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Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 9/27

2008年09月28日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、ビーチバレーの朝日健太郎選手。

もともとインドアバレーの選手として全日本でも戦っていた朝日選手。
インドアバレーで低迷していた時期に「このままじゃイカン、でもまだ競技はしたい、プレーは続けたいという気持ちが強かったんで」ビーチバレーに転向したとのこと。
ビーチバレーでは国内の年間チャンピオンになったり、北京五輪に出場して決勝トーナメントにも進出したとのことでしたが、ビーチバレーに転向して最初の3年間は、草大会などでも負けたりしていたそうで。
ビーチバレーで初めてスパイクを打とうとしたときは空振りしたり、練習試合では対戦相手に風を上手く使われてコテンパンにやられたりもしたそうですが、

朝日 「よくプライドが何だかんだとか訊かれるじゃないですか」
南原 「そうですね」
朝日 「あんまそういうふうには思わなかったですね」
南原 「あ、そうですか」
朝日 「うん、なんか、まぁ「へぇ~」と思いましたね」
南原 「「こうやってやるんだ」」
朝日 「「こうやってやるんだ」と思って」
南原 「あ、じゃ、もうまったく新しいスポーツとして」
朝日 「新しいスポーツに挑戦しようと思ったんで」
南原 「はぁ~、じゃゼロから始めたと」
朝日 「ゼロから・・逆にマイナスですね」
南原 「マイナス(笑)」
朝日 「マイナス」
南原 「余計、顔が知られてるぶん」
朝日 「そうなんですよ(笑)」
南原 「向こうは(対戦相手は)「よしコイツ倒・・朝日健太郎だ!よし倒したれ倒したれ!」とか」
朝日 「そうですよそうですよ、向こうなんて、もう僕とやるたんびに何か調子づいちゃって」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「大変な、何か(笑)」
南原 「「イェ~!?」とか(笑)」
朝日 「そうそう。で、僕インドアの頃は」
南原 「はい」
朝日 「あの~、(スパイクを)打つしかやらせてもらえなかったんですよ」
南原 「あ」
朝日 「「レシーブはやるな」」
南原 「はい」
朝日 「「トスも上げるな」って言われてたんですよ。何故かっていうと苦手だからですよね」
南原 「あ~、はいはいはい」
朝日 「「お前ボール触らなくていい」って言われて」
南原 「(笑)「お前、前にいて・・」」
朝日 「「アタックとブロックだけやっとけ」みたいな」
南原 「はい」
朝日 「確かに役割がハッキリしてましたからね」
南原 「でも、これ(ビーチバレー)はペアでやって、(ボールを)拾わなきゃいけないですよね」
朝日 「そうなんですよ、二人でやりますから全部要求されますからね」
南原 「はい」
朝日 「そこが、もしかしたらいちばん面白かったかもしれないですね。今まで十何年やってこなかったことを、また初心に返って始めたっていうのが」
南原 「あ、レシーブとかそういうのを」
朝日 「レシーブからトスからみたいな」
南原 「はい」
朝日 「もう、全部やらなきゃいけないんで」
南原 「それがだんだん上手くなっていって面白くなった」
朝日 「そうなんですよ」
南原 「ほぉ~~」
朝日 「そこが(ビーチバレーを)続けられたいちばんの理由ですね」
南原 「じゃ、もしもね、もしもの話ですけど、今またインドア(バレーに)戻ったら、前の自分より上手い?」
朝日 「相当イケると思います」
南原 「アッハハハハハハ」
朝日 「ハッハハハハ」
南原 「相当?(笑)」
朝日 「相当イケると思いますよ」
南原 「「俺、もしかしたらリベロ(レシーブ専門の選手)で使ってくれるかな?」」
朝日 「リベロでも」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「セッターでも」
南原 「アッハハハハハ、そうか(ビーチバレーはボールを)上げなきゃいけないですもんね」
朝日 「上げなきゃいけないし」
南原 「じゃもしかしたら、今いい練習でインドアやってる人、一回ビーチバレー・・」
朝日 「そう、ビーチバレーで色々そういう、もう一回こう体の使い方とかボールのコントロールの仕方の練習にすごくいいと思いますね、ビーチバレー」
南原 「そうですよね」
朝日 「はい」
南原 「今だんだん、だって全日本とかも色んなとこを要求されてきますもんね」
朝日 「そうなんですよ。たがらやっぱり総合力ですから、ビーチバレーは」
南原 「総合力」
朝日 「はい」
南原 「もともと・・はぁ~面白いですねぇ~」

とのことでした。
朝日選手はインドアバレーで全日本でも戦っていたのに、そんなことは関係なく面白がってまたゼロからビーチバレーに挑戦しちゃうとこなどは、ちょっと南原さんっぽいな~、という感じでした(笑)。
それから、南原さんと朝日選手は、インドアバレーの選手も練習でビーチバレーをやってみたら・・という話をしてましたが、これはホントに良いアイデアじゃないかな?
柔道はレスリングの選手と練習をして、世界の色々なタイプの選手に対応できるようなトレーニングをしてますし、他の競技と交流を持つと新しい発見があったりして、色んな面でプラスになるような気がします。
久し振りにオリンピックに出場したはいいけど予選リーグ全敗に終わったインドアバレーも、ビーチバレーをやって今までとは違う世界を体験すれば、何かしら得るものがあるのではないかと思います。
あと、朝日選手はビーチバレーに転向してから、それまで几帳面だった性格・・下着は毎日替えなきゃとか、洗濯物はちゃんとたたまなきゃという性格がガラッと変わり、パンツなんて穿かなくてもいいやというふうに変わったそうで(笑)。

南原 「タフになってきたんですね」
朝日 「そうですね、だからやっぱり遠征、ホントに自分たちで、自分たちの足で回りますから」
南原 「はい」
朝日 「荷物がこないとかそんなのしょっちゅうですし」
南原 「しょっちゅう?」
朝日 「やっぱり飛行機が遅れたとかで」
南原 「はい」
朝日 「荷物がホテル、ね、今日は何んも無いとかいう日もありますから」
南原 「インドアの時はイライラするでしょ?」
朝日 「インドアの時は、もう耐えられないですね」
南原 「「俺の荷物・・」」
朝日 「「何だよ」」
南原 「「汗かいてて早くパンツ替えたいのに」」
朝日 「そうそう、「靴下替えたい」とかね」」
南原 「アッハハハハハ、アッハハハハハ」
朝日 「そういうことに・・なくなったぶんだけ、やっぱり」
南原 「あ、気持ちが楽になって(笑)」
朝日 「気持ちが楽になりましたね」
南原 「あ、そんなに変わるもんですか」
朝日 「大きく変わりましたね、もう」
南原 「そんなの気にしてたら、だってね」
朝日 「やってけないですよね、やっぱね」
南原 「太陽の下とか」
朝日 「そうですね」
南原 「風の下とか」
朝日 「はい」
南原 「あぁ、そんだけ・・あぁ面白いですねぇ」

