それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

熊野権現第二王子社☆阿倍王子神社を散策す☆大阪市阿倍野区♪

2021-09-24 05:04:34 | おでかけ

この日はここを目指していたんだよ。で?何処を?

昔々、long,long,ago。初めて正社員として就職ってのをした時に、

入社式ってものに挑むにあたり、母がスーツ一式をオーダーメイドしてくれたんだ。

デザインやら布地を選んだり、採寸、仮縫い等々。むっちゃ通ったのが王子商店街。

そこにテーラーメイドのお店が有ったんだ。今は・・・無かったけど。

そこに通う間、いつも有ったよね、神社がさ。あれは・・・どういう神社だ?

そう思い至って、ここにやってきた。

13号線沿いから入ったらこんな感じ。車で行くにはこっちの鳥居なのだろう。

一礼して、ずんずん入って行くよ。

成程、阿倍王子神社っていうのだ、ここは。あ!だからこの辺りは王子町?

成程、なるほど、I see. ・・・So tha't itかな。

拝殿。この一番の見せ場的な所が、本殿だと思い込んでいたんだよ。

拝む所、ここで拝んだりこの中で祈祷したりするんざんしょ。一般人はこの表面で行き止まり。

実際の本殿はこの拝殿の奥。煩悩に苛まれた衆生が立ち入ってはいけない所。

ここだ。その奥の、ちょっと屋根の様子が違った、外から下々の者が

けっして垣間見えない建物、そこが本殿。そ・・・・そうに違いない。

そこにはご本殿祭神が4柱いらっしゃるんだ。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざないみのみこと)、この方達はご夫婦ね。

速素盞鳴命は件のご夫婦の子供だし、もう1柱の応神天皇は八幡大神で家運隆昌の象徴。

この神様たちは、どんな感じで本殿の中にいらっしゃるのかしら?

お寺の観音様とは違うでしょ。何?鏡?本殿を閉鎖する、何か飛んでも無い意味があるのかしら?

だけど、この宮大工さんが建てたのかどうだか知らないけど、この自然の色調の中の朱色が良いわ。

ここは、仁徳天皇によって創建されたそうだ。平安時代の初期の天長3年(826年)

弘法大師の空海が淳和天皇の勅命で、疫難退散の祈祷をして、疫病を治癒する寺として、

『痾免寺』(あめんでら)の勅願を朝廷より賜ったって、疫難退散よ!今こそ行くべきとこ?

熊野信仰が興った時り、途中の街道(熊野街道)の途中に、熊野九十九王子と呼ばれた

沢山の王子社ができたそうな。そこで、四天王寺と住吉大社のちょうど中間のあるこの地に相応しいと、

阿倍野にある熊野王子社の分霊社の一つとして、阿倍野王子が生まれたという事。

そして現在は、大阪府下唯一の旧地現存の王子社となったらしいので、お見知りおきを。

境内には、見え隠れの本殿と共に、登録文化財となってるのがここ。

葛之葉稲荷神社本殿、(もしかしたらこの裏?)

