Untersee-Boot

あるいは感想記として

『Get Sports』 2/21

2010年02月25日 | Get Sports
約1ヶ月ぶりに『Get』出演の南原さん。
前回はVTRの出演だけでしたので、ニュース&スポーツに生で出演となると・・・いつ以来だっけ?
う~む、よく憶えてないほど♪お久しぶりね~♪でありますが、クルクル回ってハイポーズのCM前のミニミニコント(笑)も久しぶりに見れましたし、栗さんとのツーショットも久しぶりに見れて何よりでありました(笑)。
それからこの日は、昼は島根で舞台、と思ったら夜は東京で生放送と、怪人20面相もビックリの神出鬼没っぷりを発揮していた南原さん(笑)。
西から東へと強行日程での移動&お仕事、ホントにお疲れ様でありました。


『Get』本編は、まずは、"横浜・尾花高夫新監督×南原清隆 打倒巨人(秘)再建の方程式とは?"と題した、南原さんPresentsの横浜ベイスターズの特集。
1週間前に(放送日の1週間前だと、現代狂言の公演の合間の2月14日ごろかな?)、沖縄の横浜キャンプへ取材に行った南原さん。
ホテルの部屋のドアをノックして「失礼しま~す」と言いながら尾花監督のもとへ。
いつものように両手でガッチリ握手をしたあと、尾花監督にいろいろな話を聞いていた南原さんでしたが、

南原 「あ、横浜けっこういい資料ありますか?」
尾花 「ありますよ、ありますよ」
南原 「あ、そうですか、やっぱり資料好きですか?」
尾花 「楽しいですよ(笑)」
南原 「アッハハハ」
尾花 「見てて楽しい」

という感じで、和やかな雰囲気のなかインタビューをしてました。
南原さんと尾花監督は以前から面識があったけ??初対面にしてはよく話が弾んでたし・・という感じでありましたが、そんな疑問はとりあえず置いといて。

尾花監督は、'95年以来投手コーチとして4つのチームを渡り歩き、4度日本一に導いた投手再建のスペシャリスト。
その尾花さんが横浜の監督に就任して掲げるスローガンは、Analyzing Baseball:分析野球。
アナライジング・ベースボール・・ということは、尾花監督はアナライザーということか(笑)。
さすがに、「サ・ナ・ダ・サ・ン」とは言わないと思いますが(笑)(でも、尾花監督はヤマトの真田さんに似てなくもないな・笑)、アナライザー尾花監督によると、「(横浜の)失点100点は減らせると思います」「投手力は良くなると思います」「それは自信あります」。
いわく、三浦大輔投手が昨シーズン11勝していながら巨人には1つも勝てなかったのは、1番から4番までは打率1割5分で抑えているのに、5番から8番の打者には3割7分も打たれているのが原因。下位打線に対しての攻略法を見つければ、「今年は勝てますよ」とのこと。
で、こういう分析を始めたきっかけについては、

南原 「これはどういうきっかけでこういうふうに分析の・・」
尾花 「いや、結局自分自身が選手のときに、へぼピッチャーだったわけじゃないですか」
南原 「そんなこと・・僕覚えてますよ~」
尾花 「(笑)、勝つように、どうしたらいいんだろうなぁとかっていって」
南原 「はい」
尾花 「で、自分で、要するに自分の投げたチャートをもらうわけじゃないですか」
南原 「はいはいはい」
尾花 「試合に投げたやつね、それをこう調べてて、けっこう色んな面白いことが出てきたりしたので」
南原 「はい」
尾花 「だから選手に伝えるのは、数字で言ってあげると」
南原 「はい」
尾花 「説得力があるんですよ」
南原 「うんうん」

とのことでした。
数字で言うと説得力がある、というのは確かにその通りだな~という感じでしたが、それよりも気になったのは、南原さんが「僕覚えてますよ~」と言っていた話について(笑)。
自らへぼピッチャーだと言っていた尾花さんに、すかさずフォローの言葉を入れるあたり、さすが気遣いの人南原さんという感じでありましたが(笑)、肝心の「覚えてますよ~」話は(たぶん)バッサリカット(笑)。
南原さんの、尾花投手思い出の名場面話を是非とも聞きたかったところではありますが、今回は聞くことが出来ず残念無念でありました(笑)。


南原さんはホテルで尾花監督に話を聞くだけではなく、ベージュのパンツに黒のハーフコートを着て、キャンプも取材していろいろな選手にインタビューもしてました。
三浦投手に練習の雰囲気を聞いたり、練習の合間のユニフォーム姿の尾花監督に、ピッチャーがピッチング練習の前にトスバッティングをしていることについて、

南原 「それは先に、こういう疲れた状態に?」
尾花 「そうそうそう、要するに力があまってると上体ばっかりで投げるじゃないですか」
南原 「はいはいはい」
尾花 「それを要するに疲れさせて力任せのピッチングにならないように」
南原 「わかりました」

という話を聞いたり。
それから、今シーズン抑えから先発に転向し次期エースとして期待される山口俊投手のピッチング練習も、南原さんはネット裏から真剣な顔で見学(尾花監督のすぐ後ろという絶好のポジションに南原さんは陣取ってました・笑)。
で、その山口投手にも今シーズンの抱負などの話を聞いていましたが、インタビューの最後には、

南原 「お父さんが関取だったので」
山口 「はい」
南原 「やっぱりその、下半身の粘り強さとかあるんですか?」
山口 「ま、一応、小っちゃい頃に相撲してたんで」
南原 「あぁ」
山口 「そのおかげで多少はあるのかなっていう」
南原 「今後の」
山口 「はい」
南原 「先発期待してます」
山口 「はい、ありがとうございます」
南原 「ありがとうございました」
(両手で握手して礼をしたあと、山口選手のお尻を触り)
南原 「お尻、大っきいっすね~」
山口 「ありがとうございます(笑)」
南原 「ハッハ、ハッハ、ハッハ」

というやり取り(笑)。
ピッチャーに「お尻が大きい」というのは最大の褒め言葉ですので、セクハラではないということを念のため申し上げておきます(笑)。


あとは、尾花監督の選手育成の方程式についての話・・素質×ヤル気(心がけ)×考え方(意識)=仕事の質。
素質が一流でヤル気も一流、考え方一流の選手は、仕事の質は超一流。
素質が二流でも、ヤル気が一流で考え方が一流の選手は超一流にはなれないけど一流にはなれる。
プロ入りして9年目の寺原投手は、尾花監督いわく、15勝以上して当たり前なのに二桁勝てばいいというような「考え方に甘えがあるんですよ」。素質は一流で速い球を投げられるのに楽してカーブばっかり投げてる、とのこと。
そんな寺原投手にも南原さんはインタビュー。
南原さんの「(尾花監督に)寺原の速球を見てくれといわれてみたんですけども」「「本格派だったんですね」という質問に、寺原投手は「変わらないといけない」「考え方をもっと変えないと」「15勝ちたいですね」と答えていて、尾花流投手再建術は早くも効果を上げている感じでした。

他にも、打者を想定した投球のシュミレーション練習をしていた小林太志投手のピッチャングを見学&インタビューしたり、野村弘樹コーチに話を聞いたり(南原さんの姿は映っていませんでしたが、「はい」という声が南原さんだった・・と思います)、精力的に取材をしていた南原さんでありました。

最後は、

尾花 「我々は野球をすることが仕事じゃないって言ったんですよ」
南原 「ほぉ」
尾花 「我々の仕事は勝つこと、試合に勝つことが仕事だと、プロフェッショナルである以上ね、我々の向こうにあるのはファンなんだっていうことですね、だから最大のファンサービスは、これも勝つこと」

という、ホテルの部屋での尾花さんの話で、南原さんPresentsの企画は終了。
約17分の特集でありました。



続いては、栗山さんが取材した、ヤクルトの青木宣親選手の特集。
栗さんも沖縄のキャンプ地へ行き、青木選手にバッティングの話を聞いていましたが、青木選手いわく、
ボールの軌道に対してバットをフラットに振る。
テニスのラケットのように面を意識してボールを捉える。
左腕(後ろの腕)を打つときに身体から離さない。
とのこと。
バットをボールの軌道に・・云々という話は、以前日ハムの稲葉選手も「ボールのラインにバットを入れてあげる、それがいちばん芯に当たりやすい、ヒットになりやすいバット軌道だと思うんですよね」と、同じようなことを話していましたが、この理論は一流打者の間で広がりつつあるそうで。
それから、後ろの腕を身体から離さない、というのは、先週の『Get』でも城島選手が話していましたし、一流打者が行き着く先は皆同じ、というのが興味深いところであります。