とのことでした。
ビーチバレーは風や太陽など刻々と状況が変わる中でやる競技ですから、細かいことを気にしてたらやってられないという話は、確かにそうだな~と大いに納得。
で、こういう話を聞くと、テレビ中継などで恵まれた環境にあるインドアバレーの選手も、タフなビーチバレーを一度をやってみたらまた違った気持ちでバレーに取り組めるのではないかな?という気がさらに強くなりました。


あとは、初めて参加した北京五輪は街中がスポーツの祭典で、世界のトップの選手が集まっていてその空気を体験しただけで気分が高揚して今まで経験したことの無い力が出た、という話や、ビーチバレーはファインプレーの連続で、試合中もプレイの合間に音楽がかかったりするところが面白い、という話などもありつつ、南原さんからは「相当体力要るでしょ?」「僕バッテバテになりますもん、足すくわれますもん」という質問も。
そういえば、その昔『ウリナリ』でもビーチバレー(この時は二人ではなく大勢でやってましたが・笑)を大騒ぎしながら(笑)やってたことがあったな~ということを思い出しましたが、南原さんからその時の話は出てきませんでしたので、それはとりあえず置いといて。
朝日選手いわく、砂に慣れるのに5年くらいかかった、砂はジャンプしずらいけど体に優しいので関節の痛みとか減った、とのことでした。
あとは、

朝日 「(昔は)けっこうインドアな男だったんですけど」
南原 「アッハハハハ、今、日焼けバンバンしてますもんね」
朝日 「日焼けはするし、もう」
南原 「シミとか大丈夫ですか?」
朝日 「そこはね、スキンケアはかかさないですね」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「そこは(笑)」
南原 「スキンケアはちゃんと(笑)」
朝日 「そうなんです」
南原 「これがシミになると大変ですもんね」
朝日 「大変ですよ」
南原 「スキンケアはちゃんと」
朝日 「スキンケアやってます」
南原 「えぇ」
朝日 「たがら、もう最近目尻はちょっと毎日チェックしてます」
南原 「アッハハハハハハ、大事ですよね」
朝日 「大事ですよ、やっぱりカッコよくいたいですから」
南原 「そりゃそうですよ」

というやり取りや(笑)、身長が199cmだという朝日選手と南原さんの、

南原 「前ね、新宿の駅でね」
朝日 「はい」
南原 「何か、やっぱ見ましたよ、デッカイ軍団いるなと思ったらバレーボールの選手でしたよ」
朝日 「あぁ、バレーボール大きいっすね」
南原 「ねぇ」
朝日 「はい」
南原 「待ち合わせの場所にされませんか?」
朝日 「されます。だから別に詳しく指定する必要ないですね」
南原 「ハッハハハ」
朝日 「だいたい(笑)このへんって・・「探して」って言っとくとだいたい探してくれますね」
南原 「(笑)向こうが探してくれる」

という、バレーボール選手あるある話(?・笑)などもあり、和やかに話が弾んでいた30分でありました。


来週に続く・・・。



彼岸花

2008年09月25日 | あれこれ
昼はまだまだ暑い日もありますが、夜になると虫の音が聞こえたきたり、道を歩いていると彼岸花を見かけて、♪曼珠沙華~ 恋する女は~ とついつい口ずさんでしまったり(笑)、いろんな所で秋を実感する今日この頃です。

ところで、まだ先だと思っていた現代狂言Ⅲの公演が2週間後に迫っているじゃあ~りませんか!?
去年のように『風姿花伝』を読んでちょいとした予習ということもないので、今回の新作『サードライフ』がどんな感じなのかはよくわかりませんが(漏れ伝わってくる情報だと動きが激しそうだというのはわかりますが)、3周年を迎える狂言とコントの結婚、今年はどんな舞台になるのか楽しみにしたいと思います。



『スポーツドリーム』 9/20

2008年09月21日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはレスリングの松永選手。

今回は、恒例の10の質問でレスリング話などをあれこれと。
"メダル獲得は自分ひとりの力ではない?"という質問には、「はい」と答えていた松永選手。
バッティングで耳を切ったときに何回も治療してもらった先生や両親、オリンピック前にレスリングシューズがなくなったとき急遽オーダーでシューズやインソールを作ってもらった人など、「色んな人に支えられてきましたね」とのことでした。
ちなみに、松永選手のレスリングシューズを作ったのはアシックスの三村さんだそうで。
三村さんといえば、以前『日本のよふけ』に出演したとき、イチロー選手やマラソンの高橋選手のために作ったシューズの話をしてたっけ。
ただ、記憶があやふやでよく憶えていませんし(イチロー選手に会ったという南原さんが、鶴瓶さんから「どうやった?」と訊かれ「好青年でしたよ」とサラッと言ってたのは憶えてますが・笑)、南原さんから三村さん話は出てきませんでしたので、この話はこれくらいにして(笑)。
ご両親については、「喜んでくれたんで良かったです、はい」と、先週の放送と同じくやはり淡々と喋っていた松永選手。
でも、南原さんの、

南原 「(北京から)帰って来てから(実家の)お寺さんには・・」
松永 「行きました、はい」
南原 「で、報告はしたんですか?」
松永 「そうですね」
南原 「あ、これ、お寺が(笑)・・じゃあ檀家さんも喜んでくれたでしょ?」
松永 「(笑)」
南原 「アッハハハハハ、ハッハハハハハ、檀家さんも(笑)」
松永 「檀家さん・・には、まだ、ちょっとこれから」
南原 「あ、これから」
松永 「はい」
南原 「あ、そうですか(笑)」
松永 「たぶん喜んでくれてると思います」
南原 「(笑)そうですよね、えぇ」

という、松永選手の実家のお寺さんイジリにはちょっと笑ってました(笑)。


"銀メダルを獲得してから世間の扱いはガラッと変わった?"という問いには、松永選手は「いいえ」という答え。
松永選手いわく、友達や知り合いからは「あまり変わってないね」と言われるとのとでしたが、

松永 「ま、でも、テレビ局に呼ばれるときは多少変わったなと思うことはありますけども、楽屋が用意されてたりとか」
南原 「アッハハハハ」
松永 「そういう経験は無いんで」
南原 「はい」
松永 「そういうのに関しては変わった・・ま、多少ありますけども」
南原 「テレビ局行って、"松永共広"ってそこに書いて(あって)」
松永 「そうなんですよね」
南原 「「あれ、これ俺の部屋?」みたいな」
松永 「(笑)そうですね」
南原 「入ってみたら弁当がポッと置いてあったりとか」
松永 「そうですそうです」
南原 「えぇ」
松永 「それは驚きました」
南原 「で、メイクさんが来て、「すいません、メイクはどうしますか?」とか」
松永 「あ、言われましたね」
南原 「はい、メイクしたんですか?」
松永 「メイクはしてないです。ま、髪の毛だけ多少整えてもらって」
南原 「「じゃ、すいませ~ん」とか言って」
松永 「はい」
南原 「ガーッとやりながら、若い女の子が」
松永 「そうっすね」
南原 「えぇ、「お疲れ様で~す」みたいな感じの」
松永 「(笑)」
南原 「「あ、どうも」みたいな感じで、はい」
松永 「そういうのはやっぱ変わりましたけど、周りの人はあんま変わってないですね」
南原 「あぁ、それはね、松永選手が普通に接してるからじゃないですかね」

