Afternoon Avenue 25 (by hide_boo)

Perfumeと乃木坂46、IZ*ONEなどのアイドルやクルマやバイク、好きなものついて、だらだら綴ります。

原鉄道模型博物館 / 横浜市西区高島

2014-08-31 17:32:21 | Weblog

初めて、横浜三井ビルディング内にある原鉄道模型博物館を訪れた。このところ205系の引退やらSLみなかみD51で鉄道付いているせいもあるが、ここはオープンしてからずっと行きたかった博物館だった。開館当初はわんさと人が押し寄せたが、訪れた日、曇り時々晴れの夏休みも終りに近い平日の午後は人がまばらで、既に写真撮影も解禁され、非常に見学しやすい状況になっていた。そう、こうなるまでずっと待っていたのだ。

 

今年の春先に爆笑問題の番組で、この博物館が取り上げられ、その番組の内容だけでも十分模型の精緻さが伝わったのだが、やはり百聞は一見に如かずで、実際この眼で見て、驚きの連続だった。

 

入館して、すぐいろいろな車両の模型がショーケースに入って展示されている。これだけでも見慣れない外国の汽車、列車があるので、じっくり見入ってしまう。そして目玉であるジオラマスペースに入ると、その巨大さに圧倒される。JR東日本の鉄道博物館でもHOゲージの規模の大きいジオラマを見ることが出来るのだが、この博物館のジオラマは原 信太郎氏個人が作り上げたものであり、一人の人間の理想の世界が表現されているからなのか、その観る者を惹きつける力が鉄博のそれとはまったく違うのだ。

 

走行する模型車両の美しさ、豪華さ、ジオラマの美しさや緻密さはいうまでもないが、模型の街中の小さなフィギュア一体一体にも、ただ立たせているのではなく、たとえばクルマで駅に到着した家族を出迎えている様子だとか、ストーリーを持たせてしっかり演出しており、ほんとにジオラマのデティールに一部の隙もなく、原氏の愛がちりばめられている。鉄道博物館に比べれば非常に小さい規模なのだが、何時間あってもジオラマすべてを把握するのが難しい。勤務先から近いのでまた立ち寄ってみたい。

 

 


さよなら横浜線205系 / JR東日本(横浜線)

2014-08-23 21:57:50 | Weblog

先日、205系の記事を書いたばかりだが、今日2014年8月23日(土)をもって205系最後の1編成が営業運転を終了した。中央線のようにイベント的なラストランは無く、あくまで営業運転だったので、乗車した橋本9時7分発の205系快速大船行きは、一般客と鉄道ファンとでごった返すことになった。

 

私は町田駅までの乗車にとどめたのだが、橋本から町田までの間、沿線には鉄道ファンカメラマンだけではなく、沿線住民の方が205系を見送っていた。中には手を振って見送られている女性もいらっしゃった。まるで朝ドラ「あまちゃん」の中で北三陸鉄道リアス線のお座敷列車が走った最終回と同じような景色を見ることが出来たのだ。

 

205系はこのブログでも愚痴ったように、山手線のお古が回されてきたものだし、ステンレス車両とはいえ、丸ライトのきわめてシンプルなデザインで窓の切り方も201系の後継でまあ地味な存在ではあった。しかし、25年以上走り続けてきたことは沿線住民に深い親しみを育んでいた。自分自身も学生時分から社会人になって、東日本大震災での運休や殺人的混雑を味わいながらも、やはり長年乗り続けてきた車両がいなくなることに思った以上に惜別の念が強いことを今更のように思い知った。

 

205系は廃車=壊されることはなく、インドネシアなどの国々に譲渡されているらしい。先日、埼京線を走っていた205系がジャカルタで改造されて元気に走行している姿がテレビで流れていた。中央線の201系は一部は豊田電車区で潰されているものを目撃していただけに、205系の行く末を案じていたのだが、日光線でも205系のリニューアル車が運行開始していたり、まだまだ国内でも現役であろうと思っていたので、その番組を見たときには安堵した。

 

