故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「田植え後」です。
植えたばかりの倒れた苗を起こしたり、植え足しています。
待望の雨が降り始めた。
植えて約一カ月。里芋の芽が出てきた。
種芋を深く植えすぎたのか。
草と一緒に芽を摘んでしまったのか。
南の植物なので、暖かくならないと無理なのか。
里芋の少し前に植えたジャガイモは、すでに茎が伸びて花が咲いています。
来月には、収穫できるでしょう。
いろいろ心配しましたが、里芋がやっと芽を出しました。
芽を出したら、伸びるのが速いこと。一雨ごとにするすると成長します。
今日のテーマは、「梅雨入り」です。
沖縄で出会った雨は、タイと一緒でバケツをひっくり返したようなスコールでした。
雨が降って、夕方に飲み屋に入ると寒かった。
気温が急激に下がり、空調効率が上がったせいかと思った。
50年前、故郷広島で経験した雨は、しとしとといつまでも降ったものです。
島は、水争いで大変でした。雨は、まさに恵みでした。
長雨で、島の幹線道路(海沿いの道)が土砂で埋まったこともありました。
山へ続く道路は、雨が降るごとに川になり、土も流れて車は通行不可能になりました。
信号もない島の交通量は少なくどうってことはなかった。
平均気温が1℃上昇するごとに、稲作適地が60Km北上すると聞きました。
無理な都市開発のつけなのか、雨がスコールに変わったせいか、
雨ごいをしていた瀬戸内の島でも、大量の雨がもたらす土砂崩れが甚大な災害を引き起こした。
この地域の田んぼで、田植え機が苗を積んだまま、3日間放置されていた。
その田んぼの代掻きは不十分で、黒いどろが島のようになっていた。
親せきか近所の人が、代わりに田植えを済ますことはできないのか心配した。
きっと、田んぼの持ち主に体調不良が起こったのだろう。
4日後に、苗は植えられ田植え機は消えていた。
しかし、でこぼこに植えられまた投げ出したように密植されていた。
老人の体調不良を心配しなければならない。
秋田の米どころで、田植え直後の田んぼ道を夜走った。
真っ暗な一本道は、まるで湖面を滑るような感じで怖かった。
カエルの合唱が、車の進路に応じて無音になった。
これも不安をかきたてたのだろう。
2年前、日照りが続いた。灌漑ダムの貯水量が半分以下になった。
飲料水の供給を優先させたため、灌漑用の水は供給ストップとなり、田んぼは干上がった。
池には、水が満々とあったが誰もポンプを出して水を汲み上げようとはしなかった。
兼業農家から見捨てられた田んぼが丘の上に多くみられた。
一カ月もしないうちに、田んぼにひび割れが入った。
それでも、ニュースにはならなかった。
その辺りは畑作奨励地域で、稲作は許可されていない場所だったらしい。
あとでわかった。
日本には、梅雨がある。
この雨を期待していろんな作物を植える。
この時期、苗がひょろひょろと伸びて、夏の日照りでたくましく成長する。
今年も野菜の収穫が楽しみです。
早苗さん はじめ可愛し 生えそろう
2019年6月8日

絵のタイトルは、「ふわふわからぴょんと生まれる」です。
さやえんどうもうまいですね。
生れてきてよかった。
と思える人は、幸福だろうか。
「マンホールチルドレン」という番組を見た。
なんともやりきれない思いになった。
ウランバートル駅近くのマンホールで子供時代を過ごした。
後に、マンホール暮らしでない男性と結婚したけど、
マンホールで暮らしていたことが男性の両親に分かり、離婚させられ子供を取り上げられた。
マンホール暮らしを問われたことになる。
マンホールチルドレンは戸籍を証明するものがなく、まともな仕事につけない。
原爆が投下された広島の人たちは、出身地を隠して暮らしたと聞いた。
東京大空襲のあと、多くの戦災孤児が上野駅で暮らしたとも聞いた。
戦災孤児の多くは、無戸籍であった。
現在だって、人種、宗教に限らず差別は限りなくある。
いじめやハラスメントも多い。
独居老人は増えるばかりである。
今日のタイトルは、「生を受けて」です。
子供の恩返しは、4歳までに完了していると聞きました。
