goo blog サービス終了のお知らせ 

Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 2010,6/5

2011年03月29日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、アイシンシーホースの佐古賢一選手。

まずは、

南原 「さぁ、佐古選手です、よろしくお願いします」
佐古 「よろしくお願いしま~す」
南原 「ね、え~今日は何かちょっと」
佐古 「はい」
南原 「クリーム色の」
佐古 「あぁ、はい」
南原 「ジャケットとストライプのシャツで、爽やか佐古賢一なんですけども」
佐古 「いやいや、そんな爽やかじゃないです」
南原 「アハハハハハハ」

という、軽~いやり取りで番組はスタート(笑)。
南原さんと佐古選手は『Get』などで何度も共演しているだけに、最初から和やかムード満点でありました(笑)。


佐古選手は来シーズンに向けてヒザの手術をする予定だそうで。
佐古選手いわく、「僕が頑張るのは手術が終わってからのリハビリですね」。
去年もヒザの手術をしているそうですが、「リハビリ期間にこういうこと出来たなぁ」という反省があったとのこと。
南原さんは、「何ですか?リハビリの期間・・好きなDVD見ようかなとかそういう」ってなことを言ってましたが、もちろんそんなことではなく(笑)、

佐古 「トレーニングで、やっぱこういうところの筋肉を落としちゃったから、シーズン中のトレーニングで補おうっていう時間がまたロスするじゃないですか」
南原 「あっ」
佐古 「それが、ま、今年もまた新たに自分の中でいろんな目標を立てて出来るのかなっていう、そういうちょっと楽しみもありますけども」
南原 「だから何か、けっこう手術前なのにけっこう何か、まぁまぁ本人は不安なんでしょうけども」
佐古 「はい」
南原 「えぇ、ちょっと嬉しそうな顔もしてるんですけども(笑)」
佐古 「ま、嬉しくはないですけど(笑)」
南原 「アッハハハ」
佐古 「でもあの、去年の痛い思いをしてね、ずっとシーズンその・・ま、精神的にキツイ」
南原 「はい」
佐古 「そういう時期を考えると、やっぱそのスッキリして」
南原 「うん」
佐古 「やっぱ来シーズン迎えたいなっていうのがあるので」
南原 「うん」
佐古 「はい」

とのことでした。
その後は、
去年アイシンはレギュラーシーズンでは1位だったが、プレーオフでは若くて勢いがあるリンク栃木に敗れて3連覇を逃してしまった。
アイシンを応援してくれるファンは優勝するのが当たり前と思っているが、楽に優勝しているわけではないし、勝って当たり前というプレッシャーもある。
求められるものと自分たちが戦う辛さも年々増していく。
負けたら連覇が途切れ、歴史が途切れてしまうという重みも感じている。
という話などがありつつ。
南原さんも去年、代々木でアイシンの試合を見たという話に。
佐古選手のプレーを見ていた南原さんと佐古選手の間では、

南原 「佐古選手はどっちかっていうとプレーの流れを変える」
佐古 「はい」
南原 「ワーって勢いを、向こうの勢いをちょっと1回ブレイクさして」
佐古 「はい」
南原 「ちょっと試合を落ち着かせるっていうような、場面や登場もあったと思うんですけども」
佐古 「はい、もうファイナルもそういう気持ちで出てましたし、もうここ3年くらいは、自分はそういう役割での起用になってるんで」
南原 「うん」
佐古 「とにかくチームの悪い、その、流れっていうのをね」
南原 「はい」
佐古 「自分が変えれる、そういう、ま、試合終わってみれば「キーマンだったかな」みたいな」
南原 「うん、何か、バスケットボールとかもバレーボールとかもそうなんですけど、その、それまでの勢いとかありますよね」
佐古 「はい」
南原 「目に見えない何か」
佐古 「はい」
南原 「その勢いを止めるっていうのはどういうふうに考えてらっしゃいますか?」
佐古 「ま、とにかく、自分たちのいつも通りのバスケをする、その姿勢というのを変えないってことでしょうね」
南原 「あぁ~」
佐古 「はい」
南原 「はい」
佐古 「っていうのは、やっぱ悪くなれば悪くなったなりに、「いや、あいつより俺のほうがスゲーんだ」っていうのを見せたくなったりとかっていうのは選手のやっぱ、気持ちがすごいあるんですよ」
南原 「あ、なるほど」
佐古 「はい」
南原 「ま、バスケットボールは特にぶつかったりとか」
佐古 「はい、「やられたらやり返すぞ」みたいなのとか」
南原 「あ、はいはい」
佐古 「で、そういうところでね、けっこうミスが起きていってるっていうのは、スポーツのそのメンタルの戦いなんですよね」
南原 「あ、なるほど」
佐古 「だからそういうことからしてみると、やっぱメンタルが大事で」
南原 「はいはい」
佐古 「自分たちの流れを戻すのも」
南原 「はい」
佐古 「やっぱ我慢しなきゃいけないところっていうのは、もう静かに」
南原 「はい」
佐古 「こう耐えるしかないんですよ」
南原 「(笑)」
佐古 「でも、静かに耐えることが、やっぱなかなかその血気盛んな若い選手とかだと出来ないんですよね」
南原 「なるほど」
佐古 「はい」
南原 「周りが見えなくなってきて」
佐古 「はい、そういうのが流れにもう直接出てきちゃうんで、それをやっぱこう見極めて、だからメンタルの部分を、相手のメンタルが「あぁちょっとこうザワザワしだしたな」っていうときに、今度それを付け込んでっていう」
南原 「はぁ~~」
佐古 「そこらへんがやっぱ流れの、こう」
南原 「面白いですね~」
佐古 「だから僕はほとんどシュート打たないんですよ」
南原 「そうですね」
佐古 「はい、で、僕がシュートを打つっていうのはもう時間がないときとか」
南原 「はぁ、それはワザと打たないんですか?」
佐古 「打たないんですよ」
南原 「見てて、打ったら1点入るかもわかんないのにそれでも打たない」
佐古 「はい、ほとんど打たないですよ。打てても打たないケースが多いのは」
南原 「はい」
佐古 「やっぱり僕は流れを変えるために出てるんで」
南原 「はい」
佐古 「その、チームを落ち着かせるために時間を使うことっていうのかすごい有意義な、その、悪いときに出てるんで」
南原 「はい」
佐古 「あんまりその、オフェンスで力を使うと、ディフェンスで力を使えないとかっていう、そういう時間帯なんですよね」
南原 「あ、他の選手全員も含めて」
佐古 「はい、やっぱ耐えるためにはディフェンスで足を使わなきゃいけないんで」
南原 「はい」
佐古 「オフェンスでは、ゆっくり」
南原 「へぇ~」
佐古 「休んでっていう」
南原 「あ、あの規定時間ギリギリまで」
佐古 「はい、はい」
南原 「大丈夫そこまではシュートしなくても」
佐古 「はい」
南原 「そうやって流れを変えるんですか」
佐古 「そうですね」
南原 「確かにね、佐古選手が入ると流れがね、いったんこう・・止まるんですよ」
佐古 「はい」
南原 「止まるっていうか、試合が1回こう落ち着くんですよ」
佐古 「硬直しますよね」
南原 「そう硬直するんですよ」
佐古 「1回硬直させないと」
南原 「はい」
佐古 「イニシアチブ取れないんで」
南原 「あ、わざと点がお互いに入んないように」
佐古 「はい、はい」
南原 「わざとあぁいうふうにもっていってるんですか」
佐古 「はい、あのもうテンポでやってるんですよ」
南原 「あ、それで硬直させて」
佐古 「はい」
南原 「自分のほうに流れを」
佐古 「はい」
南原 「で、(流れが)来たら、また選手交代で」
佐古 「そうですそうです」
南原 「また血気盛んな」
佐古 「そうです」
南原 「カーって出てきて、それでいいんですか?」
佐古 「それでいいんです(笑)」
南原 「で、点数はもうその若いのが持っていっちゃうじゃないですか、バンバンバンバン」
佐古 「はい、そうですそうです」
南原 「あ、それでいいんですか」
佐古 「それでいいんです、それがもうチームの僕の役割」
南原 「はぁ~~~そ・・それ~会社に何人か居たら会社助かるでしょうね(笑)」
佐古 「(笑)」
南原 「中小企業とか(笑)、ハハハ、あ、そういうのも大事なんですね」

というやり取り(笑)。
ベテランらしく、自分の役割を熟知してそれを実践している佐古選手に、感心しきりの南原さんでありました(笑)。
それから、

佐古 「だから僕なんかが若い頃はどっちかっていうと点数をいっぱい取ったり、その」
南原 「はい」
佐古 「ま、派手なことをこう、アピールするような選手だったんですよね」
南原 「はいはい」
佐古 「でもやっぱりその、前のチーム、いすゞ自動車っていうチームでも」
南原 「はい」
佐古 「やっぱその、優勝をずっと経験してって」
南原 「はい」
佐古 「勝つためにいちばん大事なことって何なのかな?」
南原 「うん」
佐古 「で、そのアイシンに行って、その、やっぱ最初の、まぁ・・ま、いい時期ですね」
南原 「はい」
佐古 「黄金時代のときに」
南原 「はい」
佐古 「スタート(メンバー)で出てるときに、やっぱこの連覇をしていくために大事なことだとか」
南原 「うん」
佐古 「自分の役割っていうのを、だんだんだんだんこう、やっぱそのときそのときに学んで、今、バックアップとして」
南原 「はい」
佐古 「っていうのがあると思うんですよね」
南原 「いや、あのね、正直ね、役割でもね、いちばん最初のときのスター選手っていうかね」
佐古 「あぁ」
南原 「スターターで入って中心選手で、全部もうボールを経由して」
佐古 「はい」
南原 「司令塔、まさに司令塔で、あっちにやってこうやって」
佐古 「はい」
南原 「試合をこうタクトを振るって、ドンドンドンドン行くのもあるじゃないですか、それがだんだん年齢重ねてくると、いや、そのタクトを少し譲っていかなきゃいけないとか」
佐古 「あぁ」
南原 「いや、自分のやり方も変えていかなきゃいけない、で、役割も変わってくるじゃないですか」
佐古 「そうですね」
南原 「はい」
佐古 「でもやっぱりスタートで出てるときの役割っていうのは、若い頃も歳を取っててもあんな変わってるところってあんまなかったんですよ」
南原 「はい」
佐古 「やっぱコートに長く時間居れるってことで
南原 「はい」
佐古 「今、この流れを無理に変える必要ないなとか」
南原 「はぁ~」
佐古 「そういう、なんか自分に何か余裕っていうんですかね、やっぱ長く試合に出れるぶん」
南原 「はいはい」
佐古 「ゲームを長いスパンで見れるじゃないですか」
南原 「はいはいはい」
佐古 「でも僕、今のポジションで言うと」
南原 「うん」
佐古 「前半10分とか後半10分とか、ま、その大事なところで短いスパンで出ることが多いんで」
南原 「はいはい」
佐古 「ま、今変えなきゃいけないっていう、それが僕の今の仕事だっていう感覚なんで、もう若い頃のバスケと今のバスケとまったく違う人間がやってるような」
南原 「へぇ~」
佐古 「内容なんですけど」
南原 「はい」
佐古 「でも、結局結果っていうのは、若い頃優勝したものも今優勝したものも一緒じゃないですか、結果は」
南原 「そうですね、チームで優勝したってことですからね、このメンバーで」
佐古 「僕にとって結果だけはすごい大事なことなんです」
南原 「へぇ~~~、いや・・僕ね、寂しい思いをしてるんじゃないかと思ったんですよ」
佐古 「あぁ、はい」
南原 「えぇ、その、もうホントに華々しい戦歴じゃないですか」
佐古 「はいはいはい」
南原 「えぇ、それ・・が、やっぱり、スターターじゃなくて、途中で使われるようになるじゃないですか」
佐古 「はい」
南原 「でも、明らかに大事な役だってわかるんですよね」
佐古 「はいはい」
南原 「あ、その、そういうとこで試合の流れを変える、監督もそのために入れてんだなっていうのはわかるんですけども、そういうんじゃなくてチームが勝つためなんだから、どのポジションでもいいっていう」
佐古 「うん、そうですね、だから今でもシュートをね」
南原 「はい」
佐古 「打って、もう空いたら打って空いたら打ってってことをやってたら、多分ある程度点数取れると思うんですけども」
南原 「はいはい」
佐古 「試合の流れめちゃくちゃですよね」
南原 「あぁ~」
佐古 「多分(笑)」
南原 「そんときは取ったとしても」
佐古 「はい、僕が出なくても、違う人間が出てもそれは出来るよねっていうことなんで」
南原 「へぇ~~、勝つために何が大事なんですかね?ハハハもう(笑)、これは、こういうスポーツもそうですけども」
佐古 「はい」
南原 「例えば会社とかでもね、業績がなかなか上がらない、その、勝つためにチームとして会社として、佐古選手は何が大事だと考えてますか?」
佐古 「我慢ですね」
南原 「我慢」
佐古 「はい」
南原 「我慢ですか」
佐古 「我慢です、はい。と思います、僕は」
南原 「もう自我を出さないっていうか」
佐古 「う~ん、やっぱ耐えることによってのその反発ってすごいあると思うんですよ、人って」
南原 「はい、はい、はい、はい」
佐古 「で、耐えれない人間っていうのは、いつも爆発力がないまま、ずっと同じ・・あの、波長で生きていく人だと思うんですよ」
南原 「はい」
佐古 「バスケットも多分そうだと思うんですよね、そのやっぱ流れっていうのは生き物なんで」
南原 「はい」
佐古 「やっぱ我慢することによっての反動っていうものが」
南原 「はい」
佐古 「自分たちのいい流れになるっていう考え方なんで、とにかく僕は我慢、チームを我慢させる人間なんですよね、で、自分も我慢してるんですよ、それはやっぱ若いときみたいに」
南原 「はい」
佐古 「輝きたいじゃないですか」
南原 「(笑)」
佐古 「その・・」
南原 「誰が見てもわかりやすいプレーとかね」
佐古 「シュートを打って、いっぱい決めて、褒められたいですよ」
南原 「はいはいはい」
佐古 「でも、僕も勝つための我慢をしてるわけですよ」
南原 「なるほど」
佐古 「5人が5人とも我慢しないで、自分勝手にやっちゃうと、やっぱり収拾つかないで、良いときもあれば悪いときもあるじゃあ、やっぱり優勝ってものも続けていけない、その、常勝軍団ではないってことですよね」
南原 「あれですか、我慢の反動っていう、我慢したら何かそのエネルギーがこうグーって溜まってきて」
佐古 「そうですね、そういう時間をやっぱ、その自分もそうですけど、持たないとダメなのかなって、そういうものが無いとその爆発したときの嬉しさもあんまり感じないのかなって、いつも爆発してる人間は(笑)」
南原 「そうですそうです、ストレスは感じないかもしんないけど(笑)」
佐古 「(笑)」
南原 「イェ~~!って酒飲んで(笑)、イェ~って(笑)」
佐古 「でもやっぱその」
南原 「確かに波長は同じです」
佐古 「はい」
南原 「いつ会っても同じ(笑)」
佐古 「評価的には、その(笑)、あんまり変わんないじゃないですか」
南原 「(笑)、あぁ~そうか~、そらそう・・もう、ある意味監督ですね」
佐古 「いやいや、そんな全然」
南原 「そうですか、勝つためにはもう我慢なんですね」
佐古 「だと、僕はそう思ってます」
南原 「意外、意外な答えでした。でもすごく、こう腑に落ちるっていうか」
佐古 「はい」
南原 「なるほどね~、じゃあ今プレーしてても、プレーのその求められることは変わってきたんですけども」
佐古 「はい」
南原 「まだまだプレーしたいってことですね」
佐古 「したいですね~、楽しいっす」
南原 「楽しいですか」
佐古 「楽しいです」
南原 「ねぇ、またその楽しさをですね、お聞きしたいと思います」

