ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(30) 見土呂(4) 大地主・大西甚一平

2024-04-15 09:41:04 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

 

      平荘町・上荘町をゆく(30) 見土呂(4) 大地主・大西甚一平


 加古川地方は、綿作の中心地であり、江戸時代の終わりのころ綿作は大いにさかんでした。
 しかし、明治時代に入りしばらくすると質のよい、安価な輸入綿におされ綿作は急速に衰えました。
 また、明治14年からはじまった松方内閣のデフレ政策により農産物は一気に下落し、土地を手放す農民があいつぎました。
 一方で、これらの土地を集積して、この地方では、多くの大地主が誕生しました。
 加古川地方は特に小作率(土地のうち小作地のしめる割合)が高く、明治36年の調べですが、小作率は加古郡が69.7%、印南郡が55.9%でした。
 この数字は、県平均の52.1%と比べて随分高かい数字です。
 今市村(高砂市)の伊藤長次郎は、県内最大の地主で、明治26年(1893)に播磨11郡で田畑456町、宅地6町、山林48町を所有していました。
 前号で紹介した「みとろ苑」は、見土呂村の大西甚一平の旧家です。
 明治25年(1892)、播磨7郡で田畑202町、宅地4町、山林50町を所有し、県内でも五指に入る大地主でした。

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