あ~!!! 本当にさら地になってる!!
子ども達の送迎に札幌を往復。 帰りに新川通りを通ったので、昨秋Kazuから聞いていた「Big Shipが取り壊されていますよ」情報を確認に行きました。 本当でした。 2014年3月31日、年度の終わりに見たこの光景には感慨深いものがありました。
都市型総合レジャー施設Big Ship は、船の形をした3階建ての建物でした。この建物の設計企画の段階から担当役員1名の下に3名のスタッフのチーフとして関わりました。1987年??頃かな。バブル不動産景気の最期です。 先の昭和天皇が崩御するかしないか、長期入院をされていた昭和の終わりにオープンしました。オープン直後は3階のプール・アスレチックゾーンのフロアー長をした30代中盤でした。
その後、経営者は何度か変わりましたが、20年以上も存在をしておりましたが・・・、ついに取り壊し。時代の移りを感じるなあ。
大学を卒業して最初に勤めた貿易会社の社長と喧嘩して尻まくって会社を辞めたのですが、その時の上司のUさんが間を取り持って取引先でもあったマンション不動産会社のM社を紹介してくださいました。当時はバブル景気と言われた好景気、日本のあちらこちらにリゾートや都市型レジャー施設が林立した時代でした。私は、なんと「ゴルフ場開設準備室」の一員となりました。恵庭にあるジャンボ尾崎監修のゴルフ場です。 そして、ほどなくして、このBigShipの開業準備室のスタッフに抜擢されました。 本州で流行していた大型浴場を併設したレジャー施設の開発でした。担当役員1名の下の3名のスタッフのチーフ役でした。設計企画の段階からの関わりでした。
時期を同じくして、札幌の郊外にテルメ、市内に黎明薬湯、すすきのにジャスマックプラザが企画されていることがわかり、準備段階から競争が始まりました。 以来足掛け2年でオープン。様々な初めてのことをやりました。
基本設計には、大型浴場はもとより、プール、アスレチック、大食堂以外に回転寿司、お好み焼き屋、ファーストフードコーナー、床屋に美容室、マッサージコーナー、子どもランド、ゲームコーナー、漫画図書コーナーとありとあらゆる施設が取り込まれました。 その全館の調度品、什器、設備など建設費以外の初期投下の見積もりから始まりました。フロントの入館システムから厨房器具、ランドリー施設、従業員のユニフォーム、家具とありとあらゆるものでした。 イベントの企画と見積もり、広報のあり方と予算立てまでもあり、わからないことも多く、実際にいろいろと体験に行きました。
本州へ出張し一日に4件も大型銭湯施設を回る、すすきののラブホテルから出てくるタオルや浴衣洗い専門のランドリー会社に実習4日間、市内にオープンし始めたあちらこちらのスポーツジムでの体験、準備期間中に並行してオープンして行ったゴルフ場やホテル、イタリアンレストランの手伝い・・・・・世の中にさまざまな職業を知りました。
オープンに向けた人員と人件費のシュミレーション積算もしました。3人で始まった準備は、1年も経つと専門スタッフがどんどんヘッドハンティングされ開業準備室も徐々に大きくなってゆきました。オープン時には、短時間のパートさんを含めると、なんと300人以上だったと記憶しています。 まさに、バブリーでした。オープン数ヶ月まえには、3階のスポーツフロアーの責任者に任命されました。 私もスタッフのヘッドハンティングをしました・・・。
オープンすれば館内から10日間も出られないくらいに睡眠時間を削るような毎日。舞台に着ぐるみ着て立ったこともあれば、何時間も皿洗い、バックヤードで朝までタオルと浴衣たたみ、プールで溺れた女児に人工呼吸、深夜まで続く営業のためスタッフ懇親会の集合が深夜01時の大宴会・・・、ヤクザに絡まれ、お客さんに罵倒され、土下座までさせられた事件あり・・・・
はたまた、オープン2年後には早くもリストラ計画づくりと、鬼の首切り役・・・・
この話をすれば尽きません。 涙アリ、笑いアリ、怒りアリ、悲しみアリの数年でした。
ともあれ、波乱万丈な30代中盤の修行の場所でした。
更地にされた跡地をこの目で確認して・・・・、
あ~~~~、時代は完全に曲がったなあと、感じた 3月31日でした。