綾瀬市吉岡に昨年5月1日にオープンした、綾瀬市の神崎遺跡資料館は、南北103m、東西65m、面積5000㎡ほどの弥生時代後期のムラで、まわりを深さ約2mの溝で囲まれた環濠集落です。 平成23年2月7日、神崎遺跡は国指定史跡となりました。
1階の展示室で綾瀬の歴史を見ていました。江戸時代の表記、、3代将軍家光の乳母春日局は、吉岡村周辺に化粧料として3000石の領地を下付され、吉岡に館をたて、神明社も勧請しました。春日局の舘跡とされる済運寺周辺には春日道や春日原という地名があります。
江戸時代の各村の石高があります。蓼川599石余、本蓼川37石余、深谷753石余、上土棚150石、寺尾295石余、小園378石余、早川726石余、吉岡436石余、合計すると3374石ですが、綾瀬の他集落は、旗本などの所有になっていますので、石高に疑問が出ましたので、職員に調べて貰いました。
資料館に有った「写真で見る綾瀬」吉岡村春日局・春日局の所領3000石の一部があり、春日局の屋敷跡と伝えられる茶臼・茶釜が今も残されている。
ここで疑問が有ります。吉岡436石余しかなく、当時の綾瀬の残り7村は旗本等の領地ですので計算が合いません。
市役所に戻り職員に確認したら、綾瀬市の市史6に春日局の記載が有りました。
相模国高座郡の内 八ヶ村、本郷村、上河内村,中河内村、杉窪村、吉岡村、用田村、今泉村、国分村と記載されていました。
用田村は藤沢市、吉岡村は綾瀬市、他の6村は海老名市内でした。
春日局の領地の殆どは、現在の海老名市内と思われます。
神崎遺跡の来場者は、昨年5月開館以降9000人を超えているそうです。
わたしが立ち寄った時間帯にも、来館者が有りました。
1階の展示室で綾瀬の歴史を見ていました。江戸時代の表記、、3代将軍家光の乳母春日局は、吉岡村周辺に化粧料として3000石の領地を下付され、吉岡に館をたて、神明社も勧請しました。春日局の舘跡とされる済運寺周辺には春日道や春日原という地名があります。
江戸時代の各村の石高があります。蓼川599石余、本蓼川37石余、深谷753石余、上土棚150石、寺尾295石余、小園378石余、早川726石余、吉岡436石余、合計すると3374石ですが、綾瀬の他集落は、旗本などの所有になっていますので、石高に疑問が出ましたので、職員に調べて貰いました。
資料館に有った「写真で見る綾瀬」吉岡村春日局・春日局の所領3000石の一部があり、春日局の屋敷跡と伝えられる茶臼・茶釜が今も残されている。
ここで疑問が有ります。吉岡436石余しかなく、当時の綾瀬の残り7村は旗本等の領地ですので計算が合いません。
市役所に戻り職員に確認したら、綾瀬市の市史6に春日局の記載が有りました。
相模国高座郡の内 八ヶ村、本郷村、上河内村,中河内村、杉窪村、吉岡村、用田村、今泉村、国分村と記載されていました。
用田村は藤沢市、吉岡村は綾瀬市、他の6村は海老名市内でした。
春日局の領地の殆どは、現在の海老名市内と思われます。
神崎遺跡の来場者は、昨年5月開館以降9000人を超えているそうです。
わたしが立ち寄った時間帯にも、来館者が有りました。