とのこと(笑)。
南原さんのテレビ局あるある話に、またまた笑顔(ラジオなので顔は見えませんでしたが・笑)の松永選手でありました(笑)。


あとは、オリンピックの一試合目は緊張して体があまり動かなかった、減量は大変だったという話や、いづれ北米に留学したい、外国人からも表情が出ないといわれ「イエスとかでも笑っていったほうがいいよ」と言われたという話(笑)、オリンピックは特別なものがあるので生まれ変わってももう一度出たい、というレスリング話などがありつつ、松永選手の実家のお寺話もしてました。
松永選手は、6歳のときに得度(仏門に入って僧になること。出家(旺文社国語辞典より))をしたそうですが、実際はあんまり修行もしてないし、お経も勉強してないので分からないとのこと。
で、南原さんと松永選手の間では、

南原 「だんだん、これからもっと歳重ねていくと、また勉強するかもわからないですよね」
松永 「そうですね、ちょっと勉強してみたいなと思ってるんですけどね」
南原 「あ、最近」
松永 「はい、般若心経とか」
南原 「はい」
松永 「そういう本を親からちょっと貰っ・・借りてきて」
南原 「はい」
松永 「ちょっと勉強しようかなと」
南原 「今後ね、今後、戦うお坊さんとして」
松永 「(笑)、これから修行とかもしなきゃいけないので」
南原 「あ、そうか」
松永 「たぶん、今からは難しいですけどもね」
南原 「でも、オリンピック行くのも相当な修行したわけじゃないですか」
松永 「いや、でもお坊さんも大変と思いますよ、やっぱ」
南原 「(笑)それはそれでね」
松永 「はい」

というやり取りもあったりして、またちょっと笑っていた松永選手(笑)。
最近はバラエティー慣れしたスポーツ選手が多いですが、松永選手はどんなときも表情を変えないポーカーフェイスなクールガイ(笑)。
そんな松永選手を、先週に続き今回もあの手この手で笑わそうとしていた南原さんでしたが、努力の甲斐あって何度も松永選手を笑わすことが出来て何よりでした(笑)。


夢色紙に松永選手が書いていた言葉は、"清流無間断(せいりゅうかんだんなし)"。
オリンピック終わって家に帰ったときに親から教えてもらった言葉だそうで。
絶え間なく流れる水に濁りは無い、という意味だそうですが、松永選手は「努力すれば結果はついてくるのかなと思うんですけどね」という意味で捉えているとのこと。
南原さんはこの言葉を聞いて、「これはどういう意味なんですか?なんかありがたい感じがするんですけども」「清流間断無しっていうんですか、へぇ~!」と大感心の様子(笑)。
で、番組の最後には、

南原 「二週にわたって、えぇ、どうでした?こうやって、ラジオを」
松永 「いや~(照笑)、上手く喋れてるんのか分からないですけど」
南原 「えぇえぇ喋れてますよ、えぇ。この、朴訥とした中にも芯があるような感じでございますけども。えぇ、じゃ一旦こう、ね、休まれて」
松永 「はい」
南原 「次なる目標が、たぶんご自身の中にあるかと思いますけども、えぇ、清流間断無しで」
松永 「はい」
南原 「(笑)頑張って下さい(笑)」
松永 「はい(笑)」
南原 「えぇ、今日のゲストはレスリングの松永共広選手でございました。ご両親にもよろしくお伝え下さい(笑)」
松永 「はい(笑)、わかりました」
南原 「どうも、ありがとうございました」
松永 「ありがとうございました」

ってな感じで、さっそく"清流無間断"という言葉を使い(笑)、そして何故か松永選手のご両親にも「よろしくお伝え下さい」と言っていた南原さんでありました(笑)。



2008年09月18日 | あれこれ
現代狂言Ⅲの稽古情報が色々と漏れ伝わってきたり、『その日~』の公開日が決まったり、台風が近づいて来たりと、何かと忙しい今日この頃(笑)。
秋の夜長を利用して、棚上げしたたままのあれやこれやの感想記を書こうと思ったのですが、思っただけでまったく筆が進まず(正確にはタイピングが進まずですが・笑)相変わらずの状態なので、今回はこんな写真を。

      

雨上がりの青空の下で、気持ち良さそうに一休みしていたネコを見つけてパチリ。
デーンと伸ばした足をペロペロと舐め、毛繕いに余念がないネコでありました。



『スポーツドリーム』 9/13

2008年09月14日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、レスリングの松永共広選手。

北京五輪・レスリングフリースタイル55㎏級で銀メダルを獲得した松永選手。
本物の銀メダルを間近で見た南原さんは「あぁ~、ちょっとズシッと重みがありますね。大きさで言うと直径が7、8センチですかね、10センチぐらいありますかね」と、いつものように(笑)興味津々の様子で銀メダルを眺めたり、メダルがどんな感じかラジオの前のリスナーに分かりやすく説明したりしてましたが、

南原 「もう、あれですね、こ、この(笑)、何ですか?首かけるところ」
松永 「あぁ~」
南原 「けっこう、もう何か」
松永 「多分みんなそうだと思うんですけど、これ、こすれてしまって」
南原 「あ、こすれて」
松永 「はい」
南原 「ほつれみたい・・、これ、いつもどうやって保管してる、あ、ありがとうございます(と言ってメダルを返す?)」
松永 「え~と、ケースがなくて」
南原 「はぁ、ケースがない」
松永 「はい、だからこう、巻いてポケットに入れる感じですね」
南原 「ちょっと待ってくださいよ」
松永 「(笑)」
南原 「携帯電話じゃないんだから」
松永 「(笑)」
南原 「もっと大事に扱ったほうが・・みんなそういうもんなんですか?」
松永 「みんなそうじゃないですかね」
南原 「あ、そうですか」
松永 「多分そうだと思います」

というやり取りも(笑)。
首にかける紐のほつれを目敏く見つけるあたり、相変わらずの南原さんの観察眼にちょっと笑ってしまいました(笑)。
あと、メダルにはケースが無いという話にはちょいビックリ。
う~む、ケースが無かったら水泳で8個も金メダルを獲ったフェルプスはきっと保管場所に困ってるんじゃ・・なんてことをちょっと思ってしまいましたが、そんな余計な心配はさて置き(笑)。


今回初めて出たオリンピックは緊張した、という話をしてた松永選手でしたが、南原さんからは「松永選手さっきからずっと見てるんですけど、あんまり表情が変わらないですよね」というツッこみ(笑)。
松永選手いわく、6歳からレスリングを始めその頃から「(キツくても)顔に出すなと、たぶんそういう教育を受けてきたと思います」とのこと。
ラジオでは表情はわかりませんでしたが、松永選手の話し方は淡々としていて、確かに喜怒哀楽が激しいという感じではありませんでした。
試合前の減量の話でも、淡々と話す松永選手と南原さんの間では、

