平荘町・上荘町をゆく(43) 報恩寺(5) 報恩寺は真言律宗の寺
鎌倉時代、戦乱・自然災害等で世の中は乱れました。
人々は、新興の仏教(浄土宗・一向宗・日蓮宗など)に救いを求めました。
新興の仏教は、「念仏を一心に唱えれば浄土は約束されている・・・」と説きました。。
鎌倉仏教は、庶民の間に急速な広がりをみせました。
しかし、一部には「念仏さえ唱えれば、他は何をしてもよいんだ」という風潮さえうまれました。つまり、修行を怠り破戒をあえてするものまで続出したのです。
このような風潮を嘆く声もうまれました。
真言宗の信者であった叡尊(えいぞん)は、衰えた戒律を復興するために、西大寺に入り真言律宗を唱えました。
叡尊の唱えた真言律宗は、大いに広がりました。
(余談ですが、日本史の教科書では、真言律宗・叡尊についての記述がほとんどありません。もっと評価されべきだと思えます)
叡尊は、たんなる南都の律宗(奈良仏教)の復興ではなく、らい患者に対する救済、各地の土木事業の遂行、その他社会福祉にも取り組みました。
西大寺の真言律宗は、播磨地方へもひろがります。
加古川関係では「西大寺末寺帳」に西大寺の末寺に、常楽寺(現:加古川市大野)・報恩寺、そして成福寺(場所は不明)がります。
報恩寺は、西大寺の真言律宗の影響下にあったてらでした。
伊派は、叡尊と結びつき真言律宗の末寺等に石造物を多数残しています。
*図は報恩寺に残る室町時代の後期に描かれた「報恩寺参詣曼荼羅図」。
報恩寺は、随分栄えた名刹でした。
現在の報恩寺は、真言宗の寺院です。
*写真: 西大寺(奈良)