江戸時代のもの、旧男山八幡神社本殿から昭和44年に移設されたものらしい。

葛之葉姫は、陰陽師で知られる安倍晴明大神の伝説上のお母様。霊狐だったとさ。

ああ、そう言えば・・・宝塚歌劇でもそんなお話が有ったように思うわ。

その狐の母上を筆頭として、ここの祭神は凄い!。

末広大神、萬直大神、玉姫大神、白玉大神、宝玉大神、玉照大神、日切大神、大高大神。

総勢9柱。この広さでは、シェアするにしても狭すぎるだろうって思うハウス。

上の写真の左の方、御鳥社(みからすしゃ)って言うのだ。直に撮るのを躊躇ったのだ。

和歌山県の熊野大社の神様の遣いで、人々の願い事を熊野の本社に、取り次いでくれるらしい、

日本神話にもその名を轟かす、3本足の導きの神様、八咫烏を祀った八咫烏大神。

日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導した、導きの神なのだよ。

そんな事を思ったら、そこらで悪戯しまくってる烏の中に3本足は居ないかと、

むっちゃ探してしまうわ。お願い、絶対当たる売り場へ導いて。ハロウィンジャンボこそは。

これは・・・阿倍王子神社って書いてる・・・はず。

右のんは、熊野権現第二王子社って書いてると思うんだ。忘れてしまったら読めない。

知ってるから読めるのよ。現代人にはね。

他に、樹齢約600年の楠の大木3、楠木2本、榎木があるのだ。手を当てて、何やらパワーを貰うとか??、

そんなことしてる方がいたので、真似してみたわ。だ、ダメね。

木側からパワーをって前に、木の神様が顕れて~って妄想が先にやってくる。

まあいいか。私は八咫烏に絶対当たる、宝くじ売り場に導いてもらうんだから。

近くに安倍晴明の神社がありますが・・・暑くってさ、挫けました。また今度。

楽しませて頂きました。どうも、ありがとございました。

阿倍王子神社

大阪府阿倍野区阿倍野元町9番4号

TEL 06-6622-2565

 


お伊勢参りに深江菅笠☆摂津笠縫邑跡の神社☆深江稲荷神社☆大阪市東成区♪

2021-08-16 07:28:06 | おでかけ

布施詣でにやってきたわ。近鉄の布施駅ってとこが有るのだけど。

実はこの駅で降り立ったことは無いのよ。新深江から歩くか、はたまた自宅から歩く。

詣でるなら全編徒歩って方が良いのだろうけど、この日はあまりの暑さに一部電車。

一度、ちゃんと訪れたいって思っていた所に、今こそと訪れたお話をしましょう。

鶴橋から一生懸命歩いたら、新深江まで来られますのこ。千日前線ですからさ。

そこから参道をゆきますとここ。一旦、布施の喫茶店で朝食を頂いた後、またこちらへって寸法さ。

この深江っていう所は良質の菅草が豊かに自生する浪速の一島であったのだ。

それで作った菅笠は『大坂はなれてはや玉造、笠を買うなら深江が名所・・・』って

伊勢音頭に歌われ、お伊勢参りの入り口として発展したのだよ。ねぇ、知ってた?

菅笠は、歴代天皇の御即位式や伊勢神宮の式年遷宮に献納され、地元の方々に保存伝承されてると、

そういう事でしたが。ちょっと寄り道。菅草。

これですわ。はい。

さあ、戻りましょう。もうね、調べたりし出したらキリが無いのよ。

面白い歴史がわんさと出てくるから、早くしなくっちゃね。モーニング行くもん。

深江稲荷神社は垂仁天皇の御代、って言うと、第11代天皇で、西暦が定かでない。

不思議なのは享年が139歳だとか153歳だとか。79歳?93歳?全く定かでないのは紀元前の人?

実際、居たのか?って、古墳時代っていうあやふやな感じの方。記録が有るのが凄いわ。

この付近は笠縫氏の居住地で、大和の笠縫邑から移住してきたらしいが・・・大和?

う~ん、奈良県の磯城郡田原本町新木もしくは桜井市内って説が有るらしいが。

崇神天皇が天照大神を皇女豊鍬入姫命に祀らせたという倭の地。

『四極山(しはつやま) うち越え見れば笠縫の島 漕ぎ隠る 棚無し小舟』と詠んだのは、

万葉歌人の高市黒人(たけちのくろと)。これは飛鳥時代の人。これが残ってるのが凄いわ。

奈良県の高市郡・橿原市の一部って高市氏はそういう官人の一族。

『住吉の浜の礎(石ころ)の果てるところ(四極)から高い丘を上り切ると

難波潟に昔から笠縫の人々が住んでいる島が見え その島陰に棚板の無い小舟が隠れていくよ』

やばい。休みの日にこういうの書き出すと、かなり長くなりそうさ。サクッと行こう。

これが・・本殿って言いたいとこ。しかし拝殿なのだ。

全く無知な私が神社仏閣を巡ってみたり、その歴史に驚いたり楽しんだり笑ったりの末に、

お寺の本堂とは違うのね。お詣りできる所は拝殿。その奥に神様はいらっしゃる。

けど・・・。お寺だったら分かりやすい形をしたご本尊なのだけど。神社では鏡だったり?

