平荘町・上荘町をゆく(27) みとろ(1) 見土呂姫の伝承
上荘町見土呂(みとろ)山条のお堂の横に立派な石棺仏(写真)があり、この三体の石仏には、次のような話があります。
お堂にその説明があるので読んでおきます。
(注:一部書き変えている)
「見土呂(みとろ)姫」の伝承
赤松円心の砦として室町時代の初めに井ノ口城がつくられました。
その後、井ノ口城は、赤松満祐(みつすけ)の支配下におかれました。
当時、城主は井口家治(いえはる)でした。
家治の娘は、心やさしい美しい見土呂姫でした。
井口家に出入りしていた若者は、姫のあまりの美しさに心を奪われました。
ある年の「月見の祝」の時でした。
若者は、やっと姫に近づくことができ、思いを告白したのですが断られてしまいました。
絶望のあまり若者は、姫を殺してして、裏山に埋めてしまったのです。
しばらくして、そのことを知った村人は姫の死を悼み、この石仏を立てたといいます。
実話とおもえませんが、こんな見土呂姫の悲話を伝えています。
井ノ口城は現在の「みとろ荘」のある場所でした。
南北朝時代、この地域は赤松氏の支配する地でした。