今回のゲストは、女子サッカー元日本代表の大竹奈美さん。
双子の妹さんとサッカーをやっていた大竹さんは、13歳のときに読売ベレーザに姉妹そろって入団。その後は95年のW杯、96年のアトランタ五輪、99年のW杯に日本代表のFWとして出場し、2001年に引退。
引退をするときは、
大竹 「普通に私、え~と食事をしていて」
南原 「ん?・・ん?、うん」
大竹 「普通にご飯を食べていて」
南原 「え?何ですか?それ」
大竹 「そう、で・・」
南原 「それ何か突然別れ話を切り出される瞬間みたいな感じ」
というふうに、別れ話を切り出すような感じで(笑)、先に引退をしていた妹さんと食事をしているときに突然気持ちが切れて引退することを決めたとのこと。
突然の別れ話・・云々という例え話をされると、「私たち終わりにしまょ」「なんだよ、突然」・・・・「イエス、フォーリンラブ」ってなコントをやっているバービーとハジメのあの顔が思い浮かんでしまいますが(笑)、それはそれとして。
大竹さんによると、妹さんは天才肌で大竹さんは努力型の選手だったそうで。
妹さんはやれと言われたらすぐに出来るけど、大竹さんは出来ないので人一倍練習して自分のものにしていたとのことでしたが、南原さんからは、
南原 「これ双子でもちょっと悔しいじゃないですか、一緒に育ってきてね」
大竹 「はい(笑)」
南原 「同じところから生まれてきてね(笑)」
大竹 「ハハハハハ」
南原 「パッと見たらすぐ出来る天才肌がいて」
という話も(笑)。
確かに、同じところから生まれてきた双子なのに違うというのも不思議な話ではありますが(笑)、大竹さんいわく、妹さんとは仲が良いので切磋琢磨するけどライバル心はなかった、ひとつのことにむかってやる作業も好きだし出来ないからやるのは当たり前なので自分では努力とは思わなかった、とのことでした。
そんな話を聞き、南原さんは、
南原 「これよく感覚派とかね、そういうのあると思う・・自分のことで恐縮なんですけど、僕らウッチャンナンチャンじゃないですか」
大竹 「はい」
南原 「で、内村はそういうタイプなんですよ」
大竹 「えぇ~」
南原 「器用なタイプなんですよ」
大竹 「はい、あ、そう器用(笑)」
南原 「ダンスとか実は内村のほうがすぐ出来たんです。ターンとかそういうの」
大竹 「えぇ~~!?」
南原 「僕はなかなか出来ないんです」
大竹 「へぇ~~」
南原 「出来ないんで、だから長く続けてるんです。努力・・でも努力型は努力型で楽しいですよね」
大竹 「はい」
南原 「えぇ。スランプが少ないのが努力型だってよく言いますね」
大竹 「あ、そうなんだ」
南原 「天才肌、感覚派は感覚がなくなったときに、自分に戻る理論がないんで」
大竹 「あぁ~~」
南原 「だからいったんスランプになったらえらい長いんですって」
大竹 「なるほど~」
南原 「バッティングとかやる人でも。でも努力の人は自分の中に理論がいっぱいあるんで」
大竹 「はい」
南原 「さらにこう下がっていくことがないとか」
大竹 「はい」
南原 「っていうのがあるらしいんですけど。それはどうなんですかね?」
大竹 「あ、でも、今のお話を伺って」
南原 「はい」
大竹 「けっこう納得です」
南原 「はい」
大竹 「確かにその、スランプになりました」
南原 「はい」
大竹 「で、どこがいけないっていうのを、例えばそうやって気付かさせてもらったり気付けたりとか」
南原 「はい」
大竹 「で、そこを、「あれさえ出来るようになったらもう一っこ上に行ける」っていう感覚が常にあって」
南原 「あぁ~、はい」
大竹 「だから練習をしますよね」
南原 「うん」
大竹 「「あれをやったら今度は、この例えば二個三個出来るようになるな」とか」
南原 「うん」
大竹 「そう、たがら確かにすごい長いスランプっていうのは」
南原 「はい」
大竹 「なかったです」
南原 「だからこうずっと第一線で長く出来た」
という、けっこうお馴染みの、ウンナンはホントはこういうタイプの二人なんだよ話を披露(笑)。