スタジオのG-Talkは、南原さん、栗山さん、中西さんの3人。
LIVEの文字がありませんでしたので、ここは録画だったようです。
まずは、横浜キャンプを取材した南原さんから「チームの雰囲気が変わった」「確実に強くなってます」というような話があり、その後は、青木選手が話していたボールの軌道にフラットにバット振るを、実際にやってみよ~のコーナー(笑)。
スタジオに用意されたバッターボックスに南原さんが立ち、

栗山 「じゃ実際にね、言葉遣いは別として」
南原 「はい」
栗山 「どんなふうに打ったら確率がいちばん高いのか」
中西 「うん」
栗山 「当然ボールの軌道に長くバットがいたほうが当たる確立が高いってことですよね」
中西 「そうですよね」
栗山 「で、どういうことかちょっと実際にナンチャン」
南原 「はい」
栗山 「やってみていきましょう」
南原 「いきましょう、今までダウンスイングの主(ぬし)といわれた僕が」
中西 「ハハハハ」

というやり取りとともに実践スタート(笑)。
"うどんの国の王子"は聞いたことがありますが、"ダウンスイングの主"っていうのは初耳だな~(笑)。
いつから言われてるんだ?というのが気になるところではありますが(笑)、その話はとりあえず置いといて。
まずは、栗さんがボールが付いた棒を持ち、それを南原さんが、ボールに最短距離でバットを出すダウンスイングで一振り。
ボールが付きの棒をひざまずいて持ち南原さんの前に差し出していた栗山さんの姿は、子供の相手をするじいやのように見えなくもありませんでしたが(笑)、兎にも角にも、さすがダウンスイングの主と言われていただけに、いい感じのダウンスイングでありました(笑)。
で、今度は、青木選手が話していた、ボールの軌道にバットを入れるスイングをやってみることに。
栗山さんから「ボールの後ろにバットを入れる感じ」と言われ、バットを振った南原さんは、

栗山 「すっごいもう綺麗に(ボールの)軌道が(バットが)入れる、出てますよね」
中西 「自然に何かね、フラットにこう入ってますよね」
南原 「なってますか」
中西 「綺麗、すごく綺麗に入ってますよ」
南原 「あの、今までの感じと違うんですよ、だから「打つぞ」っとなると(力を入れて)こういう感じなんですけども、入れるとなると、「はい」」
(もう一度栗山さんが持つ棒の先のボールを軽く打つ)
南原 「っとなんか」
栗山 「そうすると自然に(バットの)芯と(ボールの)芯がぶつかってるじゃないですか今」
南原 「はい」

と、感心しきりの様子。
去年の5月に放送した稲葉選手の縦振り理論の特集・・青木選手と同じように「ボールのラインにバットを入れてあげる」という稲葉選手の話をスタジオで実践をしていたときも、南原さんは、同じように感心して同じような話をしていたような気がしますが・・・。
このへんは、初めて見る視聴者にもわかりやすく、ということで、さも初めて聞きましたというふうにやっていたのでしょう。
さらに続けて、今度はティーバッティングで実践をする南原さんでしたが、

栗山 「じゃあ、今の形でナンチャン、実際に今度ボールを打ってもらおうと思うんですけど」(と言いながらティーバッティングの道具を南原さんの前に置く)
中西 「あぁいいんじゃないですか」
南原 「やってみるか」
栗山 「軽くでいいので」
南原 「はい」
栗山 「ボールの後ろに入れるイメージで、打ってもらって・・」
南原 「打つ感じじゃなくて、ボールを後ろに入れる」
栗山 「入れる」
(ティーの上に置かれたボールを軽く打つ南原さん)
中西 「おぉ~!綺麗じゃないですか、今」
栗山 「これね、そう、ティー、実はナン・・哲っちゃんね、打つの難しいんですよ」
中西 「これ、綺麗ですよ今の(笑)」
栗山 「芯、今一発でいったじゃないですか」

中西さんからは感嘆の声が上がり、栗山さんも中西さんのことを「ナンチャン」と言い間違いそうになるほどのナイスなバッティング(笑)。
ただ、南原さんが打った瞬間にカメラが切り替わり、ボールがどんなふうに飛んだのかは画面では確認できず。
南原さんがどんなナイスな球を打ったのかはわかりませんが、二人がこれだけ褒めていたくらいですから、いいバッティングだったのは間違いない・・のでしょう(笑)。
その後、ボールの軌道にバットを入れるフォームで、何球かティーバッティングをしてした南原さん。
ナイスバッティングをして、中西さんから「あぁ!素晴らしいじゃないですか」とまたまた感嘆の声が上がったり。
いまいちジャストミートしなかったときでも、栗山さんからは「大丈夫でしょ、大丈夫でしょ」とフォローのお言葉(笑)。
その言葉を聞いて、南原さんは「大丈夫大丈夫、行けます行けます」とすっかり前向きな子になっていましたが(笑)、

(ティーの上にボールを置こうとして落としてしまう栗山さん)
栗山 「あぁ、ごめんなさい」
南原 「これね・・」
(中腰のまま落としたボールを拾おうするが拾えずに、よろけて床に手をつく栗山さん)
南原 「大丈夫ですか?」
栗山 「すいません(と言ってティーの上にボールを置く)」
南原 「いろんな意味で」
栗・中「(笑)」

というやり取りも(笑)。
栗山さんは、南原さんのためにティーの上に早くボールを置こうと焦っていただけで、別に足腰が弱っていたわけではないので大丈夫・・だと思います(笑)。
最後は、

栗山 「今年は、ナンチャン」
南原 「はい」
栗山 「常識を、何か覆すものをどんどんね」
南原 「今までのセオリーをね」
栗山 「はい」
中西 「セオリーを覆す」
栗山 「ぜひ」
南原 「これが、栗さんいきますよ、これまたこれで」(と言いながら、手を拳銃の形にしてカメラに向けて撃つポーズ)
栗・中「ハハハハ」

というやり取りで(笑)、約7分間のG-Talkは終了。
南原さんがやっていたポーズは、もしかしてフィギュアのキ○・ヨ○選手のマネなのかな?(笑)
う~む、イマイチわかりづらい南原さんの一発ギャグ(モノマネ?・笑)でありました(笑)。
それから、今回スタジオでやっていたバッティング実践は、去年の稲葉選手の特集のときにも同じようなことをやっていましたので、目新しい理論ということはありませんでしが、バットを最短距離に出して一点で捉えるダウンスイングではなく、ボールの軌道にバットを入れるスイングのほうがバットとボールが当たる確立が高くなる、というのは改めて聞いても納得の理屈です。
青木選手や稲葉選手が実践しているこのスイング・・ボールの軌道にバットを入れるスイングが、これからのバッティングの常識になるのかもしれません。
で、それをいち早く紹介しているこの番組は、さすが、目の付けどころが『Get』であります(笑)。



続いては、サッカー日本代表の特集。
東アジア選手権で3位になるなど、ここ最近良いとこなしの日本代表について、"日本は何をすべきなのか!?スタジオで緊急提言!"ということで、またまたスタジオからのG-Talk。
ただ、南原さんと栗山さんはスタジオではなく控え室。
で、

南原 「今夜はですね、中西さんがスペシャルゲストを迎えて」
栗山 「はい」
南原 「日本代表の窮地を救う具体策!具体策ですよ大事なのは」
栗山 「聞きたいですね」
南原 「はい」
栗山 「ただナンチャン」
南原 「はい」
栗山 「何で僕らここ居るんですか?」
南原 「まぁ私たちもですね、いちファンとして」
栗山 「あ、なるほど」
南原 「ちょっと距離置いて冷静に見てみようということで」
栗山 「(大きくうなずきながら)はい」
南原 「はい、さぁじゃあ、スタジオの哲さん、お願いいたします」
栗山 「お願いします」

