Afternoon Avenue 25 (by hide_boo)

Perfumeと乃木坂46、IZ*ONEなどのアイドルやクルマやバイク、好きなものついて、だらだら綴ります。

アルドノア・ゼロ / TOKYO MX

2014-09-23 17:18:10 | Weblog

TOKYO MX テレビで土曜深夜、2014年7月から放映されていたSFロボットアニメ。1970年代に月及び火星で古代文明が遺したテクノロジーが発見され、火星移民が実施された「並行世界」が舞台となっている。オーバーテクノロジーにより技術は発展したが、資源が枯渇している火星、火星が独立したことによりオーバーテクノロジーの供与がなく、少々二足歩行ロボットの大きいのが作れる程度の地球の対立。主人公たちが通う高校では火星との紛争に対応する為、軍事教練が教育に組み込まれている。

 

地球、火星間の緊張緩和の為に地球を訪れた火星のプリンセスが、火星の過激派?によって暗殺され、これを口火に火星の地球侵略が始まるというところからストーリーが展開していく。

 

既に9月下旬で第1クール12話の放映が終了し、機動戦士ガンダムダブルオーと同様に1クール分のスパンを置いて、2015年1月から第2クールが放映される。

 

半分ネタバレになってしまうので、詳細は記載しないが、本編の主人公である地球の高校生、界塚 伊奈帆と実は暗殺事件を回避して生存していた火星のプリンセス、アセイラム・ヴァース・アリューシアが12話で敵に打たれ、生死不明になるという予想外のバッドエンドとなったのが、結構衝撃的だった。ガンダムダブルオーのときには第2クールで刹那・F・セイエイが新型ガンダムで復活するであろう、エピローグが挟まれていて、視聴者は安心できたのだが、今回はそうしたサービスもない。


主人公・界塚伊奈帆は高校生でありながら、沈着冷静な性格と優れた解析及び戦略で、旧式の地球製ロボットでオーバーテクノロジーの塊である火星側のロボット(ほとんどマジンガーZやゲッターロボのようなスーパーロボット)を次々に撃破していくという主人公らしい痛快なシーンを見せていただけに、もうひとりの主人公である火星側の少年(実は地球生まれ)、スレイン・トロイヤードに撃たれるという展開は衝撃的だった。従来なら、プリンセスの為に主人公2人が手を取り合って、プリンセスを支えていく、、みたいな方向に行ってほしいのがファン心理なのだが、ヒーロー、ヒロインを生死不明にしてしまった展開はまったく先が読めない。


第2クールが、第1クールの直後から始まるのか、数年後時間経過で撃たれた2人が生存していた設定で始まるのか、予想は尽きないが、できれば第1クールのバッドエンドをひっくり返すようなカタルシスが欲しくなる。


プリンセスを慕うあまりに、まずプリンセスを撃った火星側の悪役を撃ち、プリンセスが好意を寄せていた伊奈帆をも撃ってしまうという、火星側にも地球側にもつけなくなる状況を自分でつくってしまったスレインは、伊奈帆がつけた仇名通り「コウモリ」になってしまった。火星側のロボットは特定の人間しか、その動力を起動することが出来ない設定なのだが、地球生まれで本来起動能力のないスレインが火星側ロボットを12話で起動させているシーンがあった。その力を基に火星側でのし上がるのか、それとも地球側に加勢するのか、伊奈帆を撃ったスレインの立場がどうなるかで、ストーリーが全く違ってくる。


さあ、どうなる第2クール!


PS

いい年こいて、いまだに面白そうなアニメーションがあると録画予約してしまう。もろにファーストガンダムの洗礼を受けた世代であることを言い訳にしたいが、いまだに卒業できないのだ。一時期よりは見なくなったけれど、この夏もソードアートオンライン2とこのアルドノア・ゼロ、特撮になるが仮面ライダーシリーズは見てしまう。10月からの仮面ライダーはとうとうフォーマットから外れて、ライダーからドライバーになってしまうらしいが、面白ければなんても良い。クルマが分割してバイクに変身、なんてのもやりかねないし(笑)。

 


Moonlit summer tales / 杏里

2014-09-14 13:21:39 | Weblog

1998年にリリースされ、杏里のオリジナルアルバムとしては20作目。以前記事にした大好きな「BoogieWoogieMainland」からちょうど10年が経過している。

 

なんといってもこのアルバムは、1曲目の「夏の月」で気持ちを持っていかれた。おそらくバラード曲をトップに据えたアルバムは他には無く、それだけこの曲の出来に自信をもっていただろうと思われる。他の楽曲も佳作が多いアルバムなのにこの「夏の月」の前にすべてかすんでしまうのだ。

 

月が輝く夏の夜に、彼氏と二人で過ごしているけれども、もう主人公の彼女の中では別れを決意している。そんなシーンを彼女のモノローグと情景描写で歌にしているのだが、「互いに甘え過ぎて、今の暮らしのまま、年齢を重ねてしまってよいのか、新しい自分を探したい」という彼女の思いは、ある意味、男である自分からしたら、身勝手なとも思うし、おそらく彼女に甘えて生きている部分を分かってもいるし、と複雑な気分を持つ。でももう彼女のハラは決まっているという、厳しい歌詞である。それが美しいメロディにのってしまうと、彼女の切ない、彼氏に対して申し訳ないという気持ちを正当化してしまい、二人の終りという結論が出来上がってしまう。

 

女性が別れを決めて、その瞬間や情景を歌っている曲で好きな曲が3曲ある。プリンセスプリンセスの「ふたりが終わる時」、谷村有美の「最後のKISS」、レベッカの「ロンリーバタフライ」。これらに負けない切なさ、生々しい情感が「夏の月」にはある。

 

この曲を聴くと、歌の情景のあとのシーンでおそらく別れをつきつけられる彼氏の気持ちすら、想像していまい、なんか辛い感じは残るのだが、又、聴いてみたくなってしまうのだ。


エヴァンゲリオン展 / そごう美術館(横浜そごう)

2014-09-09 18:35:29 | Weblog

同僚から招待券を頂き、会社帰りに所用のついででエヴァンゲリオン展を覗きに行った。



エヴァンゲリオンは当初のTVシリーズから観ていたが、ラスト2話の滅茶苦茶な脚本・演出に嫌悪した。製作日程に余裕が無くなったが故に、改変されたストーリー、いたずらがきのようなコラージュだらけの画面、もはやエヴァもゼーレもネルフも吹き飛んで、碇シンジの心象風景だけが展開されるだけ。見終わったあとには、「これで終わり?そりゃないよ」と口にしていた。そんなわけで、ガンダムのような感情移入ができないまま、今日まで来ている。



とはいえ、100%否定するわけでもない。現在まで3作品が公開された新劇場版は、作画レベルはクオリティがべらぼうに高まり、ストーリー展開や演出も2作め以降、TVシリーズから離れてしまい驚きの連続で、最終作でどうオトシマエをつけるのか、楽しみになっている。つまりは嫌いじゃあないのだ。



さて、エヴァンゲリオン展は基本的には原画展だったが、絵コンテや各種設定資料も生のものがみることができた。新劇場版はCGも各所に取り入れられているが、手書き原画の緻密さと云ったらとんでもないレベルで、1カットにいったい何時間費やしているのだろう。人物の表情にもこだわりの演出がもりだくさんだし、メカの精緻さ、書き込み量の多さもすごいし、このクオリティをTVシリーズでも追求していたのだとすれば、そりゃ製作日程も足りなくなるわなあと有る意味納得させられてしまった。それでも納期に間に合わせるのがプロだけど。。