まあ良い。深江稲荷神社は垂仁天皇の御代、笠縫氏の祖が摂津国東生郡笠縫島の宮浦の地、

それは今の深江南3丁目ならしいが、そこに居を定め、下照姫命を奉祀したのが始まり。

下照姫命は大国主神の娘。天津神、国津神とも言われ、神様チームなのだ。

慶長8(1603)年 豊臣秀頼が片桐市正、加藤左馬介に命じ、社殿が改築されたわ。

1603年っていうと、家康が征夷大将軍になった頃ではないか。豊臣の財力を消耗せんが為に、

家康がアドバイスして、神社仏閣に財を投げ打っていたといたとされる正にその頃。

ただ、秀頼のそれは焼失し、何度も再興、修復を重ねて今に至っておるそうな。

御祭神は三社。

稲倉魂大神(うがのみたまのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、

天鈿女大神(あめのうずめのおおかみ)。

そして摂社の天津社は本殿に合祀って事ですから、密ではないか?大丈夫??

月讀大神(つきよみのおおかみ)、稚日女大神(わかひるめのおおかみ)、

軻過突智大神(かぐつちのおおかみ)、下照姫大神(したてるひめのおおかみ)。

な、なんと!下照姫は摂社扱いなのか?なにか・・・神様の世界も色々有るのだろうな。知らんけど。

いっぱい有りましたさ。摂社~ぁズ。

摂社 笠縫神社には、天勇蘇命(あめのそそのみこと)、天津麻占曽曽命(あまつまうらそそのみこと)

天津赤麻良命(あまつあかまらのみこと)、笠縫氏祖(かさぬいしのそ)。

末社 御食津神社(榎稲荷神社)には、豊受大神(とようけのおおかみ)、御食津大神(みけつおおかみ)。

神様がい~っぱいいらっしゃるから賑やかで、お祭り時には大変な事よな。

御神輿がこれ。この地車で町内を回るそうな。大人がこれに乗り・・?乗れるの?

乗るのはこれでは無いのかしら?で、地車に大人が乗って、太鼓の音に合わせながら

町内を回るって言う、深江稲荷神社の夏祭りが有るらしいけど。

例年、7月31日と8月1日、今年はどうだったのかしら?

この日、7月23日、お祭りの雰囲気は全く無かったので。

御朱印を頂きましたの。

左から書いていったのね。最初の『令和』を書いた時点でハラハラしましたよ。

そ、そんな大きな字で、しかもさ、そんな大きな字で書いたら最後まで書けるのか!?

・・・・ギリギリだよ。

御朱印頂いてるってまさにその時、こっちが緊張して貧血で倒れて保健室に運ばれそうな、

そんな緊迫感が有るのってなかなか無いよ。命がけで頂いた感も有るわ。

良い経験だし、ゆっくりまったり安らぐ境内。布施の商店街に入るちょっと前に有るから、

布施に呑みにいらっしゃる前にお詣りするのも良し、酔いを醒ますのにも良しですわん。

また、布施詣での折には、立ち寄らせて頂きますね。

深江稲荷神社

大阪府東成区深江南3丁目16-17

TEL 06-6971-4223

 

 