というやり取りとともに、G-Talkがスタート。
中西さんとゲストの名波さんが日本代表について討論をしている様子を、画面の左上のワイプの中から(控え室のモニターで)見ている南原さんと栗山さん。
スタジオの討論を聞きながら、南原さんが栗山さんに何やら話しかけたり、真剣な顔で話を聞いていたりリアクションを取ったり、声は聞こえてきませんでしたが、確かに南原さんと栗山さんはいちファンになって・・いや、いち視聴者になって話を聞いてました(笑)。
スタジオでの討論の内容・・東アジア選手権の敗戦は心配ない?岡田JAPANの方向性は間違っていない?などの話しについては、全面的に割愛しますが、途中、控え室にいる南原さんから、「日本人はあぁいうふうにパスまわしとかでね、すごい型に入れるのが、型が好きじゃないですか、だからやっぱり意外性のポンってあったりとかするのはダメなんですか?パスとかで、向こうが「あぁ」っていう、型に入れると向こうは「あ、次は大体こうなる、こうなる」と読めてくるんじゃないのかなと思うんですけども、どうなんですかね?」という質問もはさんだりして、討論はつつがなく進行。
ただ、最後に、

南原 「あとやっぱり、(試合の)中盤からこう入ってくるようなキラーな選手、展開を変えるような選手は誰かいますかね?」
名波 「う~ん、そのムチャぶりはどうですか?」
南・栗 「ハハハハ」

というやり取りも(笑)。
南原さんの「型に入れるパス・・云々」という質問は打ち合わせどおりだった(?)ようですが、この質問は打ち合わせなしの不意打ちだったようで(そんなにムチャぶりでもないと思うけどな~・笑)。
ちょっと困っていた感じの名波さんでしたが、中西さんがすかさず「僕は石川直宏と森本選手に期待しているんで」とフォローして、事なきを得ていました(笑)。


という感じで、今回の『Get』は最初から最後まで出ずっぱりだった南原さん。
あ、それから番組の最後には、南原さんは『狂言でござる』の宣伝もしました(ホントに最後の最後まで出ずっぱりだな~・笑)。
鼓の音のBGMをバックに、スーツに革靴ですり足をして、カメラの前にスススっと歩いてくる南原さん(笑)。
で、本を持ち、「えぇ、『狂言でござる』という本を私が作りました、今発売中でございます。もしもよかったらですね、サイン入りで抽選で5名様にプレゼントしますので、どんどんどんどんこちらまでご応募ください。この中にはですね、真っ直ぐな立ち方とかですね、オーラの出し方というのも書いてあります。よかったら見てやってください。(狂言ふうの喋りで)それでは(と言ってまたすり足でカメラから遠ざかり、少し離れたところで立ち止まって振り返る)」と、噛むこともなくしっかりと宣伝をしてました(笑)。
ちなみに、プレゼントの応募は2月23日の消印有効とのことでしたので、残念ながら今からでは間に合いませんので、悪しからずご了承ください。


・・・久しぶりに南原さん大活躍の巻だったので(笑)、長々と書いてしまいました。
最後までご静聴ありがとうございました&ご苦労さまでありました(笑)。


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『スポーツドリーム』 2/20

2010年02月21日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、阪神タイガースの城島健司選手。

プロ野球はキャンプの真っ最中ということで、今回は沖縄まで出張してインタビューをしていた南原さん。
巳年生まれで寒さ弱い南原さん(笑)ですから、やはりバンクーバーへは行かず(?)、暖かい沖縄のほうへ行った・・のかな?(笑)
真偽のほどはわかりませんが、今日の『Get』でも横浜の尾花監督に沖縄で取材してる様子が流れるみたいですし、現代狂言の公演の合間にも、南原さんは暖かな地で精力的にお仕事をしていたようです(笑)。


今シーズン、城島選手は5年ぶりに日本のプロ野球界に復帰。
南原さんからの質問には、

南原 「久しぶりに日本のプロ野球帰ってみて、ま、今まだ始まってませんけども」
城島 「えぇ」
南原 「どんなふうに見てますか?変わりましたか?当時の日本のプロ野球と」
城島 「いや、全然変わってないと思います」
南原 「変わってないですか、基本的には」
城島 「基本的に変わってないです」
南原 「はい」
城島 「ただもう、(ピッチャーのボールを)捕るのが楽ですよ」
南原 「あぁ~(笑)」
城島 「(ピッチャーの投げる)ボールが綺麗(な回転)だから」
南原 「ハッハハハ、なるほど」
城島 「やっぱ僕がアメリカでいちばん苦労したのはボールを捕ることでしたから」
南原 「テレビで見ましたよ、はい」
城島 「(メジャーではピッチャーが2シームで投げた)ボールを(ミットの)芯で捕れないからスローイングに影響すると」
南原 「うん」
城島 「肩の強さっていうのは変わってないんですけど」
南原 「うん」
城島 「盗塁のその、ボールを慣れないからっていうのは確かにあったんで」
南原 「うん」
城島 「日本のピッチャーはコントロールもいいですし」
南原 「うん」
城島 「球も綺麗な球投げますし」
南原 「うん」
城島 「キャッチャーミットがすぐ出来るんですよ、すぐポケットが出来るんで」
南原 「あぁ、ポケット」
城島 「ミットがバチバチ出来上がっていくんで」

という話をしていた城島選手。
ボールを捕ることに苦労した、という話に南原さんは「テレビで見ましたよ」と言ってましたが、これ、私も見た覚えがあるな~。
う~む、どこで見たんだっけ?と記憶の糸をたどってみたら・・・何のことはない、先週の『Get』で城島選手が話してたことじゃあ~りませんか(笑)。
先週の『Get』に南原さんは出いませんでしたし、インタビューをしていたのは栗さんでしたので、ここで『Get』の名前を出すのははばかられたのかもしれませんが、南原さんが他人事のように言っていたのでしばし考えてしまいました(笑)。
そんな話は兎も角として(笑)。
キャッチング以外の日米の違いについては、城島選手いわく、日本は点を取られなければ負けない、アメリカは点を取らなければ勝てない、という考えで野球をやっている。
日本ではシーズンオフに走りこんだりウエイトトレーニングをしたり、ボールを握っていないときも(学生時代の野球部では)1年間野球に没頭するが、アメリカでは秋から春にかけては別のスポーツをする。
そのへんの違いを含め、日本の野球の教育は素晴らしいと思う。
とのことでした。
それから、

城島 「だから僕アメリカでキャッチャーで行きましたけど、スローイング、肩の強さとか、バンバン止めるとかコミュニケーションもいろいろ含めて、一つ一つが「コイツには負けない」っていうのじゃなかったと思いますよね」
南原 「う~ん」
城島 「やっぱその、僕のその(受けてきた野球の)教育だったり、チームがどういう状況になっても、ピッチャーがキレたろうが何しようが、我慢するじゃないですけど」
南原 「うん」
城島 「もうその、いちプレイヤーであり続けるみたいな」
南原 「うん」
城島 「その、ま、僕は精神論は好きじゃないですけど、その精神のこの何て言うんですかね、安定っていうか、そういうのも含めて、やっぱ(野球)教育っていうのがすごく日本は素晴らしいんだなと」
南原 「うん」
城島 「う~ん、と思いましたよ」
南原 「海外に行かないとわかんないですもんね」
城島 「わかんない」
南原 「自分が日本人っていうのが」
城島 「まぁ1年間特にいないとわからないですよ」
南原 「うん」
城島 「良いときも悪いときもですね」
南原 「うん」
城島 「うん」

という話も。
城島選手はわりとサラっと「いちプレイヤーであり続ける」「良いときも悪いときもですね」という話をしていましたが、「俺の投げる球を黙って捕ってりゃいいんだよ」という感謝知らずなメジャーのピッチャーの相手にしてきたり、メジャーのキャリア後半には出場機会が減らされるなかでプレーし続けてきた城島選手の言葉だけに、重みと説得力のある話でありました。


あとは、
自分の仕事は盗塁を刺すことだけではなく、盗塁をさせないようにすることが仕事。
そのためにはセーフのタイミングでもあえてセカンドにボールを投げて、ランナーにスタートを切りずらくさせる。
ファーストに牽制をするのも、コーチャーに「おい、牽制あるぞ」とひと言言わせたいから。
そうコーチャーが言えば、ランナーも警戒してセカンドベースが1メートルでも2メートルでも遠くしてくれると思う。
ソフトバンクのときは、盗塁阻止率ではなく盗塁の企画の少なさが自慢だった。
レギュラー選手はいつもそこにいるという安心感が大事。
マリナーズのときもイチロー選手がたまに休むと、ライトにぽっかりと穴が開いたような違和感があった。
ただ安心感というのは自分で評価するものではないので、そう思われるようにしたい。
WBCで監督だった原さんについては、1ヶ月ぐらではよくわからない。
バッターは真ん中の球を打っても3割。
難しい球を打ちにいってもヒットになる確率は低いので、ピッチャーの投げそこなった球を待って打てばいい。
シーズンは長いので、ノーヒットでも「今日は俺の日じゃなかった」と割り切らないと、目先のことだけを追いかけていたら余計打てなくなる。
・・という話。
それから、城島選手はプライベートとユニフォームを着ているときとでは全然違う・・♪昼間のパパはちょっと違う~♪という話も(野球選手の場合はナイターが多いので♪夜のパパはちょっと違う♪かな・笑)。
いわく、家では「俺はダメだ、俺は明日からヒット一本も打てないかもしれない」というぐらいの超マイナス思考だが、ユニホームを着たらスイッチが入って「俺が打たないで誰が打てるんだ」となる。
弱い自分も一日の中できっちり作らないと、強い自分も出来ない。
とのこと。
そんな城島選手の話を聞き、

