対話式AIのChatGPTが今話題になっている。
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いったいどういうものなのか、OPEN AIのサイトにアクセスし、アカウント登録をして使ってみることにした。
個人情報は入力しないように注意しながら、他愛のない質問を打ってみる。いくつかの質問に対し、必ず複数の選択肢や回答を用意し、その後に回答が必ずしも絶対ではないこと、さらにこうしてみるといい、といったアドバイスを付け加えていて、さながらちょっとしたコンサルタントやカウンセラーのような文面を生成する。
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これがほんの数十秒~数分で自動で用意される、その技術の高さは驚かされる。しかし、同時に思うのが、この優れたChatGPTを「適切に」使いこなすことができるのか、という大きな疑問だ。
日本では産業振興のために、AIのラーニングにおいてはデータの著作権侵害に当たらないとしているそうだが、海外では著作権の問題で早くも訴訟が起こっている。
日本でもAIを使って作成された著作物に著作権が認められるのか、そのベースとなったラーニングデータをどう考えるのか、「オリジナル」と「コピー」の境界のグレーゾーンが大きく拡がってしまった気がする。
又、ChatGPTをどうのように使うのか、自分で作成した論文やプログラムのチェックに利用する分には大きな力になるだろう。だが、その依存度が高くなれば使うものの思考を奪ってしまい、クリエイティブたる人の能力がはぐくまれなくなる。AIもあくまで「過去」のデータ、価値観をラーニングして回答するのだから、どんなに上手な回答であってもそこに新しい価値観、創造される何かが生まれることはない。
おそらくAI研究は人間のように、過去の知見を組み合わせ、熟考することで得られる「ひらめき」をどうしたら得られるか、その手法を分析、すでにモデルもできているだろう。
研究そのものに規制は不要だが、あまりにも早いAIの開発速度とインターネット上での展開に、世の中のルールが追い付いていない。使い方をしっかり考えること、どうしたらAIの能力に世間一般の認識を追いつかせて、「適切」な使い方を実現できるか、AIリテラシーを早急にひろめる必要がある。