という話も。
若い頃とは役割が変わってもそれを受け入れ、チームが勝つために何をすべきか考えている佐古選手。
う~む、腑に落ちる以前に、ラジオの前でただただ感心でありました(笑)。



そして、リクエスト曲をかけるコーナーでは、

南原 「さぁ、じゃあここでですね、えぇ~」
佐古 「はい」
南原 「佐古選手のリクエストを1曲おかけしたいんですけども」
佐古 「はい」
南原 「えぇ今回どうしましょうか?」
佐古 「僕、アキレス腱1回切ったときにですね」
南原 「はいはい」
佐古 「南原さんが」
南原 「はい」
佐古 「来ていただいたじゃないですか」
南原 「はぁ」
佐古 「僕は南原さんの顔を見ると、もうこの歌しか出てこないんですけど」
南原 「何でしょうか、はい」
佐古 「エグザイルの『HERO』っていう曲なんですけどね」
南原 「あら~」
佐古 「僕がアキレス腱切ったときに初めての怪我だったんで」
南原 「はい」
佐古 「現役を辞めようか辞めまいかっていう迷いもずーっとあったんですよね」
南原 「あぁ~」
佐古 「そういう中で、もう南原さんに会うと、「やれるチャンスがあるならやったほうがいい」っていう言葉を1回もらったと思うんですけど」
南原 「あぁあぁそう・・」
佐古 「はい、僕はもう、その言葉通り忠実に、進んできてるんで」
南原 「なるほど~」
佐古 「もうこの歌はもう、今日はぜひ」
南原 「なるほど、じゃあご自身でちょっと紹介していただけますでしょうか」
佐古 「はい、エグザイルの『HERO』です」

(曲が終わって)

南原 「なるほど、そうです。佐古さんに言われたのが、「ちょっと現役をどうしましょうか?」って話を僕もいただいたときに」
佐古 「はい」
南原 「そうです」
佐古 「1回相談に乗っていただきました」
南原 「そういうエラそうなことを言ってすいませんでした」
佐古 「いや」
南原 「えぇ(笑)」
佐古 「もう、あの言葉があって今があります」
南原 「いやいや(笑)そんなことそんなことないです(笑)」

というやり取り。
佐古選手が怪我のあとも現役を続けていた裏には、実は実は南原さんの存在があったんですね~(話を聞いてると、どうやら南原さんは佐古選手にとってヒーローだってことのようで!?う~む、かっちょいい~・笑)。
南原さんは照れて早々に話を切り上げてしまいましたので、細かいエピソードは聞けませんでしたが、こういうことがあったからこそ、『Get』の深夜のスタジオに試合直後にもかかわらず佐古選手が駆けつけてくれたことがあったり、今でも交流が続いてたりしてるのか、と大いに納得でありました。


あとは、

南原 「今は現役についてはどう考えてるんですか?」
佐古 「僕はもう1年でも長く」
南原 「あ」
佐古 「そのために手術とかそういうことを」
南原 「はい」
佐古 「やっぱ選択してますんで」
南原 「はい」
佐古 「もう私生活するぶんには今のままでも」
南原 「はい」
佐古 「その、道を歩いたり、そういうことっていうのはもう問題なく出来るんですよね」
南原 「はい」
佐古 「ただ、今バスケットをするにあたっては、やっぱその痛みだとか」
南原 「うん」
佐古 「そういうものが激しくなってくるんで」
南原 「うん」
佐古 「まだそういう意味で一年でも長く、で、精一杯」
南原 「うん」
佐古 「自分がその、頑張れるっていうんですかね」
南原 「うん」
佐古 「そういう場所もバスケットしかないなっていう思いで今」
南原 「はい」
佐古 「やってます。なんで、あの一瞬からは」
南原 「うん」
佐古 「一切引退っていう言葉は」
南原 「あ」
佐古 「しなくなりましたね。はい」
南原 「もう、ま、いちばん華々しくね、ふぁっともう綺麗に」
佐古 「はい」
南原 「みんなから「あぁ~もう残念!」っていう辞め方もあるし」
佐古 「「まだ出来るよ」っていう声もあるだろうし」
南原 「はい」
佐古 「「もういいよ」っつって、最後辞めるのも、ホントのあれなのかな。でもやっぱいちばん大事なところは、もう「バスケは好きですか?」って聞かれたら、「好きです」って答えれる自分でないと」
南原 「うん」
佐古 「やっぱその、厳しいトレーニングとか、リハビリだとか」
南原 「うん」
佐古 「色んなものを乗り越えられないのかな、と思ってるんで」
南原 「うん」
佐古 「いつも自分はバスケが好きでやってるんだっていう認識は忘れないことにしてますけどね」
南原 「やっぱり、もがいてるってことはやっぱり現役だってことですよね」
佐古 「そうですね」
南原 「でもね、こないだ若手の選手と、佐古さんも含めてご飯食べさせてもらったんですけど、やっぱりそういう佐古さんをみんな見てますもんね、若手の選手も」
佐古 「刺激になると思うんですよ」
南原 「うん」
佐古 「で、また自分を見て、長くプレーをするためにってことで」
南原 「うん」
佐古 「いろいろ進化出来ることも学べると思いますし」
南原 「そうですね」
佐古 「やっぱ変化しないと、やっぱこの世界は残っていけないと」
南原 「あぁ~」
佐古 「前の年と同じことを、っていうんではなくて、次の年にはまた違う自分を作らなきゃいけないっていう」
南原 「はぁ~そうですか、やっぱ変化していかないと」
佐古 「はい、下からもう毎年毎年入ってきますからね」
南原 「若くて生きのいいのが」
佐古 「はい」
南原 「それはでも、何についても言えるかもわかんないですね」
佐古 「そうですね、僕もそう思います」
南原 「やっぱその変化するには、何が必要になってくるんですかね」
佐古 「う~ん、やっぱりその、自分を見失わないことですよね、いちばんは」
南原 「あぁ~」
佐古 「はい、で、自分をよく知らないと、やっぱ自分の変化ってものにも気付けないし」
南原 「これまた自分を知るのがいちばん難しいんですよね」
佐古 「難しいですよね(笑)」
南原 「自分ってちょっと良く、良く思って・・」
佐古 「はい」
南原 「ホントの自分より少し良いとかね(笑)」
佐古 「アハハハ」
南原 「「思いたい」とかね」
佐古 「はい」
南原 「ホントの自分はもしかしたらもっとスゴイかもわかんない」
佐古 「はい」
南原 「でもそれを過小評価してるかも」
佐古 「はい」
南原 「わかんないじゃないですか。いや、やっぱりね、現役生活が長い選手はね、こう言葉に深みがありますね、えぇ、また是非そういうのもね、えぇ、今後聞かせてもらいたいと思います」
佐古 「はい」
南原 「また次回もね、よろしくお願いいたします」
佐古 「よろしくお願いします」

という話などありつつ。


来週に続く・・・(6/12放送分の感想記については、今のところ予定は未定です・笑)。



『スポーツドリーム』 3/27

2010年04月02日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはWBA世界スーパーフェザー級チャンピオンの内山高志選手。

今回は恒例の10の質問でボクシング話などをあれこれと。
ボクシングを観てる人は相手が倒れるところを観たいと思うので、女性のボクシングもいいと思うが男じゃないとKOはなかなか出来ない。
南キャンのしずちゃんがジムに来たり、試合を観に来てくれたりするが、すごく熱心にボクシングをやっていて生半可な気持ちでやってないなというのが伝わった。
巧い選手はけっこういるが、巧いと速いを総合的に全部合わせたものが強いと思うので、強いと言われる選手になりたい。
アマチュアのときに、空手やキックボクシングをやっている仲間と遊んでいて、パンチングマシンを壊してしまったことがある。
「チャンピオン」と言われるとまだ恥ずかしい気持ちもあるし、最初の頃は「いやいやいや」と言っていたが、話が長くなってしまうので慣れるようにしている。
という話などがありつつ。
"スピード、パワー、テクニック、最も能力を高めたいのはどれ?"という質問には「テクニック」と答えていた内山選手。
内山選手いわく、テクニックだけではなく「パワーも求めたいですし、全部ですね」とのことでしたが、

南原 「どういうテクニックをこう?自分の中でしたいですか」
内山 「う~ん、まぁあの、けっこうカウンターとか取る選手ってやっぱいるんですよ」
南原 「カウンター狙い、はい」
内山 「こうパンチ打ってきたのに対して外してドーンと入れたりとか」
南原 「はい」
内山 「そういうのってやっぱこうセンス的なものがあって、僕はなかなか練習しても、なかなかカウンターって苦手なんですよ取るのが」
南原 「へぇ~」
内山 「だから僕試合でもあんま取らないんですよカウンターは」
南原 「えぇ」
内山 「はい」
南原 「冒険がありますよカウンターっていうのは」
内山 「いや、冒険、ま、でも多少のそのリスクもあると思うんですけど」
南原 「はい、多少なもんですか?」
内山 「はい、やっぱりでも、反応する奴っていうのは勝手に一瞬の反応するんですよね、たぶん考えてないんじゃないんですか」
南原 「あぁ、相手が」
内山 「来た瞬間にもう「あ、来た」ってボンってたぶんやると思うんですよね」
南原 「はい、はい、はい」
内山 「僕の場合あまり得意じゃないんで」
南原 「だって相手が動かないとこっちは(パンチを)出せないわけですもんね」
内山 「そうですね、はい」
南原 「で、相手より先に当たってるってことですもんね」
内山 「ただやっぱりその相手に出させるのもテクニックですね」
南原 「あぁ~~」
内山 「そういうパンチを相手に出させる」
南原 「呼び込む」
内山 「そうですね、それもだからテクニックの一つだと思いますし」
南原 「あ、「今、俺打てるよ」っていうのが」
内山 「「今あいてるよ」」
南原 「アッハハ」
内山 「相手からしたら「お、ガラあきだ!」っていうふうな雰囲気にさせないとダメですよね」
南原 「(笑)」
内山 「相手からしたら「あ、こいつ誘ってるな」と思われたらもうダメですし」
南原 「はぁ~~!もう心理戦っていうか駆け引きですね」
内山 「そですね」
南原 「お互いの目線の合わせ方とか」
内山 「そうですね」
南原 「これけっこう芝居とかするんですか?クッと目線そらしたり」
内山 「はい、そうですね、それやっぱやりますね」
南原 「あ、じゃあもう、あのわずかな距離の中でこう」
内山 「そうですね」
南原 「目線のやり取りで」

という話も。
内山選手は、クロスカウンターが得意な矢吹丈タイプのボクサーではないのか・・ってなことを思ったりもしましたが(笑)、それは兎も角として。
カウンターを打つだけではなく相手にパンチを出させるのもテクニック、という内山選手の話に、「はぁ~!」と感心しきりの様子だった南原さん(笑)。
でも、内山選手の話はボクシングのテクニックの奥深さを感じられるものでしたので、私もラジオの前で南原さん同様大いに感心してしまいましたし、南原さんが(いつものように)感心するのも無理のないところです(笑)。


その後は、
1回だけいいパンチをもらい効いたことがあるが、船の上に乗ったようなグルグル回る感覚になった。
そのときはゴングと同時だったので大丈夫だったが、そのままコーナーに戻るとふらふらしてしまい、相手に「あ、効いてる」と思われるしレフリーにも印象が悪いと思ったので、何秒かその場に仁王立ちしてダメージが回復してから戻った。
という話などがあり、
最後は、"人生を10ラウンドとすると自分は今何ラウンド?"という質問。
内山選手の答えは「3ラウンド」でしたが、いわく、「やっと人生頑張ったなと思ったのが、まず今回が最初だったので」「やっとこっから自分のスタートかなと思ったんで」とのこと。
で、南原さんからは、

内山 「でも、30っていったらまだ・・」
南原 「若いですよぉ!」
内山 「ですよね」
南原 「もう僕からしたらもう全然!若いですよ」
内山 「アッハハそうですか」
南原 「30とかね」
内山 「はい」
南原 「35ぐらいまではね」
内山 「若いですか」
南原 「いちばん調子・・いちばん若いですよ」
内山 「そうですか」
南原 「いちばん調子いいっていうか何か」
内山 「はい、はい」
南原 「えぇ、体力的にも全然!問題ないです」
内山 「あぁそうですね」
南原 「全然!問題ないです」
内山 「はい」
南原 「そんときはいちばんお酒飲めてましたよ」
内山 「あぁ~、(笑)」
南原 「やっと体が出来てきたっていう、体と精神がだんだん」
内山 「あぉ~」
南原 「えぇ、40過ぎたらもっと、もっといいですけどね」
内山 「あ、そうなんですか」
南原 「もっと精神がもっとこう落ち着いてきて」
内山 「おぉ~」
南原 「はい、体は、ね、維持は出来ますから」
内山 「あぁ」
南原 「えぇ」
内山 「まだまだですね、でも、ほんと3ラウンドぐらいですね」

