平荘町・上荘町をゆく(17) 国包(5) 築山(つきやま)
嘉禄元年(1225)、大洪水が国包を襲いました。
「この地は、加古川が大きく蛇行し、特に洪水が多かった地域です。
国包には、写真のような人工の築山(つきやま)があります。
洪水時の避難場所です。
宝暦六年(1756)、国包出身の長浜屋新六郎という人が、洪水で被害に困る住民のために私財を投げ打って築いたものだと伝えられています。
当時は、水害のため飢饉の状態でした。この工事により、多くの貧しい人々が仕事を得て救われたとも伝えられています。
後年、この築山に土地の人々が感謝の気持ちと安全への祈りをこめ築山神社を築きました。
なお、この築山には近くから見ると一本のように見える大樹があります。
樹齢は、250年ほどで、築山を造ったときに植えられたともいわれ、樹木では、唯一の加古川市指定の文化財(平成2年に市指定文化財の指定)です。
ところが、平成24年4月3日の強風で北側の榎とまん中の椋が、地面から高さ約1,5メートルのところで折れるという被害があり、残った南側の榎の被害状況も心配されていました。
その後、地元の保存対策のおかげで、残った榎の樹勢もある程度回復しました。そのため、指定名称と数量の内容を変更して、引き続き市指定文化財として保護されています。
*写真:被害前の築山とエノキ・ムクノキ