昨日まで書いておりました、布施詣での帰り道の出来事。
はて?往路では気が付かなかったけど(反対側を歩いてた?)、復路で見付けた。
ありゃ、なんか神社のような何かが・・・。少し入ったら、確かに神社。
なんと住宅街に熊野大神宮。かの世界遺産の熊野と関係があるのか!?
よく分からないけど。元は熊野権現と称していたらしいのを明治8年に改称。
創立年代は詳らかではない。1400年以上前っていうアバウトな記載。
用明天皇2年(587年、31代天皇)、厩戸皇子(うまやどのみこ・聖徳太子)が、
四天王寺を浪速玉造の岸に創立した時、
この地に、拾弐坊の伽藍を建立し社務を司(つかさど)らしめた。
うん。聖徳太子が建てたんだ。そうだ。そういう事よね??
『伝えられています』って微妙な表現。あれか、『知らんけど』ってやつと一緒かな。
御祭神が沢山いらっしゃるので・・・忙しい。
伊弉册尊(いざなみのみこと)は、国生み・神生みの女神。伊弉諾の奥さん。
火の神(火産霊命)を産んで死んだけど、黄泉国を支配する黄泉大神になったって、
トート閣下とはどういう関係なの?あの方は黄泉国の帝王だのに。
速玉男命(はやたまのをのみこと)は、黄泉国へ去った伊弉冉と伊弉諾の
もめごとから、伊弉諾が吐いた唾から生まれたって、凄いやっちゃ。
事解男命(ことさかのをのみこと)は、なんと件の唾を掃きはらった事で、
事態を収拾したり魔を祓う神って事になってるし。
まだまだいるよ。ご祭神は、みんなで六柱。
大己貴尊(おおなむちのみこと)は大国主神(おおくにぬしのかみ)。
素盞男命(すさのおのみこと)は伊弉諾と伊弉冉の子で、海神・嵐神・農耕神。
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)は農耕神で素盞男命の奥さん。
こちらは、白龍権現・天龍権現。
こっちが摂社厳島神社。
このずっと奥に入って行ったら、
石碑が2つあって、左には白高大明神・八助大明神、右は笠杉大明神・白光大神。
さてここ。大坂の陣ゆかりの地だったのだ。全く知らなかったけど。
徳川方の京極忠高が、ここに陣を置いたって、ご朱印を頂くときにお話を聞いて
初めて知ったのだけどね。ここら辺、みんな何か関係してますよ~ってさ。
京極家2代目の忠高の正室は、徳川秀忠の四女の初姫。
お父さんの高次の正室が、浅井長政の次女で淀殿の妹の初。後の常高院。
はて、これは何だっけ?まあいい。話を続けよう。
大坂冬の陣の後、徳川方の家康の側室、阿茶の局と、豊臣方として、この常高院が会談した。
それが、ここ熊野大神宮だったらしい。その時の和議の条件が、
真田幸村の陣営の運命や、豊臣家の悲劇の決定打になったのだ。そう、ここで!
大河ドラマ『真田丸』にも出てきた、あの間抜けな和議の舞台!
その現場に今いるのだ。そう思ったら脚の先っちょ爪先から何かが湧き上がってくる・・・。
ここで歴史が動いた。説明の出来ない、へんてこりんな感情が込み上げてくるさ。
はい。日本史関連小説に、絶賛ド嵌り中だからさ。
いやぁ、たまたまここ見つけてしまって。凄く運が良いのだわ。
もしかして今日買ったジャンボ、当たるのではないかしら!ってこの日、本気で思ったけれど。
さあ、今度こそ帰路につきましょう。色々教えて下さって、ありがとうございました。
熊野大神宮
大阪市東成区大今里4-16-48
TEL 06-6971-6997