それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

日本最初の庚申尊出現の地の三猿を学ぶ☆庚申堂♪

2021-02-28 05:07:13 | おでかけ

さて、大坂夏の陣 激戦地をめぐれー!!スタンプラリーの五か所目です。

四天王寺の南大門に陣を置いた毛利勝永、それは昨日書いた四か所目でした。

その南大門から、北へと

真っすぐ歩くとそこに庚申堂。

時代は飛鳥時代、大宝元年(701年)第42代 文武天皇の頃、正月七日庚申の日。

豪範僧都が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと、一心に天に祈ったところ、

帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示されたのだ。

以来千三百年(以上だな。1,320年?)庚申の日と庚申前日に本尊に祈れば、

必ず、一願が叶うと尊崇されているそうで。

庚申堂は、日本最初の庚申尊出現の地。

干支の組み合わせは60通りあって、その57番目が庚申の日。

今年、2021年の庚申の日は1月12日の次が3月13日。で、5月12日。60日毎。

人の身中には三尸(さんし)という虫が住んでいて、庚申の日(帝釈天の縁日)の夜、

人が眠っている間に、この虫がこっそりと抜け出して、その人の犯した罪を帝釈天に報告し、

その人の寿命を縮めてしまうのです。だから庚申の日は眠ってはいけない!

けれど、1人では心許ない。なので、皆で集まって夜通しお祭りをしたとか。

本尊は”青面金剛童子”。天の命によって、除災無病に導いてくれる、十六歳位の童子。

庚申の日に、青面金剛童子に祈れば、必ず願いが叶えられると言われております。

秘仏なので、60年に一度しか御開帳が有りませんが。次の60年は2040年だそうな。

こんな方。

十六歳ですよ。高校生くらいの。まあ、良いでしょう。

青い、この怒ったようなお顔。件の三尸の虫を抑える力を持ってるのだ。

この青面金剛童子、従者として三猿を従えているらしい。

よく言う『見ざる・聞かざる・言わざる』。この三猿、庚申信仰の伝播と共に、

近世以降に、あらゆるとこころに広く用いられるようになったは!。なななんと!。

三猿堂。なんで猿が?ってその時は思いつつ写真を撮ってきた次第で。後から調べたのだ。

三匹の猿のその猿のモチーフ自体は、古代エジプトやアンコールワットに見られ、

シルクロードから中国を経由して、日本にやってきた。・・らしい。

『不見・不聞・不言』の教えは8世紀ごろ、天台宗系の留学僧から日本に伝わった。

8世紀が701~800年なので、時期的に合っているのかも。

青面金剛童子の従者さん達、三猿は、人の悪事を宿主が眠っている間に、帝釈天へ

報告に報告する、”チクリ魔”の三尸の虫を封じるため、『悪事を見ず、聞かず。話さない』。

なんて都合の良い・・。報告することが何も無い事に越したことは無く。理想ですが。

三猿には全く別の解釈もあって、インドのマハトマ・ガンジーさんは三匹の猿を身につけ、

『悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな』と教えていたとか。悪に近付くなって事?

あ。大坂夏の陣でした。

四天王寺の南大門では毛利勝永が陣を置き、激しい戦いが繰り広げられる中、

真田幸村隊も、激戦を繰り広げました。真田幸村・・・?。

真田十勇士といわれた真田家の側近たち。槍の名手と言われた穴山小助は、

その風貌が幸村に似ていたことから、幸村の影武者を務め、ここ庚申堂で奮戦するも討死。

神社仏閣って、こうやって書くためとはいえ、むちゃくちゃ勉強になりますね。しかも楽しい。

ところで、その穴山小助ですが・・・。

大河ドラマ『真田丸』のキャストでは、脇知弘(わき ともひろ)。

彼は『ごくせん』の、ラーメン屋の”くま”こと熊井君をやってた方。風貌がなんだけ?。

さぁ、スタンプラリーも後もう一か所。行ってみましょう。

四天王寺 庚申堂

大阪市天王寺区堀越町2-15

TEL 06-6772-9420

 

 

 

 


日本仏法最初の官寺の義経と野沢菜と大坂夏の陣☆四天王寺♪

2021-02-27 05:05:47 | おでかけ

時は2月20日、夜明け前に出立した日。

大坂夏の陣に係わる・・?史跡?う~ん・・・。ゆかりの地か。それを巡るぞの後半。

前半は、安居神社~茶臼山~堀越神社でスタンプをポン!後半の最初は四天王寺!