松永 「できるだけ、こう、あの~、力を使わないように、あの、どれだけこう、あの、減量に集中できるかとか」
南原 「力を使わない?」
松永 「体力をあんま温存してみたいな」
南原 「あ、体力は温存しながら減量するんですか?」
松永 「はい、だから疲れることはあんまり、できるだけしなかったりとか」
南原 「ちょっと待ってください、普通ね、あまたあるダイエットは体動かして」
松永 「あぁ~そうですね」
南原 「(カロリーを)燃焼さしてっていうことなんですけども、そうじゃないんですか?」
松永 「動く時はやっぱ汗かかなきゃいけないんで」
南原 「はいはい」
松永 「あの、集中して動いて」
南原 「はい」
松永 「そのあとはもう、ホントリラックスして」
南原 「はい」
松永 「寝てたりとか、あの、お笑いのDVD見たりとか」
南原 「あ、お笑い見るんですか?」
松永 「まぁある程度は」
南原 「はい」
松永 「見ます」
南原 「笑ったりとかもするんですか?」
松永 「(笑)あ、します(笑)」
南原 「あ、そうですか(笑)、よかった~(笑)。ハッハハ、ハッハハ」
松永 「全然笑わない人みたいな(笑)」
南原 「アッハハハハハ、いや、そんなことないです(笑)、今は笑顔なんですけども」

というやり取り(笑)。
南原さんからのツッこみに、ようやく笑顔という感じの松永選手でありました(笑)。


あとは、北京五輪では一日5試合、第3試合で戦ったウズベキスタンの強豪マンスロフ選手はバテていて自分のほうが勢いがあったという話や、高校時代は49㎏級だったけど大学に入って55㎏級に階級を上げたら勝てなくなり3年になってようやく勝てた、北京では自分の試合が終わったあと少し観光もした、選手村では柔道の鈴木選手に会ったという話などもしていましたが、

南原 「(他の選手や競技に)何か刺激うけたりとかしました?」
松永 「え~と、陸上のリレーは観に行けたんですけど」
南原 「はい!」
松永 「あれは感動しましたね」
南原 「あの夜遅くやったやつですよね」
松永 「はい、たまたまチケットがあって行ったんですけど」
南原 「陸上」
松永 「良かったですね」
南原 「良かったですか、応援しました?」
松永 「応援しました。最初やっぱ手拍子とかで始まって」
南原 「はい」
松永 「で、スタート前ってちょっと静まるんですよね」
南原 「はいはいはい」
松永 「で、始まってからもう歓声で、すごい良かったです」
南原 「(スタートの合図が)パーン!って言った瞬間に、歓声がワーッ!ってなって」
松永 「はい」
南原 「それで日本人選手がウワーッ!と来て、で、銅メダル獲った瞬間どうでした?」
松永 「もう、良かったですね、興奮してました」
南原 「あ、そん時はもう、大人しいあんまり表情出さない松永選手も」
松永 「ハッハハハハ」
南原 「「ヤッター!」とか言ってたんですか?」
松永 「多分言って・・叫んでたと思いますね」
南原 「やっぱあれでしょ?ああいうとこで日本人選手とかがメダル獲ったりすると良いもんでしょ?」
松永 「いいっすね~」
南原 「ねぇ、でもそのうちの一人なんですよ、やっぱり」
松永 「(笑)そうっすね」
南原 「えぇ」
松永 「もぅホントでも信じられないですね、はい」

と、ここでも表情を表に出さない松永選手イジリに余念がない南原さんでした(笑)。
ちなみに、松永選手は表彰台で日の丸が揚がるのを見たときは、決勝で負けてしまったので悔しい思いが残っていたけど「控え室戻って先生から「お疲れ様」ってと言われた時はちょっとこみ上げてくるものがありました」とのことでした。


番組の最後に南原さんは、松永選手を評して「表情を表に出さないながらも、こう内に秘める闘志が時より感じました」と言ってましたが、松永選手は終始淡々と喋っていて確かにそんな感じでした。
そんな松永選手に対し、南原さんはあの手この手で色んな表情を引き出そうと(もちろんレスリング話も引き出してましたが・笑)しながら話を聞いていた30分でありました(笑)。


来週に続く・・・。



『Get Sports』 9/7

2008年09月10日 | Get Sports
Chapter 1 は、W杯アジア地区最終予選の特集。
スタジオのG-Talkは、南原さん、栗山さん、中西さん、中山アナといういつものメンバーで、6日に行なわれたVSバーレーン戦を振り返りながらあれこれと。
中西さんが生徒役の南原さんと栗山さんを相手に講義をするというお馴染みのスタイル(笑)で、日本の戦い方などについて解説をしていましたが、いわく、アジア地区3次予選と最終予選で日本が取った得点は半分以上がセットプレイだったけど、今まで出たW杯3大会で日本はセットプレイから一点も得点していない、「世界の舞台では日本のセットプレイはあまり通じてない」とのこと。
6月に行なわれたユーロ(欧州選手権)でも、セットプレイからの得点は2割から3割しかなく、7、8割は流れの中の得点だったそうで。
「日本のゴールを取ってる割合と真逆、世界ではセットプレイでは、もう最近は失点しないんですよ」とのことでしたが、そんな中西さんの話を聞いて、

南原 「ちょっと~(自分の腿の当たりを片手でパンと叩いて)特任理事どうすんだよ!(強い口調で言いながら怒ったような顔で中西さんを指差す)」
中西 「(笑)」
中山 「そうですよ」
南原 「協会としてはどうするんだよ!」
中山 「サッカー協会特任理事」
中西 「で、あの~、僕がこの番組で・・」
栗山 「(無邪気な感じで)おめでとうございます」
中西 「いやいや、その話は・・」
南原 「頼むよ、今まで通り!(強い口調と怒ったような顔で言いながら中西さんを指差す)」
(スタッフの笑い声)
南原 「気持ちは反体制だからね!」
中山 「ハッハハハ」
栗山 「(笑顔で)大事ですからね、哲っちゃん。コメント大事だからね」
南原 「そうだよ~」
中西 「いや、僕は置きにいくコメントはしてませんから大丈夫ですよ」
中山 「(笑)」

と、中西特任理事に詰め寄る南原さん(笑)。
中西さんがサッカー協会の特任理事になったのは随分前のことだと思いますが、テレ朝のスタジオでやるG-Talkは6月8日以来ですので、南原さんも今までツッこむ機会がなく、ようやく特任理事イジリが出来たということなのでしょう(笑)。
持論を展開したくてウズウズしてる中西さんをよそに、南原さんに乗っかって栗山さんも中山アナも特任理事ネタを楽しんでいて、そのチームワークの良さに(このへんのやり取りは打ち合わせはしてないと思いますが・笑)ちょっと笑ってしまいました(笑)。
それはそれとして。
中西特任理事によると、日本が得意なセットプレイは攻撃のスイッチが「いっせいのせ」で入れられるので点が入りやすい、そのスイッチを流れの中でも入れられれば素晴らしい形になる、とのこと。
で、中西さんがVTRでバーレーン戦を振り返りながら、流れの中でスイッチが入った場面とそうでない場面の解説をしていましたが、選手の連携が上手く行かずスイッチが入らなかった場面では、南原さんは、

