旧室戸岬漁港
室戸市では、津波の被害といえば、南海地震をすぐに連想するのですが、昭和の南海地震を経験した人によると、津波は確かに、起こったけれど津波による被害はなかったという話を聞く事があります。
昭和の南海地震よりも、台風による波の被害が多かったようです。
昭和9年に発生した、室戸台風の高波で家が流され、死者が数多く出たという話はよく聞きます。
室戸台風によって、どれだけの高波が発生して、その波がどこまで到達していたのかは、はっきりと、記録に残されています。
台風の高波と津波では波の強さと高さと、通達距離には違いがあるのですが、室戸台風の高波はほとんど津波と同じものだと考えていいのではないかと思います。
台風で発生した高波の事を潮津波とか、海嘯(かいしょう)呼んでいたようです。
高波と、高潮、津波を含めて、海嘯とよぶ場合もあったようです。
昭和9年の室戸台風で、高波が到達した地点に、石碑が建っています。
こういう石碑が建っている場所が一カ所あるのは以前から知っていたのですが、もう一カ所あるという事が分かりました。
一つは、旧室戸岬漁港の北西の角です。
旧国道沿いの室岬漁港です。
津呂漁港といったほうが分かりやすいでしょうか。
近くには、公衆電話のボックスがあります。
石碑はあまり大きなものではありません。
『昭和九年海嘯襲来』と書かれています。
下のほうの文字が消えかかっていますが、『襲来地點』と書かれているものと思われます。
この場所の海抜が11メートルです。
港を挟んで、この石碑の反対側には、『紀貫之朝臣泊舟處』の石碑があります。
土佐日記の室津の泊に関しては、のちほど説明します。
もう一カ所の、昭和9年室戸台風の高波の到達地点を示す石碑は、室戸岬の旧国道を室戸スカイライの方向に進んで、民宿の看板が見える場所から70メートルほど西側の山手の空き地にあります。
まだ他にも、昭和9年室戸台風の高波の到達地点の石碑があるのかは不明です。
だいたい石碑が建っている場所が海抜、11メートルから13メートルです。
台風の高波は、津波とは違うのですが、台風の波でさえ、10メートルを超える海抜の地点まで達してしまいます。
次の南海地震の津波はこの地点よりはるかに高い所まで達するはずです。
山以外の平地は、完全に水没するものと思われます。
最近では、2004年の台風23号の高波で、室戸市では死者が出ています。
昭和9年の室戸台風から、12年後の昭和21年に、昭和の南海地震が発生しています。
台風の波で死者が出た12年後に南海地震が発生しています。
2004年から12年後に南海地震が起こるとしたら、南海地震は、2016年に発生することになります。
2016年ではないにしても、誤差はあまり大きくはないと思います。
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