私達の子どもとして生まれてくれてよかった。
わが子は何をしても、可愛くて仕方がない。
今日は、恩返しの話ではなく、「生を受けて」について考えたい。
ニュースによると、離婚が成立して300日以内に生まれた子供は、
法律上別れた前夫の子どもとして戸籍が作られる。
離婚した前夫と会いたくない女性は、子どもを無戸籍のまま育てることになる。
子供は、義務教育を受けられないし、無戸籍ゆえの各種権利も義務も消滅する。
存在しない人になってしまうのである。
上野駅で暮らす戦災孤児たちは、進駐軍の指示で動いた日本政府が保護した。
離婚が成立して、300日以内に生まれた子供の戸籍は、
母親の戸籍になるよう法律は改正されるのだろうか。法律改正が待たれる。
産まれる子は、場所、親、時代も選べない。
国が、生まれる子の人権を守るのは当然のことである。
貧富の差を問うのではない。
誰しも、一瞬は「生を受けて」について疑問に思ったことはあるだろう。
生きていれば辛いことは多くある。
個人や家族にだけ負担を負わせることには限界がある。
政治の問題と片づけるわけにもいかない。
私達には目があり耳があり、手も動く。
できることがあるのである。
生を受け 今日あるを 皆もそう
2019年6月7日

絵のタイトルは、「なんとなくうれしいな」です。
名もない花たちの饗宴です。
誰かが、私のために摘み届けてくれました。
草刈は、草刈り機でやるから楽だろうと信じていた。
友人は、タンクの燃料が無くなったら、その日の草刈は終了と決めている。
正解だと思うようになった。
草刈の翌日、休日を利用してゴルフに行った。
前半は、100を切るペースが後半に失速した。
体力不足を実感した。
何度も書いているが、草刈は当然のこととして育ってきた。
故郷の山には、落ち葉は落ちていなかった。
落ち葉を集めるなら、奥山へと入っていくしかなかった。
ここでは、刈った草をマルチに使っている。
マルチの役目を終えると、土にすきこまれて栄養と緩衝材(土を柔らかくする)になる。
故郷の山はおろか畑も草に埋もれて山に帰っている。
広島への野菜供給基地としての役割は終わった。
奨励作物として植えた蜜柑も収穫作業がきつく、暴落もありやめてしまった。
増える猪からわが身とわずかに作る作物を守るために柵(電気柵も)をせざるを得なくなった。
この地に来て、あぜ道の草がきれいに刈りこまれている風景をみて感動した。
街の空洞化は、センターから始まる。
かつて繁栄していた町並みも空き家が目立つようになった。
空き家であっても、草刈はしなければならない。
高齢で草刈ができなくなった家は、市役所を通じてシルバーに草刈や剪定を依頼する。
私の担当は、5軒の空き家の草刈と決めている。どのうちも草刈の承諾を得ている。
私はシルバーではない。無償の協力である。
敢えて言うなら、カフェに来られるお客さんのためである。
カフェだけきれいにしておけば良いとはならない。道すがらの風景も大切なのである。
道がきれいになれば、散歩する人が増える。
空き家であっても、庭には住んでいた人が植えた植物が残っている。
毎年、きれいな花を咲かせたいと誰しも思うのである。
かつて見た秋田の秘境が花で埋まっていた。桃源郷であった。
草が無くなれば、次の作業が見えてくる。
侵食する筍を蹴飛ばそうにも、どこに新たに生えたのかわからない。
よって、低木を伐ることになる。
草刈り機の歯がぼろぼろになろうと、いったん払うしかないのである。
草刈は、苦行である。よって、燃料タンクいっぱいと決めている。
毎日やればよいのである。できれば、日が高く昇らぬうちに済ませたい。
長き草 しゃべりながらも 抜く癖が
2019年6月6日

絵のタイトルは、「これまでも、これからも」です。
この方は、まだまだ挑戦されています。
ラグビーで、南アフリカに勝利した。
愚直なまでに、コーチの教えを守り抜く。
身体的に劣る南アフリカのラガーに、二人でタックルする。
すぐに立ち上がって、また二人でタックルする。
その選手は、怪我をした外国人(日本チーム)のピンチヒッターで出た。
前半から、コーチに教えられた通り、ただただ身を挺してボールを前に運んだ。
