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Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 7/4

2009年07月05日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは川淵三郎さん。

まずは、

南原 「ニッポン放送南原清隆のスポーツドリーム、今日のゲストは日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎さんです。今週もよろしくお願いします」
川淵 「よろしくお願いします」
南原 「どうですか?このラジオちょっとは、雰囲気は伝わって・・」
川淵 「いや、伝わりました。いや、意外とね、テレビでしょっちゅうナンチャンのことを見てるんですが」
南原 「はい」
川淵 「こんな早口とは思わなかった」
南原 「アッハハハハハハ」
川淵 「ハッハハハハハハ」
南原 「いや(笑)、そうですね(笑)」
川淵 「ハッハハハハハハ」
南原 「これはラジオ用で」
川淵 「ラジオ用(笑)」
南原 「えぇ、なるべく僕が早く喋って」
川淵 「なるほど(笑)」
南原 「川淵キャプテンの喋り時間を」
川淵 「わかりました」
南原 「ペラペラペラペラ言い・・えぇ」
川淵 「ハッハハハ」

というやり取りで番組はスタート。
南原さんがラジオでは早口になるというのはあまり感じたことはありませんでしたが、でも、この番組での南原さんの喋りは、言葉尻が怪しくてちょっと聞き取りづらいことが他の番組よりは多いかも(笑)。
そんな早口の南原さんと、南原さんに負けず劣らず早口でよく喋っていた川淵さん(笑)が今回は、恒例の10の質問でサッカー話をあれこれと。


子供の頃は野球が好きで足が早かったので2番セカンドだった。
サッカーは高校の時にスカウトされて始めた。
短気で相手の話もじっと我慢していられない。
という話などがありつつ、"人と同じことをするのは嫌いだ?"という質問も。
「はい」と即答していた川淵さんでしたが、Jリーグという名前を決めるときも新しいイメージでということを考えていたそうで。
で、その経緯はというと、

南原 「Jリーグは・・どう、全然違う名前も色々あったんですね?」
川淵 「うん、そうそう、いや、どういうネーミングにするかっていうときに」
南原 「はい」
川淵 「世界の人を相手に考えたわけですね」
南原 「はい」
川淵 「例えば、ブンデスリーガーって言ったらドイツのプロサッカーリーグ、それからプレミアって言ったらイングランド」
南原 「はい」
川淵 「それから、セリエAって言ったらイタリアのプロリーグって、みんな世界中の人が知ってるわけでしょ」
南原 「共通語になって」
川淵 「共通語になって、で、だから日本のプロサッカーも」
南原 「うん」
川淵 「「何とか」って言やあ、「あ、日本のプロサッカーリーグだ」と皆さんが思ってもらえるようなネーミングにしたかったわけですね。で、色々まぁアイデアあったんだけど」
南原 「うん」
川淵 「僕は「JAPANリーグかな~」と、自分なりのアイデアはJAPANリーグだったんですよ」
南原 「はい、はい」
川淵 「その、ま、博報堂か何かが出してきた候補の中に"Jリーグ"っていうのがあって、「あ、これだ!」と思ってすぐね」
南原 「はい」
川淵 「「あ、Jリーグ、これで行こう」って、それはもちろん僕が単独で決めるんじゃなくて、理事会や何かの承認を得るんですよ」
南原 「はい、はい」
川淵 「得るんだけども、もう僕が決めたら決まるんで」
南原 「アッハハハハハハ」
川淵 「だって説得力が違うから、思いが違うから、それは。だからその」
南原 「あ、そこで」
川淵 「うん」

