平荘町・上荘町をゆく(34) 新池・塔池・下池(上荘町)
きょうの話題は、新池・塔池(とうのいけ)・下池です。
地図で、これらの池の場所を確認してください。
新池・塔池・下池
上荘地区の地形は北が高く、ほとんどが山地です。
平地に出てからも土地は階段状で徐々に低くなり、川に落ち込んでいます。
土地は、水が少なく、たまりにくい。しばしば旱魃に見舞われました。
高いところに水さえあれば、水は流をつくり美田になります。
この地域では、昔から小さな池をつくり灌漑をしていたが、水は常にたりませんでした。
大規模な池を計画した人がいました。見土呂の大西吉兵衛知雄です。
彼は、通称吉兵衛と呼ばれていました。
彼の計画した池は、新池・塔池・下池を一体的に結び付けて使用するというものでした。
新池には、近くの山から水を集め、砂を沈殿させます。その水を塔池へ流し、貯蔵しました。
さらに、塔池から下池に水を引き、小出しにして田に分水しました。
計画から完成まで10年、文政10年(1827)頃、池は完成しました。
以後、見土呂村・都染村・井ノ口村の稲は枯れることはなかったといいます。
村人は大いに喜び、彼の功績をたたえ、塔池の北の隅に塔をつくり功績をたたえました。
塔には、世話人の名も刻んでいます。一部を紹介しておきます。
嫡子 大西吉兵衛親賢
嫡孫 大西直次郎知時
見土呂 庄屋 爲 平
都染 庄屋 善兵衛
井ノ口 庄屋 彌一郎
*以下各村(見土呂・都染・井ノ口)の世話人は省略
池の名称は、この石塔があるので塔池といわれています。