平荘町・上荘町をゆく(42) 報恩寺(4) 伊派石工集団◇
報恩寺の墓地に、相輪部は後に補修しているが十三層の立派な層塔があります。
この近辺は石の産地であり、石造物はそれらの石を材料とするのが普通です。
近辺で産出する石は、凝灰岩で、やわらかく細工がしやすため、安くできます。
報恩寺の層塔は、凝灰岩ではありません。硬い細工の難しい花崗岩を材料としています。
先に紹介した報恩寺の四基の五輪塔も花崗岩でした。
『加古川市史(第一巻)』を読んでみましょう。
・・・・五輪塔の作者は大和伊派(いは)の名工、伊行恒(いのゆきつね)であるという、・・・・伊行恒は、大和を根拠地にしながら、摂津の御影を中心にその活躍が知られている。
その伊派の石工たちたちが深く関係したのが、大和の西大寺の叡尊(えいぞん)・忍性であって、叡尊・忍性が「殺生禁断」の記念碑として各地に建立した十三重の層塔は、すべて伊派の石工たちが刻んだものであったとこともよく知られている。・・・・(『加古川市史・第一巻』より)
報恩寺の層塔は、形式などからも伊派の石工による作品として間違いがなさそうです。
報恩寺の層塔の銘を読んでおきましょう。
銘文 常勝寺
元応元年 巳未(1319)
十一月六日
銘には、常勝寺とあり、報恩寺ではありません。「報恩寺は、もとは常勝寺であり、後に西大寺の末寺の真言律宗寺院になった」とする説が一般的ですが、別の場所にあった常勝寺から移されたのかもしれません。
真言律宗・叡尊・忍性については、さらに続けます。
*『加古川市史(第一巻)参照』
写真:十三重の層塔(県指定文化財・元応元年(1391)・高さ:564cm)