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Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 8/1

2009年08月02日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは元陸上オリンピック代表の弘山晴美さん。

今回は恒例の10の質問であれこれと。
40歳まで現役を続けられたのは夫の支えに加え、自分の母親や夫の母親、父親などいろんな方の支えがあったから。
コーチでもある旦那さんは、夫としては意外と優しい。
という話などがありつつ、

南原 「3問目、これ意味深ですよ~。"夫が他の女子選手に優しく指導しているのを見るとイラっとする?" 「はい」と答えましたけども」
弘山 「え~そうですね、イラっとというか」
南原 「はい」
弘山 「私もけっこう練習終わって喋りたいな~と思っても、いろんな選手と喋ってると「もう今日はいいかな」と思って・・」
南原 「あぁ~」
弘山 「ちょっと引いちゃったりするので(笑)、はい、してたんです(笑)」
南原 「もっと・・」
弘山 「でもね、優しくじゃなくけっこう厳しいです。優しく指導って言ってるけど(笑)けっこう厳しいんです」
南原 「あ、女子選手に」
弘山 「はい」
南原 「女子選手の監督なんですか?」
弘山 「はい」
南原 「あ、女子の選手ってね、自分のこう、一日終わったことを喋ったりとかしないと整理がつかないとか」
弘山 「うん」
南原 「喋ってるのを聞いてもらうのがけっこう大事だ・・そうですか?」
弘山 「意外とこう聞いてもらいたいほうですね」
南原 「女子選手ってその、何んすかね、マラソンがあるからそっちにエネルギーが放出されてて、マラソンやめたら何かエネルギーが溜まってたりとかしませんか?」
弘山 「フッフフフフフ」
南原 「あの、何だっけ、あの、熊本のあの人」
弘山 「あ、松野さん」
南原 「そう、松野さん」
弘山 「フッフフフフ」
南原 「松野さんって普段めちゃ喋りますよ!」
弘山 「前からです、選手のときからです(笑)」
南原 「選手のときからですか!?」
弘山 「はいはい、はい(笑)」
南原 「「よく喋るな松野さん」って思いますけど」
弘山 「一緒の歳なんです、松野さん」
南原 「同い歳ですか!?いや~、同い歳で、(何を言ってるからわからない高い声で早口の松野さんのマネで)「#$&*%#+*@?#$」とか」
弘山 「フッフフフフ、そうですね」
南原 「ほんっっとに喋りますもんね、だからマラソンの人ってそんだけエネルギー溜まってるんだと思ったんですけど」
弘山 「(笑)」
南原 「あの人は特別なんですね」
弘山 「はい」

というやり取りも(笑)。
松野明美さんのことを「熊本のあの人」って、いったいどんな憶え方をしてるんだ?(笑)。
それに「熊本のあの人」と言ったら、普通は内村さんか水前寺清子さんだと思いますが(笑)、弘山さんはすぐに「あ、松野さん」と答えていて、このへんはさすが同い年の元同業者、という感じでした(笑)。
それから、世の中にマラソンランナーは数多くいますが、あれだけハイテンションな人は松野さんくらいですので、あの人を基準にマラソンランナー像を語るのはかなり無理があるような気がします(笑)。


あとは、ジョギングしてるときは「今日何食べよう」とかいろいろなことを考えているけどレース中はレースのことだけを考えていた。
レースのときは腕のフリや足の運びなどリズムをとることを考えて走っていた。リズムが崩れると後半ペースが乗らないので、集団で走るときは足がぶつかったりしてリズムを崩れないように出来るだけそういうところから離れていた。
引退のレース前は、涙もろくなっていろいろなことを振り返るたびに一人で泣いていたりしたけど、引退して4ヶ月たった今はもう吹っ切れた。
・・という話などを、ちょいゆったりモードで(弘山さんの喋り方が大竹し○ぶさんっぽかったので、全体的にのんびりした感じでした・笑)あれやこれやと喋っていた30分でありました。



『スポーツドリーム』 7/25

2009年07月26日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、元陸上女子オリンピック代表の弘山晴美さん。

トラックの長距離選手として3回連続オリンピックに出場し、トラックの女王と呼ばれていた弘山さん。
マラソンにも挑戦し、今年三月、東京マラソンで現役を引退。
引退したての頃は走らないと体が気持ち悪かったそうですが、やっと走らない生活に慣れてきて、今は暑いし走るのがしんどいなと思うので健康のために3日に1回くらい走って汗を出している、とのことでした。
そんな弘山さんのこれまでの経歴・・中学の頃は100メートル、大学時代から1500、3000メートルを走るようになり、28年かけて距離を伸ばしていった。
スピード感があって1500メートルがいちばん好きだったが、ケニアやエチオピアの選手と比べるとどうしても差がついてしまうので、自分の持ってるスピードを生かして世界と勝負するためにマラソンを始めた。
ベストのレースは名古屋国際マラソンで、10回目のマラソンでやっと優勝出来た。
大阪国際で2着になったときは、後ろから追いつかれて並ばれ、前に出ようと思ったけど足が全然動かなかった。
という話などがありつつ。
南原さんからは、

南原 「いや、でも、弘山さんって、もう28年走ってたってことでしょ」
弘山 「そうです」
南原 「で、世代も・・僕が44なんですけども」
弘山 「同じ世代です」
南原 「だったらだいたい・・」
弘山 「40、41なので今年」
南原 「いや~だから、僕もね、10代から20代に変わるときとか、20代から30代に変わるときとか、また40代になってくると」
弘山 「うん」
南原 「自分の体の変わり目があるじゃないですか」
弘山 「あぁはい、はい。はい、あります、ありました(笑)」
南原 「ありますよね」
弘山 「はい」
南原 「僕も30代くらいになると、急に体がこう代謝が悪くなったりとか」
弘山 「はい(笑)」
南原 「急に何か今まで食べてたものが脂肪が付いてきたりとかっていう」
弘山 「はい、はい」
南原 「それをね、自分の体変わり目ありながらずーっとトップでいられたっていうのは、どういうふうに考えてどういうふうにやってたんですかね?変わり目とどう対処・・」

という質問も。
南原さんは歳を重ねるごとにスリム化の一途を辿ってるという印象ですが(笑)、こういう話を聞くと、大人の階段を登りながら(笑)人知れず節制をしてるんだな~という感じです。
ちなみに弘山さんの答えは、女性の場合は高校を卒業して22、3でぽっちゃり太ってしまうが、弘山さんは体重のことや食べ物について気にせずそのまま練習してたいたらだんだん体も絞れてきて、30前くらいに記録も出るようになった、20代前半でダイエットしないで体をしっかり体を作れたので長い間で来た、ということを後で気付いた、とのことでした。


その後は、コーチである旦那さんとは24歳のときに結婚して記録も少しずつ伸びていった。
4年くらい前から一緒に練習する子が二人入ってきて、2年前から旦那さんはチームの監督にもなったので二人三脚ではなく弘山さんも大勢の中の一人としてチームとしてやってきたけどちっと寂しかった、という微妙な女心の話など(笑)がありつつ、南原さんと弘山さんの間では、