という、ありがたい説法(笑)。
南原さんの話を聞いて、今度は逆に内山選手が「あぁ~」と感心&興味津々の様子(笑)。
ナイスミドル道を驀進中(そして実践中)の南原さんですから、40過ぎたらもっといいというのは説得力のある言葉でありました(この話は以前石原都知事から南原さんが聞いたという話に似てるな~という気がしないでもありませんが(笑)、南原さんも歳を重ね実体験を踏まえてそれを確信したということなのでしょう)。


あとは、
引退した後のことは考えておらず、今はもっと強くなりたい。
初防衛戦は自分のスタイルで戦い、判定でもKOでもいいから絶対勝つ。
自分は世間的には無名のチャンピオンなので、もっと強くなり海外からも「日本の内山は強いな」と言われるような選手になりたいし、世間の人にも知ってもらいたい。
そのためには「強くなりたいだけですね」。
という話などがあり、和やかな雰囲気のなか番組は終了。

今、ボクシングの話題といえば亀○兄弟ぐらいしか注目されておらず、私も内山選手のことは正直よく知らなかったのですが、こんな正統派の世界チャンピオンがいたのか~と、2週に渡る番組を聞いて大いに感心。
見た目とは違い(といっては失礼ですが・笑)、優しい語り口で落ち着いた雰囲気の内山選手には、是非とも初防衛戦を頑張って欲しいと思いますし、ボクシング界だけではなく世間からもっと注目される選手になってくれればと思います。



『スポーツドリーム』 3/20

2010年03月26日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、WBA世界スーパーフェザー級チャンピオンの内山高志選手。

まずは、
今年1月に世界チャンピオンになってから挨拶回りなどで忙しく、1ヵ月半ぐらい休みがなく全然ゆっくり出来ずチャンピオンになった実感もなかった。
世界戦は会場が違うだけで緊張もしなかったしリラックスして戦えたが、周りの人のほうがあたふたしていた。
ただ、TKO勝ちしたときは、それまでポイントで勝ってるだろうと思っていたけど最終の12ラウンドが始まったら忘れてしまっていた。
パンチが相手のボディーに入ったときに嫌そうな顔をしてわかることもある。
腹筋に力を入れているときにパンチを入れてもあまり効かないが、力を抜いているときに当たると効く。
という話などがありつつ、

南原 「ねぇ、今こう見た目はですね、何ンすか、こう、エグザイルの人みたいな感じですけど(笑)、アッハハハハ」
内山 「ハハハハ」
南原 「よく言われませんか?」
内山 「言われます(笑)、こないだあの銭湯で」
南原 「えぇ」
内山 「あの~、間違えられて、あの、何か「すいません、あの~間違ってたら申し訳ないんですけども」」って訊いてきたんで」
南原 「はい、「あ、ヤバイ」と思って」
内山 「ボクシング好きなのかな?と思ったんです」
南原 「アッハハ、ボクシングファン」
内山 「「あの~マツさんですよね?」って(笑)」
南原 「アッハハハハ」
内山 「「は?はい?」と思って(笑)」
南原 「(笑)」
内山 「「いや、全然違います」」
南原 「アッハハ」
内山 「で、「違います」って言ったんですけど、「あの、言わないんで」」
南原 「アッハハハハハハ」
内山 「(笑)「いや全然、全然違いますから」って言って」
南原 「「言わないんで」(笑)」
内山 「(笑)」
南原 「違うっつうのに」
内山 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
確かに、番組HPに載っている内山選手の写真を見てみると、色黒でスッとしてますのでエグザイルの人に間違えられてもおかしくはない感じです(笑)。
ただ、エグザイルが銭湯に行ってるとは思えないけどな~(世界チャンピオンが銭湯行ってるというのもビックリですが・笑)。


そんなジャブ程度の軽い話(笑)のあとは、内山選手のこれまでのプロフィール話などをあれこれと。
高校生のときからボクシングを始め、オリンピックを目標にアマチュアで戦ってきたが、アテネ五輪に出場することが出来ず24歳のときに引退して2年ぐらい旅行会社で営業をしていた。
引退したときは、明日朝起きて練習しなくていいんだと思うと楽しく仕事が終わったあと飲みに行ったりしていたが、それも1ヶ月ぐらいで飽きてしまった。
プロ選手になっていた同級生や後輩の試合を観に行ったら「何か知らないすけど輝いてたんですよね、すごく」「格好いいなぁと思って」、引退したときから「ウチのジムに来いウチのジムに来い」と言ってくれていたワタナベジムに入門した。
最初はアルバイトしながら4万円ぐらいのボロアパートに住んでいたが、世界チャンピオンになるという目標があったし、ハングリー的な感じが合っていたので逆に楽しくすごく充実していた。
アテネでボクシングは引退して仕事一筋にすると言っていたので、プロに入るときは父親からはめちゃくちゃ反対されたが、絶対チャンピオンになると約束してプロになった。
チャンピオンになる前に父親は亡くなってしまったが、世界チャンピオンになり「約束は果たしたよ」と、やっと堂々と墓参りに行けた。

あと、プロとアマの違いについての話もしてましたが、
いわく、アマチュアボクシングは一発いいパンチを当てても1点にしかならない。ヘッドギアをしてグローブも大きいので大体下馬評どおり進み逆転はあまりない。
アマチュアは(パンチを)当てたもん勝ち、プロはダメージを与えたもん勝ち。
プロとアマチュアは大袈裟に言えば野球とソフトボールぐらい違う。
とのこと。
う~む、なるほど、ボクシングのプロとアマは似て非なる競技なんだな~。
ひとつお勉強になってしまいました(笑)。

それから、5月17日に埼玉スーパーアリーナで初防衛戦があるが、相手のビデオは試合が近くなってから見る、という話をしていた内山選手。
で、

南原 「対戦相手初めて、計量のとき初めて会うでしょ?」
内山 「はい」
南原 「あんときどうなんですか?パンツ一丁でこう会って、「あ、どうも」って言ったときに、何かわかります?「こいつちょっとオレ勝てんじゃねぇかな」とか
内山 「(笑)」
南原 「「こいつ強ぇな」とかっていうのはやっぱ」
内山 「あぁ」
南原 「パッと見て」
内山 「パッと見てやっぱ相手のまず筋肉とか見ますよね」
南原 「まず腹筋見るんですか?腹筋見て薄いと「あ、こいつボディー弱いんじゃないかな」とか」
内山 「そうですね、そういうの見ますねやっぱり」
南原 「じゃあ計量のとき実は、実はその計量量りながらも」
内山 「はい」
南原 「そういうところは」
内山 「やっぱり相手の身体はすごい研究しますね」
南原 「イメージで」
内山 「すごくこう、例えばヒジがどこまであるかとか」
南原 「えっ!?」
内山 「例えばこの・・」
南原 「あ、ヒジの・・あ、防御するときですね」
内山 「そうですね、ヒジがけっこう下のほうのあるとやっぱり防御しやすいじゃないですか」
南原 「向こうはね」
内山 「はい、だから「あ、ちょっと当たりそうだ」、だからそういうの、けっこうここら辺見ますね、隙間を、アッハハハ」
南原 「今ね、ヒジと脇のこの三角ラインですか」
内山 「そうですね(笑)ここらへん」
南原 「それ気になりますか?」
内山 「ここらへん見ますね、けっこうこう」
南原 「これアマチュアのときからのそのクセですかね」
内山 「いや、プロになってからですね」
南原 「プロになってから」
内山 「はい」
南原 「僕どうですか?」
内山 「・・若干ボディーが当たりやすいかな」
南原 「アッハハハハ、ハハハハハ」
内山 「ハッハハハハ、ハハハハハ」
南原 「ヒジがアレですか?いただきですか(笑)」
内山 「いやいや、もう(笑)」
南原 「「これはいただきだなぁ」っつって」
内山 「もら、もらいますよ」
南原 「アッハハ、変なクセだな~」
内山 「(笑)」
南原 「あれですか、じぁ銭湯入っても「あ、この人は」とか、パッと見て「あ、こいつ強ぇ」って身体もあるんですか?「これはちょっと」」
内山 「あ、ありますね、でもやっぱり」
南原 「はい」
内山 「腹筋のこの太さとか見たり」
南原 「はい」
内山 「あとやっぱり首の太さとか見たりとか」
南原 「首!」
内山 「はい、あとアゴ細いとやっぱりこう、打たれ弱い、やっぱそれはもう常識ですから、アゴが細いっていうのは」
南原 「あ、じぁあもうイケメン系はもういただきですか(笑)」
内山 「あ、もう今ふうのイケメン系はもういただきですね(笑)」
南原 「アッハハハハ」
内山 「ハハハハハハ」
南原 「草食系とかいただきですか?」
内山 「草食系(笑)」
南原 「全部(笑)いただき、「あ、すいません」」
内山 「もう、ま、あの、硬いもの食べてないんでアゴがシュッとなって」
南原 「あぁもういただき」
内山 「(笑)」
南原 「あれはもうアゴがちゅんと」
内山 「そうですね(笑)」

というやり取りも(笑)。
いきなり「僕どうですか?」と聞かれ、内山選手も面食らったと思いますが(笑)、どうやら南原さんはボクシング向きの身体ではないようで(笑)(というか、以前『スポコン』で黒帯目指して柔道をやってたときから、南原さんは格闘技に向いてない気がしてましたが・笑)。
何にでも好奇心旺盛の南原さんですが、この先ボクシングをやることは(あとマラソンも・笑)なさそうな感じです(笑)。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 3/13

2010年03月16日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは全日本男子バレーボールの植田辰哉監督。

今回は恒例の10の質問で、バレー話などをあれこれと。
"自分は小さい頃から負けず嫌いな子供だった?"という質問には「はい」と答えていた植田監督。
小学校から中学一年まで剣道をやっていて、負けてよく泣いていたそうで。
中学一年の春に剣道の監督が亡くなってしまったので剣道をやめたとのことでしたが、そうでなければ剣道を続けて「僕警察になりたかなったから、香川県警に入りたかったから」とのこと。
それを聞いた南原さんは、「あ、わかる!こんな人いる(笑)」と大いに納得の様子(笑)。
確かに、植田監督は警察顔という感じですので(笑)警察官になっていても不思議ではありませんし、南原さんが納得の様子なのもよくわかります(笑)。
ただ、植田監督は制服よりも背広が似合いそうですので、植田さんは本庁のキャリア組、で、同い年で所轄の萩尾刑事と事あるごとに衝突・・ということになっていたかもしれませんが(笑)。


その後は、

南原 「そして3問目、"機嫌が悪いときは自分でも怖い顔だと思うことがある?"これは「いいえ」と、これ、えぇ」
植田 「あんまり僕、表情が表に出ないっていうか、ゲーム中、試合中こう劣勢のとことか、あの、機嫌が悪いときあんまり無いですからね、普段」
南原 「(笑)」
植田 「普段の生活、よく家に帰っても怒ることないんですよ、あんまり」
南原 「怒られることはあっても」
植田 「怒られることはあっても」
南原 「アッハハハハ、アッハハハハ、自分から「どうなってるんだこれお前、ちょっと」」
植田 「あ、そぉんなこと絶対言わないです」
南原 「あ、テレビ見てて怖い顔、あれは集中してる顔なんですね、こう何かずーっと腕組みして」
植田 「そう」
南原 「ぐーっと考えてる」
植田 「決して機嫌悪いわけじゃなくて」
南原 「次どういう手を打とうかとか」
植田 「うん、色んなこと考えますけどそれがまぁ怖い顔に見えてしまうのかもしれませんけどね」
南原 「最近のバレーボールあれでしょ、もうデータというか試合中どんどんどんどん新しいデータを出してきて」
植田 「そう、もうその情報戦もありますからね」
南原 「はい」
植田 「だからまず色んなことが、情報が入ってくるからそんな機嫌悪いことしてる場合じゃないですよ」
南原 「そんな感情に押し流されてる場合じゃないんですか」
植田 「はい」
南原 「そして、えぇ(笑)4問目、"でも笑顔にも自信がある?"ちょっと謙虚気味に「いいえ」と」」
植田 「うん」
南原 「なかなかでも、可愛らしい笑顔してますよ(笑)、ハハハ」
植田 「普段はね(笑)」
南原 「ハハハハハハ」
植田 「普段は」
南原 「あ、普段は、アッハハハハ、なんかわりに笑うと童顔ですよね」
植田 「(笑)」
南原 「アッハッハハハハ」
植田 「ハハハハハハハハ、普段はね」
南原 「ハハハハ」
植田 「色んな人に言われるんですよ」
南原 「えぇ」
植田 「例えば食事に一緒に行くじゃないですか」
南原 「はい、はい」
植田 「で、こういう仕事してると色んな方とこう、会う機会ありますけど」
南原 「えぇ、えぇ」
植田 「第一印象と全く違うって言いますから」
南原 「そうですか、テレビで見て」
植田 「えぇ、「え?植田さんってこんな人だったの」っていう、「がっかりしたんですか」って」
南原 「(笑)」
植田 「「いやそうじゃなくって」っていうような」
南原 「「こんなくだけたところもあるんですか」みたいな」
植田 「もう全然、あの、よく笑うし、ほとんど練習中とかゲーム中はほとんど笑いませんしね」
南原 「そりゃそうですよ」
植田 「うん、もうだからそういう意味ではイメージと全然違った」

