余談である。この時代の航海における航法は、沿岸航法であった。船から見える地上の目標物、沿岸の風景、情景、状態を見ての航海であった。それらが目視で見えない闇夜の航海は、原則として、しなかった様であったらしい。多島海といわれるエーゲ海においては座礁の危険が大きく、夜の航海は、熟知した海域を航走するくらいであった。広い太洋においての夜間の航走は、星座北斗七星が頼りの航海であったらしい。星の見えない夜は、長途に及ぶ航海はしないようであった。
天文航法については、未熟であり、肉眼で判別しやすい、太陽、月、星を頼りにしていたのである。星といっても極々限られた星座のみであったらしい。見づらい北極星よりも、星座の中で船のりたちに頼りにされた、唯一の星座が、彼らに『荷車』と言うあだ名で呼ばれた北斗七星であった。
天文航法については、未熟であり、肉眼で判別しやすい、太陽、月、星を頼りにしていたのである。星といっても極々限られた星座のみであったらしい。見づらい北極星よりも、星座の中で船のりたちに頼りにされた、唯一の星座が、彼らに『荷車』と言うあだ名で呼ばれた北斗七星であった。