さて、大坂夏の陣 激戦地をめぐれー!!スタンプラリーの五か所目です。
四天王寺の南大門に陣を置いた毛利勝永、それは昨日書いた四か所目でした。
その南大門から、北へと
真っすぐ歩くとそこに庚申堂。
時代は飛鳥時代、大宝元年(701年)第42代 文武天皇の頃、正月七日庚申の日。
豪範僧都が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと、一心に天に祈ったところ、
帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示されたのだ。
以来千三百年(以上だな。1,320年?)庚申の日と庚申前日に本尊に祈れば、
必ず、一願が叶うと尊崇されているそうで。
庚申堂は、日本最初の庚申尊出現の地。
干支の組み合わせは60通りあって、その57番目が庚申の日。
今年、2021年の庚申の日は1月12日の次が3月13日。で、5月12日。60日毎。
人の身中には三尸(さんし)という虫が住んでいて、庚申の日(帝釈天の縁日)の夜、
人が眠っている間に、この虫がこっそりと抜け出して、その人の犯した罪を帝釈天に報告し、
その人の寿命を縮めてしまうのです。だから庚申の日は眠ってはいけない!
けれど、1人では心許ない。なので、皆で集まって夜通しお祭りをしたとか。
本尊は”青面金剛童子”。天の命によって、除災無病に導いてくれる、十六歳位の童子。
庚申の日に、青面金剛童子に祈れば、必ず願いが叶えられると言われております。
秘仏なので、60年に一度しか御開帳が有りませんが。次の60年は2040年だそうな。
こんな方。
十六歳ですよ。高校生くらいの。まあ、良いでしょう。
青い、この怒ったようなお顔。件の三尸の虫を抑える力を持ってるのだ。
この青面金剛童子、従者として三猿を従えているらしい。
よく言う『見ざる・聞かざる・言わざる』。この三猿、庚申信仰の伝播と共に、
近世以降に、あらゆるとこころに広く用いられるようになったは!。なななんと!。
三猿堂。なんで猿が?ってその時は思いつつ写真を撮ってきた次第で。後から調べたのだ。
三匹の猿のその猿のモチーフ自体は、古代エジプトやアンコールワットに見られ、
シルクロードから中国を経由して、日本にやってきた。・・らしい。
『不見・不聞・不言』の教えは8世紀ごろ、天台宗系の留学僧から日本に伝わった。
8世紀が701~800年なので、時期的に合っているのかも。
青面金剛童子の従者さん達、三猿は、人の悪事を宿主が眠っている間に、帝釈天へ
報告に報告する、”チクリ魔”の三尸の虫を封じるため、『悪事を見ず、聞かず。話さない』。
なんて都合の良い・・。報告することが何も無い事に越したことは無く。理想ですが。
三猿には全く別の解釈もあって、インドのマハトマ・ガンジーさんは三匹の猿を身につけ、
『悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな』と教えていたとか。悪に近付くなって事?
あ。大坂夏の陣でした。
四天王寺の南大門では毛利勝永が陣を置き、激しい戦いが繰り広げられる中、
真田幸村隊も、激戦を繰り広げました。真田幸村・・・?。
真田十勇士といわれた真田家の側近たち。槍の名手と言われた穴山小助は、
その風貌が幸村に似ていたことから、幸村の影武者を務め、ここ庚申堂で奮戦するも討死。
神社仏閣って、こうやって書くためとはいえ、むちゃくちゃ勉強になりますね。しかも楽しい。
ところで、その穴山小助ですが・・・。
大河ドラマ『真田丸』のキャストでは、脇知弘(わき ともひろ)。
彼は『ごくせん』の、ラーメン屋の”くま”こと熊井君をやってた方。風貌がなんだけ?。
さぁ、スタンプラリーも後もう一か所。行ってみましょう。
四天王寺 庚申堂
大阪市天王寺区堀越町2-15
TEL 06-6772-9420