実は地元橋本駅にはもう1種類205系が存在している。それは相模線を走る205系で番代は知らないが、先頭車両には単線車両用の前面扉を備えた地下鉄チックな車両だ。4両編成でパンタグラフ1本、E233系に切り替えるにしても、標準の拡幅車両は単線では使わないはずなので、かなりの改造が必要なはず、、、と思ったら、E233系には常磐線と千代田線の運行に使われている前面扉タイプがあった!こりゃ相模線も現行205系のラストランがそう遠くはないだろうな。


悲しいほどお天気 / 松任谷由実

2014-08-23 21:25:00 | Weblog

ユーミン8枚目のオリジナルアルバム「悲しいほどお天気」、1979年のリリース。当時、本作を含め、「紅雀」から「SURF&SNOW」まで6作を半年ペースでリリースするというとんでもないペースで作られたうちの1作。

 

当時は「乱作」と批判されたこともあったようだが、その一つの原因がこのアルバム。全体的には地味なイメージがあり、ジャケットデザインもあまりにシンプル過ぎて、ユーミンらしいユニークなデザインが感じられなかったことが大きかったように思う。(あくまで個人的意見です。)

 

正直、自分自身もドラマ「季節はずれの海岸物語」(片岡鶴太郎主演の湘南”寅さん”ドラマ)の主題歌である「Destiny」が収録されているアルバムとしか認識していなかった。しかし後年聞き返してみて、いかに自分の認識が浅はかであったかを思い知ることになった。

 

テンポの速いのは「Destiny」くらいでほとんどの曲がスローまたはミディアムテンポであり、これが地味なイメージを生んでいるのかもしれない。しかしである。タイトル曲である「悲しいほどお天気」は卒業写真に負けないくらい切ない青春ソングであり、一時同じ道を目指していた同じ学校の友人たちが別れてそれぞれの人生を歩いていかなければならない厳しさと切なさをテーマにした私にとっての胸キュンナンバーなのだ。(他に表現ないのかな、、自爆)

 

「丘の上の光」はアレンジは荒井由実時代の荘厳なナンバー「翳りゆく部屋」を彷彿とさせるが、「悲しいほどお天気」と同様、今の美しい時間もあっという間に思い出に変わっていく、そうした時の流れの早さと切なさをテーマにしている。

 

ずっと続くと思っていた楽しいひとときも、振り返ればほんの短い輝いた時代になり、二度とそこに戻れないのだと思い知らされる。そうした時の流れとそれに負けたくない気持ち、それがアルバム全体のテーマなのかもしれない。

 

P.S.

以前、荒井由実の「MISSLIM」の記事を書かせていただいたが、最近になって「MISS SLIM」をくっつけた造語であることがわかった。自分は「MISS LIM」と分けてLIM=limit 限界とか境とかを見失う(miss)なんて解釈をしていた。まあ、それだけのことです。

 


チキンレバークレオール / アリゾナキッチン(東京都台東区浅草)

2014-08-19 22:00:56 | Weblog

水上バスの旅の後の腹ごしらえとして、浅草近辺の洋食屋を探していてみつけたのが、アリゾナキッチンさん。小説家・永井荷風が足繁く通ったという店で、とりわけお気に入りだったのが、ビーフシチューと本題のチキンレバークレオールだったそうだ。

鳥のレバーともも肉だろうか、それと玉ねぎをトマトソースもしくはトマトを効かせたデミグラスソースで煮込んだもので、肉は一口サイズに細かく切られ、スプーンで食べられるものだった。これが、美味い!分量的にはもう1杯いただいて、ライス大盛りにさらにパンを付けてもよいくらい、食欲がそそられた。

 

シンプルだけど良く煮込まれていて、酸味と旨味のバランスがよくて、レバーもほとんど臭みを感じずにガンガン食べられる。私は酒がぜんぜん飲めないのだが、きっとビールに合うだろうと思う。これは大好きな「孤独のグルメ」で扱ってもいいかもしれない。他の店やファミレスなんかじゃ絶対に食べられないメニューゆえ、今回思いきって注文してみて大正解だった。まあ臭みがないといっても個人の感覚だし、しっかりレバーの味は残っているので、レバーが苦手な方にはお勧めはしない。でもそのソースというかスープだけでも美味い。ミネストローネに近いんだが、肉・レバーのダシなのか、アリゾナキッチンさん秘伝のデミグラのおかげなのかが素人にはわからないが、もっと味に深みがあるのだ。玉ねぎだけでなくもっとたくさん野菜を煮込んでも美味しいと思ったが、そうすると野菜の水分でまた味のバランスが変わってしまうのだろう。玉ねぎだけにしてシンプルに作っているのにもきっと理由があるはずだ。