住宅街に突如現れた紫陽花の園☆し.お.の.倶楽部☆大阪市住吉区♪

2021-06-16 01:46:07 | おでかけ

昨日、住吉区は苅田の、紫陽花の園な喫茶店を書きましたが、

マスターのお気に入り一番の紫陽花、その名も「万華鏡」の他にも、

素敵な紫陽花がござりましたので。写真に残しておきたい。そう思ったので、

ほぼ自己満足ですが、どうぞ。

そこは、主要道路を歩くより、信号が無いからって通ってる道。

そこに喫茶店っぽいの有るの分かってたけど、やってるのか?植木鉢が並んでる。そんな場所だった。

暫く通って無かったのかしら??ある日突然、紫陽花園が現れた。

しかも、さあ、おいでなさい!とばかりに、扉が開け放たれていたのだ。絶対誘ってる。

こんな、初めて見る紫陽花。美し過ぎて眩暈を覚える。

緊急事態宣言で長居植物園が閉まっていて。紫陽花園に行けなくなって腐っていたのに。

ここの紫陽花の園も負けてはいない。ここの紫陽花の品種の多さよ!

子供のころに折り紙で折って、模造紙にぺたぺた貼りつけた、あの単純な花は無い。

この摩訶不思議な幻想的な美しさ。昔、折り紙で折ったのは花ではなく、萼(がく)だったのだ。

萼は、花の最も外側で葉の変形したものなのに、葉の変形が色付き色が変わる。八重だったりもする。

こういうの、ガクアジサイって言うらしい。額紫陽花。

色が変わる。それはあるけど、その前に形も違うし、いちいち新鮮に美しく感動する。

紫陽花でこんな色合いってある?花弁では無いのだけれど。中心部にお花っていう宝石が。

いつぞや行った長居植物園の広い紫陽花園では、見なかったに違いない花も有るのは新種?

3回色が変わる。そうマスターに言われましたので。どのタイミングでしょ。行かねばね。

美しい。

し.お.の.倶楽部

大阪市住吉区苅田9丁目10-30

TEL 06-6691-9018

営業時間 6:00~18:00 火曜午後休み

 


吉凶は無くとも心に突き刺さる恋みくじがある神社☆布忍神社☆大阪府松原市♪

2021-06-14 05:18:26 | おでかけ

西除川沿い、遊歩道をずっと歩いて、この地にやってきました。

のんびり散歩するには良い所です。途中、天道の川原広場やら、布忍八景の絵馬と

文人の漢詩、和歌、俳句なども描かれております。

そんな、のんびりとした遊歩道から、布忍に到着した模様。まずは川からちょっと入って、

取り敢えず、飲まず食わずで来ましたのでね、朝ご飯を喫茶店で頂き落ち着いて。

そこから直ぐです。近鉄の布忍駅のすぐ近く。また西除川沿いに戻ったらそこに。

見つけた。ここだ。ネットでここの噂を聞きつけて、やってきましたの。

布忍神社は、その社記に依りますれば、その北18町(約2km)にある天見の氏神である、

阿麻美許曽神社(あまみこそじんじゃ・東住吉区矢田7丁目)から、速須佐男之尊を

白布を敷いて招いた事が由来で、社名を布忍、地名を向井と呼ばれるようになったとか。

布忍神社は古来より、布にまつわる言い伝えがあるようで。

日本武尊の白鳥陵が羽曳野の古市、兄の仲哀天皇の墓が藤井寺って事から、

日本武尊の第一皇女の布忍入姫命が布忍に関りが有ったと、推測されるような。

読んでみても、ちょっと難しいが「日本書紀」に、そんな感じの事が書かれてるって。

ただ、御朱印を頂く時に、たまたま、行ってた神社の御朱印が隣のページにあって。

それが、大鳥大社のもの

あ、大鳥大社へお詣りしてきはった?って聞かれ、返事する前に素早く、

「大鳥大社はどなたをお祀りしてます?」って、いきなりのクエスチョン!ぎゃぁ!