「僕らウッチャンナンチャンじゃないですか」という言い方は、「私って○○じゃないですか」ってなことを言ってる女子大生っぽく(?・笑)どうかとも思いましたが(笑)、その後の南原理論には大いに納得して感心していた大竹さんでありました。
あとは、FWの選手がスランプになって点が取れなくても自分の得意のかたちを一つ持ってる人は強い、自分のかたちを持ってない選手はなかなかスランプを抜け出せないと思う。大竹さんは右斜め45度からドリブルしてシュート打つのが得意なかたちで、そのかたちからシュートを打つと外れても自分のリズムになるので得意なかたちから一本シュートを打つことが大事、という話などをしていましたが、南原さんは「ほぉ~~」「へぇ~~」ってなことを言い、今度は南原さんが(いつものように・笑)感心しきりの様子でした(笑)。
あと、北京五輪でなでしこJAPANが4位になった話・・選手たちの頑張りを知っているのでホントに感動したし自分がやってないのに感無量になった。なでしこJAPANの良さは最後まで諦めないこと、最後の最後まで走りきったことで気持ちが一つになった、という話もしていましたが、南原さんからは「よく、あの、球際とかね、もういっこ足が伸びたとかっていうのは一緒に戦ってる選手は、「あ、あの娘あそこまでやってるんだ」っていう感じでグッとこう来るものがあるんですかね?」という質問。
大竹さんいわく、タッチラインを出るか出ないか分からないパスが出たときに選手がボールを追いかけないと「なんだよ」という気持ちになるけど、最後まで走ってくれたら皆が「ありがとう」と思い今度は自分が・・というようにチーム全体に良いふうに連鎖していく、諦めずに最後までボールを追いかけるのは大事だしそういうプレーは評価の高い、とのことでした。
この大竹さんの話を聞き、
南原 「あ、確かに、僕ちょっと思い出しました。フットサルやってるときに、石田純一さんとやったことあるんですね、チームで」
大竹 「はい」
南原 「で、石田純一さんが倒れながら、あの歳で倒れながら、こう、ボールを渡してくれたんで」
大竹 「はい」
南原 「(必死な感じの声で)「これ絶対決めなきゃ!」っていう、なんか(笑)」
大竹 「ハッハハハ、そうそう(笑)」
南原 「「これ絶対決めなきゃ!このパス!」(笑)、ハハハハ」
大竹 「(笑)」
南原 「実はちょっとプレッシャーも感じながらもやるんですけども(笑)」
大竹 「はい(笑)」
南原 「あ、そういうもんなんですね」
大竹 「はい、あそこまで頑張ってくれたから」
南原 「えぇ」
大竹 「「次は自分が」って思いますよね」
南原 「石田純一さんが髪を振り乱しながら」
大竹 「ハッハハハハハハハ」
南原 「いつもかってもらってる髪をワッサワッサになって(笑)」
大竹 「(笑)」
南原 「コートに倒れてるのに(笑)、ハッハハハハ」
大竹 「(笑)」
南原 「ヒーヒー言いながらパス出したんで(笑)」
大竹 「(笑)」
南原 「「これ決めなきゃ」って(笑)必死で決めたことありますよ」
大竹 「おもしろい(笑)」
南原 「あ、そういうことですね」
大竹 「はい、そういうことです(笑)」
という話をしていた南原さん(笑)。
髪を振り乱した石田純一さん(笑)とフットサルをしていたのは『上々』・・かな?
『上々』でフットサルをしたときは、南原さんがゴール前でチャンスボールを見事に空振りしていたのはよく憶えているのですが(確かスローで何度もリプレイしてましたし・笑)、とにもかくにも、大竹さんの言うように面白く、そして、実感がこもっていた体験談&例え話でありました(笑)。
その後は、両親や妹の協力がなければサッカーをやってこれなかった、自宅から片道2時間かかるサッカーの練習場まで毎日お父さんが車で迎えに来てくれた、動きが悪いと試合中に呼び出されて怒られた、という話もしていた大竹さん。
南原さんは、「どうですか皆さん、ねぇ、自分のお子さんをやるんだったらそこまでやんなきゃいけない」「それでもプロで大成出来るかどうかはまた別になってくるわけですね」と言ってましたが・・・。
これは、父親である南原さん自身にも言い聞かせていた言葉だったようにも感じましたが、どうなんでしょう?