勝利を選択した日本チームのタイムアップ後の最後の場面。
南アフリカの選手は、その選手はまた突破を試みると信じて疑わなかった。
最後の最後に、その選手は封じられていたパスを選択した。しかも、飛ばしパスを選択した。
敵も味方も欺かれた。見事にそのパスは通り日本に歴史的勝利を呼び込んだ。
今日のテーマは、「先輩を越える」です。
最低でも、ドラム缶に2-3杯は打ってこいと、先輩に教えられゴルフを始めた。
その先輩は、10歳上だが今でも週に一回はコースに出ている。
自分より若い医者の言うことは聞かない。自分より若い作家の小説は読まない。
先輩の偉いところは、一緒に回ってくれる友人が多くいることである。
そうでなければ、週に一回のペースでは回れない。若い人とも回っているのである。
前半、先輩に勝っていても後半には負けて引き離される。
私が失敗するごとに、先輩はほくそ笑んでいるのである。
なんの世界でも、「先輩を越える」ことが望まれる。
最高の恩返しなのである。
越えられないから拗ねるなんてことは、ありえないことです。
かつて師匠であった先輩に、エンジニアーとして加わっていただいた。
マネージャーの私に、「使えないと思ったらいつでも言ってくれ」と承諾してくれた。
御年67歳。立派にこなしてくれたし、わが社の後輩を育ててもくれた。
3人だけでこなしたプロジェクトは、成功裏に終わった。
さらに2年、他のプロジェクトにも付き合ってくださった。
先輩に教えられた以上のものができたか、どうかわからない。
怖い先輩であった。最後まで怖かった。
親を越える。先輩を越える。
歳をとったから勝てるということではない。
親も先輩も現役バリバリの頃に比べてどうかという話です。
まずは、教えられたとおりに動くこと。
未知の場面で、どう切り抜けるか見られているのです。
突破した。
初めて、敬意をこめて握手を求められる瞬間のことです。
鼻たらし 老鶏果敢 天狗なり
2019年6月5日

絵のタイトルは、「まだまだこれから」です。
何がこれからなんでしょう。
考えようによっては、「満載のこれから」が待っています。
仏法僧が鳴いている早朝は、緊張感がある。
何かができそうな予感があった。
妻は畑に出かけ、私はルーチンワークをする。
もう、野鳩が鳴く時間になってしまった。
わずかな時間、妻と今日のスケジュールを打ち合わせる。
時計の秒針が時を刻む。
今日のタイトルは、「もしもの連絡先」である。
ちょっと先輩や同年配の訃報と病気の報を耳にすることが多くなってきた。
「あと、何年生きられるか」と塞ぎがちだと、先輩らしきお客さんが言う。
「生れたばかりの赤んぼだって、あと何年生きられるか」と考えれば同じだと私が応える。
慰めにもなんにもならない。それは、どちらも分かっている。
笑って、目先を変えるだけのことである。
息子に、もしもの時の連絡先を伝えたいと電話で話した。
私だけでなく、妻の情報も教えてくれと息子がいう。
もしかしたら、事故などで一緒に逝くかもしれないからだと説明する。
きっと、息子は笑いながら話したな。と想像する。
驚きながらも、それもそうだと妻に話す。
妻は、息子の気遣いに微笑んだ。
連絡先のことを考えた。
知らせる必要があるのだろうか。
風の便りで良いではないかとも思う。
親はいないから、兄弟には知らせることなる。
親しい友人の名前も浮かぶ。
もしもの時は、友人も似たようなことだろう。
最後の別れも言えないかもしれない。
名簿は、過去一年間のうちに連絡を取り合った人に限ることにした。
野辺送りは、その時の関係者だけで良いではないか。
近いうちに、連絡先の名簿を作ろうと思う。
故あって、想いと裏腹に名簿から外す人もいるだろうな。
名簿のことを考えていると、やるべきことがいくつもないことに気づいた。
毎日の気がかりは、どうでもよくなった。
少なくとも、やるべきことだけを片づける時間が欲しい。
できることならば、数日で済むことである。早くとりかかりたい。
反面、今までできないでいる事実にも気づかされた。
これでは、堂々巡りである。
シンプルに 生きていくなら 後おまけ
2019年6月3日