南原 「楽しく走るコツって何かありますかね?例えば僕が今から走ろうと思ったときに、僕、いろんな人に「マラソンとかやったら?」って言われてるんですけども、そのたびに「イヤ」って断ってるんですけども(笑)」
弘山 「(笑)」
南原 「走る喜びとかですね、走るときのこう、どうやってじゃあ・・」
弘山 「ちょっとづつでも長く、1回に多くじゃなくて」
南原 「はい」
弘山 「2日に1回でも3日に1回でも、何か、こう継続して続けていけるように・・」
南原 「あ、なるほど。わりに日本人って真面目でもう」
弘山 「毎日やらなきゃとか、これだけやんなきゃって決めちゃって」
南原 「はい」
弘山 「出来ないとこをやめちゃう人っているじゃないですか」
南原 「いますいますいます」
弘山 「だけどそこまで細かく決めずに」
南原 「はい」
弘山 「走れるときに走れればいいかなって、それくらいの(笑)」
南原 「それくらいの気楽で始めれば」
弘山 「最初は、はい、気楽に始めてもらえれば」
南原 「もう1週間に1回でもいいんだよ、とか」
弘山 「はい」
南原 「だって弘山さん自身が、今、(走るの)3日に1回ですもんね」
弘山 「はい(笑)」
南原 「美容のために、健康のために」
弘山 「そうです、はい」
南原 「えぇ」
弘山 「だけどもその始めるときにやはり靴、シューズは、しっかり良いものを選んで欲しいなと思います。怪我をしないために」
南原 「底のソールが・・」
弘山 「あんまり硬過ぎず、やっぱり柔らか過ぎず、そのへんは、だからお店に行ってちゃんと試し履きして買うとか」
南原 「あ」
弘山 「サイズが合ってるものとか」
南原 「あ」
弘山 「きちんと買ったほうが、たまにあのね、あの、普通のスニーカーで走ったりしてる人とか」
南原 「はい、はい」
弘山 「テニスシューズみたいなので走ってる人とか」
南原 「あぁ~」
弘山 「いろんな人がいらっしゃるんで」
南原 「はい」
弘山 「まずそこのシューズをランニング用のシューズを履くっていうことが、大事だと思います」
南原 「あ、そこを、ちょっとそこは、ちゃんと専門のとこに行って」
弘山 「はい」
南原 「相談して」
弘山 「はい」
南原 「テニスのこれでいいよ、っていうんじゃなくて」
弘山 「はい」
南原 「で、楽しく走れば」
弘山 「まずはウェアよりも靴」
南原 「ウェアよりも靴」
弘山 「はい」
南原 「なるほど、もう靴にはこだわりは強いんですもんね」
弘山 「はい」
南原 「はぁ~」
弘山 「そうですね」
南原 「あれ、走る人ってホント好きですよね。前に家族で弟と旅行に行ったときに、旅行先ですよ!」
弘山 「(笑)」
南原 「岡山とかで、「ちょっと走ってくるわ」。お前今からご飯食べようってときに」
弘山 「フッフフフフフフ」
南原 「一人でね、どっか(笑)。しかも20キロくらいどっか走ってくるんですよ」
弘山 「フッフフフフフフ」
南原 「何やってんだ!と、でも本人は気持ちいいんですよね」
弘山 「はい」
南原 「知らないとこで走るのって気持ちいいんですか」
弘山 「そうですね、はい。知らないとこで「あぁこんな景色がある、あんなものがある」って、けっこう楽しいんじゃないですか(笑)」
南原 「そうですか」
弘山 「はい」
南原 「ね、まず走るにはシューズ、自分のペース、疲れないペースで。1ヶ月に1回くらいでもいいんですかね?」
弘山 「1ヶ月・・(笑)」
南原 「アッハハハハハハ」
弘山 「ま、1週間」
南原 「(笑)」
弘山 「最低1週間に1回(笑)」
南原 「そうですね(笑)」
弘山 「はい(笑)」
南原 「1ヶ月に1回だったら何かやってるかどうかわかりませんね」
弘山 「はい(笑)」
南原 「1週間に1回くらいで」
弘山 「はい」
南原 「あ、わかりました」

というやり取り(笑)。
以前、この番組に谷川さんがゲストに来たときも、頑なに走ることを拒否していた南原さん(笑)。
その南原さんが弘山さんにこういう質問をするということは、マラソンに少し興味が湧いてきた・・のかな?
ただ、「1ヶ月に1回くらいでもいいんですかね」ってなことを言ってるあたり、かなり及び腰な感じですから、中学時代の駅伝部のトラウマはまだまだ癒えてないようです(笑)。


あとは、引退してこれからは弘山さんが旦那さんをサポートするような感じにしたい、という話などがありつつ。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 7/18

2009年07月19日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは片岡安祐美選手。

まずは、

南原 「さぁ、2週目はですね、まずは1問1答形式ですべての質問に「はい」か「いいえ」で答えていただきます。ノーコメント無回答は原則無しです」
片岡 「ハッハハ~」
南原 「大丈夫ですか?」
片岡 「(笑)恐いですね」
南原 「(欽ちゃんのマネで)ダメだよ安祐美(この後はずっと欽ちゃんのマネ)」
片岡 「ハッハハハハハ」
南原 「ポンと答えなきゃダメ、人から聞かれたらポンと答えなきゃ笑い逃げちゃう」
片岡 「(笑)」
南原 「間が悪くなっちゃう」
片岡 「(笑)」
南原 「じゃ行ってみよう、片岡安祐美選手に挑戦!」
片岡 「(笑)」
南原 「ギブアップなしの10本ノック!」

というやり取りで、恒例の10の質問がスタート(笑)。
2週連続で大将がスタジオに現れるとは思いませんでしたが、でも、大将はここで帰ってしまったようで(笑)、この後の質問は南原さんが普通にしてました(笑)。


野球が出来てる毎日が幸せであって感謝しなきゃいけない、一人の野球選手としてグラウンドに立っているので野球選手としてのプレーで注目されたいと思う、という話などがありつつ、"ナックル姫の吉田えり選手と対戦したらもちろん勝つ自信はある?"という質問では、

片岡 「これは」
南原 「うん」
片岡 「相手がどうのこうのではなくて」
南原 「はい」
片岡 「負けると思って対戦する人は誰もいないと思うんですよね」
南原 「出た、猪木」
片岡 「アハハハハハ」
南原 「(猪木のマネで)やる前から負けるヤツがいるか、バカヤロー!」
片岡 「はい(笑)、いや、でもいないと思いますね」

というやり取りで、今度は猪木が登場(笑)。
あの有名な(?)、テレ朝の佐々木アナにビンタをしたシーン、そして、橋本選手の「時は来た!」という発言に笑いを堪える蝶野選手の姿が一瞬にして脳裏をよぎりましたが(笑)、今回はプロレスとは関係ありませんのでこの話は置いといて。
片岡選手は、吉田選手が中学生の頃に会ったことがあり話をしているそうで。
関西独立リーグに入団したという報道を新聞で見たときは「あのえりちゃん?」と思ったそうですが、吉田選手も女の子としてマウンドに上がってるとは思わないので、一人の野球人として応援したいと思うし負けたくない、とのことでした。


その後は、女子も甲子園に出られるようにこれからも訴え続けていきたい、一人暮らしをして初めて親のありがたみを感じた、という話などがあり、

南原 「6問目おもしろいですよ、"今まで好きになった男性の人数を私に指で示してください"っていうのはね」
片岡 「(笑)」
南原 「親指を・・(笑)」
片岡 「言ってるじゃないですか!(笑)ハッハハ」
南原 「ハッハハ、これ、な、何ンですか」
片岡 「咄嗟に言われると」
南原 「はい」
片岡 「わかんないじゃないですか」
南原 「はい」
片岡 「で、それを考えてるうちに、あれ?あれ?あれ?って、こう」
南原 「はい、4人ってことなんですけどもね」
片岡 「アッハハハハハ、言ってるし(笑)」
南原 「アハハハ、まぁ好きになった人ですからね、えぇ」
片岡 「はい」
南原 「どういう男性を好きになるんですか?自分より野球が下手な人はダメでしょ」
片岡 「いや、それは別に何も思わないです」
南原 「じゃあんまり自分は積極的に行かないタイプ」
片岡 「行かないですね」
南原 「あ、待つタイプだ」
片岡 「押し殺すタイプですね、その気持ちを」
南原 「何その、演歌みたいな」
片岡 「ハハハハハハハハ」
南原 「押し殺して押し殺して、白球に恨みをぶつけて」
片岡 「ハッハハ、いや(笑)、何か」
南原 「はい」
片岡 「恥ずかしいじゃないですか」
南原 「恥ずかしいったって(笑)、えぇ」
片岡 「で・・(笑)」
南原 「待つタイプなんですね」
片岡 「待つというか、はい」
南原 「えぇ、待って向こうが好きな人だったら「イエス」っていうタイプだ」
片岡 「考えますね」
南原 「それでも考えるんだ」
片岡 「何か知られるのが恐いんですよ、自分を」
南原 「え!?」
片岡 「自分のすべてを知られて、嫌いになられたらイヤじゃないですか(笑)」
南原 「へぇ~~~、すいません、僕中学生と話してるような感じなんですけども」
片岡 「アッハハハハハハハ」
南原 「なるほどね~」
片岡 「はい」

というやり取りも(笑)。
南原さんも待つタイプだったと思いますが、それはそれとして(笑)。
気持ちを押し殺すタイプだという片岡選手に、「演歌みたい」という言い得て妙なツッこみを即座にしていた南原さんに大笑い(笑)。
♪胸に秘めたこの思い 白いボールに託します 言葉で好きと言ったなら すべてが壊れてしまいそう あ~カモメが一羽鳴いている・・という歌が似合いそうな(こんな歌はありませんが・笑)、片岡選手でありました(笑)。


あとは、「好きな野球選手とかいるんですか?」という南原さんの質問に、片岡選手は「日ハムの二岡さんの右打ちが好きなんです」「右打ちが好きなんです」「(二岡選手の右打ち)すごくないですか?」と熱く語っていたり(笑)、芸能界の仕事は最初は嫌だったけど両親がテレビや雑誌で元気にやってる姿を見れるのが嬉しいと言ってくれたし、テレビで野球をやってる姿を見て面白そうだなと思ったり興味を持ってくれる方もいるので、(テレビに出ることによって)野球っていうスポーツを広められてるのじゃないのかなと思う、自分自身が野球だけでは勉強できない色んな勉強を(芸能界の仕事で)出来るようになったという話。
それから、グローブに対するこだわりなどの話などもありつつ、最後は、夢は「プロ野球選手です」と力強く答えていた片岡選手でした。