という、試合のときは怖い顔してるけど笑顔は可愛らしいんだよ話などがありつつ(笑)、

南原 「そして"ここだけの話、怖いものがある?"と、「はい」と」
植田 「これはねぇ、やっぱ神秘的なあの、お化けですね、幽霊」
南原 「ハッハハハ」
植田 「幽霊怖いです、僕は(笑)」
南原 「(笑)」
植田 「これだけはもう絶対無理ですね」
南原 「あぁ~」
植田 「怖い話を、そういう心霊現象のテレビとかあるじゃないですか」
南原 「はい、あります」
植田 「で、一人でよくホテルとか泊まることが多い」
南原 「はい」
植田 「すぐチャンネル変えますから」
南原 「ハッハハハ」
植田 「それ見た日にはもう寝れません、怖くて」
南原 「アッハハハハ」
植田 「ハハハハハハハハハ」
南原 「4歳児ですよ、4歳児」
植田 「4歳児ですかね、もう怖いんですよ」
南原 「(笑)」
植田 「で、あの、たまに見たくなるときあるんですよ、どーしても」
南原 「はいはい、怖いもの見たさで」
植田 「どーしても怖いもの見たさで見て、「うわ!やっぱり怖いからやめとこ」って思って電気消すんだけど」
南原 「(笑)」
植田 「天井の四隅見たりするんですよ、四隅を(笑)」
南原 「あぁ~」
植田 「ね(笑)、誰でもあるでしょ」
南原 「ありますね」

という話も(笑)。
幽霊が怖いという植田監督に、「4歳児ですよ」というツッこみを入れていた南原さん。
このツッこみは、ついこの前まで4歳児だった優世君のことを思い浮かべて言ってた・・のかな?(笑)(4歳児に限定しなくても、幽霊は小学生になっても怖いですから「小1ですよ」というツッこみでもいいと思いますので・笑)
真偽のほどはわかりませんが、優さんも幽霊を怖がるような歳になったのかと思うと、ちょいしみじみしてしまいました(笑)。


"日本代表の龍神ニッポンという愛称は気に入っている?"という質問には、植田監督の答えは「はい」。
植田監督いわく、滝に行くと白龍という龍が居るというし、昇り龍とも言う、それに自分の名前も辰哉で「辰」がつく名前だし、「これはもう大好きなニックネームっていうか、愛称ですね」「これは付けていただいた方に感謝感謝ですね」とのこと。
さらに、

植田 「辰年生まれですよね、我々は」
南原 「「そうです、辰年ですよ」

というやり取りもありましたが・・・。
南原さんは早生まれだから巳年のはずだけどな~(笑)。
ただ、ここでいちいち「いや、僕は巳年です」と言って話の腰を折るのもどうかと思いますので、ウソも方便ということなのでしょう(笑)。
それから、植田監督は"龍神ニッポン"という愛称を気に入ってるとのことでしたが・・・う~む、これはどうなんでしょう?(笑)
女子サッカーの"なでしこジャパン"や、野球日本代表の"侍ジャパン"などは新鮮味もありましたし世間にも浸透していて良いと思いますが、その後、競泳の"トビウオジャパン"とかシンクロの"マーメイドジャパン"、カーリングの"クリスタルジャパン"等々、二番煎じ、三番煎じの"○○ジャパン"というのが出てくると、何でもかんでも愛称をつければいいってもんじゃないぞ!と思わずツッこみたくなるってもんです(笑)。
バレーの場合は"ジャパン"ではなく"ニッポン"ですので、少しは捻ってる(?)のかなという気もしますが(ちなみに女子バレーは"火の鳥ニッポン"、なぜ火の鳥?・笑)、この手の愛称は今やありふれたものになってしまいましたので、そろそろやめにしてもいいのではないかと思います。


あとは、

南原 「10問目、"自分の人生でバレーボールが占める部分は何パーセント?"「100パーセントと言いたいが99」と」
植田 「うん」
南原 「はい」
植田 「そうですね、やっぱりこんなの言ったら家族に失礼ですけど、僕にも皆さんにも家族があるようにね」
南原 「そりゃそうです、そりゃそうです」
植田 「あの~、やっぱり「人生すべてバレーボールだ」って言ったら家族がかわいそうですから」
南原 「そりゃそうです」
植田 「うん」
南原 「もうちょっとパーセンテージ上げといてもいいんじゃないですか?」
植田 「うん」
南原 「1パーセントですよ(笑)」
植田 「1パーセント悪いですね」
南原 「アッハハハハハ」
植田 「ホントはね」
南原 「いや、今こういうお話してますからね」
植田 「うん、まぁだから」
南原 「話してるから」
植田 「バレーボールの話をしてるからどうてもそうなっちゃうけど」
南原 「そうそうそうそう、もう家に帰ったらもう」
植田 「家に帰ったらそりゃもう」
南原 「逆転ですよ」
植田 「逆転しないと」
南原 「99と、バレーが1パーセントぐらいですよね」
植田 「やっぱ家族あっての」
南原 「そうですそうですそうです」
植田 「ね、やっぱり・・私・・ですからね」
南原 「アッハハハハハハハ」
植田 「(笑)」
南原 「ハッハハハハハハハ、だんだんフェードアウトみたいな(笑)」
植田 「フェードアウト(笑)、トーンダウンして」
南原 「えぇ(笑)、家族の話すると急にトーンダウンしますよね」

というやり取りも(笑)。
「そりゃそうです」とフォローしたり、家族の話になると急に小声になってしまった植田監督にツッこんだりと、大忙しの南原さんでありました(笑)。


あと、植田監督はバンクーバー五輪を観られる限り観ていた、とのことでしたが、南原さんからは、「腰パンを履いてた選手もいるじゃないですか、あぁいう服装は、ま、今さらですけどどう思われましたか?あんときは」という質問。
それに対して植田監督は「僕にその質問して・・」と、そんなの言わずもがなだろう、というお答え(笑)。
いわく、個人でプロ選手として行くならどんな格好してもいいが、日の丸をつける選手は公人として公の場に出て行くということ。
バレー選手には、お前たちは自分が格好いいと思ってるかもしれないが上は百歳のおじいちゃんおばあぁちゃん、下は小学校の低学年や幼稚園の子供も観てくれている、その中の一人でも不快に思ったりおかしいと思う人がいたらその時点でダメじゃないかと常に言っている。
それから、ちゃんとした言葉遣いや挨拶、受け答えはコミュニケーションスキルでいちばん重要なポイントなので、アレはまずアスリートとしてもう一回彼のためには学んで欲しいなと思いますね、とのことでした。
植田監督の言葉はまさに正論、道理に適ったお話でありました。
ただ、

植田 「僕も子供にね、つい1ヶ月、2ヶ月ほど前かな」
南原 「はい」
植田 「焼肉、お肉を食べてました」
南原 「はい」
植田 「ね、で、隣でウチの2番目の息子が「ヤバイ」って言うんです、「ヤバイ」」
南原 「はい」
植田 「「どうした?焼けてないんか」」
南原 「うん」
植田 「「いや、これヤバイし」って言うんですよ」
南原 「うん(笑)」
植田 「「し」が付くんですよ」
南原 「ハハハ、ハハハ」
植田 「「何や「ヤバイ」とか「ヤバイし」とか」」
南原 「アハハハ、ハハハ」
植田 「「これめっちゃ美味いし」って言うんですよ」
南原 「アッハハハハハ」
植田 「「ヤバイ」「ヤバイし」「めっちゃ美味いし」って、「その「し」って何?」」
南原 「アッハハハハハ」
植田 「「接続詞かそれは」」
南原 「アッハハハハハ、「この野郎~!」つって(笑)」
植田 「いや、ホント言って、家内に「おい、こいつお前「ヤバイ」とかさ」
南原 「(笑)」
植田 「「ヤバイし」とか「美味いし」とか言ってるけど、「ヤバイ」っていうのは何?美味いってことか?」」
南原 「(笑)」
植田 「「パパ知らないの?」って言うんですよ」
南原 「アハハハ」
植田 「そんな言語なんか有り得ないですよ、「ヤバイ」っていうのは「危うい」っていう意味なんだから」
南原 「アッハハハハハ、出た~!ニッポンのお父さんにそんなこと言う(笑)、「ヤバイし」」
植田 「で、彼は、今頑張ってサッカーやってるんですよ」
南原 「はい、はい、はい」
植田 「「それは今、お前、友達ん中で流行ってること、普通にこういうこと喋んのか?」「うん」、で、今度、「どうなんだ?サッカーの調子は」、「別に」「普通」、「チームちゃんと上手くいってんのか?」、「微妙」」
南原 「アッハハハハハハハハ」
植田 「「おい、全部お前の言ってる言葉、言語として成り立たないことだぞ」」
南原 「アッハハハ、アッハハハハ」
植田 「「微妙」とか」
南原 「(笑)」
植田 「「有り得ない」、「何が有り得ないんや?お前は」って」
南原 「ハッハハハ、ハッハハハ」
植田 「そういう、これ僕ね、親としてね」
南原 「はい」
植田 「やっぱり今教育してますけど、子供に」
南原 「これは」
植田 「うん、でも、やっぱりそういうね、メディアの方に対する」
南原 「はい」
植田 「尚かつやっぱり日の丸を付ける選手としては」
南原 「うん」
植田 「そこは、僕も親としても非常にだから、あの、気を付けなくてはいかんなって、何かそういうもの見てね、もう一回こう改めて」
南原 「なるほど」
植田 「自分自身が反省しましたね」
南原 「ねぇ」
植田 「うん」
南原 「言葉遣いっていうのは」
植田 「大事です」
南原 「パッと見たら自分の息子が「ヤバイし」、「ヤバイし!?」(笑)」
植田 「人の心配するまえに自分の息子をちゃんと心配しろって言われたみたい」
南原 「アッハハハハハハ、アッハハハハ、ねぇ、日々発見があり(笑)、日々反省があり(笑)」
植田 「日々発見」
南原 「日々勉強がありというね」
植田 「日々前進」
南原 「日々前進、えぇ」

ということがあったそうで(笑)。
今後植田家では、コミュニケーションスキル向上のための厳しいスパルタ教育が行われるかもしれません(笑)。


あとは、植田監督が少年時代好きだったという、高橋真理子さんの『For you』がリクエスト曲としてかかる前に、

南原 「渋いとこ好きですね?」
植田 「いいでしょ」
南原 「聖子ちゃんとかそういうの好きじゃなかったですか」
植田 「あぁ~聖子ちゃんも大好きですよ」
南原 「はい(笑)」
植田 「中森明菜さんも」
南原 「アッハハハ」
植田 「マッチも」
南原 「マッチも(笑)」
植田 「うん、だけどやっぱり癒された曲の一つですね」

という、同世代トークがあったりして(笑)、番組は終了。


今回は、バレー話というよりも、植田監督の人となりについての話が多かったですが、実は幽霊が怖かったり(笑)家では普通のお父さんなんだな~というのがわかったり、試合中のイメージとは違う一面を見せてくれた植田監督。
そんな植田監督の話に南原さんは大笑いしたりして、同郷、同学年の二人で和やかに話に花が咲いていた30分でありました。



『スポーツドリーム』 2/27

2010年03月05日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、全日本男子バレーボールの植田辰哉監督。

まずは、

南原 「さぁ、植田監督です、よろしく願いします!」
植田 「はい、よろしくお願いします」
南原 「さぁ植田監督はね、実は、あの~、香川県ご出身ということで」
植田 「はい」
南原 「私と同郷で」
植田 「そうですね」
南原 「はい」
植田 「はい」
南原 「全然知らなかったです」
植田 「あぁ」
南原 「いや、香川県だなっていうのは何となく噂で聞いてたんですけど」
植田 「はい」
南原 「そして今日新しい事実が判明したんですけども」
植田 「はい」
南原 「同い年、同学年っていう」
植田 「ねぇ、ホント、僕はあの、南原さんが香川県出身っていうのは前から知ってましたよ」
南原 「あ、そうですか(笑)」
植田 「僕は知ってました(笑)」
南原 「すいません、変な奴が出てきたと思ったでしょ」
植田 「いえいえいえ、嬉しい嬉しいです」
南原 「「あらあらこんな奴が出てきた」とか」
植田 「嬉しいですよ、はい」
南原 「いや~、僕も監督がね、あの、熱くなって(北京五輪出場を決めた試合の直後)コートにうっ伏してるのは」
植田 「ハハハハハハハ」
南原 「「この人が香川出身!?」という」
植田 「(笑)」
南原 「「あぁいうことをやる?この県民性が?」というのがね」
植田 「ハハハハハ」
南原 「ビックリしたんですけども」
植田 「う~ん、ねぇ」
南原 「ねぇ」
植田 「すいません」
南原 「あんときはもう、そういう気持ちだったんですか?」
植田 「いやいやもう無意識ですね、崩れ落ちたっていう」
南原 「アッハハハハハハハ」
植田 「膝から崩れ落ちました」

というやり取りで番組はスタート。
香川県出身の有名人といえば、大平元総理に松本明子さん、そして、我らがうどんの国の王子(あるいはダウンスイングの主)こと南原さん(笑)ぐらいしか知りませんでしたが、植田監督も香川出身だったのか~。
瀬戸内海のさざ波を見て育った人が、北京五輪出場を決めてコートに突っ伏すというド派手なリアクションをするとは、同郷の南原さんも意外だったようですが、香川県人にもいろいろなタイプの人がいるということなのでしょう(笑)。
ただ、

南原 「僕は男子のバレーボールもよく見てたんです、僕が男子んときは」
植田 「えぇ」
南原 「高校生のときは、三屋とか、広瀬さんとか」
植田 「はい、はい、はい、はい」
南原 「あそからへんがすごい人気で」
植田 「白井貴子さんとかね」
南原 「白井貴子さんとか!!」
植田 「はい」
南原 「モントリオール(五輪)のね」
植田 「はい」
南原 「えぇ」
植田 「強烈な方ですね」
南原 「強・・あ、今でも強烈ですか?」
植田 「今でもです」
南原 「アッハハハハハ」
植田 「今でも強・・たまに僕あの、今オリンピアが集まってね」
南原 「はい」
植田 「たまにこうバレーボールの、ママさんバレー相手に試合するんですけど」
南原 「はい」
植田 「たまに僕もコートに入らなければいけないんですよ」
南原 「はいはい、「入れ」とか言われて」
植田 「叱れらてばっかりですよ」
南原 「アッハハハハ、白井貴子さんですか」
植田 「もう皆さん、もうオリンピアの人怖いですよ」
南原 「アッハハハハ」
植田 「もうまさに魔女です、魔女」
南原 「アッハハハハ」
植田 「大きくなった魔女です」
南原 「アッハハハハ」
植田 「これ(笑)、ヤバイなこれ(笑)」
南原 「ハハハハ、いやいやいや、それくらい親近感を持ってるっていうことですよね」
植田 「はいはい、そういうことです」
南原 「誰も逆らえないっていう」
植田 「尊敬・・」
南原 「尊敬の念を込めて」
植田 「尊敬の念を込めて、あえて恐ろしい」
南原 「アッハハハハハハ」
植田 「恐ろしいっていう」
南原 「あのね、ほら、香川県の人はチョイチョイ笑いを挟んでくるんですよ」
植田 「ハハハハハハハ」
南原 「ずーっとまともに行こうっていうか、チョイチョイ挟みたくなる」
植田 「チョイチョイね」
南原 「えぇ」