でも大丈夫。ちゃんと即座に「日本武尊です」って答えたら、良く出来ましたって。やったv。

そしてそこから、延々と、日本武尊の白鳥の伝説を語ってくれた。

そんな・・・大鳥大社は行ってきたんだからさ、知ってるってば。って言えない。

奈良の御所、羽曳野の古市~藤井寺、色んな神社仏閣の懇切丁寧な道順まで、

事細かに説明してくれんだけど、覚えられる訳ないんだからね!。本当に、申し訳ない。

けど、凄く丁寧に、一生懸命、色々教えて下さいました。有難うです。

で、結局、肝心のここ布忍神社の事、なにも話さなかったような感じなのだけど。

御祭神は三神。

件の白い布で招かれた速須佐男之尊(はやすさのおのみこと)は有名な素戔男尊。

伊邪那岐命が禊で鼻を濯いだ時に産まれたとされていて、

伊弉諾尊との間に産まれた、天照大御神、月読、蛯児の次の子。

言わずと知れた、海神、嵐神、農耕神。

八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)は、大国主命と神屋楯比売命との間に生まれた

託宣の神、漁業の神、鰐神。別名は恵比寿大神。って、えべっさんではないか。

そして、建甕槌雄之尊(たてみかづちおのみこと)は、伊弉諾尊が火神の火之夜藝速男神(カグツチ)の

首を切り落とした際、剣の根元に付いた血が岩に飛び散って生まれた神。

茨城県の鹿島神宮の主神とされてることから鹿島神とも言い、軍神、雷神、地震の神、剣の神。

その、調べ出したら、神様話って奥が深くなりすぎてキリがない。

そんな凄い三柱の神様を祀ってるという、この古来より布にまつわる言い伝えが多いここ。

病気平癒と毒虫の退治の神と称えられ、近世では、病気平癒と共に、厄除け・交通安全・

商売繁盛の神と崇められ、常に諸願成就すると、近隣の人々から崇敬されておるそうな。

創建年代は不詳。ただ、直ぐ近くの布忍寺(布忍寺大林寺)の東之坊の演技によると、

弘仁5年(814年)嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が布忍寺の伽藍を再建した際、

鎮守として、牛頭天王を布忍七カ村の産土神として、祀った。との記述があるそうな。

それでは、長々と、有難いお話を拝聴しながら頂きました、御朱印がこちら。

可愛いハートマークの絵馬が有るここ。

御朱印にも、可愛い朱印が押されておりまする。これ。これがここの名物のあれに繋がる。

それは『恋みくじ』。その恋みくじ、一言でグサッと刺さるような、二度見してしまうような、

そんなインパクト最強だと言うから。

ざっと検索したら『人は見かけ。』『その女と別れろ。』『その愛でいいのか。』等々。

とにかく、その恋みくじを引いてみたくって。

有難いお話も終わりましたので。それではと。

2つ有ったんですけど。どっちにしましょう?って聞いたら

どちらでも。って言いながら、こちらから見て左のそれに視線をやりましたね。

では。こっち。・・・・・十五番が出ましたのこ。

どういう事だ?

布忍神社

大阪府松原市北新町2-4-11

TEL 072-334-7634

参拝時間 9:00~17:00

開門時間 6:00~18:00

授与所は月曜日はお休み(月曜日が祝日・1日・15日の場合は翌日)

 