南原 「これ、でも良い話聞きましたよ、今だいたい、ね、みんな「強い人になろう、強い人になろう」って言って、「なれないなれない、なれないなれない」ってなるんですよ」
城島 「思い切って弱い人になってないからじゃないですかね」
南原 「なるほど」
城島 「僕なんて自分が弱い人間だ、人間って弱いから」
南原 「うん」
城島 「その弱いところはもう恥ずかしがらずに、その代わりオフのときにね、その代わりユニホーム着たときにはダメですけど」
南原 「うん(笑)」
城島 「だから僕は何かたぶんユニホーム着てるときには強くっていうか」
南原 「うん」
城島 「偉そうにして見えるのかもしれないですけど」
南原 「うん」
城島 「むっちゃマイナス思考ですよ、家帰ったら、うっじうじしてますよ」
南原 「アッハハハハ」
城島 「ウチの嫁さんしか知らないですけど」
南原 「ハハハハハハ」
城島 「普段の僕めっちゃ人見知りなんですよ」
南原 「ハハハハ、ハハハハ、だから釣りに行っちゃうんですね(笑)」
城島 「ホント、何かこう、ホント何か初めての人とあんまりこう何か「悪く思われたくないな」みたいな」
南原 「アハハハハ」
城島 「でもユニホーム着てるときはまったくその別のもんっていうか、演じてるっていうか」
南原 「なるほど、面白いですね、これ~、いつか本出してください、そういう本」
城島 「フフフフフフフ」
南原 「教育にも、すごい熱心な感じたことがあるんで、やっぱりちょつとね、そういうところでもまた色々とこう」
城島 「はい」
南原 「支えてもらってですね、えぇ」

と、いつものように感心していた南原さん(笑)。
ただ、急に「本出してください」と言い出したのには、城島選手と同じく私もラジオの前でちょっと笑ってしまいました(最近ござるの本を出したので、南原さんは本づいてるのかな?・笑)。


ってな感じで、沖縄の地であれやこれやと野球話に花が咲いていた30分でありました。


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『スポーツドリーム』 2/13

2010年02月17日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、シドニーオリンピック柔道81㎏級金メダリストで、現在は総合格闘家の瀧本誠選手。

まずは、

南原 「さぁ、瀧本選手です、よろしくお願いします」
瀧本 「よろしくお願いします」
南原 「えーと、瀧本選手、ちょうどオリンピックがね、バンクーバー始まるんですけども、金メダリストということで」
瀧本 「はい」
南原 「えぇ、今、金メダルはどこにあるんですか?今」
瀧本 「うちにあります」
南原 「おうちの何処にありますか?」
瀧本 「どっかにあります」
南原 「アッハハハハハハ、どっか!?いや、前から、金メダル獲ったときから「ちょっと変わった人だなぁ」とは思ってたんですけども」
瀧本 「(笑)」
南原 「ご自身でもそういうとこあったりするんですか?」
瀧本 「変わってるつもりないんですけどね」
南原 「はい」
瀧本 「なんかよく言われますね」
南原 「そうですね」
瀧本 「はい」

というやり取りで番組はスタート。
瀧本選手というと、飄々としている印象が強い選手だったのですが、今回いろんな話を聞いていると、確かに、変わった人だな~という感じでした(笑)。
シドニー五輪の話でも、

南原 「なんかオリンピックって、前、何人かお話伺ったんですけども、オリンピックに行って選手村とかにいるだけで、少しずつ少しずつなんかこうストレスが溜まるっていうか、なんか気持ちがどんどんどんどんこう、エネルギー取られるような感じがするって聞いたことあるんですけども」
瀧本 「あぁ~~」
南原 「あんまりなかったですか?」
瀧本 「全くなかったです」
南原 「アッハハハハハハハハ」
瀧本 「何にも考えてなかったんで」
南原 「アハハハ、全くマイペースでやってたんですか」
瀧本 「マイペースで、はい」
南原 「いや、前ね、高橋尚子選手に来ていただいたんですよ」
瀧本 「はい」
南原 「そしたらやっぱり、オリンピックも365日のただの1日だと、そこまで思えるぐらいに日々練習を重ねといて、ま、それぐらいな気軽な気持ちで行ったほうがいいと、ま、同じシドニーでね」
瀧本 「はい」
南原 「金メダルを獲った高橋選手は言ってたんですけども、瀧本選手はどうだったんですかね」
瀧本 「まったく僕も同じでしたね」
南原 「あ、そうですか」
瀧本 「オリンピックといえど」
南原 「うん」
瀧本 「ま、大っきい小さいにかかわらず、ひとつの大会だと思って」
南原 「はい」
瀧本 「僕も臨みました」

という話を、あっさりとしていた瀧本選手。
でも、表彰台でキングカズのマネをして胸に手を当てるポーズをしていたのは、「(カズのことを)めっちゃ意識してたんで」「勝ったら絶対やってやると思ってたんで」とのこと(笑)。
「ひとつの大会だと思って・・」と言ってたわりには、勝った後のことまでちゃんと考えていたというのには思わず笑ってしまいましたが、南原さんもそんな瀧本選手の話を聞いて「アッハハハハハ」と大笑いしてました(笑)。


2004年に総合格闘技に転向した瀧本選手。
いわく、もうちょっとなんか出来んじゃないかなと考えて過ごしているときに、高校の先輩の吉田秀彦さんから「(総合格闘技の)大会があるから観に来い」と言われ、「観た瞬間、これやるしかねぇなと思ったんですね」。
最初は、「正直言ってめちゃくちゃ怖かったんですけど」と思ったそうですが、「怖いものに対して背中向けちゃっていいのかなと思って」「これやんなかったらたぶん一生後悔するんじゃないかと思って」総合格闘技をやり始めたとのこと。
ただ、吉田選手については、

南原 「(吉田選手は)シドニー(五輪)も一緒でよね」
瀧本 「そうなんですよね」
南原 「その先輩が総合(格闘技)に先に行って」
瀧本 「はい」
南原 「ボブ・サップとかそういうのやって」
瀧本 「はい、この人頭悪いなと思いましたね」
南原 「アッハハハハハハハハ」
瀧本 「最初(笑)」

という話も(笑)。
先輩に対しても遠慮なしの発言(笑)をしていた瀧本選手でしたが、さらに続けて、

南原 「こないだ(大晦日)の、吉田選手対石井選手のあの試合もどうご覧になったんですか?」
瀧本 「あれも、まぁ、吉田先輩2ランウド目でちょっとまぁ」
南原 「金的」
瀧本 「金的、当たって」
南原 「当たりました」
瀧本 「倒れてたと思うんですけども」
南原 「はい」
瀧本 「あれは明らかにスタミナ切れですね」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「休んでました」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「(笑)」
南原 「瀧本さんいわくね、いわく」
瀧本 「そうです(笑)」
南原 「明らかに、「こ~う、吉田先輩」」
瀧本 「あぁ疲れてんなみたいな」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「ハハハハハ、当たってねぇしみたいな」
南原 「アツハハハハハ」
瀧本 「(笑)」
南原 「でも、レフリーには「やるしかねぇだろ」とかなんか、男気な発言をしてましたけども」
瀧本 「あぁ、上手いっすね」
南原 「アッハハ、そこも含めて総合(格闘技)ですからね」

というやり取り(笑)。
ここでも吉田選手に厳しいダメ出しをしていた瀧本選手(笑)。
遠慮会釈無しの瀧本選手の話に、南原さんと同じく私もラジオの前で大笑いしてしまいましたが、でも、よく知る先輩だからこそ瀧本選手も鋭いツッこみを入れることが出来る・・のでしょう(笑)。
ちなみに、総合格闘技では柔道のように「待て」がないので、瀧本選手も「最初はホントに息つく暇もなかった」とのことでした。