ってなことを思いつつ。
来週に続く・・・。
双子の妹さんとサッカーをやっていた大竹さんは、13歳のときに読売ベレーザに姉妹そろって入団。その後は95年のW杯、96年のアトランタ五輪、99年のW杯に日本代表のFWとして出場し、2001年に引退。
引退をするときは、
大竹 「普通に私、え~と食事をしていて」
南原 「ん?・・ん?、うん」
大竹 「普通にご飯を食べていて」
南原 「え?何ですか?それ」
大竹 「そう、で・・」
南原 「それ何か突然別れ話を切り出される瞬間みたいな感じ」
というふうに、別れ話を切り出すような感じで(笑)、先に引退をしていた妹さんと食事をしているときに突然気持ちが切れて引退することを決めたとのこと。
突然の別れ話・・云々という例え話をされると、「私たち終わりにしまょ」「なんだよ、突然」・・・・「イエス、フォーリンラブ」ってなコントをやっているバービーとハジメのあの顔が思い浮かんでしまいますが(笑)、それはそれとして。
大竹さんによると、妹さんは天才肌で大竹さんは努力型の選手だったそうで。
妹さんはやれと言われたらすぐに出来るけど、大竹さんは出来ないので人一倍練習して自分のものにしていたとのことでしたが、南原さんからは、
南原 「これ双子でもちょっと悔しいじゃないですか、一緒に育ってきてね」
大竹 「はい(笑)」
南原 「同じところから生まれてきてね(笑)」
大竹 「ハハハハハ」
南原 「パッと見たらすぐ出来る天才肌がいて」
という話も(笑)。
確かに、同じところから生まれてきた双子なのに違うというのも不思議な話ではありますが(笑)、大竹さんいわく、妹さんとは仲が良いので切磋琢磨するけどライバル心はなかった、ひとつのことにむかってやる作業も好きだし出来ないからやるのは当たり前なので自分では努力とは思わなかった、とのことでした。
そんな話を聞き、南原さんは、
南原 「これよく感覚派とかね、そういうのあると思う・・自分のことで恐縮なんですけど、僕らウッチャンナンチャンじゃないですか」
大竹 「はい」
南原 「で、内村はそういうタイプなんですよ」
大竹 「えぇ~」
南原 「器用なタイプなんですよ」
大竹 「はい、あ、そう器用(笑)」
南原 「ダンスとか実は内村のほうがすぐ出来たんです。ターンとかそういうの」
大竹 「えぇ~~!?」
南原 「僕はなかなか出来ないんです」
大竹 「へぇ~~」
南原 「出来ないんで、だから長く続けてるんです。努力・・でも努力型は努力型で楽しいですよね」
大竹 「はい」
南原 「えぇ。スランプが少ないのが努力型だってよく言いますね」
大竹 「あ、そうなんだ」
南原 「天才肌、感覚派は感覚がなくなったときに、自分に戻る理論がないんで」
大竹 「あぁ~~」
南原 「だからいったんスランプになったらえらい長いんですって」
大竹 「なるほど~」
南原 「バッティングとかやる人でも。でも努力の人は自分の中に理論がいっぱいあるんで」
大竹 「はい」
南原 「さらにこう下がっていくことがないとか」
大竹 「はい」
南原 「っていうのがあるらしいんですけど。それはどうなんですかね?」
大竹 「あ、でも、今のお話を伺って」
南原 「はい」
大竹 「けっこう納得です」
南原 「はい」
大竹 「確かにその、スランプになりました」
南原 「はい」
大竹 「で、どこがいけないっていうのを、例えばそうやって気付かさせてもらったり気付けたりとか」
南原 「はい」
大竹 「で、そこを、「あれさえ出来るようになったらもう一っこ上に行ける」っていう感覚が常にあって」
南原 「あぁ~、はい」
大竹 「だから練習をしますよね」
南原 「うん」
大竹 「「あれをやったら今度は、この例えば二個三個出来るようになるな」とか」
南原 「うん」
大竹 「そう、たがら確かにすごい長いスランプっていうのは」
南原 「はい」
大竹 「なかったです」
南原 「だからこうずっと第一線で長く出来た」
という、けっこうお馴染みの、ウンナンはホントはこういうタイプの二人なんだよ話を披露(笑)。