和宗総本山 四天王寺は日本仏法最初の官寺(維持費用を全て国家から支給され、かつ監督された寺)らしい。

宗派に拘らない和宗の総本山、四天王寺は、推古天皇元年(593年)に聖徳太子によって建立。

ここら辺は、さくっと流そう。合戦の片方に味方して勝利の誓いとして建てたんだ。

と~っても、広い。見所はうんと有るのだ。私とて、来るのは2回目だっけ?初心者だ。

ただ、そうそう有名なお寺、たらたらと書かずとも・・。さくっと押さえるとこだけ書こう。

本尊は、途中変更が有った模様。創建当時は四天王寺の名前の通り、四天王であった。

帝釈天の配下で、仏教世界の東西南北を守護する仏が四天王。

娘っこが『知らん・・』って言うから、書いておこう。

東を護るのは”持国天”、西は”広目天”、南は”増長天”、北は”多聞天”(単独では毘沙門天)。

平安時代から、何が有ったのか、本尊は救世観世音菩薩って事になってるよ。

この松は、”義経よろい掛け松”。

文治元年(1185年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源平合戦での英雄、源義経であったのに、

しかし、お兄ちゃん頼朝と不仲になり、都落ちして大物浦(摂津国)から西へと向かうも、

難破してしまって、和泉国に流れ着く。そこから吉野山へ逃れる途中で

四天王寺に立ち寄って、松の木に鎧を掛けた・・・って話です。

ん?何で野沢菜さ~ぁ??って思った。まだ新しめのこの記念碑は、平成28年建立。

宝暦6年(1756年)、野沢村(今の長野県野沢温泉村)のお寺、健命寺の8代目、

晃天園瑞(こうてんえんずい)住職が京都に遊学の折に、お土産にと天王寺蕪の種を持ち帰り、

畑に蒔いたけれど、気候や風土の違いにより、蕪は小さく葉や茎の大きな蕪菜が出来ました。

これが、野沢菜の始まり。野沢菜原種旅の起点っていう事で、記念碑が建立されたそうな。

さあ本題。主目的は大坂夏の陣なのだから。

で、四天王寺の大坂夏の陣はここ。南大門。

ここに陣を置いたのが、豊臣秀吉の家臣であった毛利勝永。

真田幸村、後藤又兵衛、長曾我部盛親、明石掃部と、五人衆の一人に数えられる武将でした。

慶長20年(1615年)5月7日、天王寺・岡山の戦い。勝永は、兵四千を率いて南門前に布陣。

正面の本多忠朝、小笠原秀政を打ち破り、さらに浅野長重、榊原康勝、仙石忠政、諏訪忠恒らを、

凄まじい奮戦で撃破し、遂には家康の本陣にまで、突撃して行ったのだ。

ところが、かくかくしかじかで、真田隊が壊滅して戦線が崩壊。

藤堂高虎隊を打ち破り、井伊直孝や細川忠興らの攻撃を防ぐも、大坂城内へ撤収。

勝永の奮戦ぶりは、加藤義明や黒田長政が感嘆したと言われるほどだったらしい。

そして8日、大坂城にて、豊臣秀頼の自刃の介錯を務める。

そして、息子の勝家と共に自刃。享年39歳であったそうな。

四天王寺の御朱印帳。大坂夏の陣前半で、安居天満宮の御朱印帳を手に入れましたが、

文字を入れて頂くのに、ちょいと小振りなので新たに購入。シンプルで良い。

なんだか、まだ人が少なかったせいか、よ~ぉお話して下さって楽しかったです。

大悲殿って書いてるそうだわ。ありがたや、ありがたや・・・・。

ところで、前年の冬の陣で、石の鳥居以外が全て焼失したはずなのだけど。

って、翌年には門が有ったのかしら?無かったのかしら?