という感じで、野球話があったり恋愛話あったり、和やかに話が弾んでいた30分でありました。



『スポーツドリーム』 7/11

2009年07月12日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、茨城ゴールデンゴールズの片岡安祐美選手。

まずは、

南原 「さ、片岡選手です。よろしくお願いします」
片岡 「よろしくお願いします」
南原 「ね、何かちょっとこう見ない間に、少し何か、女性っぽくなられたような」
片岡 「ホントですか!?」
南原 「えぇ」
片岡 「ホントですか?ありがとうございます」
南原 「髪型もちょっと東京チックになったというか」
片岡 「ホントですか、ちょっと切り過ぎてマネージャーさんに「伸ばせ」って今言われてるとこなんですけど」
南原 「あ、そうですか」
片岡 「はい(笑)」
南原 「え、今、今年でおいくつになったんですか?」
片岡 「今年、23の歳ですね、大学を卒業したばっかりで」
南原 「あ、そうですか~」
片岡 「はい」
南原 「23、女性の23っていうのはこれからですね~」
片岡 「ですかね(笑)、ハッハハハ」
南原 「でも何かすごい(笑)、普通と違うのは、日焼けがね」
片岡 「すごいんですよ、日焼けが」
南原 「しかも、何・・手首の上あたりから」
片岡 「ここからなんですよね(笑)」
南原 「それはやっぱり、何でですか?」
片岡 「あの~私野球のときは一年中長袖のアンダーシャツなんですけど」
南原 「はいはい」
片岡 「リストバンドをしてその上にアンダーシャツをかぶせて」
南原 「はい」
片岡 「リストバンドを半分出してる状態なので」
南原 「はい」
片岡 「こっから日焼けしちゃうんですよね、手首の上から」
南原 「何かね、不思議なところが日焼けしてる(笑)」
片岡 「ハッハハハハハ」
南原 「半袖じゃなくて・・ここらへんがやっぱりね、普通の女の子とは違う。あと、マニキュアとかもしないですね」
片岡 「塗らないです。そんなの塗って野球出来ないです」
南原 「ねぇ」
片岡 「はい」
南原 「でも、したくならないですか?」
片岡 「ならないです」
南原 「あぁそう、興味があまりないんですか?」
片岡 「ないですね。面倒くさがり屋なんですよ、けっこう」
南原 「あ、そう(笑)」
片岡 「はい」
南原 「だって今はもう素顔ですか?」
片岡 「すっぴんです」
南原 「すっぴん、23ですっぴんって珍しいですね」
片岡 「ダメですよね(笑)」
南原 「いやいや、ダメなことは・・」
片岡 「大丈夫ですか?(笑)」
南原 「う~~ダメなことないですよ」
片岡 「ハッハハハハハ」
南原 「全然全然」
片岡 「大丈夫ですか(笑)」
南原 「いやいやもう可愛らしくて、全然いいんですけど」
片岡 「はい(笑)」
南原 「あんま化粧とかも、あんまりしたくないですか?」
片岡 「あんまりしないですね。やっぱり」
南原 「面倒くさいですか」
片岡 「毎日練習なんで」
南原 「あ、そ~う!?」
片岡 「午前中じゃちょっと練習前にお買い物するっていってメイクしたら」
南原 「えぇ」
片岡 「練習前に落とさなきゃいけないじゃないですか」
南原 「え?でもメイクしたまんまとか出来ないんですか?」
片岡 「そんなこと出来ないです!とんでもない」
南原 「とんでも・・え?ちょっと今日は何か男性のこと意識して、マスカラをちょっとブラウンにしようとか」
片岡 「ハッハハハハハハ」
南原 「流行のキラキラをこう」
片岡 「男性を意識(笑)」
南原 「チークに入れるとかっていうのはないんですか?」
片岡 「え?男性を意識するってウチのチームメイトってことですか?」
南原 「もちろんですよ」
片岡 「いやいや、そんなこと有り得ないです」
南原 「あ、有り得ない」
片岡 「はい」
南原 「あ、そうですか~。そのホントに考えてみると、他の女子選手と違うのは、男子の中でいつも常にやってるってことですよ」
片岡 「それはあんまり自分では意識したことはないんでですね、よくわからないんですけど」
南原 「自分の中では男子女子ってあんまり区別してないっていう感じですか」
片岡 「もうグラウンドに立った以上は一人の野球人として立っているので」
南原 「あ、野球人」
片岡 「はい」

という、世間話ふうやり取りで番組はスタート(笑)。
頬にキラキラのチーク・・云々と、女性の化粧について当たり前のように喋っていた南原さんにちょっと笑ってしまいましたが(笑)、それは兎も角。
今回は、片岡選手が野球を始めたきっかけやこれまでの経歴の話・・テレビで見ていた甲子園に憧れて小学三年から野球を初めた。
高校野球に女子が出られないのは知らなかったが、自分が在学中に規定を変えてやろうと思った(ちなみに、今もこの規定は変わらず)。
男子と一緒にやっていた高校の野球部の練習はキツかったけど、負けるのがイヤなので途中で投げ出すことはなかった。
欽ちゃんのことは初めはほとんど知らなかったが、大学受験に失敗して次どこで野球が出来るかなと思ってたときにゴールデンゴールズの球団関係者から連絡が来て福岡に会いに行き、欽ちゃんと夜9時頃から朝4時ごろまで話をしてゴールデンゴールズのトライアウトを受けることになった(この話のとき、南原さんは「決定、この子に決定した」という欽ちゃんモノマネも披露・笑)。
・・という話などを、和やかムードで南原さんと片岡選手は話してました。
で、最後は、

南原 「また来週はですね、10の質問で、え~またプライベートについて」
片岡 「はい」
南原 「いろいろと、質問(欽ちゃんのマネで)してまいりたいと思います」
片岡 「ハッハハハハハハハ」
南原 「(欽ちゃんのマネで続けて)絶対答えなきゃダメ」
片岡 「アッハハハハハ」
南原 「イエスかノー、すぐ言わなきゃダメ、考えちゃダメ」
片岡 「ハッハハハハ」
南原 「(元に戻って)えぇ、来週もよろしくお願いします」
片岡 「よろしくお願いします(笑)」

と、またまた欽ちゃんが登場して(笑)、片岡選手の笑い声が響くなか番組は終了したのでありました。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 7/4

2009年07月05日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは川淵三郎さん。

まずは、

南原 「ニッポン放送南原清隆のスポーツドリーム、今日のゲストは日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎さんです。今週もよろしくお願いします」
川淵 「よろしくお願いします」
南原 「どうですか?このラジオちょっとは、雰囲気は伝わって・・」
川淵 「いや、伝わりました。いや、意外とね、テレビでしょっちゅうナンチャンのことを見てるんですが」
南原 「はい」
川淵 「こんな早口とは思わなかった」
南原 「アッハハハハハハ」
川淵 「ハッハハハハハハ」
南原 「いや(笑)、そうですね(笑)」
川淵 「ハッハハハハハハ」
南原 「これはラジオ用で」
川淵 「ラジオ用(笑)」
南原 「えぇ、なるべく僕が早く喋って」
川淵 「なるほど(笑)」
南原 「川淵キャプテンの喋り時間を」
川淵 「わかりました」
南原 「ペラペラペラペラ言い・・えぇ」
川淵 「ハッハハハ」

というやり取りで番組はスタート。
南原さんがラジオでは早口になるというのはあまり感じたことはありませんでしたが、でも、この番組での南原さんの喋りは、言葉尻が怪しくてちょっと聞き取りづらいことが他の番組よりは多いかも(笑)。
そんな早口の南原さんと、南原さんに負けず劣らず早口でよく喋っていた川淵さん(笑)が今回は、恒例の10の質問でサッカー話をあれこれと。


子供の頃は野球が好きで足が早かったので2番セカンドだった。
サッカーは高校の時にスカウトされて始めた。
短気で相手の話もじっと我慢していられない。
という話などがありつつ、"人と同じことをするのは嫌いだ?"という質問も。
「はい」と即答していた川淵さんでしたが、Jリーグという名前を決めるときも新しいイメージでということを考えていたそうで。
で、その経緯はというと、

南原 「Jリーグは・・どう、全然違う名前も色々あったんですね?」
川淵 「うん、そうそう、いや、どういうネーミングにするかっていうときに」
南原 「はい」
川淵 「世界の人を相手に考えたわけですね」
南原 「はい」
川淵 「例えば、ブンデスリーガーって言ったらドイツのプロサッカーリーグ、それからプレミアって言ったらイングランド」
南原 「はい」
川淵 「それから、セリエAって言ったらイタリアのプロリーグって、みんな世界中の人が知ってるわけでしょ」
南原 「共通語になって」
川淵 「共通語になって、で、だから日本のプロサッカーも」
南原 「うん」
川淵 「「何とか」って言やあ、「あ、日本のプロサッカーリーグだ」と皆さんが思ってもらえるようなネーミングにしたかったわけですね。で、色々まぁアイデアあったんだけど」
南原 「うん」
川淵 「僕は「JAPANリーグかな~」と、自分なりのアイデアはJAPANリーグだったんですよ」
南原 「はい、はい」
川淵 「その、ま、博報堂か何かが出してきた候補の中に"Jリーグ"っていうのがあって、「あ、これだ!」と思ってすぐね」
南原 「はい」
川淵 「「あ、Jリーグ、これで行こう」って、それはもちろん僕が単独で決めるんじゃなくて、理事会や何かの承認を得るんですよ」
南原 「はい、はい」
川淵 「得るんだけども、もう僕が決めたら決まるんで」
南原 「アッハハハハハハ」
川淵 「だって説得力が違うから、思いが違うから、それは。だからその」
南原 「あ、そこで」
川淵 「うん」

