターも入って区民サービスの拠点になる。5月連休後に開所する。昨年2月市会でぼくが提案した交通アクセスの改善については、65系統の市バスが近くまで来るように路線が変更されてとりあえずよかった。
その後、社団法人鴨沂会の理事会。この5月に開催される総会や会報のこと、教養講座のことなどが話題に。
夕方、親父の誕生日なので、嵯峨野へ。老夫婦がケア付きマンションで暮らし始めてちょうど1年。おふくろも手術後1年余、順調に快復してほぼ元気になった。親父はマダラ症候群だが、かろうじて「正穂かいな?」といいながら、コップ酒で乾杯。まあ元気でなにより。92歳の誕生日でした。
●4月12日(火)-4月15日(金)
選挙事務所の撤収作業をぼちぼちと始める。12日には、昼前、左京区長と川並左京選挙管理委員長が当選証書を持って選挙事務所に来所。うやうやしく受け取る。4年前は6月1日だったなあ、とふと思い出していた。感慨無量。
連合京都など推薦いただいた主だった労組や各種団体などへ挨拶回り。市役所では門川市長や3人の副市長もちょうど在室されていて握手。また島内研君を伴って同志社大学へも挨拶に参上する。また近所を歩いているとたくさんの人から「おめでとうございます」と声をかけていただき感謝。14日に選挙事務所を閉めて、吉田の事務所に戻った。公職選挙法で、お礼の挨拶や手紙でのお礼も含めて禁止されているので、ご理解下さい。
閑話休題。今回のわが選挙チームは平均年齢65歳ぐらいかな。定年退職したわが団塊の世代や高校の大先輩なども朝の街頭行動にも参加していただき、大いに盛り上げてもらった。前原議員をはじめ、前原後援会のメンバーも強力な応援部隊。わがカミさんも必死のパッチでした。
ぼくも選挙中、気が張っていたこともあり、体調もすこぶる良くて、そして、何よりも前回のようにならない、断固勝利するぞ!と言う気迫で、最後までバテルことなくマイクを握り、走ることができた。また事務所内の揉め事もほとんどなく、個性豊かなオッサン、オバサンメンバーが待ち場持ち場で力を結集してくれた。そして街角で、また演説会場で、多くの方からご支援いただいた。ほんまに有難かった。新人のつもりで、初心に戻って7期目のスタートを切ります。
●4月11日(月)
快晴の月曜日。心地よい疲れ。朝、吉田幼稚園の入園式。たくさんの新入園児が若い両親と一緒の入園式。法人の役員をさせていただいているので来賓でご挨拶。おじさんも7回目の入園式です、とあいさつしたら保護者の方から拍手していただいた。
うれしいことです。鬼の話をさせていただく。
昼過ぎ、選挙事務所に。お祝いに来ていただける方が多数。お電話もたくさんいただく。ほんまに感謝です。ほんまに勝ててよかったなあ。
午後、世話になった京都水道労組にまずは挨拶に。書記長らと喜びを分かち合うが、盟友の山本恵が落選して誠に残念。帰途、大石橋の山本恵の事務所に。スタッフのみなさんにお疲れさんでしたと声をかける。
民主党への逆風が吹く中、中京区の安孫子和子さん、山科区の藤川剛君が落選したことが悔しい。再起を期してほしい。
ところで選挙の結果だが、民主党は府会では2議席増になったのはよかった。京都市会では1議席減の13(4年前も13だったが、ぼくが繰り上げ当選したので14になった)。京都党が4議席、自民は1増の23議席。共産党が4議席減の15となって退潮。伏見区で2人の現職が落ちたのは痛手であろう。公明は12議席を堅持。みんなが1人、自民系の無所属が1。京都市会69の定数が決まった。さて、これから京都市会と京都市政はどういう展開になるかな?
