ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(19) 上荘地区の村々

2024-04-04 09:03:13 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

        平荘町上荘町(19) 上荘地区の村々


 かつて、上荘地区は湯乃山街道にそった集落であり、国包にいたては加古川と交わり、一大ターミナルとして賑わったところでした。
 江戸時代、図のように上荘地区には国包・井ノ口・白沢・見土呂・都染・薬栗そして小野の各村々がありました。
 これら七ヵ村は、明治22年4月1日、新しい町村制により合併して印南郡上荘村となり、役場を見土呂村に置きました。

 加古川市は新しい住民が増え、そして上荘地区は加古川の北部に位置しており町の名前を言われても、すぐに浮かんでこない方が多いと思われますので、少し休憩をして、上荘町の各町の場所を紹介しておきましょう。
 昭和30年4月1日、加古川市と合併して加古川市上荘町となりました。
 村名はこの地区が奈良の西大寺の荘園であった「印南荘」の上部(北部)に当たるため、平之荘(平荘)に対して上之荘(上荘)と呼ばれるようになりました。
 「上荘」の読み方ですが、現在『日本行政区画便覧』により「かみそう」と読ませています。
 *中世の荘園である「印南荘」については、後日、紹介します、 
 *図:『兵庫県市町村合併史』(兵庫県)参照

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