昼飯を食べに出たついでに、書店によりました。
あてもなく歩いているつもりが、ついつい吸い寄せられるコーナーがあります。単行本が五十音順に並んでいる“た”のところ。
「谷川俊太郎」が好きです。
谷川俊太郎詩選集全3巻。迷わず買いました。
今までも書店で谷川俊太郎作品を見つけるとほとんど購入してきたので、重なる作品も多いだろうなと思いつつも、レジに向かう足は弾んでいました。
今から20年ほど前、家庭内不和に悩み、自分の生き方に迷いもがいてた時に落ち着かせてくれたのが谷川さんの詩でした。
今も時々、あの時の詩を読み返したくて詩集をめくるのですが、見つかりません。書店でついつい“た”のコーナーに足が向くのは、あの時の詩にもう一度会いたいから・・・
でも、見つかりません・・・
おそらく見つからないのではなく、見えなくなっているのだと思います。
20年前の感性が捉えた作品は、今同じ作品が目の前を通り過ぎても、今の感性では捉えられない・・・
それは成長したが故・・・もしくは退化したから・・・
谷川さんの作品は決して優しくないと思います。
厳しくもあり、残酷でもあり、寂しくもある。だから癒されるのかもしれません。私もきれい事ばかりで生きてきた人間ではないので、それを引きずりつつも、そのままの存在を許してくれる表現がそこにあります。
今日のタイトルは、谷川さんの詩からの引用です。
著作権の侵害にならない程度に紹介します。
「子供は泣く」
・・・
・・・きみの泣声は
私を深い淵へ誘う
そんなに深い悲しみが
きみにあるはずはない
そんなに烈しい怒りを
きみはまだ知りはしない
・・・
頼むから泣かないでくれ
さもないと私まで泣き出してしまう
わけも分からず泣き出してしまう
・・・
~空に小鳥がいなくなった日~より