絵のタイトルは、「モザンビークに梅はありますか」です。
「定年後何をする」に、「奥さんに興味がある」と答えた先輩がモザンビークに仕事で行った。
初めての海外出張で片言の英語を駆使して、小学校建設の仕事を指導されました。
励まそうと、絵手紙を送った。
今日のタイトルは、「Slow life(Part2)」です。
梅雨の曇りに、草が伸びた耕作放棄地をカンリキ(耕運機)で耕した。
耕作放棄地に続くカフェの駐車場にもカンリキを入れ、根を張った草を起こした。
根がはがれた草を集めていたら、「仕事をしますね」と、犬を散歩中の女性が声をかけた。
2019年1月20日投稿記事「Slow life」では、
「駅に近いと言っても、そのうちインターネットが普及し在宅で仕事ができるようになる。
駅のファクターが小さくなる。」
(記事より抜粋)
コロナが、広がる前の話である。
「駅のファクターが小さくなる」と書いています。
家屋の物件を探すときの目安の一つが、「駅近し、至便」です。
都会の駅の近くには、商業施設がある。歩いていける距離に集約した機能(役所、公共施設、癒しどころ)がある。
一方、田舎には何にもない。広い土地に、必要な機能がばらまかれている。
かつては人々が集まった通りもシャッター街になっている。
密になりようがない現実をどう考えるか。
「「Slow life」は、生き方です。
何かがあって、実現するスーパースペースではない。
永年の生きる知恵が、街を回すのです。
無くなった歯車の代わりのものを求めているのです。
それを見つけたところが生き残る。
東京だって、格差が生まれると言われている。
魅力がない町は、淘汰されて過疎になる。
風が抜け 孫が通りの 風となる」
(同じく記事より抜粋)
やっとカンリキの仕事が終わって、少し休もうかとしていた。
婆様がのこぎりを持って、私を追いかけて来た。
隣の畑から自分の畑にせり出した桑の木を伐ってほしいと頼まれた。
のこぎりを預かって、さっそく枝を落とし運びやすい長さに切りそろえた。
わずか10分のヘルプでした。婆様は、喜々として切った枝を片づけていた。
夜には、「旦那さんはお礼のお金を受け取らぬ」と、
自分の畑で採れたきゅうりと娘がくれたとうもろこしをどっさり持ってきてくれた。
我が家でも野菜を作っている。毎日、どう消費しようかと悩んでいる。
野菜三昧の毎日となる。
食べきれぬとうもろこしは、採れたてのうちに茹でて甘みを封じ込めた。
週末に、都会に住む子供たちに持って行ってやろうと考えている。
我が家で採れた野菜と手作りのパンを、お中元として嫁いだ娘の親元に送った。
しばらく野菜不足が解消されると、お礼のメールがきた。
定年後の誰しもが、「Slow life」を望んでいる。
都会では、図書館に通い、公民館で地域の方々とふれあう。
たまには、映画に行き、奥さんと旅行に行く。
ここでは、カフェの仕事の合間に、草刈をし、休みに妻とゴルフをする。
溜まる似顔絵と、自然との関わりに追われている。
筋肉がつき、痩せる一方である。
どちらも「Slow life」である。
魅力がない町は、淘汰されて過疎になる。
永年、仕事をしてきた。
仕事の代わりになるものがたくさんある街は、年寄りにも優しい。
会社以外の付き合いが広がれば、楽しく(時には厳しく)生きられる。
「今日は、りんごを採りに行く」とドイツの同僚が、耕作放棄地のりんご園に自転車で出かけた。
定年後、農家が世話をできなくなったりんご園を仲間たちと管理しているのであった。
永年指導してきたビール醸造技術で、近くで採れた大麦を粉砕し、自家製ビールを作っていた。
ドイツでは、自分の畑を持っていなくても、知恵と工夫で仲間と耕し収穫をしていた。
夏の終わりには、黒い森を仲間と散策し、ワーグナー音楽祭に出かけていた。
国それぞれであり、人それぞれである。
困る人がいれば、助ける人がいる。
ネットワークができている地域は、淘汰されない。
それには、誰が困っているのか、誰が助けたいと願っているのか知らなければならない。
困る人は、この人なら大丈夫と、「ヘルプ」を出すのである。
すぐにはかなわない。互いに汗をかきながら、信頼関係は築かれる。
良く見える人が、地域をつなぐ。
「Slow life」は、生き方そのものである。
ここが好き 都会で学び またここで
2020年7月27日
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