3月11日が毎年巡りくるたびに、何も貢献できていない自分の不甲斐なさを思う。
ニュースで、6年ぶりに浪江町や富岡町の一部などが避難指示解除されるとのこと。
現地、避難先でいろいろなインタビューを拝見すると、故郷を復興させたいとして戻ろうとする方、既に避難先で新たな生活基盤が築かれて、戻るに戻れない方、
子育て中でやはり放射線を恐れて戻れない方、本当に様々な思いと事情が交錯していることが感じられた。
復興とひとことで言うけれど、そこで暮らしていけるかどうか、避難されている方のアンケートでは半数以上が「戻れない」と回答していることから、
一度、震災と原発事故でこわ割れた日常を取り戻すことは本当に難しい。
覆水盆に返らず、になってしまうのだろうか。
被災地に留まり、先頭に立って復興に邁進する方々もいる。
ニュース番組などで現地の商店街での中継では、想像以上に明るい笑顔の方々が紹介される印象が強かったが、
これは何もかも失ってしまったが環境で、笑っていなければやっていられない、という思いがそうした人々の笑顔になっていたらしい。
親族、友人、住んでいた地域そのものを奪われながら、それまで縁のなかった土地で頑張って暮らしている方々の思い。
既に6年という時間は、日々の暮らしが定着するのに十分な長さであって、故郷に戻るにもせっかく整った生活環境をもう一度作り直していかなければならない。
一口に復興といっても、そうした方々の事情を思うと安易に口にできないと感じる。
今はどんな環境にあっても、そこでの日々の暮らしがどうか、安らぎのあるものであってほしいと願うだけだ。