大きな鳥が辿り着いた。そういうとこだ☆大鳥大社☆堺市西区♪

2021-06-08 05:12:35 | おでかけ

ふふふ。実はここでね、年末年始の単発で働いた事があるんだ。

だのに・・お詣りしたことも無ければ、自分の仕事のポジションの位置しか知らない。

時が過ぎ、齢を重ね、知ってみたくなったのだ。年末年始にあんなにも沢山の方々が求めたそこを。

延長5年(927年)完成。平安時代だと思う。醍醐天皇の頃。

延喜式神名帳(延長5年にまとめられた、全国の神社一覧)所載の、霊験特に著しい名神神社。

で、和泉国の一ノ宮。和泉のその地域で、最も社格の高い神社って事なんだな。

馬。大鳥大社の紋だって入ってるもん。取り敢えず写真だ!!。

そして、何で馬?何なに何なに?。そう思った。けれど、境内をゆっくり巡って知ったわ。

平治元年、平清盛と重盛親子が、熊野参詣の途中に都で兵乱有り!。

その旧法を聞き、都へ帰る途中に大鳥大社に参拝して戦勝を祈願したそうだ。

この神馬一頭と、和歌一首を献じた。その和歌がこちら。

全く見えないけど。

『かひこぞよ、かへりはねなば飛びかけり はぐくみたてよ、大鳥の神』

「蚕よ 都に帰り着いたならば飛べるように はぐくみ育て給え 大鳥の神よ」

蚕は、平氏の紋の蝶の幼虫をさしていて、1160年、藤原信頼、源義朝らのクーデター、

平治の乱が勃発した時のものだそうだわ。凄い神社なんだわここ。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。

第十二代景行天皇の第二皇子。そして第十四代の仲哀天皇のお父ちゃん。

武勇伝は日本古代史に残っていて、熊襲(くまそ・九州南部)や、東国(出雲の国)の征討を行った、

伝説的な英雄だったっていう、あの、日本武尊さ。

手水舎の龍は、金網で囲っておかないと逃げるのか?美しく写せないのが悔しいな。

今は使っちゃいけない手水舎だけど・・・。

金網無しの、龍と紫陽花が撮りたかったぞ。

件の英雄、日本武尊なのだが。東国の平定の後の帰路だ。

伊吹山の荒ぶる神を倒すために山に入ったところ、その神の祟りに遭い病に。

病をおして大和を目指そうと、お家に帰る!って頑張ったのだけど、辿り着くこと叶わず、

伊勢国能褒野(のぼの・三重県亀山市田村町に能褒野王塚古墳があるらしい)で身罷る。

こちらは拝殿。

伊勢国能褒野に陵を造り、人々が嘆き悲しんでおりましたならば、なんと、日本武尊の御霊が

白鳥となって飛び立ったのでさぁ。これは凄い。大空を舞い飛び、そして最初に降りたのが、

大和の琴弾原(ことひきのはら・奈良県御所市の大和琴弾原古墳)。

その次に舞い降りたのが、河内国の古市(羽曳野市古市の白鳥陵古墳)。

再び天高く舞い上がり、ここ、大鳥大社に降り立った。それがここの起源なのであった。

拝殿の向こうっ側が本殿な模様。

鎮守の森、千種森は、白鳥が舞い降りた時に一夜にして樹木が生い茂り出来た森。

そんな境内には、堺市指定の保存樹木が有るのだけど。手水舎横が一番大きい??

それでは無くって。ちょっと歩きましょうね。さすれば見つかるよ。ここ。

御神木「根(値)上がりの大楠」。樹根が隆起していることから、根上がり。

値が上がる、価値が上がる、運気が上がる。古よりそう言われ、

商売繁盛や財運向上の大楠、「根上がりさん」の呼称で親しまれてきたそうな。

写らない様に撮りました。この鳥居の奥の屋根の付いた奥、

樹根部分の穴のその奥に、いらっしゃるのです。「楠神霊」が。

興味のある方は是非!肉眼でみて、お詣りしてみてくださいませ。運気が上がります様に。

あ。申し遅れましたが、御祭神は二神。日本武尊ともうお一方。

大鳥連祖神。和泉国に栄えた神別(神々の後裔と伝えられる氏族)である中大臣と、

祖先を一にする大鳥氏の先祖。大人の都合で説明はここまで。

こんな重要な和泉の一ノ宮で、ちょいと働いてお給金を頂いていたって。なんてこった。

ほんと、日本の神様話って面白い。機会がございましたら是非どうぞ。

大鳥大社

大阪府堺市西区鳳北町1丁1-2

TEL 072-262-0040

5:30~18:00。でも受け付けは9:00~16:30。