選挙から15日後には収支報告を選挙管理委員会に提出することになっているので、カミさんと作業。エクセルに打ち込んで項目別に分け、領収書を貼る作業など。
夕方、わが選挙対策委員会の総括会議。40人ほどのメンバーが集まってくれて勝利を喜ぶ。
メンバーの某氏は、東日本の大震災の影響で選挙活動の自粛ムードの中で、なおかつ民主党政権への批判の中での厳しい選挙戦であったが、昨年春からの10回を超える市政懇談会の開催とビラ撒きや、上高野、岩倉での支持者の拡大、前原後援会の強力な応援、またシルバーパワーの威力が大いに発揮され、チームワークもよかったことなどが、勝因であろうと、と分析。ぼくにとっては7回目にして初めての高位当選でした。今後は、市民派議員として、市民の側に立ち、行政の代弁者になることなく、人間死ぬまで勉強だと叱咤激励もされた。みんなありがとう!これからが正念場だ。
解散後、街中の錦水館での毎年恒例の同志社民俗学研究会・竹田ゼミの同窓会。宴会は終わって部屋での二次会に合流。1968年の入学で同じクラスだった面々と顔を合わす。みんな喜んでくれたよ。彼らと出会って42年だ。
●4月22日(金)
昼、山内左京区長と異動で新しく副区長になった辻副区長と懇談。新総合庁舎のオープンを連休明けに控えて引越しがたいへんみたい。今年度に実施する左京の諸事業や区役所跡地のことなど色々と意見交換。辻副区長は、長く総務課の議事係りに在籍していたので旧知の仲。がんばってや!
午後から事務所にこもってカミさんと選挙の収支報告書作成の作業。
●4月21日(木)
昼過ぎ、自習ネット「英語広場」を主宰している阪東君が来所。太陽光発電の里親制度について政策提案を聞き実現に向けて議論。面白いアイデアやな。ちょっと体調を崩しているようだが、早く元気になってほしい。
その後、宝ヶ池地域の環境を守る会のメンバーと関西電力の関係者との話し合いに同席。福島原発の事故を受けて福井県の高浜や美浜原発の安全性のことや地震対策について説明会をしてほしいという要望。されど関西電力は新聞広告を出したが、説明会の開催などしたくないようだ。市民の不安に応えるべきだと思うが、いかがなものか。
夜は、第二次統一自治体選挙で奮闘している西川博司議員の応援弁士で宇治市へ。小倉の住宅地にある小さな集会場での演説会。久保田宇治市長も応援弁士に。ぼくと同世代で、水問題やウトロの問題に取組んできた西川議員とも長い付き合いになった。民主党への逆風下だが、がんばってほしい、と20分ほど応援演説。帰途、国道筋で久しぶりにパチンコ。勝ちましたがな。
●4月20日(水)
午前中、市原野の元自治連会長の中村さんと消防局の防災危機管理室を訪ねる。災害時用に開発製造された備蓄燃料「燻華薪」(いぶした薪)を被災地に送れないかという相談。京都市から派遣された消防職員や市職員、また現地のボランティアの受け入れ体制など色々と話を聞く。京都市は政令指定都市として仙台へ特に人員を派遣しているが、さて、我々は何ができるのだろうか?
午後は、事務所で資料の整理など。
●4月19日(火)
朝10時から議員会。大島仁新市会事務局長ら市会事務局の新旧メンバーの挨拶。初当選を果たした片桐君、松下君が初めて顔を見せたが、現職の安孫子和子さん、山本恵、藤川剛君の3人がいないので意気消沈モード。
小林団長のもと今期の民主・都みらい議員団の役員人事。新団長には今枝議員に決定。副団長に山岸、代表理事には隠塚議員、意見書調整などする市会運営委員に2期目の山本ひろふみ議員と久しぶりにぼくがその役を担うことになった。新人のつもりでまあ1年間やってみようか。その後、机の上の資料整理など。
夕方は、今枝議員のちゃんこ屋「横綱」で安孫子さん、山本恵、藤川君も参加して、これまでの議員団のメンバーで選挙のお疲れさん会。なんとなく暗い雰囲気でした。
●4月18日(月)
午前中、吉田神社の例祭。総代や氏子講社の役員さんたちと参拝。選挙勝利のお礼を兼ねて厳粛に頭を下げる。直会では、お元気になられた鈴鹿隆男講社長が、鴨長明の「方丈記」に記されているという都を襲った地震の話をされたのが印象に残る。地元の長老のみなさん方に選挙のお礼。「よかったですね」とみなさんに喜んでもらえて感激もひとしお。夕方、決算委員会と予算委員会での市長総括質疑を冊子にするための編集作業。
●4月17日(日)