とのことでした(笑)。
あと、チェアマンについても、

川淵 「それからチェアマンもそうでしょ」
南原 「あ、チェアマン」
川淵 「チェアマンっていう名前も、初め文部科学省は「理事長にしろ」って言われてね(笑)」
南原 「はい」
川淵 「理事長・・」
南原 「何で、何でチェアマン」
川淵 「で、理事長も、インターナショナルじゃないじゃないですか、言い方が」
南原 「はい、はい」
川淵 「だから世界の人が、これはJリーグのトップの人だっていうことがわかるには、どういうネーミングがいいかって、今、IOC、JOCの委員の岡野俊一郎さん、当時の会長に、「何かいい名前ないですか?」って言ったら、「チェアマンどうか」って言われたんでね」
南原 「はい」
川淵 「「あ、それいい」っていうんで」
南原 「はい」
川淵 「で、「チェアマン」って言ったら文科省認めなかったんだけど、認めなかった、僕らは勝手に」
南原 「はい」
川淵 「その、11月1日の、1991年11月1日の、社団法人プロサッカーリーグがスタートするとき、Jリーグがスタートするとき記者会見してね」
南原 「はい」
川淵 「「今日から僕をチェアマンと呼んでください」って言った」
南原 「(笑)」
川淵 「そこで第1回の宣言をしたんですよ」
南原 「(笑)」
川淵 「したら皆シラっとしてね」
南原 「アッハハハ、ハッハハハ」
川淵 「「チェアマンっていったい何するんですか?」って」
南原 「「どんな意味なんですか?」みたいな」
川淵 「そう、「どういう意味ですか」って、そんなのだいたい大将ならどういうことをやるかって、そんなこと分かりそうなもんなんだけれども」
南原 「(笑)」
川淵 「「ここで説明したって皆さん分からないでしょう、1年間僕がやることを見ててください。そしたら分かりますよ」って。したら「チェアマン、何をね、そういうしょうもない名前つけて」皆思ったんじゃないですか」
南原 「(笑)」
川淵 「だから、で、今チェアマンって言ったらもう、みんな当たり前みたいになってるでしょ」
南原 「そうですね」
川淵 「いまだに僕のことを「チェァマン」って言う人いますけどね」
南原 「はい、はい」
川淵 「だからネーミングって大事なんですよ」
南原 「実は」
川淵 「うん」
南原 「はい」
川淵 「だからそういう意味ではね、いろいろ思い出ありますね」
南原 「でもやっぱ人と同じことやらない」
川淵 「そうそうそうそう、もう同しのは大っ嫌い」

ということがあったそうで(笑)。
チェアマンという言葉を初めて聞いたとき、人間椅子ならぬ椅子人間か?と当時は思ったりしましたが(笑)、確かに新しくて印象に残るネーミングではあります。
それにしても、川淵さんの話を聞いていると、かなり強引で我が道を突き進むという感じだな~(笑)。
こんな感じでやっていると批判を浴びることも多そうですが、サッカー愛があっての行動ですし、多少の独断専行はリーダーとして必要ということなのでしょう。


あとは、ヨーロッパに行ってる日本人選手が敢えてJリーグでプレーするようになったり若い選手がどんどんヨーロッパに行くようになったり、そういう循環が増えていけば日本のサッカーはレベルアップしていく。
W杯でベスト4に残る可能性は今の段階では5パーセント、これからの毎日の練習の積み上げが1年の成果としてW杯で表れるので毎日が勝負。
十代でけっこういい選手いるので国際経験をして欲しい、代表でも積極的に使ってみて従来からいる選手が危機感を持つことが大事。競争相手がいると選手はレベルアップする。
という話などがありつ、最後は、

南原 「さぁ、そういったところで、2週に渡っていろいろとお話を伺ってまいりました。キャプテンどうでしたか?」
川淵 「いや~もうねぇ、楽しく話をさせていただいて、何か胸にある、その、いろんなものをここで全部放出したって感じですかね(笑)」
南原 「あぁ!そうですか」
川淵 「うん(笑)」
南原 「じゃあ、またこう溜まったらいつでも来てください」
川淵 「えぇえぇえぇ(笑)」
南原 「放出しに」
川淵 「是非、「何か溜まってそうだな」と思うときは是非呼んでください(笑)」
南原 「そうですね、是非来てもらって、「ふざけんな!この野郎」
川淵 「(笑)」
南原 「「南アフリカ(のW杯でベスト4に入る確立)もっとパーセンテージ上げなきゃダメなんだよ」とかそういうの」
川淵 「(笑)」
南原 「どんどんどんどん、ここでね、ぶちまけてもらいたいと思います。えぇ、これからもですね、日本サッカー、そしてスポーツ界全体のですね、活躍のためにいい影響を与え続けてもらいたいと思います。え~、今週、そして先週とね、2週に渡って来てもらいました、ゲストの川淵三郎さんでした。どうもありがとございました」
川淵 「どうもホントにありがとうございました」

というやり取りで番組は終了。
2週に渡り、ホントによく喋っていたな~という感じの川淵さんでありました(笑)。

あ、そういえば、前回のW杯が終わったあとの記者会見で次期監督がオシムさんだということについて川淵さんは「あ、言っちゃったね」と言ってましたが、あれは確信犯でわざと言ったのかどうか知りたかったのですが、その話題は出てこなくて真相を聞くことが出来なかったのがちょい残念でありました(笑)。



『スポーツドリーム』 6/27

2009年06月28日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎さん。

まずは、

南原 「さぁ、川淵キャプテンです。よろしくお願いします」
川淵 「どうも、よろしくおねがいします」
南原 「ねぇ、白のワイシャツに青のネクタイで、さわやかな感じですけども」
川淵 「いやいや、今日はナンチャンにお会いするんでね」
南原 「(笑)」
川淵 「ピシっとキメてこなくちゃと思って」
南原 「(笑)」
川淵 「背広着てきたんですけど、ナンチャンはどうせろくなものは着てないだろうっていうのは」
南原 「ハッハハハハ」
川淵 「ちゃんとわかってましたけど」
南原 「(笑)すいません、僕、半袖に夏服で(笑)」
川淵 「いえいえいえ(笑)」
南原 「一応、(ジャパンブルーの)青らしい意識はしてきたんですけども」
川淵 「ハッハハハ、いえいえ(笑)」
南原 「えぇ」

というやり取りで番組はスタート(笑)。
南原さんと川淵さんは以前から面識があった・・のかどうかはわかりませんが、川淵さんの先制パンチにちょっとタジタジという感じの南原さん(笑)。
川淵さんを評して、南原さんは「スポーツマンなんですけども、どっか会社の社長とか話してるような(笑)、一代で社を築き上げた人と話してるようなそんな錯覚もしました」と言ってましたが、確かに、川淵さんの話を聞いていると押し出しが強く、叩き上げの社長という感じもしなくはありません(笑)。
ちなみに、川淵さんは72歳とのこと。
う~む、ここ最近、大林監督や木村監督そして川淵さんと、やたら元気な70歳の人と南原さんは何故か縁があるな~、やはり南原さんはおじいちゃん子だな~(南原さんの歳から言うとお父さんの年代ですが・笑)ってなことを思いましたが、それは兎も角として。