という話もしていましたので、チョイチョイ笑いを挟んでくるのは、香川県民共通の特徴のようです(そんな県民性があるというのは初耳ですが・笑)。


そんな同郷話のあとは、

南原 「植田監督が代表監督に就任して、まず」
植田 「はい」
南原 「これは、ま、いろんなね、人材育成とか」
植田 「はい」
南原 「今の若い人をどんなふうに持っていったらいいのかと」
植田 「うん」
南原 「僕もちょっとね、いろいろとお話聞きたいんですけども」

という南原さんの質問に応え、植田監督が日本代表の監督に就任して16年ぶりにオリンピック出場を決めるまでのチーム作りについての話に。
日本は'92年以降オリンピックに出場することも出来ず、アジアの中でも6,7番目まで落ちてしまっていたそうですが、植田監督いわく、
30年ぐらいかかってなだらかに落ちてきたものを、なだらかに上げようと思ったら100年くらいかかってしまうと思ったので、バサっと切ってすべて否定から入った。
アメリカやイタリアのバレーの斬新な練習方法や合理的なトレーニングなどをすべて取り入れてるけど勝てない。今やってることはすべてダメ。
これまでやってきたことを切り、徹底的に底まで落とし込むことを年に2,3回やった。
とのこと。
そんな植田監督の話を聞き、「すごい、言葉悪いですけども、ドSじゃないですか、アッハハハハ」というツッこみを入れていた南原さん(笑)。
ただ、その後すぐ「落とすってどうやって落・・落としてでも、そこでふて腐れてとか「ヤダよ」とか」「今の若い子は、僕なんかも例えば演出やるときに、どこまで言っていいのかわからないとかあるんですけども」という真面目な質問。
う~む、演出家・南原さんにも色々と悩みがあるようですが、その話はとりあえず置いといて。
植田監督いわく、
根性論だけでは絶対について来ないので、具体的に達成可能な目標を決めていく。
その目標をいつまでに達成するか、達成するためには今何をしなければいけないのか時間を決めて(2008年にオリンピック予選があるから2005年には少なくともアジアで1番にならなければいけない・・等々)やっていく。
とのことでした。
食事もバイキングをやめて、

植田 「栄養士つけて」
南原 「はい」
植田 「それは僕が言ってもダメで、栄養士にちゃんと僕が言っといて」
南原 「はい」
植田 「とにかく食わない選手は強くならないから、ね、栄養士に、「肉、野菜、ご飯、とにかく残すな」と、とにかく出されたものは最後まで食べる」
南原 「ハハハハハ、はい(笑)」
植田 「で、食べれない選手は」
南原 「はい」
植田 「2時間半かって」
南原 「出た~!」
植田 「食べましたよ」
南原 「あの給食のイヤな、最後まで食べろっていう」
植田 「そう」
南原 「小学校のときの」
植田 「もうそこにはお母さん役の栄養士の女性がちゃんとずーっと、僕がついてて」
南原 「(笑)」
植田 「最後食べ終わるまでそこにいるんです」
南原 「(笑)」
植田 「だから(笑)、夜ご飯7時半とか8時に食べ始めたら、10時半頃まで食ってる奴がいて」
南原 「アッハハハハハ、そうこうしてるうちにまた朝飯が始まっちゃうわけですよね」
植田 「そうそう、そういうことです、だから弱いんですよ、それだけ食べれないっていうことはやっぱり体力がないっていうことを証明してるってこと」
南原 「スッゲぇ、植田ジャパンはまず胃袋を鍛えることから始まったんですか」
植田 「胃袋っていうか、まず食べること」
南原 「食べる(笑)」
植田 「衣食住ですから」
南原 「いや~!すごい、でもそれを、みんなが、今の子でもついてくるんですかね?」
植田 「ついてきますね」

といふうにしたそうで。
居残りで給食を最後まで食べさせられる姿は、小学生の頃に一度は見た風景で(私は、嫌いだったマーガリンを牛乳で飲み干すという荒業で居残りから逃れてました・笑)、それを日本代表の選手が同じようにやっているというのは想像すると笑ってしまいそうですが、でも、食べることは基本ですから「とにかく残すな」というのは当たり前の話ではあります。
それから、南原さんの「今の子でもついてくるんですかね?」という疑問については、植田監督によると、
やることをオープンにする。
1年間のマクロ的な計画立て、逆算して数ヶ月間前、最後の1週間、最後の3日 最後の1日にどういうことをやるのか、食事はこういうメニューにする、ということを全部話す。
そこで意見や質問受けて議論をし、みんなが納得して約束したことはやりますよ。
とのことでした。
そして、基礎体力がないとこには基礎技術も乗っかってこないし、基礎技術がないとこには専門的な技術とか体力乗っかってこない。土台がどんどんデカくなってくるとすべてがトータル的に上がってくる。
という植田監督の話には、「それでも今監督ね、監督今おっしゃったのは日本のスポーツ全般に言えることかもわかんないです、基礎体力をまず上げて、そっから基礎技術が乗っかって」と、大いに納得の様子の南原さん。
あと、植田監督のスパルタ的なチームづくりについて南原さんは、「平成の今の話ですよ、昔の話じゃないんですよ これは同じなんですね、変わってないんですねやっぱり」と、感心しきり(笑)。
そんな南原さんに植田監督は「30年周期で色んなものが変わってくるどっかで聞いたことある」「古いものが新しい時代に来てるんじゃないかと思いますよ」と言ってましたが、まさに温故知新ということ(植田監督のやり方は単に昔に戻っただけではなく、ちゃんと理に適ったことをやっていると思いますが)なのでしょう。


あとは、植田監督が出した『植田辰哉・徹底マネジメント』という本についてもあれこれと。
この本は、2005年から北京五輪までの間にどういうようなチームマネージメントをしたのかを、図解や表、数字などを入れてわかりやすく説明しているそうで。
南原さんは、「僕じゃあ読みますよ、これは」「僕こういうの好きなんですよ」と、かなり興味津々の様子でしたので、ちはるが経営するカフェで早速一人読みふけっているかもしれません(笑)。


最後は南原さんの、「バレーボールの監督というよりやっぱりホントに企業の青年実業家っていう感じもしました、えぇ、しかしね、同郷なので僕わかります、心根の優しさがわかります、たぶんこれが選手に伝わってると思います」という、同郷なのでわかるわかる話で番組は終了(笑)。
香川話からバレー話まで、同郷同士和やかに話に花が咲いていた30分でありました。


今回、いろいろと話していた中で印象に残ったのが、植田監督のチーム作りについて、南原さんが熱心に話を聞いていたこと。
現代狂言の演出をやるにあたっては、南原さんも考えることも多く色々と気を遣っているようで。
かつて、よゐこ濱口くんには「刺し違えても・・」ってなことを言ったり、寝違えた天野君には「辛気臭ぇからあっち行け」と言ったりしていましたが(笑)、今はなかなかそういうことも言えない・・のかな?
森君のことを、いまだに「君」づけで呼んでるあたり、まだちょっと遠慮がある感じもしますし。
ただ、共演者の先輩として何か言うのと、演出をするのとでは立場が違いますので、発言や気の遣い方が変わってくるのも当然かもしれませんが・・・。
う~む、なかなか難しいところだな~(別に私が悩む必要もないのですが・笑)。
もっとも、南原さんが厳しいことを言っても「心根の優しさ」は選手に・・いや、座員には伝わっていると思いますので(笑)、これからも南原座長には、植田監督に負けないくらいビシバシと行って欲しいと思います(笑)(たまには気を遣わない自由気ままな姿を見せてくれればなお嬉しいです・笑)。


次回に続く・・・。



『スポーツドリーム』 2/20

2010年02月21日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、阪神タイガースの城島健司選手。

プロ野球はキャンプの真っ最中ということで、今回は沖縄まで出張してインタビューをしていた南原さん。
巳年生まれで寒さ弱い南原さん(笑)ですから、やはりバンクーバーへは行かず(?)、暖かい沖縄のほうへ行った・・のかな?(笑)
真偽のほどはわかりませんが、今日の『Get』でも横浜の尾花監督に沖縄で取材してる様子が流れるみたいですし、現代狂言の公演の合間にも、南原さんは暖かな地で精力的にお仕事をしていたようです(笑)。


今シーズン、城島選手は5年ぶりに日本のプロ野球界に復帰。
南原さんからの質問には、

南原 「久しぶりに日本のプロ野球帰ってみて、ま、今まだ始まってませんけども」
城島 「えぇ」
南原 「どんなふうに見てますか?変わりましたか?当時の日本のプロ野球と」
城島 「いや、全然変わってないと思います」
南原 「変わってないですか、基本的には」
城島 「基本的に変わってないです」
南原 「はい」
城島 「ただもう、(ピッチャーのボールを)捕るのが楽ですよ」
南原 「あぁ~(笑)」
城島 「(ピッチャーの投げる)ボールが綺麗(な回転)だから」
南原 「ハッハハハ、なるほど」
城島 「やっぱ僕がアメリカでいちばん苦労したのはボールを捕ることでしたから」
南原 「テレビで見ましたよ、はい」
城島 「(メジャーではピッチャーが2シームで投げた)ボールを(ミットの)芯で捕れないからスローイングに影響すると」
南原 「うん」
城島 「肩の強さっていうのは変わってないんですけど」
南原 「うん」
城島 「盗塁のその、ボールを慣れないからっていうのは確かにあったんで」
南原 「うん」
城島 「日本のピッチャーはコントロールもいいですし」
南原 「うん」
城島 「球も綺麗な球投げますし」
南原 「うん」
城島 「キャッチャーミットがすぐ出来るんですよ、すぐポケットが出来るんで」
南原 「あぁ、ポケット」
城島 「ミットがバチバチ出来上がっていくんで」

という話をしていた城島選手。
ボールを捕ることに苦労した、という話に南原さんは「テレビで見ましたよ」と言ってましたが、これ、私も見た覚えがあるな~。
う~む、どこで見たんだっけ?と記憶の糸をたどってみたら・・・何のことはない、先週の『Get』で城島選手が話してたことじゃあ~りませんか(笑)。
先週の『Get』に南原さんは出いませんでしたし、インタビューをしていたのは栗さんでしたので、ここで『Get』の名前を出すのははばかられたのかもしれませんが、南原さんが他人事のように言っていたのでしばし考えてしまいました(笑)。
そんな話は兎も角として(笑)。
キャッチング以外の日米の違いについては、城島選手いわく、日本は点を取られなければ負けない、アメリカは点を取らなければ勝てない、という考えで野球をやっている。
日本ではシーズンオフに走りこんだりウエイトトレーニングをしたり、ボールを握っていないときも(学生時代の野球部では)1年間野球に没頭するが、アメリカでは秋から春にかけては別のスポーツをする。
そのへんの違いを含め、日本の野球の教育は素晴らしいと思う。
とのことでした。
それから、

城島 「だから僕アメリカでキャッチャーで行きましたけど、スローイング、肩の強さとか、バンバン止めるとかコミュニケーションもいろいろ含めて、一つ一つが「コイツには負けない」っていうのじゃなかったと思いますよね」
南原 「う~ん」
城島 「やっぱその、僕のその(受けてきた野球の)教育だったり、チームがどういう状況になっても、ピッチャーがキレたろうが何しようが、我慢するじゃないですけど」
南原 「うん」
城島 「もうその、いちプレイヤーであり続けるみたいな」
南原 「うん」
城島 「その、ま、僕は精神論は好きじゃないですけど、その精神のこの何て言うんですかね、安定っていうか、そういうのも含めて、やっぱ(野球)教育っていうのがすごく日本は素晴らしいんだなと」
南原 「うん」
城島 「う~ん、と思いましたよ」
南原 「海外に行かないとわかんないですもんね」
城島 「わかんない」
南原 「自分が日本人っていうのが」
城島 「まぁ1年間特にいないとわからないですよ」
南原 「うん」
城島 「良いときも悪いときもですね」
南原 「うん」
城島 「うん」

という話も。
城島選手はわりとサラっと「いちプレイヤーであり続ける」「良いときも悪いときもですね」という話をしていましたが、「俺の投げる球を黙って捕ってりゃいいんだよ」という感謝知らずなメジャーのピッチャーの相手にしてきたり、メジャーのキャリア後半には出場機会が減らされるなかでプレーし続けてきた城島選手の言葉だけに、重みと説得力のある話でありました。


あとは、
自分の仕事は盗塁を刺すことだけではなく、盗塁をさせないようにすることが仕事。
そのためにはセーフのタイミングでもあえてセカンドにボールを投げて、ランナーにスタートを切りずらくさせる。
ファーストに牽制をするのも、コーチャーに「おい、牽制あるぞ」とひと言言わせたいから。
そうコーチャーが言えば、ランナーも警戒してセカンドベースが1メートルでも2メートルでも遠くしてくれると思う。
ソフトバンクのときは、盗塁阻止率ではなく盗塁の企画の少なさが自慢だった。
レギュラー選手はいつもそこにいるという安心感が大事。
マリナーズのときもイチロー選手がたまに休むと、ライトにぽっかりと穴が開いたような違和感があった。
ただ安心感というのは自分で評価するものではないので、そう思われるようにしたい。
WBCで監督だった原さんについては、1ヶ月ぐらではよくわからない。
バッターは真ん中の球を打っても3割。
難しい球を打ちにいってもヒットになる確率は低いので、ピッチャーの投げそこなった球を待って打てばいい。
シーズンは長いので、ノーヒットでも「今日は俺の日じゃなかった」と割り切らないと、目先のことだけを追いかけていたら余計打てなくなる。
・・という話。
それから、城島選手はプライベートとユニフォームを着ているときとでは全然違う・・♪昼間のパパはちょっと違う~♪という話も(野球選手の場合はナイターが多いので♪夜のパパはちょっと違う♪かな・笑)。
いわく、家では「俺はダメだ、俺は明日からヒット一本も打てないかもしれない」というぐらいの超マイナス思考だが、ユニホームを着たらスイッチが入って「俺が打たないで誰が打てるんだ」となる。
弱い自分も一日の中できっちり作らないと、強い自分も出来ない。
とのこと。
そんな城島選手の話を聞き、