とのことでした(笑)。
あと、チェアマンについても、

川淵 「それからチェアマンもそうでしょ」
南原 「あ、チェアマン」
川淵 「チェアマンっていう名前も、初め文部科学省は「理事長にしろ」って言われてね(笑)」
南原 「はい」
川淵 「理事長・・」
南原 「何で、何でチェアマン」
川淵 「で、理事長も、インターナショナルじゃないじゃないですか、言い方が」
南原 「はい、はい」
川淵 「だから世界の人が、これはJリーグのトップの人だっていうことがわかるには、どういうネーミングがいいかって、今、IOC、JOCの委員の岡野俊一郎さん、当時の会長に、「何かいい名前ないですか?」って言ったら、「チェアマンどうか」って言われたんでね」
南原 「はい」
川淵 「「あ、それいい」っていうんで」
南原 「はい」
川淵 「で、「チェアマン」って言ったら文科省認めなかったんだけど、認めなかった、僕らは勝手に」
南原 「はい」
川淵 「その、11月1日の、1991年11月1日の、社団法人プロサッカーリーグがスタートするとき、Jリーグがスタートするとき記者会見してね」
南原 「はい」
川淵 「「今日から僕をチェアマンと呼んでください」って言った」
南原 「(笑)」
川淵 「そこで第1回の宣言をしたんですよ」
南原 「(笑)」
川淵 「したら皆シラっとしてね」
南原 「アッハハハ、ハッハハハ」
川淵 「「チェアマンっていったい何するんですか?」って」
南原 「「どんな意味なんですか?」みたいな」
川淵 「そう、「どういう意味ですか」って、そんなのだいたい大将ならどういうことをやるかって、そんなこと分かりそうなもんなんだけれども」
南原 「(笑)」
川淵 「「ここで説明したって皆さん分からないでしょう、1年間僕がやることを見ててください。そしたら分かりますよ」って。したら「チェアマン、何をね、そういうしょうもない名前つけて」皆思ったんじゃないですか」
南原 「(笑)」
川淵 「だから、で、今チェアマンって言ったらもう、みんな当たり前みたいになってるでしょ」
南原 「そうですね」
川淵 「いまだに僕のことを「チェァマン」って言う人いますけどね」
南原 「はい、はい」
川淵 「だからネーミングって大事なんですよ」
南原 「実は」
川淵 「うん」
南原 「はい」
川淵 「だからそういう意味ではね、いろいろ思い出ありますね」
南原 「でもやっぱ人と同じことやらない」
川淵 「そうそうそうそう、もう同しのは大っ嫌い」

ということがあったそうで(笑)。
チェアマンという言葉を初めて聞いたとき、人間椅子ならぬ椅子人間か?と当時は思ったりしましたが(笑)、確かに新しくて印象に残るネーミングではあります。
それにしても、川淵さんの話を聞いていると、かなり強引で我が道を突き進むという感じだな~(笑)。
こんな感じでやっていると批判を浴びることも多そうですが、サッカー愛があっての行動ですし、多少の独断専行はリーダーとして必要ということなのでしょう。


あとは、ヨーロッパに行ってる日本人選手が敢えてJリーグでプレーするようになったり若い選手がどんどんヨーロッパに行くようになったり、そういう循環が増えていけば日本のサッカーはレベルアップしていく。
W杯でベスト4に残る可能性は今の段階では5パーセント、これからの毎日の練習の積み上げが1年の成果としてW杯で表れるので毎日が勝負。
十代でけっこういい選手いるので国際経験をして欲しい、代表でも積極的に使ってみて従来からいる選手が危機感を持つことが大事。競争相手がいると選手はレベルアップする。
という話などがありつ、最後は、

南原 「さぁ、そういったところで、2週に渡っていろいろとお話を伺ってまいりました。キャプテンどうでしたか?」
川淵 「いや~もうねぇ、楽しく話をさせていただいて、何か胸にある、その、いろんなものをここで全部放出したって感じですかね(笑)」
南原 「あぁ!そうですか」
川淵 「うん(笑)」
南原 「じゃあ、またこう溜まったらいつでも来てください」
川淵 「えぇえぇえぇ(笑)」
南原 「放出しに」
川淵 「是非、「何か溜まってそうだな」と思うときは是非呼んでください(笑)」
南原 「そうですね、是非来てもらって、「ふざけんな!この野郎」
川淵 「(笑)」
南原 「「南アフリカ(のW杯でベスト4に入る確立)もっとパーセンテージ上げなきゃダメなんだよ」とかそういうの」
川淵 「(笑)」
南原 「どんどんどんどん、ここでね、ぶちまけてもらいたいと思います。えぇ、これからもですね、日本サッカー、そしてスポーツ界全体のですね、活躍のためにいい影響を与え続けてもらいたいと思います。え~、今週、そして先週とね、2週に渡って来てもらいました、ゲストの川淵三郎さんでした。どうもありがとございました」
川淵 「どうもホントにありがとうございました」

というやり取りで番組は終了。
2週に渡り、ホントによく喋っていたな~という感じの川淵さんでありました(笑)。

あ、そういえば、前回のW杯が終わったあとの記者会見で次期監督がオシムさんだということについて川淵さんは「あ、言っちゃったね」と言ってましたが、あれは確信犯でわざと言ったのかどうか知りたかったのですが、その話題は出てこなくて真相を聞くことが出来なかったのがちょい残念でありました(笑)。




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