W杯の出場を決めた日本代表については、

南原 「川淵会長に訊きたいんですけどもね」
川淵 「えぇ」
南原 「岡田監督が」
川淵 「えぇ」
南原 「(W杯で)ベスト4」
川淵 「うん」
南原 「なんてことを言ってますけどもね」
川淵 「えぇえぇ」
南原 「これはキャプテンからみてどんなふうに思われますか?」
川淵 「いや、それはもうほとんど無理だろとうと思いますけど(笑)」
南原 「アッハハハハハ」
川淵 「ハハハハハ」
南原 「ちょっとちょっと(笑)」
川淵 「ハッハハハ、いや、しかし」
南原 「はい」
川淵 「例えばね」
南原 「はい」
川淵 「いちばん初めに、常識的にどの監督であっても言うのが」
南原 「はい」
川淵 「「予選リーグ突破」って必ず言うんですよ」
南原 「そうですね」
川淵 「で、この前のドイツのワールドカップも予選リーグ突破出来なかったですよね」
南原 「はい、はい」
川淵 「だから、ま、一回だけ2002年の日本での開催の時だけが、ホームの利もあってベスト16に残ったわけですが」
南原 「はい」
川淵 「しかし、そのベスト16、「予選リーグ突破するぞ」と、「それに向かって皆で努力していこう」と言うとね」
南原 「うん」
川淵 「その、努力目標が低すぎるんですよ、僕に言わせれば」
南原 「なるほど」
川淵 「だからその、ベスト4に向かって行くぞということで、ようやく予選リーグ突破ぐらいの努力を皆するぐらいのことでね」
南原 「うん」
川淵 「目標設定が低いとね」
南原 「うん」
川淵 「予選リーグ突破は無理ですよ」
南原 「なるほど」
川淵 「だから岡田監督は、そういうこと言って、例えばベスト8にまで行ったとしますよね」
南原 「はいはい」
川淵 「これは大成功ですよね」
南原 「大成功です」
川淵 「しかし、「岡田監督ベスト4って言ったじゃないか」」
南原 「はいはい」
川淵 「「何をそういう大それたこと言ったんだ」ってね」
南原 「うん」
川淵 「それは批判されるのを覚悟の上で岡田監督言ってるわけでしょ」
南原 「はい、はい」
川淵 「だから僕はね、やっぱり、その、いい目標設定だと思いますよ」

という話をしてました。
確かに、予選突破では目標が低すぎますし、かといって優勝を目指すなんて言っても現実離れし過ぎていますので、川淵さんの言うようにベスト4はちょうどいい目標なのかもしれません。
ただ、先日のオーストラリア戦などを見ていると、まだまだ目標達成への道程は遠いという感じがしましたが・・。
川淵さんいわく、岡田監督は合宿などを通じて時間をかけて選手に話し、今は7、8人の選手が本気でベスト4を目指している感じはする、これが来年のW杯の本番で23人の選手全員が絶対ベスト4勝ち取るんだとなったときにはその可能性が出てくる、とのことでした。
それから、岡崎選手などはその気になってやっていて、ボールを取られた時に必死で追ってる。ロナウドやルーニーなどは必死にボールを追うのを当たり前のようにやっているけど日本のFWでは今までそういう選手は少なかった、Jリーグの試合でFWを観るときは、必死でボールを追ってるかどうかを見て欲しい。
DFの選手では、抜かれるのを恐がらず躊躇せずにボールを取りに行くかどうかを見ると、今までとは変わったなと思える選手がいるかどうかわかるし見ていて面白いと思う。
とのことでした。


あとは、川淵さんが最近出版された『51歳の左遷からすべては始まった』という本についての話・・東京オリンピックに出場したり日本代表監督にもなったりしたあと、強化部長をしていたロス五輪で日本代表が予選で惨敗したのを期に、サラリーマンとして成功したいと思い一生懸命仕事をしていたが51歳の時に子会社への出向を命じられ、ちょうどそのときサッカーのトップリーグの責任者にならないかという話があり・・云々(サッカー話よりこちらの話のほうが長く、「自分の評価は周りがするより2、3割高い」という話など興味深いものもあったのですが、『ワールドビジネスサ○ライト』的(?)な話題でスポーツとはあまり関係なかったので、今回は割愛させていただきます・笑)という話などがありつつ。



来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 6/20

2009年06月21日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはゴールデンイーグルスの田中投手。

今回は恒例の10の質問で野球話をあれこれと。
クライマックスシリーズはこれまでテレビで見てる側だったので今年はその時期まで野球をやりたい、チームの勝ちに結びつく投球をすれば自分の数字(勝星)にもなってくると思うのでどんな内容だろうと勝つということが大事、という話等々、今回はわりと普通の野球話が多かったのでそのへんはバッサリ割愛して(笑)、それ以外のやり取りについて少しだけ。
"正直そろそろマー君は卒業させてもらいたい?"という質問には「いいえ」と答えていた田中投手でしたが、いわく、

田中 「これは全然、親しみこめて呼んでもらってるんで」
南原 「はい」
田中 「僕は全然、ウェルカムって感じです」
南原 「お、今、英語出ましたよ、ウェルカム」
田中 「(笑)」
南原 「はい、これ、前からマー君だったんですか?小っちゃいときとか、何か・・」
田中 「小さいときから呼ばれてたりもしましたし」
南原 「はい」
田中 「ま、でも、やっぱり、高校のときにに斉藤(祐樹)が公の前で言い始めてから定着した感じがしますね」
南原 「あれで、マー君で統一みたいな」
田中 「そうですね、あれからずっと今まで来てますね」
南原 「はい、「いきなり何だよ、マー君」って感じじゃなかったですか?」
田中 「僕はそう思いましたよ」
南原 「ハッハハハハハハ」
田中 「「お互い何て呼び合ってるんですか?」っていうインタビュー一緒に二人で出て」
南原 「はい(笑)」
田中 「向こうが先に「マー君」って言ったんで」
南原 「はい」
田中 「「え!?」っと思って」
南原 「ハッハハハハハ、こいつかましたなと思った(笑)」
田中 「ビックリして」
南原 「ハッハハハ、そんときは何て答えたんですか?」
田中 「僕は「祐ちゃん」って言いました」
南原 「ハツハハハハ」
田中 「はい」
南原 「まぁ、リップサービスもあって」
田中 「はい」

とのことでした(笑)。
ちなみに今は、斉藤投手と連絡を取り合うことは全然ないそうです。
それから、"斉藤祐樹投手、今投げ合えば絶対勝てる?"という質問には、即答で「はい」と答えていた田中投手。
このへんは、プロで3年間やってWBCにも出場している田中投手の自信と自負のようなものを感じさせる受け答えでありました。


あとは、グローブは小さいと投げにくいし握りの癖などを隠すために大きいのを使ってる、という話や、気の抜けた球と気持ちの入った球は違う、という話などがありつつ、最後は、

南原 「田中投手を中心にね、こう若い人たちがどんどん出てきて、今プロ野球が、またもう一回新しくなってきてると思うんですよ、えぇ、是非お体に気をつけて」
田中 「はい」
南原 「気持ちのいいピッチングを」
田中 「はい」
南原 「我々に見せてもらいたいと思います」
田中 「はい」
南原 「えぇ、今回は長い間どうもありがうございました」
田中 「ありがとうございました」

というやり取りで、2週に渡る出張『スポドリ』(笑)は幕を閉じたのでありました。



『スポーツドリーム』 6/13

2009年06月14日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、ゴールデンイーグルスの田中将大投手。

シーズン中ということで、今回はスタジオを飛び出した南原さん(笑)が東京ドームへ出張して、田中投手にあれこれと話を聞いてました。
今シーズンの田中投手の成績を振り返ったり、WBCでの経験が自信になって相手を見下ろして投げられる、という話などがありつつ、

南原 「あの僕、あの、ね、新聞か何かで見たんですけど、握り方をね」
田中 「はい」
南原 「(WBCの時に)ダルビっシュ投手からちょっと教わったと」
田中 「はい」
南原 「聞いたんですけども、これ、握り方っていうのはピッチャーにとってすごい大事じゃないですか」
田中 「そうですね、まぁ、変化球とかでもやっぱり個人個人の握り方っていうのもありますし」
南原 「はい」
田中 「あの~自分にとって何が良い、これはちょっと合わないとか色々あるんで」
南原 「試行錯誤しながらずっと」
田中 「はい」
南原 「ちょっとボールがあるんですけど、ラジオで伝わりづらい・・」
田中 「はい」
南原 「私もなるべく伝えますけど、どうゆう握り方を変えたのかっていうの、僕、今回どうしても聞きたかったんですけども」
田中 「はい」
南原 「はい」
田中 「今までは」
南原 「はい」
田中 「ストレート・・でも、こう、投げる前から力んじゃってボールを思いっきりギュッと握っちゃってたんですけど」
南原 「はい」
田中 「でも、その、ダルビっシュさんから言われたのは、もうホントに指先の、「投げる瞬間の指先の感覚を大切にして投げるように」っていうふうに言われて」
南原 「はい」
田中 「ホントにもう、投げる直前まで力入れずにもうホント軽く持つような感じ、もうホント極端に言えばつまんで持ってるような感じ・・」
南原 「え!?ちょっと僕の手を・・(南原さんの声が遠くなる)今まで」
田中 「今までは、こう」
南原 「今までは」
田中 「ギュッとこう握って投げていたんですよ」
南原 「はい」
田中 「でも、もう今はもうホントに投げる瞬間までこんな感じで」
南原 「(また元の声の大きさに戻る)これね、生卵ですよ」
田中 「ハッハハハハ」
南原 「生卵ですね、フワっと」
田中 「あぁもうフワッと、ホント、フワっとですね」