あとは、

南原 「ガーっと、なんか闘争心沸き立つようなこととかあるんですか?」
瀧本 「あの~、内に秘めるタイプなんで」
南原 「なるほど」
瀧本 「表に出さないんですよ」
南原 「あのねぇ、そういう奴がいちばん面倒くさいですよね」
瀧本 「アハハハハハハ」
南原 「なっかなか「参った」とか言わないから」
瀧本 「(笑)」
南原 「なっかなかしつこい、粘るから」
瀧本 「うざったいんですよねぇ~」
南原 「アッハハハハ」
瀧本 「自分で言うのもなんですけど(笑)」
南原 「しつこい、しつこいんでしょ」
瀧本 「(笑)」
南原 「そういうのがいちばんなんか粘っこくてイヤですよ、あんまり顔出さないですか?やってる最中は、ハーハーとか」
瀧本 「出さないですね」
南原 「もう出したくないですか、それは」
瀧本 「疲れてても口、もうつぐんでますね」
南原 「吉田選手も言ってました、やっぱり晩年になって柔道やってるときに、「絶対に相手に悟らせたら負ける」っつって、年とともにスタミナ切れても、「フゥハフゥハ」って絶対にもう、息を止めて「俺は疲れてない」っていうのを(笑)」
瀧本 「(笑)」
南原 「それは柔道家としてお互いに、もうちょっとしたことでわかるんですか」
瀧本 「そうですねぇ、でもたぶん僕と吉田さんは、そん中でもいちばんうざったいほうかもしれないですね」
南原 「あ、そうですか」
瀧本 「はい」
南原 「その、世田谷学園(高校)の流れで」
瀧本 「そうなんですよねぇ、鍛えられてるんで、そういう要領よく鍛えられてるんで」
南原 「「絶対口に出すな」とか「表情に出すな」」
瀧本 「そうですねぇ」
南原 「古賀さんは違かったでしょ?」
瀧本 「・・・」
南原 「そんなことないですか?」
瀧本 「でも、いちばんうざったいといえばあの人かもしれないですね」
南原 「アッハハハハハハ」
瀧本 「ハハハハハ」
南原 「ハッハハハ」
瀧本 「(笑)世渡り上手なとこが、ハハハハ」
南原 「ハハハ、あの人もう1回、僕、番組で会ったんですけども、『ロッキー』を見直して、「俺もう1回現役復帰するよ」って言ったら(笑)」
瀧本 「ハハハハハ」
南原 「(笑)ホントに上から、「お前ホントにやめろ」って言われて(笑)」
瀧本 「(笑)」
南原 「渋々やめたって(笑)、言ってましたけど(笑)」
瀧本 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
吉田選手のさらに先輩の古賀さんに対しても、瀧本選手は全く変わらずバッサリと一刀両断(笑)。
こういうことを平気で言えちゃうあたりが、「変わってる」と言われる所以なのかもしれません(笑)。
あ、それから、南原さんが言っていた、古賀さんの「ロッキーを見直して・・云々」という話は、たぶん『ナンだ!?』のことでしょう。
『ナンだ!?』で古賀さんが現役復帰の話をしていた・・かどうかはよく憶えてないのですが、角田さんと熱く『ロッキー』について語り(途中から南原さんも交じって・笑)、「人は変われる」ということを『ロッキー』から学んだと古賀さんが熱弁をふるっていたのはよく憶えています(笑)。


あと、瀧本選手からのリクエストでGReeeeNの『キセキ』がかかっていましたが、曲の前には、

瀧本 「まぁ、小っちゃいことですけど」
南原 「日々の生活の中で」
南原 「うん」
瀧本 「ま、ここで何かっていうときに、ま、小っちゃい奇跡起きてくんねぇかなっていう」
南原 「はい」
瀧本 「思いを込めて(笑)、リクエストしました」
南原 「例えばどういうことですかね」
瀧本 「例えば「ここで信号変わんないでくれ」みたいな」
南原 「アッハハハハハハ」
瀧本 「とか」
南原 「なるほど(笑)」
瀧本 「ハハハハハ」
南原 「なるほど(笑)」
瀧本 「ちょっとしたことですけど(笑)」
南原 「あ、そういうけっこう、ホントに小っちゃいことですね」
瀧本 「ホントに小っちゃいことなんですけど」
南原 「そういう小っちゃいことが嬉しかったりとか」
瀧本 「はい」
南原 「他にもなんかあれですか?なんかつり銭がちゃんと払えたとか、そういう奇跡とかああいうのやっぱり」
瀧本 「フッフフハハハハ」
南原 「いや(笑)僕は1円玉がね、きれいに払えたときはすごく嬉しいんですよ、「578円になります」、8円がちょうどあって8円きれいに払えたときに」
瀧本 「あぁ~」
南原 「「やった~」」
瀧本 「奇跡が起きましたね」
南原 「奇跡です、めっちゃ嬉しいんです、そういうときは」
瀧本 「あぁ」
南原 「じゃあそういう思いを込めながら、どういう思いなんですか」
瀧本 「(笑)」

という、小っちゃな奇跡・・いや、小っちゃな幸せ見つけた話も(笑)。
こんなコーナーを昔ラジオでやってなかったっけ?という気もしますが(笑)、それは兎も角として。
端数の金額をぴったり払えたら「めっちゃ嬉しいんです」と嬉しそうに話していた南原さん(笑)。
その気持ちはわからなくはありませんが、ただ、それは奇跡ではないと思います(キッパリ・笑)。


最後は、

南原 「今回お会いして、おもしろいですね(笑)」
瀧本 「そうですか(笑)」
南原 「選手としてっていうか、いちばんこう、なんかいちばんやりづらい相手な感じですね」
瀧本 「あぁ」
南原 「のら~りくら~りと諦めないで、ハートが強いっていうか」
瀧本 「はい、しかも表に出さない」
南原 「表に出さない、「お前表に出せよ!」とか言われたりしませんか?」
瀧本 「しますねぇ」
南原 「「お前アピールしろよ!」とか」
瀧本 「「やる気あんの?」って言われますね」
南原 「アッハハハハハ」
瀧本 「(笑)」
南原 「「やる気見せろよ」、やる気あるんですよね?」
瀧本 「めちゃくちゃあるんですけど」
南原 「ハハハハハ」
瀧本 「よく言われるんですよね」
南原 「それがスタイルですもんね」
瀧本 「はい」
南原 「えぇ、色んな人がいてね、面白いですから格闘技」
瀧本 「はい」
南原 「はい、是非是非その個性を」
瀧本 「はい」
南原 「えぇ、貫いてもらいたいと思います。これからもお怪我に気をつけて」
瀧本 「はい」
南原 「頑張ってください」
瀧本 「はい」
南原 「今日のゲストは、瀧本誠さんでした。どうもありがとうございました」
瀧本 「ありがとうございました」

というやり取りで番組は終了。
今回おこしたおもしろやり取り(笑)以外にも、真面目な話・・井上康生選手は何度か練習をしたが立ってられる気がしなかった。格闘家として点数をつけるとしたら50点くらい、柔道では100点あげてもいいが総合格闘技はまだ馴染んだとは言えないしそんなに甘い世界ではないと思う・・という話等々もしていましたが、全体的には、瀧本選手の話に南原さんが「アッハハハハハ」と終始大笑いしていた、という感じの30分でありました(笑)。


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白梅

2010年02月13日 | あれこれ
つい何日か前の、あの暖かさは何処へやら。
ここ数日、ものすご~く寒い日が続いていますが、皆さま如何お過ごしでしょうか。
私はといえば、遅ればせながら『クイックジャパン』をやっとこさ購入、そして、あっという間に読破(笑)。
ウンナン二人のインタビュー等々、どれも興味深く面白いものでしたが、なかでも勝っちゃんと哲っちゃんの対談は、普段二人に対して思ってることやツッこみたいことを全部代弁してくれてる感じで、終始笑いながら読んでしまいました(笑)。
内村さんと南原さんのことをよくわかっている二人だからこその、愛のある欠席裁判でありました(笑)。


ところで。
今日、2月13日は、南原さんの45回目の誕生日じゃあ~りませんか。
現代狂言Ⅳの公演はまだまだ続きますし、色々とお忙しいとは思いますが、これからも健康に気をつけて頑張ってください。