 

浅草や両国、浅草橋界隈は当たり外れは当然あるが、美味しくてリーズナブルな洋食屋さんがたくさんある。浅草橋駅から近い「大吉」も美味しい。

 

アリゾナキッチンさんは看板のビーフシチューやポークソテーなど食べてみたいメニューがまだまだたくさんある。足繁くは無理だけど、ランチやディナーの機会があれば必ずまた立ち寄りたい。お店の中も広くは無いけど、ウエスタン調のしつらえに時間を経た古さが加わって非常に好きな雰囲気だった。良いお店です。


水上バス 台場~浅草・二天門 /  東京都公園協会

2014-08-17 11:13:27 | Weblog

休日、水上バスでお台場から浅草までクルーズを楽しむことになった。お台場もゆりかもめも10年以上訪れる機会がなかったので、ほとんどおのぼりさん状態だ。

 

はじめは少し日差しがあったが、ほとんど曇天で蒸し暑いなかでのクルーズになった。

古い由緒あるお馴染みの橋の下をくぐりながら、目に飛び込んでくるのは両岸にひしめくように立ち並ぶタワーマンションの群れだ。お住まいになっている方には大変失礼な言い方だが、これだけ低い海抜で埋立地の多い地盤が弱そうな地域によくもこれだけのマンションが建築されたものだ。もちろん技術的には耐震性、耐久性は問題なしとして建築許可がおりているのだから、私のような素人が何を云っても気にされる必要はないだろう。ただ個人の印象として最悪の状況を妄想してしまうというだけのことだ。

 

そんなネガティブな印象とは逆にこれだけの高層建築物を建設できる人間の、日本人の技術力には驚嘆するばかり。隅田川界隈は新しいモノと古き良きものがまぜこぜになっている。まあそれが街というものか。新しいものばかり、古いものばかりってあり得ないし、混沌としていることこそ、面白いんだ。

 

水上バスってどんな新型船も背の低い扁平な形をしているが、それは隅田川にかかる橋桁と川面の高さが以外と低いせいだということが乗ってみてわかった。水上バスのデッキに立つと、私の背丈なら橋桁の梁にさわれてしまうくらい低いところが何箇所かあったのだ。

 

 

川から観る東京は、特に古い建物はその朽ちかけた姿を川側にさらしている。しかし、新しい高層建築物はどれも威厳というか、迫力ある印象を残す。いつか時が過ぎて、タワーマンションが朽ちようとするとき、どんな景色になるんだろう。


横浜線 205系 / JR東日本

2014-08-09 02:41:38 | Weblog

早かった。

 

1988年に横浜線に投入されて、26年間走ってきた205系が、今年2月からのE233系への置き換えを6カ月ちょっとで完了させるらしい。引退日も8月23日と決定されてしまった。

 

横浜線は8両編成が確か30編成弱あるはずで、1か月に5編成、毎週1編成投入してきたことになる。これは異常なほどに置き換えが速い。こちらは年末くらいまではかかるだろうと思っていたから、この真夏の引退には本当に驚いた。

 

正直なところ、E233系の早期投入による我が家のメリットは大きく、線路沿いに住むものにとって、騒音や振動がかなり少なくなり、住環境が改善されたほどなのだが、やはり長年乗り慣れた205系がこうも早く姿を消すことに、鉄道ファンとしては気持ちが追いつかないでいる。一気呵成とはまさにこのことだ。

 

うちは線路沿いで近くに踏み切りもあるので、わざわざ駅のイベントに押しかけなくても、205系を見送ることはできるだろう。23日、どんな思いをもつことになるんだろう。


