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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

空き家の草刈

2019-06-06 10:33:24 | よもやま話

絵のタイトルは、「なんとなくうれしいな」です。
名もない花たちの饗宴です。
誰かが、私のために摘み届けてくれました。


草刈は、草刈り機でやるから楽だろうと信じていた。
友人は、タンクの燃料が無くなったら、その日の草刈は終了と決めている。
正解だと思うようになった。
草刈の翌日、休日を利用してゴルフに行った。
前半は、100を切るペースが後半に失速した。
体力不足を実感した。

何度も書いているが、草刈は当然のこととして育ってきた。
故郷の山には、落ち葉は落ちていなかった。
落ち葉を集めるなら、奥山へと入っていくしかなかった。
ここでは、刈った草をマルチに使っている。
マルチの役目を終えると、土にすきこまれて栄養と緩衝材(土を柔らかくする)になる。

故郷の山はおろか畑も草に埋もれて山に帰っている。
広島への野菜供給基地としての役割は終わった。
奨励作物として植えた蜜柑も収穫作業がきつく、暴落もありやめてしまった。
増える猪からわが身とわずかに作る作物を守るために柵(電気柵も)をせざるを得なくなった。

この地に来て、あぜ道の草がきれいに刈りこまれている風景をみて感動した。
街の空洞化は、センターから始まる。
かつて繁栄していた町並みも空き家が目立つようになった。
空き家であっても、草刈はしなければならない。
高齢で草刈ができなくなった家は、市役所を通じてシルバーに草刈や剪定を依頼する。
私の担当は、5軒の空き家の草刈と決めている。どのうちも草刈の承諾を得ている。
私はシルバーではない。無償の協力である。
敢えて言うなら、カフェに来られるお客さんのためである。
カフェだけきれいにしておけば良いとはならない。道すがらの風景も大切なのである。
道がきれいになれば、散歩する人が増える。
空き家であっても、庭には住んでいた人が植えた植物が残っている。
毎年、きれいな花を咲かせたいと誰しも思うのである。
かつて見た秋田の秘境が花で埋まっていた。桃源郷であった。

草が無くなれば、次の作業が見えてくる。
侵食する筍を蹴飛ばそうにも、どこに新たに生えたのかわからない。
よって、低木を伐ることになる。
草刈り機の歯がぼろぼろになろうと、いったん払うしかないのである。
草刈は、苦行である。よって、燃料タンクいっぱいと決めている。
毎日やればよいのである。できれば、日が高く昇らぬうちに済ませたい。

長き草 しゃべりながらも 抜く癖が

2019年6月6日
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