南原 「これ、でも良い話聞きましたよ、今だいたい、ね、みんな「強い人になろう、強い人になろう」って言って、「なれないなれない、なれないなれない」ってなるんですよ」
城島 「思い切って弱い人になってないからじゃないですかね」
南原 「なるほど」
城島 「僕なんて自分が弱い人間だ、人間って弱いから」
南原 「うん」
城島 「その弱いところはもう恥ずかしがらずに、その代わりオフのときにね、その代わりユニホーム着たときにはダメですけど」
南原 「うん(笑)」
城島 「だから僕は何かたぶんユニホーム着てるときには強くっていうか」
南原 「うん」
城島 「偉そうにして見えるのかもしれないですけど」
南原 「うん」
城島 「むっちゃマイナス思考ですよ、家帰ったら、うっじうじしてますよ」
南原 「アッハハハハ」
城島 「ウチの嫁さんしか知らないですけど」
南原 「ハハハハハハ」
城島 「普段の僕めっちゃ人見知りなんですよ」
南原 「ハハハハ、ハハハハ、だから釣りに行っちゃうんですね(笑)」
城島 「ホント、何かこう、ホント何か初めての人とあんまりこう何か「悪く思われたくないな」みたいな」
南原 「アハハハハ」
城島 「でもユニホーム着てるときはまったくその別のもんっていうか、演じてるっていうか」
南原 「なるほど、面白いですね、これ~、いつか本出してください、そういう本」
城島 「フフフフフフフ」
南原 「教育にも、すごい熱心な感じたことがあるんで、やっぱりちょつとね、そういうところでもまた色々とこう」
城島 「はい」
南原 「支えてもらってですね、えぇ」

と、いつものように感心していた南原さん(笑)。
ただ、急に「本出してください」と言い出したのには、城島選手と同じく私もラジオの前でちょっと笑ってしまいました(最近ござるの本を出したので、南原さんは本づいてるのかな?・笑)。


ってな感じで、沖縄の地であれやこれやと野球話に花が咲いていた30分でありました。



『スポーツドリーム』 2/13

2010年02月17日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、シドニーオリンピック柔道81㎏級金メダリストで、現在は総合格闘家の瀧本誠選手。

まずは、

南原 「さぁ、瀧本選手です、よろしくお願いします」
瀧本 「よろしくお願いします」
南原 「えーと、瀧本選手、ちょうどオリンピックがね、バンクーバー始まるんですけども、金メダリストということで」
瀧本 「はい」
南原 「えぇ、今、金メダルはどこにあるんですか?今」
瀧本 「うちにあります」
南原 「おうちの何処にありますか?」
瀧本 「どっかにあります」
南原 「アッハハハハハハ、どっか!?いや、前から、金メダル獲ったときから「ちょっと変わった人だなぁ」とは思ってたんですけども」
瀧本 「(笑)」
南原 「ご自身でもそういうとこあったりするんですか?」
瀧本 「変わってるつもりないんですけどね」
南原 「はい」
瀧本 「なんかよく言われますね」
南原 「そうですね」
瀧本 「はい」

というやり取りで番組はスタート。
瀧本選手というと、飄々としている印象が強い選手だったのですが、今回いろんな話を聞いていると、確かに、変わった人だな~という感じでした(笑)。
シドニー五輪の話でも、

南原 「なんかオリンピックって、前、何人かお話伺ったんですけども、オリンピックに行って選手村とかにいるだけで、少しずつ少しずつなんかこうストレスが溜まるっていうか、なんか気持ちがどんどんどんどんこう、エネルギー取られるような感じがするって聞いたことあるんですけども」
瀧本 「あぁ~~」
南原 「あんまりなかったですか?」
瀧本 「全くなかったです」
南原 「アッハハハハハハハハ」
瀧本 「何にも考えてなかったんで」
南原 「アハハハ、全くマイペースでやってたんですか」
瀧本 「マイペースで、はい」
南原 「いや、前ね、高橋尚子選手に来ていただいたんですよ」
瀧本 「はい」
南原 「そしたらやっぱり、オリンピックも365日のただの1日だと、そこまで思えるぐらいに日々練習を重ねといて、ま、それぐらいな気軽な気持ちで行ったほうがいいと、ま、同じシドニーでね」
瀧本 「はい」
南原 「金メダルを獲った高橋選手は言ってたんですけども、瀧本選手はどうだったんですかね」
瀧本 「まったく僕も同じでしたね」
南原 「あ、そうですか」
瀧本 「オリンピックといえど」
南原 「うん」
瀧本 「ま、大っきい小さいにかかわらず、ひとつの大会だと思って」
南原 「はい」
瀧本 「僕も臨みました」

という話を、あっさりとしていた瀧本選手。
でも、表彰台でキングカズのマネをして胸に手を当てるポーズをしていたのは、「(カズのことを)めっちゃ意識してたんで」「勝ったら絶対やってやると思ってたんで」とのこと(笑)。
「ひとつの大会だと思って・・」と言ってたわりには、勝った後のことまでちゃんと考えていたというのには思わず笑ってしまいましたが、南原さんもそんな瀧本選手の話を聞いて「アッハハハハハ」と大笑いしてました(笑)。


2004年に総合格闘技に転向した瀧本選手。
いわく、もうちょっとなんか出来んじゃないかなと考えて過ごしているときに、高校の先輩の吉田秀彦さんから「(総合格闘技の)大会があるから観に来い」と言われ、「観た瞬間、これやるしかねぇなと思ったんですね」。
最初は、「正直言ってめちゃくちゃ怖かったんですけど」と思ったそうですが、「怖いものに対して背中向けちゃっていいのかなと思って」「これやんなかったらたぶん一生後悔するんじゃないかと思って」総合格闘技をやり始めたとのこと。
ただ、吉田選手については、

南原 「(吉田選手は)シドニー(五輪)も一緒でよね」
瀧本 「そうなんですよね」
南原 「その先輩が総合(格闘技)に先に行って」
瀧本 「はい」
南原 「ボブ・サップとかそういうのやって」
瀧本 「はい、この人頭悪いなと思いましたね」
南原 「アッハハハハハハハハ」
瀧本 「最初(笑)」

という話も(笑)。
先輩に対しても遠慮なしの発言(笑)をしていた瀧本選手でしたが、さらに続けて、

南原 「こないだ(大晦日)の、吉田選手対石井選手のあの試合もどうご覧になったんですか?」
瀧本 「あれも、まぁ、吉田先輩2ランウド目でちょっとまぁ」
南原 「金的」
瀧本 「金的、当たって」
南原 「当たりました」
瀧本 「倒れてたと思うんですけども」
南原 「はい」
瀧本 「あれは明らかにスタミナ切れですね」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「休んでました」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「(笑)」
南原 「瀧本さんいわくね、いわく」
瀧本 「そうです(笑)」
南原 「明らかに、「こ~う、吉田先輩」」
瀧本 「あぁ疲れてんなみたいな」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「ハハハハハ、当たってねぇしみたいな」
南原 「アツハハハハハ」
瀧本 「(笑)」
南原 「でも、レフリーには「やるしかねぇだろ」とかなんか、男気な発言をしてましたけども」
瀧本 「あぁ、上手いっすね」
南原 「アッハハ、そこも含めて総合(格闘技)ですからね」

というやり取り(笑)。
ここでも吉田選手に厳しいダメ出しをしていた瀧本選手(笑)。
遠慮会釈無しの瀧本選手の話に、南原さんと同じく私もラジオの前で大笑いしてしまいましたが、でも、よく知る先輩だからこそ瀧本選手も鋭いツッこみを入れることが出来る・・のでしょう(笑)。
ちなみに、総合格闘技では柔道のように「待て」がないので、瀧本選手も「最初はホントに息つく暇もなかった」とのことでした。


あとは、

南原 「ガーっと、なんか闘争心沸き立つようなこととかあるんですか?」
瀧本 「あの~、内に秘めるタイプなんで」
南原 「なるほど」
瀧本 「表に出さないんですよ」
南原 「あのねぇ、そういう奴がいちばん面倒くさいですよね」
瀧本 「アハハハハハハ」
南原 「なっかなか「参った」とか言わないから」
瀧本 「(笑)」
南原 「なっかなかしつこい、粘るから」
瀧本 「うざったいんですよねぇ~」
南原 「アッハハハハ」
瀧本 「自分で言うのもなんですけど(笑)」
南原 「しつこい、しつこいんでしょ」
瀧本 「(笑)」
南原 「そういうのがいちばんなんか粘っこくてイヤですよ、あんまり顔出さないですか?やってる最中は、ハーハーとか」
瀧本 「出さないですね」
南原 「もう出したくないですか、それは」
瀧本 「疲れてても口、もうつぐんでますね」
南原 「吉田選手も言ってました、やっぱり晩年になって柔道やってるときに、「絶対に相手に悟らせたら負ける」っつって、年とともにスタミナ切れても、「フゥハフゥハ」って絶対にもう、息を止めて「俺は疲れてない」っていうのを(笑)」
瀧本 「(笑)」
南原 「それは柔道家としてお互いに、もうちょっとしたことでわかるんですか」
瀧本 「そうですねぇ、でもたぶん僕と吉田さんは、そん中でもいちばんうざったいほうかもしれないですね」
南原 「あ、そうですか」
瀧本 「はい」
南原 「その、世田谷学園(高校)の流れで」
瀧本 「そうなんですよねぇ、鍛えられてるんで、そういう要領よく鍛えられてるんで」
南原 「「絶対口に出すな」とか「表情に出すな」」
瀧本 「そうですねぇ」
南原 「古賀さんは違かったでしょ?」
瀧本 「・・・」
南原 「そんなことないですか?」
瀧本 「でも、いちばんうざったいといえばあの人かもしれないですね」
南原 「アッハハハハハハ」
瀧本 「ハハハハハ」
南原 「ハッハハハ」
瀧本 「(笑)世渡り上手なとこが、ハハハハ」
南原 「ハハハ、あの人もう1回、僕、番組で会ったんですけども、『ロッキー』を見直して、「俺もう1回現役復帰するよ」って言ったら(笑)」
瀧本 「ハハハハハ」
南原 「(笑)ホントに上から、「お前ホントにやめろ」って言われて(笑)」
瀧本 「(笑)」
南原 「渋々やめたって(笑)、言ってましたけど(笑)」
瀧本 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
吉田選手のさらに先輩の古賀さんに対しても、瀧本選手は全く変わらずバッサリと一刀両断(笑)。
こういうことを平気で言えちゃうあたりが、「変わってる」と言われる所以なのかもしれません(笑)。
あ、それから、南原さんが言っていた、古賀さんの「ロッキーを見直して・・云々」という話は、たぶん『ナンだ!?』のことでしょう。
『ナンだ!?』で古賀さんが現役復帰の話をしていた・・かどうかはよく憶えてないのですが、角田さんと熱く『ロッキー』について語り(途中から南原さんも交じって・笑)、「人は変われる」ということを『ロッキー』から学んだと古賀さんが熱弁をふるっていたのはよく憶えています(笑)。


あと、瀧本選手からのリクエストでGReeeeNの『キセキ』がかかっていましたが、曲の前には、

瀧本 「まぁ、小っちゃいことですけど」
南原 「日々の生活の中で」
南原 「うん」
瀧本 「ま、ここで何かっていうときに、ま、小っちゃい奇跡起きてくんねぇかなっていう」
南原 「はい」
瀧本 「思いを込めて(笑)、リクエストしました」
南原 「例えばどういうことですかね」
瀧本 「例えば「ここで信号変わんないでくれ」みたいな」
南原 「アッハハハハハハ」
瀧本 「とか」
南原 「なるほど(笑)」
瀧本 「ハハハハハ」
南原 「なるほど(笑)」
瀧本 「ちょっとしたことですけど(笑)」
南原 「あ、そういうけっこう、ホントに小っちゃいことですね」
瀧本 「ホントに小っちゃいことなんですけど」
南原 「そういう小っちゃいことが嬉しかったりとか」
瀧本 「はい」
南原 「他にもなんかあれですか?なんかつり銭がちゃんと払えたとか、そういう奇跡とかああいうのやっぱり」
瀧本 「フッフフハハハハ」
南原 「いや(笑)僕は1円玉がね、きれいに払えたときはすごく嬉しいんですよ、「578円になります」、8円がちょうどあって8円きれいに払えたときに」
瀧本 「あぁ~」
南原 「「やった~」」
瀧本 「奇跡が起きましたね」
南原 「奇跡です、めっちゃ嬉しいんです、そういうときは」
瀧本 「あぁ」
南原 「じゃあそういう思いを込めながら、どういう思いなんですか」
瀧本 「(笑)」

という、小っちゃな奇跡・・いや、小っちゃな幸せ見つけた話も(笑)。
こんなコーナーを昔ラジオでやってなかったっけ?という気もしますが(笑)、それは兎も角として。
端数の金額をぴったり払えたら「めっちゃ嬉しいんです」と嬉しそうに話していた南原さん(笑)。
その気持ちはわからなくはありませんが、ただ、それは奇跡ではないと思います(キッパリ・笑)。


最後は、

南原 「今回お会いして、おもしろいですね(笑)」
瀧本 「そうですか(笑)」
南原 「選手としてっていうか、いちばんこう、なんかいちばんやりづらい相手な感じですね」
瀧本 「あぁ」
南原 「のら~りくら~りと諦めないで、ハートが強いっていうか」
瀧本 「はい、しかも表に出さない」
南原 「表に出さない、「お前表に出せよ!」とか言われたりしませんか?」
瀧本 「しますねぇ」
南原 「「お前アピールしろよ!」とか」
瀧本 「「やる気あんの?」って言われますね」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「(笑)」
南原 「「やる気見せろよ」、やる気あるんですよね?」
瀧本 「めちゃくちゃあるんですけど」
南原 「ハハハハハ」
瀧本 「よく言われるんですよね」
南原 「それがスタイルですもんね」
瀧本 「はい」
南原 「えぇ、色んな人がいてね、面白いですから格闘技」
瀧本 「はい」
南原 「はい、是非是非その個性を」
瀧本 「はい」
南原 「えぇ、貫いてもらいたいと思います。これからもお怪我に気をつけて」
瀧本 「はい」
南原 「頑張ってください」
瀧本 「はい」
南原 「今日のゲストは、瀧本誠さんでした。どうもありがとうございました」
瀧本 「ありがとうございました」

