ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(26) 井ノ口(3) 井ノ口城滅亡

2024-04-11 08:13:48 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

    平荘町・上荘町をゆく(26) 井ノ口(3) 井ノ口城滅亡

 戦国時代、加古川地方の城主は、ほとんど毛利方に味方した三木・別所方につき、信長・秀吉方と戦いました。
 当時、小規模ながら井ノ口に「井ノ口城」がありました。
 場所は、「国民宿舎・みとろ荘」(写真)の場所です。
 三木合戦では、井ノ口城は三木・別所方に味方しました。
 「みとろ荘」の入り口の左の植え込みに、井ノ口城跡の説明があるの読んでおきます。(一部省略)

             井ノ口城

 城の規模は『播磨鑑』には、本丸26間、二の丸は27間と書かれています。
 『播磨諸城交替連綿之記』によれば、志方城主である志方家則の二男孫次郎家金が城主と伝えられ、この孫次郎がが井口氏の始祖となり、子息二人と共に居住していました。
 その後、三木の合戦の時には別所方についた、依藤三河守の居城となっていました。・・・・

 説明は、以上のようです。
 三木合戦の時の井ノ口城主は依藤(よりふじ)氏であるといいいます。
 井ノ口城のあった場所は、三木方、信長方双方にとって重要な拠点です。
 加古川と湯之山街道の交わる場所です。三木城の西方からの兵が、そして物がここを通して動くのです。
 依藤氏がこの場所をおさえました。詳しいことは分かりませんが、依藤氏というのですから、東条地方に勢力を持ち、別所氏を支えた有力武将の一族につながる者でしょう。
 天正八年(1580)正月、三木・別所方は落城しました。
 井ノ口城も、この時運命をともにしました。

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