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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

もしもの連絡先

2019-06-03 10:20:29 | よもやま話

絵のタイトルは、「まだまだこれから」です。
何がこれからなんでしょう。
考えようによっては、「満載のこれから」が待っています。


仏法僧が鳴いている早朝は、緊張感がある。
何かができそうな予感があった。
妻は畑に出かけ、私はルーチンワークをする。
もう、野鳩が鳴く時間になってしまった。
わずかな時間、妻と今日のスケジュールを打ち合わせる。
時計の秒針が時を刻む。

今日のタイトルは、「もしもの連絡先」である。
ちょっと先輩や同年配の訃報と病気の報を耳にすることが多くなってきた。
「あと、何年生きられるか」と塞ぎがちだと、先輩らしきお客さんが言う。
「生れたばかりの赤んぼだって、あと何年生きられるか」と考えれば同じだと私が応える。
慰めにもなんにもならない。それは、どちらも分かっている。
笑って、目先を変えるだけのことである。

息子に、もしもの時の連絡先を伝えたいと電話で話した。
私だけでなく、妻の情報も教えてくれと息子がいう。
もしかしたら、事故などで一緒に逝くかもしれないからだと説明する。
きっと、息子は笑いながら話したな。と想像する。
驚きながらも、それもそうだと妻に話す。
妻は、息子の気遣いに微笑んだ。

連絡先のことを考えた。
知らせる必要があるのだろうか。
風の便りで良いではないかとも思う。
親はいないから、兄弟には知らせることなる。
親しい友人の名前も浮かぶ。
もしもの時は、友人も似たようなことだろう。
最後の別れも言えないかもしれない。
名簿は、過去一年間のうちに連絡を取り合った人に限ることにした。
野辺送りは、その時の関係者だけで良いではないか。
近いうちに、連絡先の名簿を作ろうと思う。
故あって、想いと裏腹に名簿から外す人もいるだろうな。

名簿のことを考えていると、やるべきことがいくつもないことに気づいた。
毎日の気がかりは、どうでもよくなった。
少なくとも、やるべきことだけを片づける時間が欲しい。
できることならば、数日で済むことである。早くとりかかりたい。
反面、今までできないでいる事実にも気づかされた。
これでは、堂々巡りである。

シンプルに 生きていくなら 後おまけ

2019年6月3日
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