南原 「(選手同士)同じ絵が描けてなかったんですか」
中西 「あ、もう、まさにその通りです」

と、今度は中西さんの話を分かりやすいように、上手い例えでフォロー(笑)。
特任理事にツッこんだり、フォローしたり、中西さんの講義を神妙な顔で聞く生徒になっていたりと、一人で何役もこなしていた南原さんでありました(笑)。

あとは、最終予選で日本がこれから戦うオーストラリアやカタール、ウズベキスタンの戦力分析などもありつつ。
中西さんは、ワールドカップベスト8という目標を達成するためには、最終予選で勝ちながら内容も積み上げていかなきゃいけない、日本はセットプレイ以外のストロングポイントを見つけるためにこの最終予選をうまく活用していかなければいけない、という話もしていましたが、

南原 「(最終予選を)戦いながら、自分たちの戦い方を見つけていく」
中西 「はい」
南原 「そして世界で勝てるような日本チームをつくる」
中西 「はい」
南原 「これ、まだいっぱい論点ありますよね」
中西 「あります。ただ、このままではダメです(キッパリ)」
南原 「(腕組みして横を向きながら)フッフフフ」
栗山 「(うつむいて苦笑い)」

というやり取りで、G-Talkは終了(笑)。
置きにいかない特任理事の厳しい言葉(笑)に、最後は笑うしかなかった南原さんと栗山さんでありました(笑)。



続いては、南原さんの北京五輪取材レポ。
「さぁ、天安門広場に来ました。私は今から北京オリンピックをつぶさにリポートしてみたいと思います。(周りを見回し)しかし、広いっす、ここは・・(遠くに見える写真を指差し)あぁ~・・毛沢東」という北京レポ(笑)で始まった、南原さんのオリンピック取材。
先日の『Get』でも南原さんが女子レスリングや競歩などの競技を観戦してる様子が放送されていましたが、今回は吉田選手、山崎選手に加え、
「とみた~!」
「むろふし~!」
と、体操とハンマー投げで声援を送ってる南原さんの映像や、女子走り幅跳びで予選落ちした池田選手を観て「いっぱい準備してきてもあっという間、1時間半ぐらいで終わっちゃう・・」としんみり語る場面も少しだけ流れてました。

そして、"伝統継承" と題し、南原さんが競泳とシンクロを取材&インタビュー。

Chapter 2 南原清隆が見た「情熱的北京五輪」 ♯1日本シンクロ~伝統のメダル~
'84年のロス五輪で正式種目になって以降、前回のアテネ五輪まで6大会連続でメダルを獲っているシンクロデュエット。
新たにデュエットの選手に選ばれた鈴木絵美子選手と原田早穂選手は、金子チームリーダーから「石にかじりついてでもメダルを死守しなさい」と言われたとのこと。
2005年の世界水泳では銅メダルを獲得した鈴木・原田ペアでしたが、今年4月に行われたプレ五輪では、中国の後塵を拝しメダル圏外に。
北京でメダルを獲るため、五輪本番までの3ヶ月間は、プレ五輪で中国に逆転されたフリールーティーンの演技・・一番体力が消耗している時に繰り出すラスト20秒の脚技を成功させるためにウェイトトレーニングで上半身の強化に取り組んだとのこと。
鈴木選手いわく、すごい体型になっちゃうんじゃないかと思うぐらいトレーニングをやった。
原田選手は、手にマメが出来るほどウェイトトレーニングをした、とのことでしたが、二人にインタビューしていた南原さんは、「手にマメが出来たんですか?」「えっ!?野球選手みたいな手になってますよね」と、原田選手の手を見てビックリの様子でした。
そして北京五輪本番では、テクニカルルーティーンで中国を上回る3位、フリールーティーンではウェイトトレーニングの甲斐あってラスト20秒の脚技を成功させ、日本ペアは銅メダルを獲得。
現地でその戦いを観戦していた南原さんは、中国ペアの演技を観て「いや、脚きれいだ」「あ、乱れた、最後乱れたちょっと」。
日本ペアの演技には、「揃ってる、揃ってる」。
二人が演技を終えたあとは心配そうに・・今にも泣きそうな顔をして拍手をしていた南原さん。
そして、得点を見てメダル獲得を確信した(この時点ではメダル確定ではありませんでしたが、中国ペアを上回っていたので事実上決まってた)鈴木選手と原田選手の涙を会場の大きなモニターを見た南原さんは「相当なプレッシャーだったんだね~」としみじみ。
オリンピックには驚・歓・奮・叫・涙 の5つには入りきらない表情があることを教えてくれた南原さんでありました(笑)。

伝統のメダルを死守した鈴木選手と原田選手は、南原さんのインタビューに答え、

鈴木 「メダルを獲らなければいけないという責任は絶対果たしたかったし、デュエットでつなぐことが出来て正直ホッとしてます」
原田 「絶対獲りに行くぞっていうふうに思ったメダルというか・・うん、今回はすごい重みのあるメダル」

そして、激闘のエピソードとして、インタビューの最後には、

南原 「お二人が入ってくるところを、僕はじっとこう見てたんですけれども、中国(の演技)を見て、もう点数は分かってたんですか?」
鈴木 「いや、全然見てなかったんですけど、チラッと、本当にチラッとですよ(笑)」
南原 「チラッと」
鈴木 「出番前に、こう、ちょっとストレッチしながら」
南原 「はい」
鈴木 「テレビが置いてあるんですけど、そこで演技が出るんですね、中国の演技見るつもりもなくパッと見たら」
南原 「はい」
鈴木 「最後の脚技ですっごいバラバラだったんですね」
南原 「ハッハハハハハ、はいはい、そうでしたそうでした」
鈴木 「本当に彼女たちもすごいプレッシャーがあるんだなと思ったし、やっぱり私たちはそんなミスは絶対したくないというか、やっぱ後悔は絶対したくなかったので、なんか、より気持ちが引き締まったというか」
南原 「そこで(原田選手に)言ったんですか?「(声をひそめて)バラバラだったよ」とか」
鈴木 「言いませんでした(笑)」
南原 「言わなかったんですか」
鈴木 「はい(笑)。これ、私が(原田)早穂ちゃんに声をかけることで早穂ちゃんが舞い上がったりしても」
原田 「(笑)」
鈴木 「あの、なんか、ちょっとヘコんだりとかしてもダメだなと思ったので」
原田 「(鈴木)絵美ちゃんが画面を見てるの、実は知ってたんですよ」
南原 「アッハハハハハハハ」
(スタッフの笑い声)
南原 「あ、分かってた(笑)、はいはい(笑)」
原田 「はい、画面は見なかったんですけど、絵美ちゃんのことは、ちょっとたまに見てて」
南原 「はい」
原田 「「あ、絵美ちゃん画面見てる」と思って」
南原 「はい」
原田 「でも、ホントに表情ひとつ変わらなかったんですね」
南原 「はい」
原田 「なんで、ちょっと不安になったんですよ」
南原 「アッハハハハハハ」
原田 「でも、ホントに何も変わらなかったから、もしかしたらいけるんじゃないかと思って」