という話も。
そういえば、以前『NANDA!?』にカネやんこと金田正一さんが出たときも同じような話・・「ボールはフワッ握るんや、当たり前やろ」ってな感じのカネやん節(笑)で喋りながら実演し、南原さんを驚かせてたことがあったっけ。
南原さんはそのときのことを憶えてない・・のかどうかはわかりませんが、田中投手の側に行き(?)、実際に手をフワッと握られて感心しきりという感じの南原さんでありました(笑)。
ちなみに、そのフワっとした握り方で投げるとボールを投げる瞬間に押し込む感覚で出来て、低めのストレートもおじぎすることなく強い球を投げられるようになり投球の幅も広がった、ということを田中投手は話していました。


あとは、北京五輪で中継ぎをやり重圧のあるポジションだということを経験したので、自分のチームに戻って先発をするときは中継ぎの人たちを楽に投げさせられるようなゲーム展開を先発が作らないといけないと思うようになったという話や、ピッチングは力を抜いて下半身主導で投げることを意識しているという話。
野村監督からは直接ボヤキを聞かされることはあまりないけど何を話してるのか気になるのでテレビや新聞を見ている。
野村監督の1500勝のときにはウィニングボールを渡したら拝まれた(笑)。
今、肩肘に疲れはないといったらウソになるけどその中でいかに結果を残して頑張れるかだと思う。
という話などがありつつ、

南原 「僕、すごく印象に残ってたのが、WBC終わってよく、まぁ周りのマスコミの人がね「メジャーとかとか行きますか?」って言ったときに、田中投手が「いや、あの、僕は日本の細かい野球が好きなんで」っていうふうに答えたと思うんですけども(笑)」
田中 「(笑)」
南原 「これはどういうあれで・・やっぱ雑な感じしますか」
田中 「雑というか、まぁ(笑)大味というか」
南原 「ああ、大味」
田中 「はい」
南原 「はい」
田中 「まぁそういう(笑)イメージはやっぱありましたね。でも、ホントに選手個々の能力というか」
南原 「はい、はい」
田中 「身体能力の高さはやっぱりズバ抜けてますけど」
南原 「はい」
田中 「はい、でもやっぱり緻密さではやっぱり日本が世界一だと思います」
南原 「あ、もう、間違いなく」
田中 「はい」
南原 「そういう細かい野球好きですか?」
田中 「そうですね、まぁ、ただ能力で打つ投げるの勝負もいいかもしれないですけど」
南原 「うん」
田中 「やっぱり頭を使って」
南原 「うん」
田中 「勝つっていうのが面白いんじゃないのかなと思うんですけど」
南原 「まあ、また野村監督のいるところ(チーム)ですからね」
田中 「はい(笑)」
南原 「細かいですもんね」
田中 「ハッハハハ」
南原 「「(舌打ちして)細かいな~」と思うこと・・」
田中 「ハッハハハハハ」
南原 「「もうちょっと・・もうちょっと任せてくださいよ」とか」
田中 「ハッハハハハハ」
南原 「(笑)それは、それはあんまり思わないですか?」
田中 「いや、まぁまぁまぁまぁまぁ」
南原 「その笑顔がね」
田中 「フッフフフフフフ」
南原 「語ってると思いますけども」

という話や(南原さんの誘導尋問気味の質問も笑ってごまかすあたりは、さすが神の子マー君という感じでした・笑)、ドラマ『R○KIES』を見れるときは見てたという田中投手と、

南原 「あんなヤツら甲子園出てたらたまんないですよね」
田中 「アッハハハハハハハ」
南原 「あんな髪のヤツが来たら、こんな奴らに負けるかっていう(笑)」
田中 「(笑)」
南原 「俺の三年間坊主頭に絶対負けるかって」
田中 「アッハハ」
南原 「ねぇ、あんなのが来たら、まぁまぁまぁねぇ」
田中 「(笑)」
南原 「野球やってる仲間でね」
田中 「はい」

というやり取りがあったりして、真面目な野球話をしつつも和やかに話が盛り上がっていた30分でありました。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 6/6

2009年06月07日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはラグビー元・日本代表の松尾雄治さん。

今回は10の質問でラグビー話をあれこれと。
"ラグビーというスポーツは選手も楽しいが監督も楽しい?"という質問に「はい」と答えていた松尾さん(今回はすべての質問に「はい」という答えでした・笑)。
いわく、以前は選手としてやるほうが全然おもしろいと思っていたけど、最近は(成城大学の監督を引き受けた5年前から)監督もおもしろいと思うようになったそうで。
松尾さんの引退試合観に来ていた長嶋さんから言われたことが・・「「引退というのはすごく勇気のいることだし、たぶん雄ちゃんもこれから色んな関係者と会わなくなったときにすごく寂しい気持ちになる。でもね、またそれを乗り越えていくとね、色んな角度でラグビーと携わっていくことが出来るんだよ。違ったかたちでね。評論家としてでもいいし、指導者としてもいい。違ったかたちでラグビーに携わるということが出来る人は素晴らしいことだしね、そういうふうになっていくよ」って言われたのが、ホントに20年経って5年前にね、そういうふうになったわけですよ」・・というふうに、ホントになったとのことでした。


"人間頭で考えるよりまず行動してみることだ?"という質問では、

松尾 「もう、これは絶対そうですね」
南原 「うん」
松尾 「まずね、考えてたんじゃね」
南原 「はい」
松尾 「時間経っちゃってどうしようもないでしょ」
南原 「はい」
松尾 「人間が生きるのにね、一番大切なのは勘ですよ、勘」
南原 「最近、勘がだんだん鈍ってくる・・」
松尾 「うん、だからそれは何故かっていうのは、ペンを持ってもの書くからですよ。何足す何は何だとか」
南原 「うん」
松尾 「何はどうなってるってことをペンで書くから」
南原 「うんうん」
松尾 「その勘が鈍っちゃうんですよ」
南原 「鈍っちゃう」
松尾 「鉛筆持つと勘が鈍る」
南原 「・・なるほど」
松尾 「だから、皆は僕のことを「お前バカだな」と言いますよ」
南原 「うん」
松尾 「だけど」
南原 「はいはい」
松尾 「そうかもしれないけど、僕の頭の中にはそうじゃないんだもん。考えなかったら無理という結論にはならないんですよ」
南原 「あ、なるほど(笑)」
松尾 「うん」
南原 「なるほどなるほど。あ~おもしろいですね」
松尾 「やったんだけどダメだったんだな、というね、ダメだったんだなっていうものにはなるけれども、それは次に生きるでしょ。やんなかったら次に生きないじゃないですか」
南原 「そうですよね、何もない・・」
松尾 「何もやんなかったら」
南原 「はい」
松尾 「次にやりようがないでしょ。何かやったら「あん時失敗したからよぉ」って」
南原 「はい」
松尾 「次に生きるじゃないですか。やってみなきゃわかんないんですよ(笑)」
南原 「なるほど~、おもしろいですね~」

というやり取り。
この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ・・迷わず行けよ、行けばわかるさ!を地で行く松尾さん(笑)。
そんな松尾さんに、南原さんは「なるほど」を連発してましたが(笑)、でも、南原さんも、成功するか失敗するかわからないけどおもしろそうなことをやってみよう精神で落語や狂言をやってると思いますので、意外と似たもの同士の二人かもしれません(南原さんの場合は、勘がすべての松尾さんよりは色々と考えてると思いますが・笑)。


あとは、先週に続き、今回も成城大学ラグビー部の、

松尾 「普通、スポーツ選手っていうのは」
南原 「はい」
松尾 「痛くたって」
南原 「はい」
松尾 「「ウ~~!」とか「イ~タ~!」ぐらいでしょ?」
南原 「はい、はい」
松尾 「ウチのは違うもん」
南原 「はい」
松尾 「「痛い痛い痛い痛い痛い!」」
南原 「アッハハハハハ」
松尾 「「ウワ~!痛い!イ~タタッタッタ~痛い!」って、俺が行くまでずっと言ってるからね、痛いの」
南原 「アッハハハハハ」
松尾 「「お前、そんなに痛いわけないだろ、スポーツ選手が」」
南原 「アッハハハハ」
松尾 「「大丈夫か?」って言ったら「ダメです」って言うしさ」
南原 「アッハハハハハハ」
松尾 「普通、「ダメです」って言わないでしょう」
南原 「ハッハハハハハハ」
松尾 「で、挙句の果てに、「名誉の負傷です」だって」
南原 「アッハハハハハハハハ」
松尾 「名誉かどうかは俺が決めんだ、バカヤロー」
南原 「アッハハハハハハハハ」
松尾 「「お前が決めるっておかしくねぇか?それ」って、何が名誉の負傷?」
南原 「ハッハハハハ」
松尾 「情けなくなっちゃう」
南原 「(笑)でも、そういうのをわかってもらいたい、わかってあげるっていうことが、ひとつの信頼ってことですね」

