ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(27) みとろ(1) 見土呂姫の伝承

2024-04-12 07:48:24 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

           平荘町・上荘町をゆく(27) みとろ(1) 見土呂姫の伝承

 上荘町見土呂(みとろ)山条のお堂の横に立派な石棺仏(写真)があり、この三体の石仏には、次のような話があります。
 お堂にその説明があるので読んでおきます。
 (注:一部書き変えている)

         「見土呂(みとろ)姫」の伝承

 赤松円心の砦として室町時代の初めに井ノ口城がつくられました。
 その後、井ノ口城は、赤松満祐(みつすけ)の支配下におかれました。
 当時、城主は井口家治(いえはる)でした。
 家治の娘は、心やさしい美しい見土呂姫でした。
 井口家に出入りしていた若者は、姫のあまりの美しさに心を奪われました。
 ある年の「月見の祝」の時でした。
 若者は、やっと姫に近づくことができ、思いを告白したのですが断られてしまいました。
 絶望のあまり若者は、姫を殺してして、裏山に埋めてしまったのです。
 しばらくして、そのことを知った村人は姫の死を悼み、この石仏を立てたといいます。
 実話とおもえませんが、こんな見土呂姫の悲話を伝えています。
 井ノ口城は現在の「みとろ荘」のある場所でした。
 南北朝時代、この地域は赤松氏の支配する地でした。
 

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