別れのバス / 太田裕美

2014-08-09 02:10:19 | Weblog

別れのバス、この曲をYouTubeで見つけた時にはそれは驚いた。まだモノラルの三洋電機製のラジカセで一生懸命FMをエアチェックしていた時代の曲をアップしていた方がいたなんて、驚愕と感謝、もう何回聴き直しただろう。自分もたまたまこの曲を録音していたので、永く聞きつづけ記憶にとどめていた。YouTubeの音源もおそらくカセットテープだろう。

 

「もう泣かないで さよならしましょう~♪」と始まるこの曲は、詞・曲はみなみらんぼうで、ご自身でも歌われている曲。木綿のハンカチーフがヒットした直後くらいだったような気がするから、まだ中学生の時分だ。不確かな記憶だが、NHK-FMでみなみらんぼうの番組があり、その企画の一つとして自分の歌をアイドルに歌わせたらどうなるか、どうプロデュースするかというものがあり、その結実の一つが太田裕美が歌う「別れのバス」なのだ。

 

曲の雰囲気は後年のヒット曲「九月の雨」のイメージに強いが、詞の中の主人公である「僕」が彼女を地元に残して(長距離?)バスで旅立っていく別れのシーンが歌のストーリーになっている。「木綿のハンカチーフ」のように「僕」と「彼女」の会話の掛け合いといったものではないが「僕」と別れる「彼女」の情景、心象の世界を歌わせると太田裕美は本当に切なく歌ってくれる。「木綿のハンカチーフ」「君と歩いた青春」「さらばシベリア鉄道」、この「別れのバス」もそんな流れを汲んでいるように思える。みなみらんぼうのボーカルよりも断然に太田裕美版の方が良い。のびやかなボーカルがよりいっそう悲しい場面を引き立てる。

 

この曲が製作された成り立ちを知っていたから、LP、CDには収録されまいと分かってはいたし、おそらくNHK(もしかしたらFm東京かな、いやNHKだった気がする)のことだから、FM番組の録音テープのアーカイブなんて保存などしていないだろう。「なぞの転校生」などの少年ドラマシリーズのようにテープを上書きしてしまって、音源は多分残されていない。それでももし、千に一つでも、万が一でもステレオで音源が残っているのであれば、CD化してほしい。この曲はシングルカットすれば絶対スマッシュヒットしたはずなのだから。

 

太田裕美といえば近年、伊勢正三、大野真澄らと組んで精力的にライブをやっている。かってのフォーク、ニューミュージックの大御所がタッグを組む機会が増えているが、そこには単独では客が集まりにくいという大人の事情もあるかもしれないが、ファンにとってはありがたい企画である。小田和正がクリスマスの約束で若いアーティストとたくさんコラボしているが、同世代同志ってのも悪くない。年を経ても、やはりCDばかりでなくライブで聴きたいし、ライブの客の反応がアーティストのモチベーションを上げ、また新しい曲になっていってほしいのだ。


VITZ F 1.3 4WD / TOYOTA

2014-08-03 11:25:20 | Weblog

水上でSLから下車した後の旅の伴となったのが、JRの駅レンタカーでかりたトヨタ・ヴィッツ。豪雪地帯の土地柄から、なんと四輪駆動仕様が配車されていた。先日マイナーチェンジされて、顔や足周り、エンジンにも手が入ってかなりグレードアップしたようだが、今回乗ったのはその直前のモデル。

 

レンタカーゆえか、ハンドブレーキがゆるゆるだったのは(ちゃんとブレーキかかりますが)不問として、私の右足の幅では右前輪のタイヤハウスの出っ張りが干渉して、スロットルペダルが親指の付け根あたりでちゃんと踏めなかった。我が家のマーチではまったくそんな干渉は無く、以前軽自動車の日産ルークスで同じ理由でスロットルの微妙な操作ができないことがあったが、登録車のヴィッツでそんなことが起こるとは驚き、且つ残念だった。

 

又、四輪駆動ゆえにリヤのラゲッジスペースの床面が高く、トランクを載せるのに、後席の片方を倒さざるを得なかった。(もし分割可倒式でなかったら、面倒くさかった)

 

