西除川沿い、遊歩道をずっと歩いて、この地にやってきました。
のんびり散歩するには良い所です。途中、天道の川原広場やら、布忍八景の絵馬と
文人の漢詩、和歌、俳句なども描かれております。
そんな、のんびりとした遊歩道から、布忍に到着した模様。まずは川からちょっと入って、
取り敢えず、飲まず食わずで来ましたのでね、朝ご飯を喫茶店で頂き落ち着いて。
そこから直ぐです。近鉄の布忍駅のすぐ近く。また西除川沿いに戻ったらそこに。
見つけた。ここだ。ネットでここの噂を聞きつけて、やってきましたの。
布忍神社は、その社記に依りますれば、その北18町(約2km)にある天見の氏神である、
阿麻美許曽神社(あまみこそじんじゃ・東住吉区矢田7丁目)から、速須佐男之尊を
白布を敷いて招いた事が由来で、社名を布忍、地名を向井と呼ばれるようになったとか。
布忍神社は古来より、布にまつわる言い伝えがあるようで。
日本武尊の白鳥陵が羽曳野の古市、兄の仲哀天皇の墓が藤井寺って事から、
日本武尊の第一皇女の布忍入姫命が布忍に関りが有ったと、推測されるような。
読んでみても、ちょっと難しいが「日本書紀」に、そんな感じの事が書かれてるって。
ただ、御朱印を頂く時に、たまたま、行ってた神社の御朱印が隣のページにあって。
それが、大鳥大社のもの。
あ、大鳥大社へお詣りしてきはった?って聞かれ、返事する前に素早く、
「大鳥大社はどなたをお祀りしてます?」って、いきなりのクエスチョン!ぎゃぁ!
でも大丈夫。ちゃんと即座に「日本武尊です」って答えたら、良く出来ましたって。やったv。
そしてそこから、延々と、日本武尊の白鳥の伝説を語ってくれた。
そんな・・・大鳥大社は行ってきたんだからさ、知ってるってば。って言えない。
奈良の御所、羽曳野の古市~藤井寺、色んな神社仏閣の懇切丁寧な道順まで、
事細かに説明してくれんだけど、覚えられる訳ないんだからね!。本当に、申し訳ない。
けど、凄く丁寧に、一生懸命、色々教えて下さいました。有難うです。
で、結局、肝心のここ布忍神社の事、なにも話さなかったような感じなのだけど。
御祭神は三神。
件の白い布で招かれた速須佐男之尊(はやすさのおのみこと)は有名な素戔男尊。
伊邪那岐命が禊で鼻を濯いだ時に産まれたとされていて、
伊弉諾尊との間に産まれた、天照大御神、月読、蛯児の次の子。
言わずと知れた、海神、嵐神、農耕神。
八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)は、大国主命と神屋楯比売命との間に生まれた
託宣の神、漁業の神、鰐神。別名は恵比寿大神。って、えべっさんではないか。
そして、建甕槌雄之尊(たてみかづちおのみこと)は、伊弉諾尊が火神の火之夜藝速男神(カグツチ)の
首を切り落とした際、剣の根元に付いた血が岩に飛び散って生まれた神。
茨城県の鹿島神宮の主神とされてることから鹿島神とも言い、軍神、雷神、地震の神、剣の神。
その、調べ出したら、神様話って奥が深くなりすぎてキリがない。
そんな凄い三柱の神様を祀ってるという、この古来より布にまつわる言い伝えが多いここ。
病気平癒と毒虫の退治の神と称えられ、近世では、病気平癒と共に、厄除け・交通安全・
商売繁盛の神と崇められ、常に諸願成就すると、近隣の人々から崇敬されておるそうな。
創建年代は不詳。ただ、直ぐ近くの布忍寺(布忍寺大林寺)の東之坊の演技によると、
弘仁5年(814年)嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が布忍寺の伽藍を再建した際、
鎮守として、牛頭天王を布忍七カ村の産土神として、祀った。との記述があるそうな。
それでは、長々と、有難いお話を拝聴しながら頂きました、御朱印がこちら。
可愛いハートマークの絵馬が有るここ。
御朱印にも、可愛い朱印が押されておりまする。これ。これがここの名物のあれに繋がる。
それは『恋みくじ』。その恋みくじ、一言でグサッと刺さるような、二度見してしまうような、
そんなインパクト最強だと言うから。
ざっと検索したら『人は見かけ。』『その女と別れろ。』『その愛でいいのか。』等々。
とにかく、その恋みくじを引いてみたくって。
有難いお話も終わりましたので。それではと。
2つ有ったんですけど。どっちにしましょう?って聞いたら
どちらでも。って言いながら、こちらから見て左のそれに視線をやりましたね。
では。こっち。・・・・・十五番が出ましたのこ。
どういう事だ?
布忍神社
大阪府松原市北新町2-4-11
TEL 072-334-7634
参拝時間 9:00~17:00
開門時間 6:00~18:00
授与所は月曜日はお休み(月曜日が祝日・1日・15日の場合は翌日)