ああ、ところで、何となくたまたま御朱印なんぞ頂いておりますが、

主目的はスタンプラリー。これだ。

6ヶ所中、4ヶ所目のスタンプは、勿論ここの南大門に陣を置き、

勇猛果敢に戦った、毛利勝永でしょう。

さあ、5ヶ所目は、この南大門から真っすぐ南へ歩きます。

では、行きましょう。

和宗総本山 四天王寺

大阪市天王寺区天王寺1丁目11番18号

TEL 06-6771-0066

 


やっぱりここの朝餉から出立します☆喫茶やま☆大阪市住吉区♪

2021-02-26 05:04:55 | グルメ

これから、『大坂夏の陣 激戦地をめぐれー!!スタンプラリー』(後半)へ挑む朝のこと。

前半の朝餉をここで頂き、とても楽しく廻れたので、験を担いでみてここに。

ここは喫茶店って言うより茶店って言いたくなるような、レトロさ加減なので、

モーニングって言うより朝餉。但し、ちゃんと珈琲とトーストと、そして茹で玉子。

到着した時、まだ準備中の札。外の私の様子で『今開けるとこ、どうぞ~』って

出迎えてくれたマスター。今出来たところやからぁ~。って、何が?

肌寒い朝、これでもか!?の暖房に、ぽっかぽかで、大事な事を忘れてきたわ。

店内、折り紙手芸が沢山、飾られてあって、とっても可愛いから、許可貰って撮ろうかと思ってたのに。

オレンジの蕾の形のペンダントライトも、レトロな味が有って良いのだよ。

前回訪れた時、珈琲が濃くって美味しかったのだ。香りも良くって朝珈琲にぴったりで。

なので素直に、マスターに『濃くってとっても美味しかったです』。喜びを伝えた。

だから?って訳ではないかもしれないけど、強烈に濃かった。しかも火傷しそうな滾りよう。

ちょっと放置。覚まさなければ、口の中の皮が剥がれそうだわ。

相変わらず、こっちは薄い。珈琲とパン、両極端だわ。

厚みではなくって味。塩分が少なく、もしかしてマーガリン??って感じで。

この方が、体には良いのだろうけど、その逆が美味しいのだよな~。

悪魔的に、食パンにぐっちょり染み込んだ、甘い香りの有塩バター。そんなトーストを夢見てる。

前回と、全く同じ絵柄(写真)っていうのもアレですし、割ってみましょ。

これが今出来たとこ?アチチ・・・ッって皮を剥くのも、大変。

湯気が立つ位に、熱いの。けどそのアチチチ・・・ッの壁を越えたところに、

美味しい、はっふはふの茹で玉子が味わえる、至福のひととき。

そうだ、やっぱりこの時だけは、薄いパンで良かったのだ。この玉子の素材の味が分かるから。

健康的な朝餉を頂いて、さ、夏の陣後半へ、いざ!・・・ご馳走様でした。

喫茶 やま

大阪市住吉区苅田9丁目13

営業時間 AM6:00~PM6:00 / 日祝~AM11:30

 


ぎりぎりセーフで飛び込んだモーニングで心温まる☆爐多蓮☆大阪市阿倍野区♪

2021-02-25 04:55:04 | グルメ

たまたまの偶然に見つけてしまった『大坂夏の陣 激戦地をめぐれー!!スタンプラリー』。

その無言の勧誘にまんまと乗せられ、6ヶ所中、3ヶ所クリアの2月13日。

4ヶ所目へ行きかけるも、陽が高くなってきて人の出も多くなり、初日はこれにて!