といったネガな部分ばかりが目立ってしまって、あんまり良い印象は持てなかったのだが、逆に上記以外は普通に運転できたし、水上駅とホテルの間の往復では多少の登りでもSモードを選べばパワー不足は感じなかったので、その辺はさすがにトヨタのクルマだ。ただ、段差でのリヤサスの突き上げや、タイヤからのロードノイズはマーチよりも大きく、これはマイナーチェンジで手を入れないといけなかっただろうと変なところで納得してしまった。

 

実はマーチを購入するときに当然ヴィッツの中古も考えた。ぱっと見ではプジョーの207に似ているがどうもサイドビューでウインドウの形とCピラーの形のバランスがなぜか納得できず、スタイリングで候補から落としてしまった。デザインに関しては初代や2代目の方がコンパクトカーらしく好きだった。マイナーチェンジ後、フロントはそれなりにカッコよくなったが、サイドビューまでは手を入れられず、どうも今一つなのだ。まあこれは個人の好みだから、即短所というわけではない。真横から見るとそんないイビツという訳ではないのだが、前または後ろ斜めから見たときに、おそらくプジョー207と比較してしまい、アンバランス感を持ってしまうのだ。前後のデザインから見るともっと水平基調のウインドウで良かったんじゃなかろうか。。

 

数年前に那須高原へ旅行に行った際に、先代のヴィッツをレンタカーで借りたことがある。そのときも不整路でのリヤサスの突き上げが気になったが、それ以外はほとんど気になるところがなかったから、フルモデルチェンジをしているわりにあまり改良された点を見つけられなかったような気がするのがちょっと残念。マイナーチェンジ後のモデルに是非試乗してみたい。


SLみなかみ(D51 498) / JR東日本 上越線

2014-08-03 02:45:20 | Weblog

先日、息子をダシにしてSLみなかみ号に乗ることが出来た。高崎から水上まで約2時間。新幹線なら高崎~上毛高原まで15分ちょっとの距離をゆっくり走っていく。機関車は呼び名だけは慣れ親しんでいたデゴイチことD51。きかんしゃトーマスのキャラクター「ヒロ」のモデルになった蒸気機関車。鉄道ファンにとっては憧れの1台だろう。

 

出発する瞬間、客車はクッ、クッと小刻みに引っ張られる独特のリズムに包まれ、あきらかに電車とは違うことを教えてくれる。高崎駅は割と駅のすぐそばに住宅街が迫っていて、SLが吐く黒煙はあきらかに洗濯物を汚しそうで、干している家は1件もなかった。地元の理解が得られなければ、SLを走らせるのも大変なようだ。

 

沿線は撮り鉄ファンが至る所でカメラを構えていて、人気の高さを知る。SL弁当を買い込み家族3人でパクつきながら、列車の旅を楽しませてもらった。運転席というより室には、5名前後が1チームになって運転している。それだけ手間がかかる乗り物なのだ。電車ならワンマンで済むのだから。どちらかといえば撮り鉄である自分としては、やはりSLの走行は外から観るべきものだったようで、沿線のカメラマンが少々うらやましく思えてしまった。

 

客車はちゃんと電源を備え、冷房も入っていたので安心安心。乗車記念として2014年度は絵葉書のような乗車証明書がプレゼントされた。沼田駅で25分間停車し記念撮影タイム。2時間なんてあっという間に過ぎて水上に到着。当日は水上としてはかなり暑かったので、転車台までいく元気がなかったが、あとから思えばやはり頑張って撮影しておけばよかった。

 

当日列車をけん引したD51は長く鉄道公園にあったものをレストアして運行させていると聞いているが、これだけ手のかかる古い機関車を実用にもっていける技術と努力に感動すら覚える。ものづくり日本の一端をD51が体現している。

 

水上駅の車両区の脇の公園には、もう1台のD51が鎮座している。塗装も剥げてだいぶ朽ちてしまっているが、その重量感、迫力と威厳のようなものを感じさせてくれる。そして同じ機種が現役に復活して走り続けている。その気になればもう1台D51を走らせることができるのではないか、、と期待してしまう。

 

次に機会があったら、こんどはC61を狙ってスケジュールを組もう。乗るだけなら日帰りもできる距離だし。しかし人気があって指定席を取るのが大変。今回はみなかみ1泊のツアーで旅行会社に抑えてもらったが、自分で取ろうと思ったら、会社を休まなければ無理だ。