という、トホホ話も披露(笑)。
ちなみに、松尾さんは成城のラグビー部の監督は無報酬でやっているそうで。
にもかかわらず、選手を自宅に呼んで自費で鍋パーティーを開いているとのこと。
これは、他の大学は合宿生活をして寝起きを共にしているけど、成城のラグビー部は皆家から通ってるので皆で過ごす時間を増やすためにやっているとのことでしたが、う~む、こういうことは出来そうでなかなか出来ないことだな~、と大いに感心。
"監督業もいいがそろそろ仕事をしないと実はかなり苦しい?"という質問や"最近生活を切り詰めてる?"という質問にも元気に「はい」と答え、「今日のギャラも鍋パーティーですね」という話なども明るくしていた松尾さんでしたが、こんな松尾さんのラグビーLOVEな気持ちを、現代っ子が意気に感じて頑張ってくれることを願うばかりです(笑)。


あとは、失敗したときは早く謝る、そうしないとしばらく経つうちに全部自分に都合のいいように考えるようになって謝れなくなっちゃう、選手にも失敗したら早く認めて次にいいプレイを2つすればいと言っている、という含蓄のある話などがありつつ、"いつかは日本代表の監督をやってみたい?"という質問では、

松尾 「そうですね、あの~、やっぱり各スポーツそうですけど」
南原 「はい」
松尾 「みんな外国ナイズされるっていうか」
南原 「うん」
松尾 「まぁ、アメリカとか」
南原 「うん」
松尾 「ラグビーで言うとヨーロッパとか」
南原 「うん」
松尾 「そういうところのマネをするというね」
南原 「うん」
松尾 「そういうことが流行ってますよ」
南原 「うん」
松尾 「だけどやっぱり、僕はその国その国で良いものって必ずあると思うので」
南原 「うん」
松尾 「外国の監督を連れてきて、いくらチームを強くしようと思っても、その(監督の)国のBチームを作るようなもんでね」
南原 「あ~、なるほど」
松尾 「やる監督っていうのは、やっぱりその土壌で生まれ育って、そこでやってきた人達がいちばん合ってるんじゃないかな、と僕は思ってるんですよね」

というやり取り。
松尾さんいわく、素早く走れて細かくつなげる世界のチームの倍走れるようなチーム、点は取られるかもしれないけどトライを取り勝って競り勝つチームをつくりたい、とのことでした。
WBCの侍ジャパンも日本らしい野球の"日本力"で優勝しましたし、サッカーの前日本代表監督のオシムさんも外国人監督だけど似たようにことを(最初は外国のマネから入って基礎を作ることが必要、でもその後は日本に合ったオリジナルなサッカーを)言ってましたし、陸上の為末選手も日本人に合った走り方を追求していますし、松尾さんの考え方はラグビーの日本代表が強くなるための正道のような気がします。


あと、"テレビやラジオに出演して喋るのは好きだ?"という質問にも「はい」と答えていた松尾さんですが(笑)、確かに、昔はテレビなどにもよく出てよく喋ってた印象があるな~(笑)。
今回も情熱的によく喋ってましたし(笑)、またテレビなどに出演して・・現代っ子だらけのラグビー部を熱く指導する監督として、メディアにももっと取り上げて欲しいところであります。


ってな感じで2週にわたり、笑いありちょっと真面目な話ありで、興味深い話満載の『スポーツドリーム』でありました。



『スポーツドリーム』 5/30

2009年05月31日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、ラグビー元日本代表の松尾雄治さん。

松尾さんといえば、新日鉄釜石で日本選手権7連覇。
少し前まで1月15日の成人の日に日本選手権を見るのが恒例、いや、ラグビー&晴れ着姿が風物詩という感じでしたので、松尾さんの勇姿もよく憶えていますが・・今は成人の日っていつだっけ?
日本選手権も成人の日開催ではなくなってしまいましたし、う~む、昭和は遠くになりにけり、であります(笑)。
・・そんな昭和話は置いといて(笑)。


松尾さんは、「運動しかやるな、勉強は一切するな」というお父さんに育てられ、小学5年生からラグビーを始めたそうで。
家に遊びに来た友達がラグビーボールを見て、「丸いの(ボール)ないの?」と言ったときには、お父さんから、

松尾 「「お前らなに言ってんだ、このボールこそ君たちの気持ちがね、このボールに入るんだ」って言うわけよ。その、「丸いボールなんていうのはね、投げたらそっちいきっぱなしだ」と」
南原 「(笑)」
松尾 「「このボールはどこ行くかわからないし」」
南原 「そうですよね」
松尾 「「一人じゃ遊べないようになってるんだ」って言ったんだな」
南原 「一人じゃ遊べない、なるほど」
松尾 「壁にぶつけても返ってこないでしょ」
南原 「ホントですよ」
松尾 「変な形してて」
南原 「はい、楕円形の」
松尾 「だから「皆で遊ぶためにね、このボールは出来てるんだ」って言われて」
南原 「あ、なるほど」
松尾 「えぇ、すごくね、うちの親父はね、全然勉強してないんですけど」
南原 「うん」
松尾 「哲学者なんですよ」
南原 「それはでも真理ですね、ひとつの」
松尾 「そうですよねぇ」
南原 「一人じゃ遊べないように出来てる」

と言われたとのこと。
で、続けて、

松尾 「だからラグビーから得たものっていうのはホントにね、格好いいこと言うようだけど、自分では、一人では何も出来ないってことなんですよ。だから皆で何かしよう」
南原 「はい、はい」
松尾 「ね」
南原 「はい」
松尾 「それで、その中でやっぱり僕も、座右の銘で、最近ね」
南原 「はい」
松尾 「なったんだけども」
南原 「はい、はい」
松尾 「個性尊重というね」
南原 「おぉ」
松尾 「一人一人ほら、顔も全然違うじゃないですか」
南原 「違いますよ」
松尾 「俺、こんな変な顔してるし」
南原 「いやいや」
松尾 「ね」
南原 「体格も違うしね」
松尾 「全部違うんですよ」
南原 「はいはい」
松尾 「その違う人たちと」
南原 「はい」
松尾 「どう生きていくかっていうことが大切じゃないですか」
南原 「それ世の中の縮図みたいなものですよね」
松尾 「そういうことですよ、それがラグビーなんですよ」
南原 「なるほど~、良いこと・・」
松尾 「終わっちゃったじゃないですか」
南原 「いや、まだまだです(笑)」
松尾 「ハッハハハ」
南原 「まだまだです(笑)、終わってないですよ(笑)」

というやり取り(笑)。
この手の話は喋りなれてるという感じの松尾さんと南原さんの上手い相槌で、番組開始早々話がいい感じにまとまってしまいましたが、もちろんこれで終わりではなく(笑)、続いては、今、松尾さんが監督をやっている成城大学ラグビー部の話に。
松尾さんは幼稚園から高校の途中まで成城(松尾さんいわく成城は「その当時はどこも行くようなところがない方とか、どうしようもなくてどこも受け入れられない子たちが行ってたことが多いんですよ」とのことでした(笑))だったので、成城大学の監督に就任したとのことでしたが、

南原 「いや、僕ね、すごく今気になってるのがね」
松尾 「はい」
南原 「あぁいう数々の、ねぇ」
松尾 「うん」
南原 「輝かしい賞とかもらった方が、今、成城大学のラグビー部の監督・・」
松尾 「えぇ、そうなんですよ」
南原 「2004年から始めて」
松尾 「もう6年目ですね」
南原 「で、これがね、ちょっと面白い(笑)、就任当時は」
松尾 「うん」
南原 「廃部寸前だったんですか?(笑)」
松尾 「いや、ホントに19人しかいないでね、部員が」
南原 「えぇ、えぇ」
松尾 「女子のマネージャーがいるんですよ」
南原 「えぇ」
松尾 「それが9人もいてね(笑)」
南原 「え?」
松尾 「男19人に女9人っていうね」
南原 「(笑)」
松尾 「何かちょっとね」
南原 「(笑)」
松尾 「変なラグビー部だったんですよね(笑)」
南原 「で、しかも、僕、強いのかな?と思ったら、そん時そうでもなかったんですか」
松尾 「弱いに決まってるじゃないですか」
南原 「(笑)」
松尾 「19人って、他の大学は100人以上いるんですから」

(中略)