で、家路を急ぐ・・・。だけど、お腹空いた。のど乾いたさぁ。

歴史の史跡を巡って、神社だって2社詣でて、帰路に行き倒れてたらシャレにもなんない。

時刻は11時少し前。目に飛び込んできたのは『モーニングサービス』の文字。

ギリギリ、その日のモーニング殿(しんがり)の客として、その店に飛び込んだ。

朝のお客さんが引いて、ランチのお客さんが入ってくる前の、ホッとした雰囲気。

そこへ、少々時間がかかって、まさかモーニングダメだったとか?今更追い出されるとか?

こうもネガティブになってしまう位、いつの間にか喉もお腹もカラカラだったのだ。

トーストはこの日朝一に頂いた。そう、この日、2度目のモーニングサービス。

2度目なので、ミニサンドってメニューにしてみたのだ。ネガティブからの第九『歓喜の歌』が鳴り響く。

むちゃくちゃ家庭的なサンドイッチ!古き良き時代の、なんとなくこんな感じか?って作ったようなん。

茹で玉子ももう切れていたのか?玉子が温かいのだ。心までもが温かくなってくる。

具沢山で、オーロラソースが仰け反ってしまう程に、ツボを攻撃してくる。

そして、そのまんまの味。期待も裏切らなければ、味も見事に応えてくれる。

野菜もちゃんと新鮮。早い時間なら、もっとお客さんが入ってることでしょう。

早い時間なら、きっと作り置いてあるのかも。こんなに美味しいなら、

貧乏性根性出さずに、レギュラーサイズでサンドイッチを注文したら良かったかも。

モーニングもランチも、手作り感ガッツリで、お腹にもお財布にも優しい模様。

駅近くだし、時間が違ったら人気のお店に違いない。知らんけど。

熱くって飲めなかったのに、サンドイッチ中に冷たくなってしまったタイガー珈琲。

近頃、モーニングサービスを大いに利用している。

元々モーニング好き。だけど通勤時はマイカーなので利用しない。されば休日。

・・・なのに、週末は呑む。そして寝る。自然と爽やかな目覚めが訪れるまで眠る。=間に合わない。

今の状況下、呑みに行くことが無くなり、早朝からのウォーキング+モーニングが新しい趣味になっている。

美味しかったです。ギリギリモーニングありがとうです。ご馳走様でした。

コーヒーハウス 爐多蓮(ロータス)

大阪市阿倍野区阪南町5-17-4

TEL 06-6628-7936

営業時間 8:00~20:00 / 土日~18:00

で、この日の私のTANITAの活動量計、2月13日現在の自己最多記録更新。

 


家康の信仰が厚かった茶臼山稲荷神社☆堀越神社♪

2021-02-24 05:02:28 | おでかけ

ひょんな事から、『大坂夏の陣 激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリー』を

初めてしまったっていう、2月13日のお話を書いています。

安居神社~茶臼山、そしてやってきたのは、堀越神社。

この『堀越神社』の文字、”従一位勲一等侯爵源通久書”って、この文字を書いた方が。

この方、久我通久という方で、江戸時代後期公卿で、明治・大正時代の華族で政治家。

その主君は、第121代の孝明天皇から123代の大正天皇まで。

勲一等となったのが大正5年で、~亡くなる14年までの間の書っていう事かしら。

明治の中期まで、境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、

堀越っていう名がつけられた・・って、書いてありましたわ。成程。

古くから大阪では『堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん』との

言い伝えがあるらしい。一生に一度だけよ。何を願おう。あれか?それともあっち?