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『スポーツドリーム』 2/6

2010年02月11日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは車椅子バスケットボールの京谷和幸選手。

今回は恒例の10の質問で車椅子バスケ話などをあれこれと。
次のロンドンパラリンピックのときは40歳を過ぎているので大変だと思うが、チャレンジしたいという気持ちもあるし40のときの自分はどうなっているのかプレイヤーとして検証していきたいという気持ちもある。
30過ぎてからの体の衰えということは周りが言ってるだけであって、自分では正直衰えは感じていない。
考え方や食生活など改善出来るものもあるし、負荷をかけるトレーニングをやったら今までよりさらに体力は伸び、成長してる部分のほうが大きい。
食べ物は全面的に奥さんに任せているが、唐揚げや天ぷらなどの揚げ物は2年以上食べていない。
・・という話などがありつつ。
"(パラリンピックでは)必ずメダルを獲る?"という質問には、「・・・う~、はい、はいはい、はい」とかなり迷いながら答えていた京谷選手。
いわく、メダルを獲るという気持ちで選手は行くが、ランキング7位という日本の現状を考えたときに、もっとやらなくてはいけないことが沢山あると思う。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスが強く、そこから下のチームはあまり変わらないので5位になるのは出来なくはないと思うが、さらに一歩踏み込んでメダルを獲るためには、新体制になったチームの戦術などを選手全員で理解し浸透させ、大舞台でいつも通りの自分のプレーが出来るかどうかだと思う。
とのことでした。
で、

京谷 「あとは、その、チームの日本独特・・ま、サッカーでもそうなんですけども、敏捷性とか」
南原 「あ!?そうなんですか、おんなじ(笑)」
京谷 「バスケットでも一緒なんですよ」
南原 「「へぇ~~~!?おもしろいですねぇ」
京谷 「やっぱりあの、2メーター近い選手を相手にするためには、やっぱり、よりゴールより遠ざけるようなディフェンスをしなきゃいけない、それをいかに組織的に、日本人独特の敏捷性、俊敏性を生かしてディフェンスで守るかっていうことが、一番だと思います」
南原 「おんなじことですねぇ」

というやり取りも。
「へぇ~~~!?」と、今回も感心しながら京谷選手の話を聞いていた南原さん(笑)。
ただ、野球も日本らしいプレーでWBC2連覇しましたし、陸上でも為末選手は日本人の体に合った走りを追求していますし、どんな競技でも最終的に日本(人)らしさにたどり着く、というのは確かにおもしろい話です。
南原さんも日本の笑いにたどり着いてますし(スポーツではありませんが・笑)、日本らしさってナンだ!?というお題で各界のアスリートを一堂に集めて話を聞いてみたいところでありますが、そういう機会がなさそうなのがちょっと残念です。


その後は、

南原 「4問目、"今の自分があるのは妻のお陰だ?"これはもう素直に「はい」と」
京谷 「そうですね、これはホントに、自分の、ホントに人生を左右したと言ってもいいくらいな」
南原 「そうですよ」
京谷 「うん」
南原 「もうねぇ、もう京谷さんはいいから奥さんの話聞きたいくらい」
京谷 「ハハハハハハハ」
南原 「ハハハハハハハ」

というやり取りがあったり(笑)(京谷選手はもういいからとは思いませんでしたが、でも、南原さんの言うように奥さんの話もちょっと聞いてみたかったかも・笑)。


それから、
今こういう環境で車椅子バケットとか仕事をさせてもらってるのは家族のおかげ。
とにかく何をするにも家族を一番に考えている。
去年の正月に「パパもう一回ロンドン目指していいか?」と子供たちに言ったら、「頑張って」と言われたので「よしやろう」という気持ちになれた。
娘さんからは、カッコ悪いから絶対太らないでね、といつも言われる。
という話や、
将来はサッカーの指導者になりたい。
車椅子バスケもサッカーもスペース(を使う)競技で、スルーパスを出す感覚や平面だけではなく上の空間を使ってパスを出すなど、車椅子バスケにサッカーをみた瞬間があった。
サッカーだけの世界でやってきてる人間よりも違う世界に1回出てまた戻ってくるほうが視野が広く見えてくるのではないかと思うし、車椅子バスケでやってきたことをサッカー界に取り入れるのも一つの方法かと思う。
事故を起こしたときはサッカーが出来ない自分を想像出来なかったし、入籍をしたりしてそんなことを考えてる暇もなくサッカーのことはとりあえず置いておこうと思っていたが、ロンドンパラリンピックが終わった後くらいからは、少しずつサッカーのことを考えていきたいと思う。
事故を起こしてからいろいろな人に出会い、人との出会いによって人間的にひと回りもふた回りも成長させてくれた。
事故がなければ今の自分もないので、そう考えると事故も出会いだったのかなと思う。
という話などがありつつ。
最後は、10月に行われる千葉国体についての話、

南原 「ま、ここの成績とかやっぱり日本代表の成績に加味されるというか」
京谷 「そうですね」
南原 「はい」
京谷 「ここでもしっかり、自分のやることしっかりやって」
南原 「はい」
京谷 「日本にはまだまだ京谷が必要だと」
南原 「(笑)」
京谷 「思われるようなね(笑)、プレーしていかなきゃいけないなと」
南原 「ねぇ、今まではこう、若さんときは調子よく「あぁ京谷頼むよ」って言ってたのが、だんだんだんだん「いや、あの人もだんだん歳いってきたからそろそろじゃない」っていう」
京谷 「そういうのあると思います(笑)」
南原 「声を打ち消すためにも、「いや~アイツは、日本代表アイツは」」
京谷 「まだまだと、そういうなんか自分が好きなんですね、何かそういうものに挑む自分が」
南原 「いつもチャレンジして」
京谷 「ねぇ、おかしいんですけどねぇ、(笑)」
南原 「そこはスポーツマンですよ」
京谷 「ねぇ」
南原 「えぇ、その気持ちがあるうちはですね」
京谷 「はい」
南原 「どんどんどんどん現役で頑張ってもらってまた次の夢へ進んでいってもらいたいと思います」
京谷 「はい」
南原 「今日のゲストは、京谷和幸さんでした、どうもありがとうございました」
京谷 「ありがとうございました」

というやり取りで、番組は終了。
車椅子バスケの話等々、和やかに話に花が咲いてた30分でありました。


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またまた、行ってきました

2010年02月07日 | 現代狂言Ⅳ
池袋のあうるすぽっとで行われた、現代狂言Ⅳの東京公演最終日に行ってきました。
大いに笑ったり、前回観たときとは違う場面にウルっときたり(笑)。
今までと変わってないけどより良くなっている場面、そして、変わっているところも何箇所も。
たった2日でこんなに違うものになっているとは!?
う~む、男子2日会わざれば・・といのを実感した『コンカツ』でありました(笑)。
台詞がちょっと変わってるとこもあったりして、それについてもあれこれと感想はあるのですが、今はまだ余韻に浸っていたいので(笑)、その話はいずれまたということで。

『チョコレート』も、けっこう変わっていてビックリ。
石本君とひろみちお兄さんのやり取りも息が合いより自然になっていて、こちらも日々進化している感じでした。
ただ、石本君のギャグは、初日にやってたやつのほうが好きだったけどな~(笑)(あそこは毎日変えてるのかな?)。
あの、初日にやっていた捨て身ギャグ(笑)を今回は観れずに残念でした(笑)。

客席は老若男女で満員で、中でも今日は子供率がけっこう高かったようで。
古典の『附子』でもチビッコの笑い声が響いており、狂言の普遍性を子供の笑い声を通して感じることが出来ました。
ただ・・・。
『コンカツ』の良い場面で声を出してるガキ、もとい、チビッコ(笑)がいた(一人だけでしたが)のには閉口。
ムッとこなかったといえばウソになりますが、つい先日ござるの本を読んだばかりですので、笑って許して機嫌よくしていることにします(笑)。

あ、それから、ござるの本といえば、今日は公演終了後の5時から南原さんがサイン会をやってました!?
サインをじかに貰うためにもう1冊買おうか?と、ちと悩んだのですが、結局とりやめ(笑)。
本を買いもしないのに残っているのも何ンなんで、私は早々に会場を後にしましたが、2冊目、あるいは3冊目を購入された方は、まさにファンの鏡、と言っても華厳の滝ではありません(笑)
サイン会をやるならやると前もって言ってくれればいいのに、と多くの方が思ったことと思いますが、でも、急遽決まったことのようですので(冒頭の挨拶でも、南原さん自身ビックリしてるようなことを言ってました)、こちらも笑って文句は言わないでござる(笑)。

