平荘町・上荘町をゆく(28) みとろ(1) 見土呂の語源は深泥(みどろ)か?
「国民宿舎・みとろ荘」近辺の地図をご覧ください。
「みとろ荘」のところで地形は東西に伸びる段丘をつくっています。
川沿いに加古川養護学校があります。
もう少し説明しておきます。
上荘橋の北詰に広がる集落が上荘町見土呂で、見土呂の集落と「国民宿舎・みとろ荘」と加古川の土手に囲まれたあたりに(写真)低地が広がっています。
きょうの話題は、この低地の話です。
見土呂の語源は「深泥(みどろ)」か?
地名研究家・石見完次氏は「見土呂・ミトロ」の地名について『古地名新解-加古川おもしろ誌-神文書院)で、次のように説明されています。
「・・・今の集落の下に入り組んだ低地がある。
昔は、加古川の本流が渕をなしていたとみえる。
ミドロとは、そういう地形で深泥(ミドロ)といわれる湿地帯と言う意味である。
“みとろ荘”・“みとろ苑”と清音で呼ぶの語源なら、河水の静かに滞った所という意味である。・・・」
以下は蛇足です。
湿地帯とは、汚れた役に立たない場所ではありません。古代人にとって、ミドロこそ農業生産の絶好の土地でした。
*ミトロ(写真の中央辺りの小高い所にある建物・みとろ荘、右の建物・養護学校)