「僕らウッチャンナンチャンじゃないですか」という言い方は、「私って○○じゃないですか」ってなことを言ってる女子大生っぽく(?・笑)どうかとも思いましたが(笑)、その後の南原理論には大いに納得して感心していた大竹さんでありました。
あとは、FWの選手がスランプになって点が取れなくても自分の得意のかたちを一つ持ってる人は強い、自分のかたちを持ってない選手はなかなかスランプを抜け出せないと思う。大竹さんは右斜め45度からドリブルしてシュート打つのが得意なかたちで、そのかたちからシュートを打つと外れても自分のリズムになるので得意なかたちから一本シュートを打つことが大事、という話などをしていましたが、南原さんは「ほぉ~~」「へぇ~~」ってなことを言い、今度は南原さんが(いつものように・笑)感心しきりの様子でした(笑)。
あと、北京五輪でなでしこJAPANが4位になった話・・選手たちの頑張りを知っているのでホントに感動したし自分がやってないのに感無量になった。なでしこJAPANの良さは最後まで諦めないこと、最後の最後まで走りきったことで気持ちが一つになった、という話もしていましたが、南原さんからは「よく、あの、球際とかね、もういっこ足が伸びたとかっていうのは一緒に戦ってる選手は、「あ、あの娘あそこまでやってるんだ」っていう感じでグッとこう来るものがあるんですかね?」という質問。
大竹さんいわく、タッチラインを出るか出ないか分からないパスが出たときに選手がボールを追いかけないと「なんだよ」という気持ちになるけど、最後まで走ってくれたら皆が「ありがとう」と思い今度は自分が・・というようにチーム全体に良いふうに連鎖していく、諦めずに最後までボールを追いかけるのは大事だしそういうプレーは評価の高い、とのことでした。
この大竹さんの話を聞き、
南原 「あ、確かに、僕ちょっと思い出しました。フットサルやってるときに、石田純一さんとやったことあるんですね、チームで」
大竹 「はい」
南原 「で、石田純一さんが倒れながら、あの歳で倒れながら、こう、ボールを渡してくれたんで」
大竹 「はい」
南原 「(必死な感じの声で)「これ絶対決めなきゃ!」っていう、なんか(笑)」
大竹 「ハッハハハ、そうそう(笑)」
南原 「「これ絶対決めなきゃ!このパス!」(笑)、ハハハハ」
大竹 「(笑)」
南原 「実はちょっとプレッシャーも感じながらもやるんですけども(笑)」
大竹 「はい(笑)」
南原 「あ、そういうもんなんですね」
大竹 「はい、あそこまで頑張ってくれたから」
南原 「えぇ」
大竹 「「次は自分が」って思いますよね」
南原 「石田純一さんが髪を振り乱しながら」
大竹 「ハッハハハハハハハ」
南原 「いつもかってもらってる髪をワッサワッサになって(笑)」
大竹 「(笑)」
南原 「コートに倒れてるのに(笑)、ハッハハハハ」
大竹 「(笑)」
南原 「ヒーヒー言いながらパス出したんで(笑)」
大竹 「(笑)」
南原 「「これ決めなきゃ」って(笑)必死で決めたことありますよ」
大竹 「おもしろい(笑)」
南原 「あ、そういうことですね」
大竹 「はい、そういうことです(笑)」
という話をしていた南原さん(笑)。
髪を振り乱した石田純一さん(笑)とフットサルをしていたのは『上々』・・かな?
『上々』でフットサルをしたときは、南原さんがゴール前でチャンスボールを見事に空振りしていたのはよく憶えているのですが(確かスローで何度もリプレイしてましたし・笑)、とにもかくにも、大竹さんの言うように面白く、そして、実感がこもっていた体験談&例え話でありました(笑)。
その後は、両親や妹の協力がなければサッカーをやってこれなかった、自宅から片道2時間かかるサッカーの練習場まで毎日お父さんが車で迎えに来てくれた、動きが悪いと試合中に呼び出されて怒られた、という話もしていた大竹さん。
南原さんは、「どうですか皆さん、ねぇ、自分のお子さんをやるんだったらそこまでやんなきゃいけない」「それでもプロで大成出来るかどうかはまた別になってくるわけですね」と言ってましたが・・・。
これは、父親である南原さん自身にも言い聞かせていた言葉だったようにも感じましたが、どうなんでしょう?
ってなことを思いつつ。
来週に続く・・・。