あと、今日は南原さんの兄弟弟子(笑)、サッカーの岩政選手が観に来てました。
最初、どこかでみたことあるなぁ?役者さんかな?それにしては体がやけに大きいな・・と、思っていたのですが、しばし考えてようやく『Get』でのやり取りを思い出しました(笑)。


カーテンコールでは、南原さんと万蔵さんがご挨拶。
例のサプライズのあと、出演者の皆さんは一度舞台袖に引っ込みましたが、和田さんの「もう1回」という合図で始まった演奏にのり、もう一度舞台上へ。
客席からの大きな拍手と手拍子に応えて全員で一礼。
そして、また全員袖に引っ込み、場内アナウンスも流れたのですが、そのすぐ後、南原さん一人橋掛かりに登場して「終了です」と、座長自ら最後の挨拶(笑)。
最後までサービス満点の南原さんでありました(笑)。
終演は16時29分。
大いに盛り上るなか、無事に幕を閉じた東京公演の最終日でありました。


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こぼれ話など

2010年02月05日 | 現代狂言Ⅳ
昨日は、池袋からの帰りの電車でござるの本を読んでいたら危うく乗り過ごしそうになったり(狂言に興味を持つようになったきっかけの話や、これまでの現代狂言の裏話的な話、万蔵さんとの対談、お馴染みの(笑)姿勢の話等々とても面白く、思うことも色々とあるのですが、こちらも感想は後日ということで)、家に帰ってやっとこさ書いたレポを完成直前に全部消してしまい、パソコンの前で「あ゛~っ!!」と一人声をあげ(笑)、泣く泣くまた最初から書き直したりと、かなりあたふたな夜を過ごしてました(笑)。
お陰で、記事をUPしたときにはとっくに日付が変わっていましたが、強引に昨日の日付のままにしておきましたので、悪しからずご了承くださいませ(笑)。
今回は、昨日は時間がなくて書きそびれてしまったネタバレじゃない話の中から、ちょいとしたこぼれ話などをあれこれと。

東京公演初日の南原さんの冒頭の挨拶は約3分ほどでちょっと短め。
聞き慣れない狂言の口調も3分間じっと我慢の子でいればわかってくるのだぞ、という話や(こんな言い方はしてませんが・笑)、いつもの狂言アンケートトークなどをしていましたが、初めて南原さんを観る人は?テレビで見るよりも男前だと思う人?などの質問はなし。
その代わりに、本のくだり(宣伝・笑)が入ってました。

『附子』の次郎冠者は、今回は扇丞さん。
前髪が綺麗に揃った髪型だったので、一瞬、山崎邦正さんっぽく見えてしまいましたが(笑)、吉住さんとはまた違う次郎冠者・・あの人懐っこいキャラの扇丞さんの次郎冠者にも大笑いでした。

『コンカツ』は・・・何か書くとネタバレになってしまいそうですので、噛めば噛むほど・・いや、観れば観るほど味わい深いということだけを申し上げておきます(笑)。

終演は21時23分。
舞台の内容で割愛されてる場面などはないはずなのに何で前回より短くなってるんだ??と思ったのですが、カーテンコールの挨拶は今回は南原さんだけ(印西では万蔵さんと、千葉出身の珠緒ちゃんが挨拶をしてました)。
それから、例のサプライズも業界人が多かったということもあり(?・笑)わりとあっさりしていたので、時間が少し短くなっていたようです。
でも、稲葉さんと和田さんの演奏にのり、大きな拍手と手拍子のなか大盛り上がりで幕を閉じたのは、今回も同じでした。


あ、それから、高田文夫さんが今日の『ラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)で、昨日の舞台について松村邦洋君を相手に少し話していましたが、

高田 「今ほら、ナンチャン、南原君がほら、今ずーっと狂・・5年もやってるのね、狂言」
松村 「はい、狂言」
高田 「狂言やってるじゃない、みんな若い人連れて」
松村 「野村万斎さんとか・・」
高田 「そうそう、万蔵な、うんうん、それで昨日行ってきたんだよ、昨日初日で4日間やってるのかな、あの、あうるすぽっとって言うのかな、池袋に出来たでしょ」
松村 「はい」
高田 「なぁ、あそこで、いたよ色んなのが、飛んでくんだよ俺が座ってる「あ、どうもどうも」、ナイツが来たナイツが(笑)」
松村 「ナイツが」
高田 「バラバラで、ナイツのバラバラとかさ、そしたらさ、山本まさみとかみんないんだよ」
松村 「はい」
高田 「みんな観に来ててさ、ちゃんと」
松村 「えぇえぇ」
高田 「俺の左横に谷村新司さんもいたよ、観に来ててみんな来てて、そしたら向こうのほうから慌てて「ヒジ痛いですね」って言ってなんかコケながら来るヤツがいて(笑)」
松村 「アハハハハハハ」
高田 「パッと見たら出川哲朗(笑)、なんだアイツは、松葉杖して」
松村 「松葉杖ですもんね」
高田 「松葉杖して飛んでくるから「もういいから!こっち来なくていいからシッ」って言ったんだよ」
アナ 「(笑)」
松村 「あぁ、はいはいはい」
高田 「「あ、スイマセンスイマセンスイマセン遅れました挨拶・・」「いいから、鬱陶しいから」って」
アナ 「(笑)」
高田 「松葉杖、どうしたの?あいつ」
松村 「いや、何か」
高田 「ねぇ」
松村 「暮れにロケかなんかで何かなったみたいですよ」
高田 「あ、そうなの、そのまんまなの?」
松村 「はい」

という話だけで、舞台の内容などについては特に話してませんでした。
ちなみにこのあとは、和田アッコさんの新年会の幹事も哲っちゃんが松葉杖をつきながらしていた、ということを松村君が哲っちゃんのマネをしながら話してました(笑)。


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また、行ってきました

2010年02月04日 | 現代狂言Ⅳ
池袋のあうるすぽっとで行われた、現代狂言Ⅳの東京公演初日に行ってきました。

             

笑ったりジーンときたり、最初に観たときには気付かなかった(聞き流していた)台詞ややり取りに、「う~む、そういうことだったのか、よく出来てるな~」と唸ったり(笑)、今回も大いに楽しんできました。
前回見たときとはまた違う場面に心惹かれたりして、2度観てまた新たな面白さ発見の『コンカツ』でありました。
詳しい感想などは、例によってまた後日ということでご了承ください。
あ、そういえば、千葉公演のときとは違うアブリブ(?)やタイムリーな時事ネタなどが、今回は入ってました(少しでしたが)。
東京公演の初日ということで、芸能人や業界人もたくさん観に来ていましたので、その業界人イジリもしてました(笑)。

もどき狂言の『チョコレート』は、芸人ではないひろみちお兄さんが出てるということで、今回もきっちりやってるという感じでしたが、石本君が千葉公演に言っていたのとは違う、捨て身(?・笑)の投げっぱなしギャグを言っており、大笑いしてしまいました(笑)。


それから、千葉公演と大きく違っていたのが、ロビーでの物販(笑)。
ござるの本が平積みで売られてました。
しかも、サイン入り!!(笑)。
実は、昨日本屋で見かけて買おうかどうしようか迷っていたのですが、買わなくて大正解でした(笑)。
サイン入りの本は限定20冊ということでしたので(私が買ったときには残り5冊ほどになっていて、それもすぐに売れてしまったようです。サイン入りじゃない本もたくさん置いてありましたが、終演後によく売れてました)、サイン入りを購入したい方は、早めに会場へ行ったほうがいいようです。
ちなみにサインは

             

こんな感じで、"寿福延長"という言葉入りでした(サインにはちゃんとU.Nという文字も入ってます・笑)。
あと、ポスター(1000円、全員のサイン入りは限定10枚)と、ストラップ(800円)も売ってました。

冒頭の挨拶では、「何で狂言をやってるの?という質問が増えてるんです」と話していた南原さん。
で、「解答は、これでございます」と南原さんが言うと、一緒にいた森君が『狂言でござる』の本をおもむろに懐からスッ(笑)。
長年一緒に現代狂言をやっているだけに、このへんはあうんの呼吸でありました(笑)。
挨拶では、アンケートトークや、「北は仙台、続いて田原、千葉・・今日この日のために調整してきました」という、お馴染みの地元トーク(?・笑)などもしてましたが(千葉では、「関東初上陸は印西です」「「東京ではまだやってません、どうしこもここでやりたいと・・」という地元よいしょトークでした・笑)、このへんの話もまた後日ということで。


