
私は、馬鹿者です。
多くの「ただ」のものを食してきました。
そして、生きてるのが不思議なくらい毒に当たりました。
何にもタイトルが決まらないまま、時間だけが過ぎていく。
ルーチンワークを続けるも思いつかない。
やることはいっぱいあるのに、無為の時間が過ぎていく。
無駄な時間つまり得にならない。
テレビを観ていたら、時代の変化に対応できず倒産した会社の社長が出ていた。
多額の借金を抱えていた男が、ある発明をした。
試作品を作って、設置してもらった。
ほとんどを、「ただ」で設置した。
優れた機能が口コミで広がり、大口受注を獲得した。
その発明は、エアコンの下についているハイブリッドファンである。
エアコンから出る風を拡散し、吹き出し口から出る風(温度15℃)を直接受けない。
空調効率は、上がった。この人は、特許を取得していたから飛ぶように売れた。
「ただ」について考察する。
寒天を製造し販売をする業者がいた。
どうやら江戸時代のことらしい。テレビで観た。
寒天にあんこを入れて、日持ちするまんじゅうを発明した。
寒天業者は、大阪中の饅頭屋に製造方法を「ただ」で教えた。
そのまんじゅうは、一躍大阪の名物になった。
寒天業者は、寒天の販売数を拡大し成功したという話だった。
もう一つ、沖縄の「もろみ酢」のことである。
もろみ酢は酢酸ではなく身体によいクエン酸を主成分としていた。
開発した泡盛蒸留場の社長と親しくなった。
社長は、特許を申請せず仲間の泡盛業者に製法を「ただ」で開示した。
主要製品の泡盛より高価なもろみ酢として、全国で発売された。
バッタものが出てきた。正直に作っている業者もろとも評判を落とした。
後に、「ただ」でなければ、商品管理ができ評判を落とすこともなかったと
沖縄の方から聞いた。
外資系会社でエンジニアリング部長をしていた頃、
ある精米工場のプロジェクトに応札した。
練りに練ったレイアウト図面で優位に立った。
しかし、受注は出来ず、図面は「ただ」で使われることになった。
後に、受注した会社の営業部長に話を聞いた。
お前が描いたのは知っていた。よくできていたとほめられた。
悔しくはなかった。これで、日本の精米工業も変貌すると考えた。
同じく、「空気搬送」による精米工場の苦労話をある業界紙で発表する機会があった。
あらゆるKNOW-HOWとエンジニアリング手法を隠すことなく開示した。
後に、そのエンジニアリング手法で受注した会社が、業界で注目を浴びた。
大きな会場で大勢の聴衆の前でエンジニアリング手法を発表した。
私は、聴衆に紛れ肝となる箇所について質問をした。
発表者は、私の名を聞いて朱くなった。
エンジニアリング手法はよかったが、細部にわたって改造をすることになった。
改造を余儀なくしなければならなくなった会社の担当を私がした。
他人の褌で相撲をとるリスクがあると、改めて知ることになった。
営業担当は、受注率(平均で5%)を会社で評価される。
あとの95%は、KNOW-HOWを開示したうえで失注することになる。
後からくる営業マンに95%のプロジェクトを無駄にするなと伝えた。
普段見せてもらえない工場のウィークポイントについて改善提案を求められる。
提案する会社にとってはチャンスである。悩みはどこの会社も似たり寄ったりである。
その会社で失注しても、その業界の他業者からは受注できるかもしれないのである。
アメリカの大統領トランプ氏が、「知的所有権」を盾に中国に大きな関税をかけることになった。
中国が特許侵害をし安価に製造するのは、世界中で知られている。
中国製品(鋳物)で他国のメーカーのロゴまでコピーしていたのには驚いた。
「ただ」で、利用するのは許されないはずである。
スイスの友人から聞いた、中国人はマッスルでインド人はブレインで商売すると。
それを聞いた私は、笑うしかなかった。
時代は変わり、今や中国はAIで世界中のマーケットで優位に立っている。
残念ながら、AIのコンピューターの部品の設計図を自国生産できない。
これから、アメリカファーストの政策はどうなるのでしょう。
ヨーロッパでも同様な感じで、EUの存続が危ぶまれている。
コピー商品はどこでも見た。
コピーした製品を作り売り続けることは難しい。
ほとんどのコピー会社が10年後には消えている。
メンテナンスサービスと商品開発ができないからである。
パキスタンで、電池を買いたいとドライバーにお願いしてマーケットに行った。
店の人にこれ(電池)が欲しいと説明した。
店の人は、電池をいれたかごの中から取り出して、渡してくれた。
安いよ、値段はこうだと説明した。
私から受け取っただめになった電池を、店の人はかごに投げ入れた。
待った、これは買えない。
マーケットでパキスタン人の「来いよ」に毎日応えた。
値切るのが、会話の始まりだった。
私は、KNOW-HOWを開示しても良いと考えている。
何故なら、開示された側から新技術を学べるから。
いわゆる共同開発である。
エンジニアリングをやっていると、同じプロジェクトを手掛けるのは、5年に1回だった。
新しいKNOW-HOWもすぐに陳腐になった。
しかし、KNOW-HOWの裏にあるエンジニアリング手法(全体的技術のレベルアップ)は、
おいそれとは、伝わらなかった。
教育は、初めはどうしてもコピーからである。
コピーの先にオリジナリティーが潜んでいる。
腐り飯 鼻と舌とで ごちそうに
2019年6月1日