”ひと夢祈願”というらしいが。全国はたまた外国からも、一生に一度を使ってしまいに来るそうな。

但し、課金が必要。ただでは神さん、聞いてはくれない模様。こちらが本殿。

第33代、推古天皇の御代、時の摂政の聖徳太子が、太子の叔父君に当たる、

第32代崇峻(すしゅん)天皇の徳を偲んで、茶臼山の地を選び、四天王寺建立と同時に

四天王寺七宮のひとつとして、創建されたっていうのが、この神社の来歴でありまする。

ここでまた、四天王寺七宮って堀越神社以外の六宮は何処?ってなるでしょ。

大江神社(夕陽丘町)、上之宮神社(上之宮町)、小儀神社(勝山1丁目)、

久保神社(勝山2丁目)、土塔神社(大道1丁目)、河堀稲荷神社(大道3丁目)でした。

主祭神は前述の崇峻天皇。

配祀神は、小手姫皇后(崇峻天皇の妃)、蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子)、

錦代皇女(崇峻天皇と皇后の皇女)。

さて、忘れてはいないかい?この時巡っておったのは、大坂夏の陣のゆかりの地。

ここでスポットが当たるのは、徳川家康なのでした。

冬の陣では家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を置いた茶臼山。その茶臼山の頂上に、

茶臼山稲荷神社があったそうな。冬の陣の際、徳川家康がお詣りをした。

その甲斐あって、夏の陣では真田軍の攻撃を受けた時に、茶臼山の白狐に危機から救われたという。

って、冬の陣でお詣りして夏の陣で・・って、遅くない?って思うのは私だけ??

ただ信仰の厚い家康は、夏の陣後、茶臼山稲荷神社を、堀越神社境内に移転された。

江戸時代、大阪城代(江戸時代の役職・大坂城主の将軍から大坂城を預かる役職)が

新たに任に就くと、幣帛(神に捧げる供物)を奉り、燈籠を献じたそうな。

大河ドラマで見た感じでは、家康に信仰とか、ピンとこないのだけど、

夏の陣の真田の攻撃から逃れた奇跡は、神にでも何にでも感謝したかったのかも。

鳥居を沢山いった先に、茶臼山稲荷本体が。なのだけど、写真をって思ったら

どうしても真正面からって事になるし、ちょっとそれはな~って、あかんような気がして

側面を撮ってみたのだけど。なに?ここはちょっとしたスペースで、あら?

巣箱があった。その玄関は、そんなに広くは開いていないし、小鳥レベルのお家。

暫く、動きを止めて、存在感を消してガン見してたのだけど、何方も帰って来ない。

今は居ないの?冬眠中?って、そもそも鳥って冬眠するのか?

やっぱりこういうの利用するのは、たまごを産んで子育てするとき?季節は??

そんな事をぼけ~っと考えてて、あれ?巣箱よりこっちに何故気付かなかったかしら?


こんな所に、狛犬がいてて、どうした訳か金網の向こう側を見てるのだな。

もしかして、そっち側にも参道があって、その名残かもとも思ったけど、

金網の向こうを見ると、こちら側はどう見ても、2階の位置で向こうの方が低いのだ。

しかも、そこにはビルが建ってるもん。そのビルは・・・。何かの宗教なのであった。見張ってる?

どの角度から見ても、カエルにしか見えない”かえる石”。

こういう注連縄っぽいの巻いてるし、御神木とかのノリで、御神蛙って感じなのかしら?

で、これもお詣り対象なの?それにしても、カエルよ、これ。

カエルの頭か顔かの上にお金を置くって、これで良いの?私がカエルだとしたら、絶対嫌だ。

安居天満宮のお名前入りの御朱印帳に、2つ目の御朱印を頂きました。

ここも、ど真ん中に大きな文字を書くのではなく、朱色の印、まさに朱印よ。

そして、大坂夏の陣スタンプラリーの3つ目のスタンプは、勿論、徳川家康。

そしてスタンプは、残すところあと3つ。次・・大きなお寺なのだけど、

そろそろ、人出が多くなってきましたので、続きはまた。(2月20日に行きました)

それでは、スタンプラリー後半へ続く。・・・の、前に・・・・。

浪華茶臼山・堀越神社

大阪市天王寺区茶臼山町1-8

TEL 06-6771-9072