というやり取りで番組は終了。
今回おこしたおもしろやり取り(笑)以外にも、真面目な話・・井上康生選手は何度か練習をしたが立ってられる気がしなかった。格闘家として点数をつけるとしたら50点くらい、柔道では100点あげてもいいが総合格闘技はまだ馴染んだとは言えないしそんなに甘い世界ではないと思う・・という話等々もしていましたが、全体的には、瀧本選手の話に南原さんが「アッハハハハハ」と終始大笑いしていた、という感じの30分でありました(笑)。



『スポーツドリーム』 2/6

2010年02月11日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは車椅子バスケットボールの京谷和幸選手。

今回は恒例の10の質問で車椅子バスケ話などをあれこれと。
次のロンドンパラリンピックのときは40歳を過ぎているので大変だと思うが、チャレンジしたいという気持ちもあるし40のときの自分はどうなっているのかプレイヤーとして検証していきたいという気持ちもある。
30過ぎてからの体の衰えということは周りが言ってるだけであって、自分では正直衰えは感じていない。
考え方や食生活など改善出来るものもあるし、負荷をかけるトレーニングをやったら今までよりさらに体力は伸び、成長してる部分のほうが大きい。
食べ物は全面的に奥さんに任せているが、唐揚げや天ぷらなどの揚げ物は2年以上食べていない。
・・という話などがありつつ。
"(パラリンピックでは)必ずメダルを獲る?"という質問には、「・・・う~、はい、はいはい、はい」とかなり迷いながら答えていた京谷選手。
いわく、メダルを獲るという気持ちで選手は行くが、ランキング7位という日本の現状を考えたときに、もっとやらなくてはいけないことが沢山あると思う。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスが強く、そこから下のチームはあまり変わらないので5位になるのは出来なくはないと思うが、さらに一歩踏み込んでメダルを獲るためには、新体制になったチームの戦術などを選手全員で理解し浸透させ、大舞台でいつも通りの自分のプレーが出来るかどうかだと思う。
とのことでした。
で、

京谷 「あとは、その、チームの日本独特・・ま、サッカーでもそうなんですけども、敏捷性とか」
南原 「あ!?そうなんですか、おんなじ(笑)」
京谷 「バスケットでも一緒なんですよ」
南原 「「へぇ~~~!?おもしろいですねぇ」
京谷 「やっぱりあの、2メーター近い選手を相手にするためには、やっぱり、よりゴールより遠ざけるようなディフェンスをしなきゃいけない、それをいかに組織的に、日本人独特の敏捷性、俊敏性を生かしてディフェンスで守るかっていうことが、一番だと思います」
南原 「おんなじことですねぇ」

というやり取りも。
「へぇ~~~!?」と、今回も感心しながら京谷選手の話を聞いていた南原さん(笑)。
ただ、野球も日本らしいプレーでWBC2連覇しましたし、陸上でも為末選手は日本人の体に合った走りを追求していますし、どんな競技でも最終的に日本(人)らしさにたどり着く、というのは確かにおもしろい話です。
南原さんも日本の笑いにたどり着いてますし(スポーツではありませんが・笑)、日本らしさってナンだ!?というお題で各界のアスリートを一堂に集めて話を聞いてみたいところでありますが、そういう機会がなさそうなのがちょっと残念です。


その後は、

南原 「4問目、"今の自分があるのは妻のお陰だ?"これはもう素直に「はい」と」
京谷 「そうですね、これはホントに、自分の、ホントに人生を左右したと言ってもいいくらいな」
南原 「そうですよ」
京谷 「うん」
南原 「もうねぇ、もう京谷さんはいいから奥さんの話聞きたいくらい」
京谷 「ハハハハハハハ」
南原 「ハハハハハハハ」

というやり取りがあったり(笑)(京谷選手はもういいからとは思いませんでしたが、でも、南原さんの言うように奥さんの話もちょっと聞いてみたかったかも・笑)。


それから、
今こういう環境で車椅子バケットとか仕事をさせてもらってるのは家族のおかげ。
とにかく何をするにも家族を一番に考えている。
去年の正月に「パパもう一回ロンドン目指していいか?」と子供たちに言ったら、「頑張って」と言われたので「よしやろう」という気持ちになれた。
娘さんからは、カッコ悪いから絶対太らないでね、といつも言われる。
という話や、
将来はサッカーの指導者になりたい。
車椅子バスケもサッカーもスペース(を使う)競技で、スルーパスを出す感覚や平面だけではなく上の空間を使ってパスを出すなど、車椅子バスケにサッカーをみた瞬間があった。
サッカーだけの世界でやってきてる人間よりも違う世界に1回出てまた戻ってくるほうが視野が広く見えてくるのではないかと思うし、車椅子バスケでやってきたことをサッカー界に取り入れるのも一つの方法かと思う。
事故を起こしたときはサッカーが出来ない自分を想像出来なかったし、入籍をしたりしてそんなことを考えてる暇もなくサッカーのことはとりあえず置いておこうと思っていたが、ロンドンパラリンピックが終わった後くらいからは、少しずつサッカーのことを考えていきたいと思う。
事故を起こしてからいろいろな人に出会い、人との出会いによって人間的にひと回りもふた回りも成長させてくれた。
事故がなければ今の自分もないので、そう考えると事故も出会いだったのかなと思う。
という話などがありつつ。
最後は、10月に行われる千葉国体についての話、

南原 「ま、ここの成績とかやっぱり日本代表の成績に加味されるというか」
京谷 「そうですね」
南原 「はい」
京谷 「ここでもしっかり、自分のやることしっかりやって」
南原 「はい」
京谷 「日本にはまだまだ京谷が必要だと」
南原 「(笑)」
京谷 「思われるようなね(笑)、プレーしていかなきゃいけないなと」
南原 「ねぇ、今まではこう、若さんときは調子よく「あぁ京谷頼むよ」って言ってたのが、だんだんだんだん「いや、あの人もだんだん歳いってきたからそろそろじゃない」っていう」
京谷 「そういうのあると思います(笑)」
南原 「声を打ち消すためにも、「いや~アイツは、日本代表アイツは」」
京谷 「まだまだと、そういうなんか自分が好きなんですね、何かそういうものに挑む自分が」
南原 「いつもチャレンジして」
京谷 「ねぇ、おかしいんですけどねぇ、(笑)」
南原 「そこはスポーツマンですよ」
京谷 「ねぇ」
南原 「えぇ、その気持ちがあるうちはですね」
京谷 「はい」
南原 「どんどんどんどん現役で頑張ってもらってまた次の夢へ進んでいってもらいたいと思います」
京谷 「はい」
南原 「今日のゲストは、京谷和幸さんでした、どうもありがとうございました」
京谷 「ありがとうございました」

というやり取りで、番組は終了。
車椅子バスケの話等々、和やかに話に花が咲いてた30分でありました。



『スポーツドリーム』 1/30

2010年02月03日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、車椅子バスケットボール日本代表の京谷和幸選手。

まずは、京谷選手の経歴の話・・・小学校2年からサッカーを始めて'93年のJリーグ開幕の年にプロサッカー選手としてデビューしたが、その年に交通事故に遭い引退。
最初は肋骨の辺りが痛かったのでそれが治ればすぐに復帰できると思っていたが、時間が経つにつれ足の異変に気付き、奥さんが忘れていった日記を覗き見したりして自分は脊髄損傷だということがわかった。
事故に遭ったのは結婚式の衣装合わせをする日で、入院してから11日後に奥さんと入籍。
最終的に(下半身不随だと)宣告されたのは入院してから2ヵ月後でその間葛藤もあったしこれからどうしていいかわらないという思いもあったが、とにかく彼女を幸せにしなきゃいけないという思いが先だった。
入籍が立ち直るきっかけになったし、入籍していなかったら何もなかった。
車椅子バスケットを始めたのも、奥さんが市役所に障害者手帳を交付行ったときに受付の人車椅子バスケットの選手だったことがきっかけだった。
現在所属する千葉ホークスの車椅子バスケの練習を最初に観に行ったときは、「何だこれは」「これは無理だ」と思った。
いちばん最初に驚いたのはタイヤの焦げる匂い、そして車椅子同士が当たる金属音。
転んでもそれぞれ自分で起き上がって自分で車椅子乗ってるのを見て、リハビリで退院した自分からしたら「こんなのありえない」と思った。
最初の1年はついていくのがやっとで、正直やりたくないという気持ちのほうが大きかったが、名古屋の国体に一緒についていったときに他の選手たちの「ラーメン食べに行こうぜ」と言って食べに行く行動力や、エレベーターがなくても車椅子でエスクレーターを上がっていく姿、試合前のミーティングで自分がサッカーをやっていたときよりも細かい戦術的な話をしているのを聞いて、少しずつ変わっていった。
・・という話などがありつつ。
南原さんからは車椅子バスケについて、こんな質問も。

南原 「あの、大きさは変わらないんですよね、バスケットボールと、普通のバスケットボールと」
京谷 「そうですそうです」
南原 「コートの大きさも同じですし」
京谷 「ゴールの高さも、3ポイントラインもフリースラインも全部一緒ですね」
南原 「あの~、あれでしょう、だって3ポイントとかね、ゴールの高さって、立ってる高さと」
京谷 「はい」
南原 「目線の高さって、えらい遠くに感じますよね」
京谷 「「無理」と思いますねやっぱり、「高けぇ!」と思って」
南原 「そうですよね」
京谷 「「遠い」と思ったし」
南原 「僕、この間バスケットの試合観に行ったんです、で、3ポイントとかシュート打つときにね、皆さん膝とか」
京谷 「はい」
南原 「股関節で、クッとこう入れてから」
京谷 「はい」
南原 「こう伸び上がるようにピュっとこう」
京谷 「はい」
南原 「入れてるんですけど、あれ、どうすんですか?」
京谷 「あれは、ま、それが出来ないので」
南原 「はい」
京谷 「まぁ、車椅子って惰性があるじゃないですか、ちょっと前にこう」
南原 「はい、はい、あ!?」
京谷 「その」
南原 「おぉ!?」
京谷 「ちょっと前に」
南原 「おぉ」
京谷 「少しそのスピードが、あんまり速いとちょっと距離感がつかめないので」
南原 「えぇ!?」
京谷 「少~しこう自分のタイミングっていうか、自分の感覚で車椅子を少し前に出してシュートを打つとか」
南原 「あっ」
京谷 「助走をつけるというか、勢いをつけるというか」
南原 「へぇ~~~」
京谷 「もちろん近い距離だと止まっても打てますけど」
南原 「へぇ~~~」

京谷選手の話を聞いて、いつものように感心しきりという感じだった南原さん(笑)。
惰性を使ってシュートを打つというのは、確かに「なるほど」な話でしたので、車椅子バスケ素人の私もいつものように(笑)南原さん同様ラジオの前で感心してしまいました。
それから、南原さんがこの間観に行ったバスケットの試合というのは、たぶん佐古選手の試合のこと・・でしょう。
佐古選手の試合のことを引き合いに出さなくても、南原さんは元バスケレンジャーなんですから(笑)シュートを打つときの体勢などはわかってると思いますが、さすがにここでバスケレンジャーの話をするのははばかられたようで(説明すると長くなりそうですし、南原さん自身忘れてたかも・笑)。
残念ながら(笑)南原さんが元バスケレンジャーだったという過去は、京谷選手には明かされませんでした(笑)。


その後は、
同級生だった元ジュビロ磐田の藤田俊哉選手の結婚式に行ったときに、日本代表クラスのJリーガーたちが集まりW杯の話で盛り上がっていたが自分ひとり取り残され、「こいつらと同じ土俵に立ててねぇな」と思い「何かかっこ悪いと思った」。
こいつらと同じ土俵に立つためには競技は違っても日の丸つけることだと思い、日の丸への憧れや誇りを思い出して、よーしやってみようと思った。
パリランピックの日本代表の通知が来たときは奥さんと乾杯。
シドニーのパラリンピックで地元のオーストラリアと試合をしたときは、すごい歓声で初めて地鳴りを経験し、やっとこの舞台に帰ってこれたと思い感慨深かった。
怪我をする前の自分は、わがままで自己中で傲慢、他人を認めないし自分より上手い奴いないと思って人の助言も聞かなかった。
でも、怪我をしたあとは、今まで自分が出来なかったことをしようと考え、他人を認めて褒め、他人のためにということを考え盛り上げてみようと思うようになった。
最初は(そういうことを言ったりやったりすると)ムズムズしたが、人のために何かしてあげると「サンキュー」という言葉が返ってきて些細なことだがそれが嬉しかった。
人のために何かしてあげるとそれだけのものをもらえるし、褒めたら自分に戻ってくるのでいい相乗効果になった。
という話。
それから、京谷選手のことを映画にした『パラレル』が、各地でホール上映されている。
映画を通して自分の見れなかった妻の感情や心情などを知ることが出来、妻に対する思いが変わってきた。
という話などがありつつ。
番組の最後には、

南原 「奥さんの好きな食べ物が、えぇ、奥さんの作るカレーライスがいちばん好きだっていうのは、はい」
京谷 「そうですね、まぁ、妻が作らなくてもいいんですけど」
南原 「どういうことですか」
京谷 「自分が作ってもいいんですけど」
南原 「『パラレル』から」
京谷 「ハハハハハハ」
南原 「『パラレル』から亀裂走っちゃうよ、そんなこと言・・なに」
京谷 「アハハハハハ」
南原 「カレーが好きで、えぇ」
京谷 「そう、とにかくカレーが好きで」
南原 「えぇ、子供か!アッハハハハハ」
京谷 「ハハハハ、何でしょうね、朝昼晩カレーでよくて、一週間カレーで、カレーの味が好きなんでしょうね、たぶんね」
南原 「あぁ~」
京谷 「たがらカレーライスでずっときて、ちょっと飽きたらカレーうどんとか、カレー焼きそばにみたいな感じにしたりとか」
南原 「(笑)」
京谷 「カレーでいいんですよね」
南原 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
とにかくカレーが好き、という京谷選手に対し、「子供か」という南原さんのツッこみは、オーソドックスながらも正鵠を射ってる言葉だったように思います(笑)。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 1/23