という裏話も披露。
笑いを交えながらのインタビューでしたが、鈴木選手と原田選手の本番前の緊張感や不安など微妙な心理状態がよく伝わってくる、文字通り"激闘のエピソード"でありました。



Chapter 3 南原清隆が見た「情熱的北京五輪」 ♯2競泳ニッポン~継承~
オリンピック終了直後の8月28日。
競泳日本代表監督の上野さんに、花束を持って出迎えた南原さんがテレ朝の会議室(?)でインタビューをしていましたが、オリンピック前にも南原さんは上野監督にインタビューをしいたようで。
プールサイドで話を聞いていた南原さんに、上野監督は「僕は(北京五輪の)テーマとして、オープンマインド」という話をしていましたが、その心は、

上野 「自分のコーチじゃなくても、どんどんどんどん分からないことがあったら、どんどん質問する」
南原 「うん」
上野 「そしてコーチも、自分の選手じゃなくてもどんどん指導すると」
南原 「うん」
上野 「選手同士も意見交換をすると、所属の垣根を取り外して出来るってことが、非常にテーマになってくるということだと思ってます」
南原 「それぞれ持ってるものを持ち寄って、お互いに刺激しあって」
上野 「はい」
南原 「まずは心を開いて」
上野 「そういうことです」

とのことでした。
取材VTRでは、上野監督の言う"オープンマインド"・・経験という財産を共有するために、全体ミーティングで五輪経験者の北島選手や柴田選手が「最初の時は僕も緊張しすぎて、キャップ被れなくて震えちゃったというのが一番最初の思い出で(by北島選手)」という話を、五輪初出場の選手に話したり、大会直前合宿にアテネで銀メダルを獲ったバタフライの山本貴司さんが来て若手のケアをしたりして、オープンマインドを実践してる様子が紹介されてました。
"オープンマインド"という考えが生まれたきっかけは、アトランタ五輪で有力選手が居たにも係わらずメダルがゼロだったことがきっかけで、上野監督は、敗因は選手が個人としてのみ戦っていたことだと分析し、個人競技の水泳をチームとして戦う"チームワーク"を導入したとのこと。
上野監督いわく、「同種目だったら、片一方のコーチが「あっち失敗してくれればいい」なんて考えを持たれちゃうと、これ、日本チームですから、そんなコーチは要らないわけだし、選手も要らないわけであって、同じライバルであっても日本チームの一員という自覚を持って望むってことがオリンピックじゃないかと思います」。

上野監督が言う"個人競技の水泳をチームで戦う"という話は、アテネ五輪の後の『Get』でも、スタジオに上野監督を招いて南原さんが直接話を聞いていたのでよく憶えているのですが・・・。
個人競技をチームで戦うというのはどこかで見たことあるな~・・と思い、4年前にしばし考えて出した結論は、ウリナリ社交ダンス部と同じだということでした(笑)。
いや、ホントに、冗談抜きで、ウリナリ社交ダンス部こそ個人競技をチームで戦う集団、チームワーク抜群の部だったように思います。
級取り大会などでは、お互いライバルでありながらも自分のダンスが終わったら他のペアを大声で応援。
そして、「先生や部長の顔が見えたので安心しました」「皆の応援が聞こえて心強かったです」という部員たちの言葉を何度聞いたことか。
これをチームワークと言わずに何と言う!
・・・失礼しました。わたくし興奮してしまいました(笑)。
オリンピックと社交ダンス部を一緒くたにするのはどうなんだ、という気がしないでもありませんが、個人競技をチームとして戦うという考え方は、不安になりがちな個人を勇気づけ、本来の力を十分に発揮させるということですので、そういう意味ではオリンピックも社交ダンス部も同じではないかと思います。
話がちょっと逸れてしまいましたので、社交ダンス部話はこれくらいにして(笑)。

上野監督は次世代のエース育成のために、北島選手と背泳ぎの入江選手をオリンピックの選手村では同部屋するということもしていたそうで。
それから、男子400mメドレーリレーのメンバーに選ばれなかった森田選手が、ビデオ係や会場の場所取りなど、裏方として働いていたというエピソードも紹介されてました。
メドレーリレーのメンバーは北京での成績で決まる、という話を以前『スポドリ』のゲストに来た宮下選手がしていましたが、森田選手は準決勝敗退で、宮下選手は8位入賞。
メンバーから漏れた森田選手はその後チームのサポートに徹し、最終日は同室のメドレーリレーメンバーの佐藤久佳選手を個室で寝かせるために床に寝ていたとのこと。
う~む、森田選手のラブポーズは伊達じゃない・・いや、ホントに、森田選手のチーム愛に大感心&大感心でありました。
で、メドレーリレーは、森田選手の献身に答えた佐藤選手やエース北島選手、宮下選手の頑張りもあり、みごと銅メダル。
2003年以降の世界大会で、常にメダルを獲り続けてきたこの種目の伝統を継承したのでありました。
その様子を観客席で観ていた南原さんは、以前取材したことがある佐藤久佳選手に「久佳がんばれ~!」「まだ行けるまだ行ける、よし、食い込め食い込め」と大声で声援。
そして試合後は、「若い水泳陣がんばったね」「大きな銅メダル、大きな銅メダル、良かった。これで若いスイマーたちが自信つけて、この経験が伝統となって繋がってくれればねぇ」と、ここでもしみじみと語っていた南原さんでした。

スタジオのG-Messageは、南原さん、栗山さん、中西さんと中山アナという、これまたいつものメンバーで、北京五輪を振り返ってあれこれと。
まずは、

南原 「さぁ、私はシドニーとアテネと北京を生で見させてもらう機会に恵まれたんですけども」
中西 「はい」
南原 「この3つの大会を見て、今回思ったことはですね、世界は急速に進化してる」
中西 「はい」
中山 「はぁ~」
南原 「特にアテネから北京のこの4年間の世界の進歩の仕方」
中山 「はい」
南原 「水泳に関して言うと、ヨーロッパの小さい国とかが」
中西 「うん」
南原 「どんどん決勝に残ってメダルを獲ってる」
中西 「うん」
中山 「うん」
南原 「そういうのを見たときにですね、あ、これは日本の勢いは正直言って失速してます。それくらい他の国はですね、すっごくスポーツに対して熱が入ってる」
中西 「うん」
南原 「で、今回、上野監督にインタビューさせてもらったんですけど、印象に残ったのが、「戦えるかどうかだ」と、えぇ。オリンピックに出て「楽しもう」とか「自分のプレイをしよう」とか、「そういうレベルじゃもう勝てないんだ」と。「戦えるかどうかだ」と言ってました」
中西 「う~ん」
南原 「えぇ、どうですか?」
栗山 「いや」
南原 「北京に行かれた、えぇ」
栗山 「いや、あの、今回、ナンチャンがすごい怒ってる印象が、ものすごい・・」
南原 「ハッハハハハハ」
中山 「ハッハハハハハ」
栗山 「僕はもう思い・・ま、それだけこう愛情を持って色んなスポーツを見てくださって」
南原 「いえいえ」
栗山 「で、やっぱり、その、他の競技の選手たちが、勝ってる選手たちがどういう状況でどんなプレイをしたかっていうのは」
南原 「はい」
栗山 「特に野球なんか、僕は野球(に)ずっとついて見れなかった」
南原 「はい」
栗山 「それを見ることによって学ぶことっていうのは、今回いっぱいあったなっていうのが、すごく印象でしたね」
南原 「野球悔しかったですねぇ、えぇ」

