平荘町・上荘町をゆく(33) 薬栗(2) 長慶寺山古墳発掘の顛末
上荘町薬栗の標高40㍍にある長慶寺山に七基の古墳があります。
前方後円墳1基、方墳1基、円墳5基からなる古墳群です。
このうち、前方後円墳は前期初頭(4世紀)の古墳で、最も古い時期のものです。
写真の鏡(内行花文鏡)は、その前方後円墳から出土しました。
この古墳は、昭和30年に地元の中学校地歴部が発掘しています。
若干問題を引きおこしました。以下その顛末です。
発掘が行われたのは、昭和30年8月でした。
当時、既に文化財保護法ができており、無届の古墳発掘はできなくなっていました。
学校は、古墳の土地の所有者の許可を得ただけで、同校の地歴部の活動の一環として発掘したのです。
学校は、教育委員会からお叱りを受け、教育委員会は、警察から注意を受けました。
学校は、さらに県からお目玉を頂戴しました。
古墳前期の古い時期の古墳であり、貴重な鏡が出土したことにより各方面から注目さるようになりました。
とにかく、報告書はまとめられ発表されました。
『加古川市史(第七巻)』は「・・・(中学生による発掘)の結果は、同年に『長慶寺山古墳を発掘して』と題する簡単な報告書にまとめられているが、専門分野の指導者を欠いた発掘であったため、内容は理解にくるしむところが多い・・・」と簡単に述べています。
なお、この前方後円墳以外の6基の古墳は、若干時代は下るものであるが、出土物等詳細はわかりません。