ロビーには内村さんはじめ、松本伊代さんや各番組等々からたくさんの花が届いていましたが、

               

慎吾ちゃんからもお花が届いてました(笑)。

それから、前述したように、今日はたくさんの芸能人が観に来てました。
私が見かけた範囲では、谷村新司さん、高田文夫さん、出川哲っちゃん(松葉杖つき・笑(笑いごとではありませんが)、パパイヤ鈴木さん、ナイツの塙さん、現代狂言Ⅲのメンバーだった野々村さん、嶋さん、ジョニ男さん、あと、ダンスの早川午朗夫妻も観に来てました。


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『スポーツドリーム』 1/30

2010年02月03日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、車椅子バスケットボール日本代表の京谷和幸選手。

まずは、京谷選手の経歴の話・・・小学校2年からサッカーを始めて'93年のJリーグ開幕の年にプロサッカー選手としてデビューしたが、その年に交通事故に遭い引退。
最初は肋骨の辺りが痛かったのでそれが治ればすぐに復帰できると思っていたが、時間が経つにつれ足の異変に気付き、奥さんが忘れていった日記を覗き見したりして自分は脊髄損傷だということがわかった。
事故に遭ったのは結婚式の衣装合わせをする日で、入院してから11日後に奥さんと入籍。
最終的に(下半身不随だと)宣告されたのは入院してから2ヵ月後でその間葛藤もあったしこれからどうしていいかわらないという思いもあったが、とにかく彼女を幸せにしなきゃいけないという思いが先だった。
入籍が立ち直るきっかけになったし、入籍していなかったら何もなかった。
車椅子バスケットを始めたのも、奥さんが市役所に障害者手帳を交付行ったときに受付の人車椅子バスケットの選手だったことがきっかけだった。
現在所属する千葉ホークスの車椅子バスケの練習を最初に観に行ったときは、「何だこれは」「これは無理だ」と思った。
いちばん最初に驚いたのはタイヤの焦げる匂い、そして車椅子同士が当たる金属音。
転んでもそれぞれ自分で起き上がって自分で車椅子乗ってるのを見て、リハビリで退院した自分からしたら「こんなのありえない」と思った。
最初の1年はついていくのがやっとで、正直やりたくないという気持ちのほうが大きかったが、名古屋の国体に一緒についていったときに他の選手たちの「ラーメン食べに行こうぜ」と言って食べに行く行動力や、エレベーターがなくても車椅子でエスクレーターを上がっていく姿、試合前のミーティングで自分がサッカーをやっていたときよりも細かい戦術的な話をしているのを聞いて、少しずつ変わっていった。
・・という話などがありつつ。
南原さんからは車椅子バスケについて、こんな質問も。

南原 「あの、大きさは変わらないんですよね、バスケットボールと、普通のバスケットボールと」
京谷 「そうですそうです」
南原 「コートの大きさも同じですし」
京谷 「ゴールの高さも、3ポイントラインもフリースラインも全部一緒ですね」
南原 「あの~、あれでしょう、だって3ポイントとかね、ゴールの高さって、立ってる高さと」
京谷 「はい」
南原 「目線の高さって、えらい遠くに感じますよね」
京谷 「「無理」と思いますねやっぱり、「高けぇ!」と思って」
南原 「そうですよね」
京谷 「「遠い」と思ったし」
南原 「僕、この間バスケットの試合観に行ったんです、で、3ポイントとかシュート打つときにね、皆さん膝とか」
京谷 「はい」
南原 「股関節で、クッとこう入れてから」
京谷 「はい」
南原 「こう伸び上がるようにピュっとこう」
京谷 「はい」
南原 「入れてるんですけど、あれ、どうすんですか?」
京谷 「あれは、ま、それが出来ないので」
南原 「はい」
京谷 「まぁ、車椅子って惰性があるじゃないですか、ちょっと前にこう」
南原 「はい、はい、あ!?」
京谷 「その」
南原 「おぉ!?」
京谷 「ちょっと前に」
南原 「おぉ」
京谷 「少しそのスピードが、あんまり速いとちょっと距離感がつかめないので」
南原 「えぇ!?」
京谷 「少~しこう自分のタイミングっていうか、自分の感覚で車椅子を少し前に出してシュートを打つとか」
南原 「あっ」
京谷 「助走をつけるというか、勢いをつけるというか」
南原 「へぇ~~~」
京谷 「もちろん近い距離だと止まっても打てますけど」
南原 「へぇ~~~」

京谷選手の話を聞いて、いつものように感心しきりという感じだった南原さん(笑)。
惰性を使ってシュートを打つというのは、確かに「なるほど」な話でしたので、車椅子バスケ素人の私もいつものように(笑)南原さん同様ラジオの前で感心してしまいました。
それから、南原さんがこの間観に行ったバスケットの試合というのは、たぶん佐古選手の試合のこと・・でしょう。
佐古選手の試合のことを引き合いに出さなくても、南原さんは元バスケレンジャーなんですから(笑)シュートを打つときの体勢などはわかってると思いますが、さすがにここでバスケレンジャーの話をするのははばかられたようで(説明すると長くなりそうですし、南原さん自身忘れてたかも・笑)。
残念ながら(笑)南原さんが元バスケレンジャーだったという過去は、京谷選手には明かされませんでした(笑)。


その後は、
同級生だった元ジュビロ磐田の藤田俊哉選手の結婚式に行ったときに、日本代表クラスのJリーガーたちが集まりW杯の話で盛り上がっていたが自分ひとり取り残され、「こいつらと同じ土俵に立ててねぇな」と思い「何かかっこ悪いと思った」。
こいつらと同じ土俵に立つためには競技は違っても日の丸つけることだと思い、日の丸への憧れや誇りを思い出して、よーしやってみようと思った。
パリランピックの日本代表の通知が来たときは奥さんと乾杯。
シドニーのパラリンピックで地元のオーストラリアと試合をしたときは、すごい歓声で初めて地鳴りを経験し、やっとこの舞台に帰ってこれたと思い感慨深かった。
怪我をする前の自分は、わがままで自己中で傲慢、他人を認めないし自分より上手い奴いないと思って人の助言も聞かなかった。
でも、怪我をしたあとは、今まで自分が出来なかったことをしようと考え、他人を認めて褒め、他人のためにということを考え盛り上げてみようと思うようになった。
最初は(そういうことを言ったりやったりすると)ムズムズしたが、人のために何かしてあげると「サンキュー」という言葉が返ってきて些細なことだがそれが嬉しかった。
人のために何かしてあげるとそれだけのものをもらえるし、褒めたら自分に戻ってくるのでいい相乗効果になった。
という話。
それから、京谷選手のことを映画にした『パラレル』が、各地でホール上映されている。
映画を通して自分の見れなかった妻の感情や心情などを知ることが出来、妻に対する思いが変わってきた。
という話などがありつつ。
番組の最後には、

南原 「奥さんの好きな食べ物が、えぇ、奥さんの作るカレーライスがいちばん好きだっていうのは、はい」
京谷 「そうですね、まぁ、妻が作らなくてもいいんですけど」
南原 「どういうことですか」
京谷 「自分が作ってもいいんですけど」
南原 「『パラレル』から」
京谷 「ハハハハハハ」
南原 「『パラレル』から亀裂走っちゃうよ、そんなこと言・・なに」
京谷 「アハハハハハ」
南原 「カレーが好きで、えぇ」
京谷 「そう、とにかくカレーが好きで」
南原 「えぇ、子供か!アッハハハハハ」
京谷 「ハハハハ、何でしょうね、朝昼晩カレーでよくて、一週間カレーで、カレーの味が好きなんでしょうね、たぶんね」
南原 「あぁ~」
京谷 「たがらカレーライスでずっときて、ちょっと飽きたらカレーうどんとか、カレー焼きそばにみたいな感じにしたりとか」
南原 「(笑)」
京谷 「カレーでいいんですよね」
南原 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
とにかくカレーが好き、という京谷選手に対し、「子供か」という南原さんのツッこみは、オーソドックスながらも正鵠を射ってる言葉だったように思います(笑)。


来週に続く・・・。


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