というやり取り。
栗山さんは南原さんの話ぶりについて「怒ってる印象が」と言ってましたが、確かに、これだけ熱弁をふるう南原さんは珍しいかもしれません。
そんな南原さん、ロンドン五輪へ向け、戦う集団へのキーワードとして「一体感」「コミュニケーション」「準備」の3つを上げていましたが、こられは全て「戦う一体感」であり「戦うコミュニケーション」であり「戦う準備」であるということを強調。
そして南原さんは先日の『スポドリ』のゲストだった沢選手の話・・一敗一分の崖っぷちで迎えたノルウェー戦前に選手だけでミーティングをし、今までだったら出なかった足がもう一歩でるようになり戦える集団になった、という話も披露し、「オリンピックに出られる人なんだから一体感は出ると思うんですけども、その一体感じゃなくて、もう一っこ上がった一体感、これが必要なんだなと思ったんですけども、どうですか?中西さん」と、ここでも熱弁(笑)。
南原さんは「ひとつ上の一体感・・」について沢選手にも質問をしていましたので、南原さんの中でかなり気になっていることのようですが、中西さんいわく、女子サッカーの未来は私たちが勝ってつくるしかないという使命感が戦う集団の一体感になった、とのことでした。
そして、南原さんは上野監督が森田選手や宮下選手とよく話し合いをしていたことを例に出し、「選手から信頼がなくなったら終わりだから、どんな小さいことでも一つ一つ確認していくっていうことが、あ、こういうコミュニケーションが必要だなと思ったんですけども」。
韓国の野球選手が勝った瞬間うずくまっていたことについては「彼らは戦いに来てるんですよ!負けたら終わりだと思ってるんでしょうね」。
さらに、スポーツに対して「他の国はすっごく(予算を)かけてます」と、熱弁に次ぐ熱弁の南原さん(笑)。
いや、南原さんがこれだけ真正面から熱弁をふるう姿を見ることはあまりなかったので(内村さん相手だとちゃんと聞いてもらえずすぐ飽きられてしまいますし・笑)ちょっと新鮮な感じもしましたが、現地に行って各国の選手の戦いぶりを見ることによって色々と感じることや思うことが多く、熱く語らずにはいられなかったということなのでしょう。
最後も、

南原 「そして、全体(見て)思ったんですけど、栗さん」
栗山 「はい」
南原 「タフさが欲しいですよね」
栗山 「ホントです」
南原 「うん」
栗山 「まぁ、心も体も」
南原 「はい」
栗山 「概念にとらわれないで、やる時はガーッ!と行ってしまう」
南原 「はい」
栗山 「タフさがありましたね、勝った選手はね」
南原 「そうですね。選手村にはロナウジーニョが居たらしいですよ」
中西 「はいはい(笑)」
南原 「えぇ、ロナウジーニョが普通の選手と一緒に、太鼓叩いたりとか」
栗山 「あ、そうですか」
南原 「そういうコミュニケーションをしながら試合もこなしてる」
栗山 「へぇ~~~!」
南原 「(サッカーの)メッシも居たし、(陸上の)ボルトも居たし、どんな環境でも自分のベストを出来る、出せる、そのタフさがあるんですよ」
栗山 「へぇ~~」
中山 「はぁ~~」
南原 「これ、是非ですね!もう一回タフな!」
栗山 「うん」
南原 「戦える!」
中西 「うん」
南原 「集団! これを作ってもらいたいなと思いました」
栗山 「そうですね」
南原 「はい」

というやり取りで、最後まで熱弁&力説、松岡さんも顔負けの熱い男・南原さんでありました(笑)。



という感じで、今回は取材からスタジオトークまで、文字通り2時間出ずっぱり(『Get』本編は約1時間半ですが)の南原さん。
そして、このあと放送されていた、インカレ水泳2008の中継録画を含めると4時間(!?)の『Get』でありました。



『スポーツドリーム』 9/6

2008年09月07日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは沢穂希選手。

今回は、決勝トーナメントの3試合を振り返りながらあれこれと。
準々決勝の中国戦は2-0で完勝し、準決勝に駒を進めたなでしこJAPANは、ここでようやく選手村に入ることが出来たとのこと。
先週の放送でも沢選手は「それ(選手村に入るの)をモチベーションに(皆やってました)」「普段会えない選手に会えるんで」と言ってましたが、選手村に入るときは、

南原 「準決勝」
沢   「はい」
南原 「これ、選手村ですよね」
沢   「はい」
南原 「選手村(笑)」
沢   「(笑)」
南原 「どうですか?選手村入って(笑)、荷物まとめて「私たち選手村だよ!」」
沢   「選手村に着いたときに」
南原 「はい」
沢   「みんなで「あれ?」とか言って、「選手村って入れるのってベスト4だよね」とか言って」
南原 「はい」
沢   「で、「ドイツ、アメリカ、ブラジル、日本、これおかしくない?」って、みんなで(笑)」
南原 「ハッハハハハハハ」
沢   「「ここに日本入ってるのおかしくない?」って言って」
南原 「ハッハハハハハハ」
沢   「「でも選手村だよ」とか言って、「ベスト4だよ」とか言って、みんなでそういう話をして、選手村に入ったんですよ」

という話をしていたそうで(笑)。
サッカーは開会式前から試合をしたり、北京五輪と言いながらも北京以外の場所で試合をやっていたり、オリンピックムードとはちょっと違った中での試合が続いていたと思いますので、準々決勝の試合に勝って念願の選手村入りをして、マック食べ放題なども経験できたようで何よりでした(笑)。


準決勝のアメリカ戦は、「(皆で)メダル欲しいね~って言ってて」「(予選リーグの時は負けたけど)次やる時は勝てそうな気がしました」とのことでしたが、アメリカも予選の時とは違い調子を上げてきて気持ちを前面に出していたそうで、残念ながら敗戦。
3位決定戦のドイツ戦は、銅メダルという目標がありつつも、今のチームでやれるのが最後の試合だったので自分たちが90分間楽しいサッカーをやろうと言ってやりました、とのこと。
で、

