平荘町・上荘町をゆく(38) 白沢(3) 古い歴史を持つ白沢
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これらの古墳は昭和63年(1988)10月から11月にかけて発掘調査され、神子谷古墳群は円墳8基、カメ焼谷古墳は円墳7基で構成され、ともに出土した土器等から古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初期)の古墳であることが確認されました。
白沢では、これらの古墳群のほかに古墳時代後期の古墳が数基確認されています。
白沢は、その後も須恵器等の生産地として栄えていました。
白沢旧石器人
白沢では、古墳時代に先立つ弥生時代・縄文時代の遺跡は、現在のところ見つかっていません。
時代をはるか昔にさかのぼります。
今から1万年ほど前、地球は現在とほぼ同じ温暖な気候になりました。
それ以前は寒く、かつて日本列島には人が住んでいなかったと考えられていましたが、加古川市内でも約二万年以上以前に人が使っていた石器(旧石器)が多数採集されています。
彼らは、既に火を使い、暖をとり、獣から身を守ってろり、物を焼くという調理法も取り入れていました。
白沢には、旧石器時代の足跡があります。
集落のすぐ東の大池の南西の畑から旧石器がみつかっています。
上荘地区での旧石器の発見は、この一例だけです。
白沢は現在の小野市の黍田町、そして加古川の流れに向かって広がった土地で、とてつもなく古い歴史を持つ地域のようです。
*『加古川市史(第四巻)』参照