松尾 「最初行ったときなんか、もう挨拶も何もないんですよ」
南原 「え?」
松尾 「ホントに」
南原 「ちょっと待ってください、え?若い人たちは、松尾雄治さんのプレーは見たことない」
松尾 「知りません知りません、全然知らない。僕も引退して25年ですから」
南原 「僕らはもう、テレビを通じて見てましたけども。あ、ということは、もう、「あ、また新しい監督が代わって来たんだ」」
松尾 「そうそうそうそう、そんな感じです」
南原 「えぇ、「な、何だ、この人」」
松尾 「そういうこと」
南原 「「OBらしいよ」つって」
松尾 「えぇ」
南原 「「元、何か日本代表」「あ、そう」」
松尾 「うん」
南原 「「面倒くさい人が来ちゃったんじゃないの?」って」
松尾 「ハッハハハハハハ、そういう感じです(笑)」
南原 「「俺らは楽しんでやろうと思ってるのに」」
松尾 「いやいや、ホントそういう感じなんですよ」
南原 「それ見て、パッと見てどうだったんですか、現代っ子たちは」
松尾 「現代っ子・・だから、まず挨拶からですよ、ホントに。「オェ、オェーっす」なんて(笑)」
南原 「アッハハハハハハハ」
松尾 「「何だそれ?」みたいなね」
南原 「「エェ、エェーっす」」
松尾 「ちょっと・・」
南原 「「チョリーっす」みたいな(笑)」
松尾 「だけどさ、そう(笑)、そうなんですよ」
南原 「(笑)」
松尾 「そこでね、やっぱり今の・・我々難しいんですよ、彼らにね、入ってくのが」
南原 「「チョリーっす」とか、「ウィーっす」「ウィーっす」って(笑)」
松尾 「まず初めに穴の開いたジーパン買いに行ってね」
南原 「あ(笑)」
松尾 「何しろ穴の開いたジーパンじゃないと何か彼らとね、共通の精神になれないような気がするんだよね」
南原 「あ、松尾さんがそこに下りていって合わせたんですか」
松尾 「そうなのそうなの」
南原 「いや、「テメーら!お前、挨拶ぐらいしろよ!」って言わなかったんですか?」
松尾 「最初ちょっと言ったけど(笑)」
南原 「はい」
松尾 「いや、「挨拶しようよ」って」
南原 「「挨拶しようよ」」
松尾 「「挨拶しよう」」
南原 「はい」
松尾 「「挨拶の練習しよう」って言って」
南原 「はい」
松尾 「それでだんだん出来るようになったんです」
南原 「あ、だんだん声出すようになったんですか」
松尾 「だんだん声だすようになって」

という感じだったそうで(笑)。
そして、

松尾 「高校時代」
南原 「はい」
松尾 「花園ラグビー場で、ね」
南原 「はい」
松尾 「行こうとか」
南原 「はい」
松尾 「その、いろんなところで」
南原 「目標がね」
松尾 「決勝戦に行こうとか」
南原 「はい」
松尾 「そんなことを考えたことがあるヤツは一人もいないわけですよ」
南原 「アッハハハハ」
松尾 「何しろ(笑)、ね、ラグビー部で走ってったたら、だんだん女子のテニス部に寄ってくみたいな」
南原 「アッハハハハハハハ」
松尾 「そういうラグビー部を経験したヤツばっかりだから」
南原 「(笑)」
松尾 「何て教育していいかわかんないし」
南原 「はい(笑)」
松尾 「彼らに」
南原 「接点が・・」
松尾 「もうちょっとそのラグビーの楽しさ」
南原 「なるほど」
松尾 「今度は、逆に言うと勝つ楽しさ」
南原 「なるほど」
松尾 「また、泣く感動」
南原 「はい」
松尾 「そういうことがないんですよ、全く、彼らにはね」
南原 「はい、はい」
松尾 「「へぇ~、負けちゃった」みたいなね」
南原 「はい」
松尾 「やっぱりそれはさ、勝っても負けてもつまんねぇじゃねぇかって」
南原 「なるほど」

というエピソードや、

松尾 「試合の前に」
南原 「はい」
松尾 「準備することもないんですよ。明日こそ俺は頑張るぞって思うようなのはないんですよ」
南原 「(笑)」
松尾 「もう、すぐにもう練習終わったらすぐ飛んで帰っちゃうようなヤツがね(笑)」
南原 「(笑)、「チーっす、お疲れっす」(笑)」
松尾 「ゆっくり来て飛んで帰るんだよね」
南原 「アッハハハハハ、それでスポーツとは、それは適当にやると適当の楽しさとか悔しさとかないと」
松尾 「うん」
南原 「ホントに一生懸命やって」
松尾 「そうなんですよ」
南原 「ホントに悔しいとか」
松尾 「はい」
南原 「ホントに楽しいってことを」
松尾 「はい」
南原 「現代っ子たちにわからせようと」
松尾 「そうなんですよ」
南原 「だんだんだんだん変わってきてます?」
松尾 「だんだんくるんですよ、やっぱりね」
南原 「何か、チームを強くするためにグラウンド近くに引っ越して、月に1回自宅で鍋パーティーを開いている・・」
松尾 「パーティーっていうわけじゃないんですけども」
南原 「はい」
松尾 「ご飯を皆で一緒に食べようということでね」
南原 「はい」
松尾 「鍋をたくさん作って」
南原 「はい」
松尾 「最初のうちは、もうね、もう全然ダメだったんで」
南原 「はい」
松尾 「ホントに週に2回とか、多いとき週に3回とか」
南原 「はい、「来い」と」
松尾 「まったくダメなんですよね」
南原 「はい(笑)」
松尾 「もう、入ってくるときから靴はこんがらがっちゃってグチャグチャだし」
南原 「アッハハハハハ」
松尾 「人ん家の玄関なんだと思ってんだ!みたいなね」
南原 「アッハハハハハ」
松尾 「もう何しろダメなわけ」
南原 「ハッハハハ、自由奔放なんですね(笑)」
松尾 「それで、食べるときだって、何もね」
南原 「はい」
松尾 「食べさせてあげるから俺にお礼を言えとか言ってるわけじゃないんですよ」
南原 「はい、はい、はい」
松尾 「普通のことでしょ、「いただきます」って言うのと、「ごちそうさま」とか」
南原 「はい、はい、ハッハハハ」
松尾 「そういうのでもうイライライライラしちゃって」
南原 「ハッハハハ」
松尾 「ところが、だんだんだんだんそれがね」
南原 「変わってくる」
松尾 「変わってくるんですよ」

という話も披露(笑)。
あの松尾さんが・・あの日本選手権7連覇の松尾雄治が、松尾さんのことを何も知らない現代っ子相手に悪戦苦闘してる、という話は、まるで映画みたいだな~(笑)。
南原さんも、「松尾さん今面白い戦いしてますね~」「松尾VS現代っ子」「この結末が是非見たいんですけども」「いや~、今、(松尾さんの)現状がまた面白いですねぇ。何か目に浮かんでくるようですね。何かそういう昔ね、高校で悪い高校のところを良くなったっていうドラマがありましたけども、これはこれで新しいドラマかなと僕はすごく興味深く聞きました」と言ってましたが、確かに、今の松尾さんは大学生版平成の『スクール・ウォーズ』を体当たりでやっているという感じです(笑)。
情熱的に話をしていた松尾さんは泣き虫先生ではなさそうですが(笑)、この先、松尾さん指導のもと成城大学ラグビー部がどうなっていくのか楽しみです(『Get』あたりで長期取材をしてくれないかなぁ・笑)。
ちなみに、最初は、「オェーっす」と言ってた選手たちも、こんなプレーは誰も見てないだろうというプレーに対し絶対見逃さず「お前、よくあそこで戻っててタックルしたな」というふうに松尾さんが声をかけていくと、返事も「ウェー」から「はい」に変わっていったとのこと。
そして、明治大学の4軍か5軍と試合をしてボロ負けしたけど一生懸命タックルに行くようになったり、去年は部員が30人に増えて7年ぶりに入れ替え戦にも出場したとのことですので、松尾さんの指導で現代っ子たちも確実に変わっていっているようです。


あとは、ずっと9番のスクラムハーフをやっていて日本代表にまでなったのに、大学3年のときに10番のスタンドオフにポジション変更。でも、それで明治大学が日本一になり、10番のスタンドオフでまた日本代表になった、という話もしてましたが、

松尾 「だから僕はね、そこでね、ホントに学んだことはね」
南原 「うんうん」
松尾 「だから物事・・理屈を先に考えると」
南原 「うん」
松尾 「絶対出来ないっていう結論になるわけじゃないですか」
南原 「そうですね」
松尾 「日本の代表選手がポジション変わって違うポジション行って」
南原 「うん」
松尾 「またここで日本代表選手になるなんて思わないわけですよ」
南原 「そうですよ、僕らで言ったらボケとツッコミが変われってことですよ」
松尾 「アッハハハハ」
南原 「明日からツッコミになれとか」
松尾 「まあまあ、そうですよね」
南原 「(笑)」
松尾 「アウアウなっちゃうでしょ?」
南原 「はいはいはい」
松尾 「やっぱそういうことですよ。だから、でもね、やっぱそこが出来ないって自分で考えるような人間か、そうじゃないかなんですよ」
南原 「なるほど」
松尾 「そこが」
南原 「うん」
松尾 「うん・・に、気が付いちゃったんだな。やってみなきゃわかんないじゃねぇか、やろうぜ!」
南原 「そうですよね、やってみたらそこで新しい自分に出会えるかもわかんないですもんね」
松尾 「そうなんです」

というやり取りも(笑)。
今回も、松尾さんの話をお笑いに例えて、聞いてる人に噛み砕いてわかりやすく伝えていた南原さんでありました(笑)。


来週に続く・・・。