南原 「ピッチ立って、最初(日本が)バーッと攻めてましたよね」
沢   「はい」
南原 「はい」
沢   「で、あそこで点が取れなかったのが、たぶん、やっぱりホントに世界との差と言うか」
南原 「うん」
沢   「だなって感じましたね」
南原 「これは、な・・色んな競技とかにも言えると思うんですけど、何なんですかね? その、1点入れる、1点入れない差っというのは」
沢   「で、でこう、前半の時、前半は日本ペースでホントに自分たちのサッカーも出来てましたけど、やっぱり後半のホントに残り10分15分で」
南原 「うん」
沢   「あそこで(点を)入れてくるドイツっていうのは、やっぱりレベルの差というか、そこがやっぱり日本との違いだな、というのもすごく思いましたし」
南原 「それレベルの差ってやっぱありますか?」
沢   「ありますね、フィジカル的にも全然違いますし、普通に横に立ったら身長180cmがパーッと居て(笑)」
南原 「(笑)」
沢   「この選手たちにヘディング勝てっていうほうが難しい(笑)」
南原 「アッハハハハ」
沢   「思いますもん(笑)、やってて(笑)」
南原 「ハッハハハ、デカかったですね、ディフェンダーね」
沢   「デカかったですねぇ」
南原 「これ、ヘディング・・じゃ、どこで点入れるって足元かとか、そういう」
沢   「そうですね、でも、ホントに日本の良いところって、やっぱりパスワークだったり戦術だったりとか、戦術の理解度だったりとか」
南原 「はい」
沢   「そういうのは、ホントに負けていないと思うんですけど、やっぱりフィジカル、こう、高さだったりパワーだったり、スピードでっていうと、やっぱちょっとまだキツイ部分があるので、で、それに対抗してやるのはやっぱり難しいので」
南原 「うん」
沢   「だったらやっぱり日本のそういう良いところを、もっともっと自分たちのレベルを上げていかないといけないんだなっていうのは思いますね」
南原 「後半のラスト10分までは戦えてたわけですよね?」
沢   「そうなんですよ、あとだから10分なんですよ」
南原 「あと10分」
沢   「あと10分、15分なんですよね」
南原 「ラストどう締めるか」
沢   「はい」
南原 「ここが難しいっていうか」
沢   「そうですね」
南原 「はい」
沢   「そこが今の課題だと思いますね」
南原 「課題」
沢   「はい」
南原 「沢選手から見て、これ、何をどうやったら、こう(課題が)埋まりますかね」
沢   「う~~ん、難しいですねぇ、でも・・」
南原 「ま、沢選手はアメリカ(のプロリーグ)でもプレイしましたよね」
沢   「はい」
南原 「日本人の良さとか」
沢   「う~ん、でも、まぁ日本人の良さはホントに、そういう技術はアメリカ人の選手に負けてないと思いますし」
南原 「うん」
沢   「普通にアメリカ人の選手はリフティングしてても全然出来ないんで(笑)」
南原 「アメリカ人は?」
沢   「はい(笑)」
南原 「はい」
沢   「だから、もっともっと、その細かいところというか、やっぱファーストタッチだったりとか」
南原 「うん」
沢   「トラップするところの位置だったり、やっぱり判断だったり、ホントに今からでも少しずつでも変えれる部分を変えていかないと、やっぱり世界には勝てないなと思いますね」
南原 「もう、もうホントに」
沢   「ホントの」
南原 「細かいとこですか?」
沢   「はい、そう思いますね」

というやり取りも。
フィジカルやパワーで日本が世界と対抗していくのは確かに難しいと思いますが・・・。
今回、沢選手の話を聞いていると、メダルを獲れなかったのはそういうフィジカル的なことよりもメンタル面のほうが大きかったんじゃないのかな?という感じです。
バルセロナ五輪の時に金メダルを獲れなかった柔道の谷(当時は田村)選手が当時のことを振り返り、準決勝で勝ってホッとしてしまい決勝では負けてしまった、という話をしていましたが、今回のなでしこもベスト4に入ったことである程度満足してしまい、達成感のようなものを味わってしまったことが、メダルを逃してしまった要因のひとつのような気がします。
あと、「メダルが欲しい」と思うのと、「メダルを絶対獲る」と思って試合をするのとではモチベーションも微妙に違うと思いますし・・・う~む、このへんは世界との差というよりも、経験の差なのかもしれません。
とはいっても、初のベスト4入りは改めて言うまでもなく素晴らしいことですので、今回の経験を踏まえ、沢選手やなでしこには更に上を目指して頑張って欲しいと切に思います。


あと、北京五輪ではメダルは取れなかったけどそれ以上のものを得た、みんなの勝ちたい気持ちというのがすごくグラウンドにも出せましたし、やっぱり最後まで諦めない気持ち、色んな人に対する感謝する気持ちとか色んなものを感じた大会でしたね、という沢選手の話などもありつつ、

南原 「沢さんは、血液型が確かAB型」
沢   「一緒ですよね」
南原 「僕もAB型なんですよ、わかりますよ」
沢   「(笑)」
南原 「ホントは喧嘩とか苦手なタイプでしょ?」
沢   「(笑)」
南原 「言い合うのも」
沢   「あぁ、もう絶対すぐ私あやまります」
南原 「ねぇ」
沢   「はい」
南原 「あいだ入って「まぁまぁ待ちなよ」みたいな」
沢   「う~ん、けっこうそういう感じですね、でも、行くときは行くんですけどね(笑)」
南原 「ハッハハハハハ、開き直ったら(笑)」
沢   「開き直ったら強いですね(笑)」
南原 「ハッハハハハハハ」

というやり取りも(笑)。
AB型の人がみんな南原さんのように喧嘩を一度もしたことがない平和主義者だとは思えませんが(笑)、それは兎も角として。
沢選手いわく、チーム内では喧嘩もなく、このチームでサッカーをやれて幸せ、最高の仲間と一緒にこの大会に出れたというのは自分のサッカー人生の中で貴重な時間になった、とのことでした。


あとは、(現役は)やれるとこまでやりきりたい、その先にロンドン五輪があればそれに向けて戦いたいという話や、今度はオリンピックでメダルを獲りたい、釜本さんの代表ゴール数75を「絶対抜きたい」、という話等々、沢選手が語る北京五輪&サッカー話を、南原さん同様興味津々で聞いてしまった30分でありました(笑)。



積乱雲

2008年09月03日 | あれこれ
8月最後の日曜日、特に祈願することもないのに(笑)ぶらり明治神宮へ行ってきました。
夏の終わりの明治神宮は、緑の芝生と青い空が鮮やかで暑いながらも気持ち良かったのですが、青空の向こうには、いかにも「これから雨を降らすぞ~」ってな感じの不穏な積乱雲が・・・。
う~む、こりゃ今夜も雨か・・と思っていたら、案の定、日が暮れた頃から雨が降り出し、先週末は3日連続の大雨&雷でした。
幸い私の住んでいるところでは被害はありませんでしたが、各地でいろいろと被害が出ているようで、くれぐれもお気をつけ下さい。


ここからは私信です。
S様、ご丁寧にありがとうございました。
『スポドリ』の感想記は、私が面白いと思った部分だけをおこしているので、かなり偏っていて申し訳ないのですが、喜んでいただけて良かったです。