朝、祖霊社の横の社務所を新築する為の地鎮祭が執り行われる。宗教法人として大元講社が府から認可も受けた。剣鉾を収納することもできる施設として夏には完成の予定。午後は、ちょっと疲れが溜まっているのか、家で爆睡。夕方、選挙資料関係の整理など。また2月予算市会の報告をまだしていないので市民派議員レポートの原稿を書き始めるが、さてどうするか。また決算委員会と予算委員会での市長総括質疑を冊子にしようと考えた。
●4月16日(土)
午前11時から動物園の「おとぎの国」の竣工式。日本で2番目に古い動物園の再整備の第一弾。レッサーパンダの園舎や子どもたちがヤギなどと触れ合える園舎ができた。園舎の上には遊歩道があり、東山などの景色も最高。
午後、松ヶ崎の妙法の裾野に竣工した新左京総合庁舎の内覧会。市政協力委員のみなさんらと新築なった庁舎を見学。木の香りのする3階建ての広々としたスペース。大きな会議室もあり、保健センターも入って区民サービスの拠点になる。5月連休後に開所する。昨年2月市会でぼくが提案した交通アクセスの改善については、65系統の市バスが近くまで来るように路線が変更されてとりあえずよかった。
その後、社団法人鴨沂会の理事会。この5月に開催される総会や会報のこと、教養講座のことなどが話題に。
夕方、親父の誕生日なので、嵯峨野へ。老夫婦がケア付きマンションで暮らし始めてちょうど1年。おふくろも手術後1年余、順調に快復してほぼ元気になった。親父はマダラ症候群だが、かろうじて「正穂かいな?」といいながら、コップ酒で乾杯。まあ元気でなにより。92歳の誕生日でした。
●4月12日(火)-4月15日(金)
選挙事務所の撤収作業をぼちぼちと始める。12日には、昼前、左京区長と川並左京選挙管理委員長が当選証書を持って選挙事務所に来所。うやうやしく受け取る。4年前は6月1日だったなあ、とふと思い出していた。感慨無量。
連合京都など推薦いただいた主だった労組や各種団体などへ挨拶回り。市役所では門川市長や3人の副市長もちょうど在室されていて握手。また島内研君を伴って同志社大学へも挨拶に参上する。また近所を歩いているとたくさんの人から「おめでとうございます」と声をかけていただき感謝。14日に選挙事務所を閉めて、吉田の事務所に戻った。公職選挙法で、お礼の挨拶や手紙でのお礼も含めて禁止されているので、ご理解下さい。
閑話休題。今回のわが選挙チームは平均年齢65歳ぐらいかな。定年退職したわが団塊の世代や高校の大先輩なども朝の街頭行動にも参加していただき、大いに盛り上げてもらった。前原議員をはじめ、前原後援会のメンバーも強力な応援部隊。わがカミさんも必死のパッチでした。
ぼくも選挙中、気が張っていたこともあり、体調もすこぶる良くて、そして、何よりも前回のようにならない、断固勝利するぞ!と言う気迫で、最後までバテルことなくマイクを握り、走ることができた。また事務所内の揉め事もほとんどなく、個性豊かなオッサン、オバサンメンバーが待ち場持ち場で力を結集してくれた。そして街角で、また演説会場で、多くの方からご支援いただいた。ほんまに有難かった。新人のつもりで、初心に戻って7期目のスタートを切ります。
●4月11日(月)
快晴の月曜日。心地よい疲れ。朝、吉田幼稚園の入園式。たくさんの新入園児が若い両親と一緒の入園式。法人の役員をさせていただいているので来賓でご挨拶。おじさんも7回目の入園式です、とあいさつしたら保護者の方から拍手していただいた。
うれしいことです。鬼の話をさせていただく。
昼過ぎ、選挙事務所に。お祝いに来ていただける方が多数。お電話もたくさんいただく。ほんまに感謝です。ほんまに勝ててよかったなあ。
午後、世話になった京都水道労組にまずは挨拶に。書記長らと喜びを分かち合うが、盟友の山本恵が落選して誠に残念。帰途、大石橋の山本恵の事務所に。スタッフのみなさんにお疲れさんでしたと声をかける。
民主党への逆風が吹く中、中京区の安孫子和子さん、山科区の藤川剛君が落選したことが悔しい。再起を期してほしい。
ところで選挙の結果だが、民主党は府会では2議席増になったのはよかった。京都市会では1議席減の13(4年前も13だったが、ぼくが繰り上げ当選したので14になった)。京都党が4議席、自民は1増の23議席。共産党が4議席減の15となって退潮。伏見区で2人の現職が落ちたのは痛手であろう。公明は12議席を堅持。みんなが1人、自民系の無所属が1。京都市会69の定数が決まった。さて、これから京都市会と京都市政はどういう展開になるかな?