2010年01月24日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはマラソンの高橋尚子さん。

今回は恒例の10の質問でマラソン話などをあれこれと。
"今でも現役で走ってる夢を見ることがある?"という質問には「いいえ」と答えていた高橋さん。
現役時代も走ってる夢はほとんど見なかったそうですが、唯一よく見たのは「靴の紐とか結んでいる間にスタートしちゃって、で、わ、どうしようどうしようとどうしようって言ってる間に、後ろから追っていくっていう、何かいつもスタート地点に遅れる夢をよく見てましたね」とのこと。
高橋さんがよく見ていたという夢を夢判断したら、普段は窺い知ることが出来ない深層心理が隠れていそうで面白そうな感じではありましたが、夢判断の先生もフロイトも番組には出演していませんでしたので、高橋さんの夢が何を表していたのかわからず残念でした(笑)。
あ、そういえば、南原さんも『上々』で夢の話を・・東京ドームでベイダーと戦うことになり控え室で長州選手などから「頑張ってくれ」とか言われてる、という夢について夢判断してもらってたことがあったっけ。
どんな判断結果だったかはよく憶えていないのですが(笑)、でも、こちらはなくとなく素人でも想像がつくような・・日々プレッシャーと戦い続ける真面目な南原さん(笑)なら見ても不思議ではない夢だったように思います。

その後は、
自分が出たオリンピックについてはずいぶん前に過ぎ去った話なので全くワクワクしないが、バンクーバーオリンピックで誰が活躍するんだろうということに関してはすごくワクワクする。
フィギュアの浅田選手や高橋選手、スピードスケートの加藤選手や長島選手などにインタビューをして知り合いにもなっているので、どういう活躍を見せてくれるのか楽しみにしている。
という話がありつつ。
南原さんからはこんな質問が。

南原 「逆取材されるでしょ?「どうなんですか?オリンピックっていうのは」」
高橋 「そう、そうなんですよ」
南原 「「どうやってあれ、こう金メダルの前はどうやってやりゃあいいんですか?」みたいな」
高橋 「フフフフ、そうですね(笑)」
南原 「はい、それどうやって答えてるんですか」
高橋 「あの、やっぱり「試合にはどういうようなモチベーションで望んだらいいんですか?」あと「試合のときってどういう雰囲気とか精神状態ですか?」っていうことをよく訊かれるんですけど」
南原 「はい」
高橋 「なるべくホントに」
南原 「はい」
高橋 「あえて普通にしとくこと・・が一番大切かな」
南原 「あえて」
高橋 「はい」
南原 「はい」
高橋 「で、日頃の練習さえしっかりしていれば」
南原 「うん」
高橋 「そこで特別なものを見せるんではなくて」
南原 「うん」
高橋 「「いつもの自分のままでいい、いつもの自分を見せればいいだけなんだって思えばまったく緊張がなくなるよ」っていう」
南原 「はぁ~」
高橋 「だから特別なところと思わなければいい」
南原 「はぁ~」
高橋 「365日のただの1日であって、特別な輝いた1日ではないから」
南原 「いやぁ~、まったく逆ですよ、だって4年間ね、それに懸けて、この一瞬に懸けてることを」
高橋 「はい」
南原 「そこは特別なことじゃないよ、365日の1日だよ」
高橋 「1日なので、はい、で、その自分がやってきたことをやること、出せることがいちばん良いことだと思うんですね」
南原 「あ、自分のパフォーマンスを」
高橋 「パフォーマンスを」
南原 「出し切ることが」
高橋 「はい」
南原 「これは何かいい言葉を聞いたかもわかんないですね~」

高橋さんの話に、南原さんはいつものように感心しきりという感じ(笑)。
でも、サラっと「365日の1日であって、特別な輝いた1日ではないから」と言えちゃうあたりがさすが金メダリストという感じでしたので、高橋さんに逆取材した選手たちも、南原さんと同じように感心しながらこの言葉を聞いていた・・かもしれません(笑)。


あとは、

南原 「そして、3問目のこの"Qちゃんと呼ばれることから卒業したい?"そんなことはない」
高橋 「そうですね、やっばりおばあちゃんになってもずっと「Qちゃん、Qちゃん」って言ってもらえたら嬉しいなぁと思いますね」
南原 「ねぇ、これが「Qさん」って言われてもアレですもんね」
高橋 「フッフフフフ」
南原 「「Qさん」「Qさま」とか言われてもねぇ」
高橋 「(笑)そうですね(笑)」

という軽いやり取りがあったり(笑)((ウッチャンナンチャンも、おじいさんになってもウッチャンナンチャンと呼ばれ続けて欲しいと思いますが・笑)。
それから、タイムリーなコンカツ話も(笑)。
高橋さんいわく、婚活をしたいと思うが、今は仕事などやらなければいけないことがありすぎて自分の中でまったく余裕がない、とのことでしたが、南原さんと高橋さんの間では、

南原 「合コンにも行ったことがないんですか?」
高橋 「そうなんですよ、合コン・・」
南原 「憧れたりします?」
高橋 「いや、もうないですね、行くと何か初めての人たちと会うわけじゃないですか」
南原 「そうですよ」
高橋 「気遣いそうじゃないですか(笑)」
南原 「いや、合コンってそういうものですから、アッハハハハ、アッハハハハ」
高橋 「何かもう知り合いとまってりしてるほうが、アハハハハ」
南原 「アッハハハハハ」
高橋 「好きなんで(笑)」
南原 「もうねぇ、だからアラフォーって言われるんです」
高橋 「アハハ、すいませ~ん(笑)」
南原 「(笑)もうねぇ」
高橋 「そうですね」
南原 「でも結婚するなら健康な人のほうがいいと」
高橋 「はい、そうですね~、やっぱりこう、もし一緒になったら」
南原 「うん」
高橋 「自分からは」
南原 「はい」
高橋 「亡くなりたくない、死にたくないと思う(笑)」
南原 「アッハハハハハ」
高橋 「寂しいじゃないですか」
南原 「あぁ別れて、じゃあ結婚するなら長生きの人ってことですね」
高橋 「アハハハハハハハ」
南原 「長生きの人(笑)」
高橋 「(笑)」
南原 「あたしより長生きの人、わかんないですよ」
高橋 「ハハハハハハ」
南原 「ゴールがわかんない」
高橋 「ゴールがわからない(笑)」
南原 「ハハハハ」

というやり取りも(笑)。
高橋さんは、♪私より先に死んではいけない♪な、逆『関白宣言』な人がいいようです(笑)。


あと、"時間さえ気にしなければ今でも何時間でも走り続けることが出来る?"という質問には、高橋さんの答えは「はい」。
で、

南原 「走ってるのが何ですか、日常みたいなもんですか、自分と会話してるようなもんですかね」
高橋 「会話というか何かこう、自分と向き合える時間かなと思いますね、何かこう、今情報社会なので」
南原 「はい」
高橋 「ケイタイがあったり」
南原 「はいはい」
高橋 「テレビがあったり」
南原 「えぇえぇ」
高橋 「いろいろなこう情報源たくさんあって」
南原 「はいはい」
高橋 「自分自身とこうシーンと向き合って考えられるっていう時間ってあまりないじゃないですか」
南原 「ないですね、その通りです」
高橋 「そういう意味では、ま、40分でも50分でもですけれども」
南原 「はい」
高橋 「走ると自分と向き合うことが出来るんですね」
南原 「おぉ」
高橋 「なので、現役時代でも40キロ50キロ走り終わったあと、そっからはもう自由な時間じゃないですか」
南原 「はい、はい」
高橋 「なので、監督とかに「じゃあ私これから走ってきます」って言って」
南原 「へっ!?」
高橋 「それから90分とか走っていっちゃうんですよ、勝手に」
南原 「練習したあと?」
高橋 「練習したあとに、そっからは楽しみのために走るんで」
南原 「アッハッハ」
高橋 「でも、「高橋が50キロ走ったのに行方不明だ」とかって捜索願を出されたことあります(笑)」
南原 「「何処いった?」って」
高橋 「そう(笑)」
南原 「「逃げたんじゃないか」とか、「今日の練習きつかったかな」と思ったら」
高橋 「そう(笑)」
南原 「「走ってきました」」
高橋 「走ってきました」
南原 「「自分の時間でした」って」
高橋 「そう、「楽しかった」みたいな、「もう誰か高橋を管理しとけ」みたいな感じで(笑)」
南原 「はぁぁ~~」
高橋 「「どっか行かないようにしとけ」っていうくらい」

というやり取り。
練習の後に楽しみのために走っていたという高橋さんの話を、信じ難いという感じで聞いていた南原さん(笑)。
駅伝部のトラウマのある南原さんからしたら信じられない・・いや、これは誰が聞いてもビックリするようなエピソードだと思いますし、私もラジオの前でビッくら仰天してしまいましたので、南原さんが驚くのも無理のないところです(笑)。
高橋さんの話は、大食いの人が大食い大会が終わった後で自分の楽しみのために夕飯を食べる、というのと似てるような気もしますが(ちょっと違うかな・笑)、それから、自分と向き合う方法は他にもあるのでは?と思わないでもありませんが(笑)、兎にも角にも、高橋さんはホントに走るのが好きだということがよくわかるエピソードでありました。


その後は、
今までの人生は毎日毎日が全力投球で良いことも悪いこともすべてその時点で決めた最大の決断をしてきたので全く後悔はないが、駆け足でここまで来ているような気がするので、中学生ぐらいに戻って今度はじっくりもう1回今の人生をやり直してみたい。
という話などがありつつ。
昨年の4月から始めたインタビューの仕事で会った石川遼選手についての話では、

高橋 「皆からすごいいい子いい子と言われていたんで」
南原 「はい」
高橋 「ホントのところどうなの?とかって思って行ったんですよ」
南原 「「そんなわけないよ」っつって」
高橋 「「いい子ですよぉ~!」
南原 「アッハハハハ」
高橋 「ホントにいい子ですよ」
南原 「ビックリしました?(笑)」
高橋 「ビッックリしました」
南原 「もう中学校のときだったら告白してたぐらいですか(笑)」
高橋 「いや、もう今でも告白したいぐらいですよ」
南原 「アッハハハハハ」
高橋 「ハハハハハハハハ」

と、石川選手をベタ褒め(笑)。
それから、ボクシングの亀田選手についても、

高橋 「私ね、行く前すっごい怯えてたんですよ」
南原 「怖かったですか」
高橋 「怖かったんです」
南原 「「どうしよぉ~、何か言われたらどうしよ~」」
高橋 「もう「お前の質問なんか受けられねぇんだよぉ」みたいな感じで言われたら(笑)」
南原 「「何だその質問」とか」
高橋 「ダーっみたいにひっくり返されたらどうしようかと思って、ホントにね、ビクビクしてたんですけど」
南原 「はい」
高橋 「興毅選手もいい子なんですよ」
南原 「アッハハハハハハ」
高橋 「ホントに(笑)」
南原 「もうすいません、あのね、もう二人見たおばちゃん目線ですよ」
高橋 「ハッハハハハハハ」
南原 「(おばちゃん口調で)「いい子、あの子たちホントいい子よ、もう」」
高橋 「ホントに(笑)」
南原 「「ちょっともう」」
高橋 「「ちょっと聞いてくださいよぉ(笑)」
南原 「井戸端会議状態じゃないですか」

と、こちらもベタ褒め(笑)。
南原さんの口調に乗っかって、高橋さんもおばちゃん口調になっていたのにちょっと笑ってしまいましたが、高橋さんの話し振りから二人がいい子だったというのはよくわかりました(笑)。
ちなみに石川選手は、歳は関係なくアスリートとしてどんな人たちの中に入れてもトップクラスにいい子。
コメントも、自分の反省点などしっかりまとまっていてものすごくしっかりしてる。
3回インタビューに行ったが、前回喋ったことを覚えていてくれる。とのことでした。
亀田選手は、2時間くらい練習を見学したがその間に水を持ってきてくれたり、椅子を用意してくれたり、「長くなっすいません、後もう少しで終わるんで待っていただけますか」ということなど、全部敬語で話していたそうで。

高橋 「ものすごくね、気の遣える」
南原 「(おばちゃん口調で)「いい子だった」」
高橋 「「いい子だった」
南原 「アッハハハハハ」
高橋 「いい子だったんですよぉ~(笑)」
南原 「ちょっと聞いてよ、もう」
高橋 「ちょっと聞いてください!」
南原 「アッハハハハハハ」
高橋 「いや、もう皆に知って欲しいです」

と、最後までおばちゃん口調で「いい子」を強調していた高橋さんでありました(笑)。


あとは、南原さんから「これはトップアスリートの条件かなっていうのはありますか?」という質問があったり(高橋さんの答えは、「やはりね、今日1日を全力投球できるっていうことですね」「今日すべきことから逃げない、そのちゃんと積み重ねることが出来たときに 初めて次の道が現れる、夢にいちばん近づくっていうことが皆共通してることかなと思いますね」)。
肉体の疲れは心地よい疲れで気持ちいいが、怪我をしたり上手く走れないときのほうがストレスが溜まる。
という話などがあったりして、番組は和やかな雰囲気の中終了。
マラソン話から婚活話まで(笑)、硬軟取り混ぜた話題で盛り上がっていた30分でありました。

あ、それから、高橋さんはバンクーバー五輪へ取材に行くようで。
南原さんは「アスリート目線で、皆さんに、日本の全国の皆さんに感動を伝えてください」と言ってましたが、南原さんはバンクーバーへは行かない・・のかな?
ちょうど現代狂言の公演と開催時期が重なっていますし(東京公演のあとは少し日にちが空いてますが)、それに巳年生まれで寒いのは苦手な人ですから(笑)、今回は日本で留守番なのかもしれません。