ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(34) 新池・塔池・下池(上荘町)

2024-04-20 08:22:33 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

 

     平荘町・上荘町をゆく(34)  新池・塔池・下池(上荘町)

 きょうの話題は、新池・塔池(とうのいけ)・下池です。
 地図で、これらの池の場所を確認してください。

         新池・塔池・下池 

 上荘地区の地形は北が高く、ほとんどが山地です。
 平地に出てからも土地は階段状で徐々に低くなり、川に落ち込んでいます。
 土地は、水が少なく、たまりにくい。しばしば旱魃に見舞われました。
 高いところに水さえあれば、水は流をつくり美田になります。
 この地域では、昔から小さな池をつくり灌漑をしていたが、水は常にたりませんでした。
 大規模な池を計画した人がいました。見土呂の大西吉兵衛知雄です。
 彼は、通称吉兵衛と呼ばれていました。
 彼の計画した池は、新池・塔池・下池を一体的に結び付けて使用するというものでした。
  新池には、近くの山から水を集め、砂を沈殿させます。その水を塔池へ流し、貯蔵しました。
 さらに、塔池から下池に水を引き、小出しにして田に分水しました。
 計画から完成まで10年、文政10年(1827)頃、池は完成しました。
 以後、見土呂村・都染村・井ノ口村の稲は枯れることはなかったといいます。
 村人は大いに喜び、彼の功績をたたえ、塔池の北の隅に塔をつくり功績をたたえました。
 塔には、世話人の名も刻んでいます。一部を紹介しておきます。
   嫡子   大西吉兵衛親賢
   嫡孫   大西直次郎知時
   見土呂  庄屋  爲 平
   都染   庄屋  善兵衛
   井ノ口  庄屋  彌一郎
   *以下各村(見土呂・都染・井ノ口)の世話人は省略
 池の名称は、この石塔があるので塔池といわれています。

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