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高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

寒波閑話

2025-02-19 20:29:07 | 日記

あちらこちらで大雪のニュースが流れている今年の冬です。

が・・・、ここ黒松内は例年よりは少雪です。校庭にも除雪の雪山は出現していません。毎年3月になると、雪解けクイズなる雪山完全消滅の日を当てるクイズを出すのですが、今年は対象となる雪山ができていませんなー。

今日は、午前中に寿都のお宝発掘の集まりがあったのですが、担当者にお弔いがあって急遽中止でした。 ニシン漁最盛期の漁師の親方のニシン御殿の二階にある様々なお道具やらを整理しているのですが、その中に「俵屋宗達」銘の大きな木の大箱があって屏風絵が入っているようなのです。 これこそ、お宝もお宝だと思うのですが、その真贋は調査されていません・・・。

ちょうど、原田マハさんの「風神雷神」という小説を読んでいて、これが俵屋宗達が主人公なのです。 宗達は織田信長に見いだされてその「宗達」の名をつけてもらったそうで、信長の口添えで、時の絵師一門の狩野家に弟子入りさせてもらったらしい。

しかし、昨年末の何度目かの屋敷整理の時に、そのお箱がなかった・・・。

どーしちゃったのかなあ・・・。

と、写真も内容も一貫性のないつれづれ日記でした。 ごめんなさい。

 

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環境教育学会の「未来ビジョン」命題3

2025-02-17 13:18:28 | 主義・主張

ついに、3つのビジョンの命題3

「学術と社会をつなぐ:学会のアイデンティティ形成と関連学会との連携」

うーん、このビジョンとなると実践者たるアタシではコメントするのも差し出がましいし、難しいなあー。

命題2についてでも書いたことだが、人の関心ごとはひとそれぞれであり、共通項を絞ることは難しい・・・。 自然ガイド・インタープリターであっても幅広い興味関心を持って自分のフィールドで活動しているわけで、まして、研究者となると膨大な専門分野・研究があるであろう。

私は最近では参加していないが、北海道アウトドアガイドフォーラム(という名だったかな)なる活動があって、けっこう多種な分野のガイドやら関係者が集まっているやと聞き及んでいる。 実行委員のおひとりにその訳を聞くと「ビジネス」というキーワードで参集しているのではないかとのことであった。そして、北海道アウトドア―ネットワークなるものの設立準備もあるらしい。

あえて、おこがましくも、環境教育学会・研究者と他の学会学術との横連携のキーワードを探すとしたら・・なんだろうか・・・と。

まずは、環境教育の研究者は、「何を教育目標としているのか」を考えたほうがいいと思う。 10数年くらい前に、日本環境教育フォーラムの人材育成カリキュラムづくりのミーティングでこのことだったか・・、このことが話題になったことがあった。 関係者がひとりずつ言語化したのだが、私が挙げた「めざす育むちから」教育目標は、

1.夢を描くチカラ

2.その夢実現にむけてあきらめないチカラ

3.続けてゆくと、何かを変えなければならないときにぶちあたる。その時に、自分を「変化変容させること」を恐れないチカラ

の三つをあげた。 これは、今もDSR(Doにか、Sする、Ryoku・チカラ)を育む活動理念として旧ねおす拠点では共通ごととして今も受け継がれています。これが、我々の活動・存在のアイデンティティであるわけです。学会学術言葉で、こんな語彙選択はないでしょうが、なんらかの共通教育目標を短い言葉で整理集約すべきではないでしょうかね。

自分のアイデンティティ(何を目指しているか)が確立できたいなければ、異なる他者とは繋がれない。 自己理解からの他者理解は、環境教育の姿勢態度の基本中の基本ですね。         

そして、私は、そのうえで、「いのち と何か」であろうと考えることが大切だと思う。 かなり観念的なテーゼであり、ビジネスのように実利的でなく、研究のように探求しても答えがみつからいかもしれないので、これを共通命題としても学術的な連携には結びつかないかなー。

私にとって、「いのち」とは・・、

「開放性システム」だと考えています。 そもそも「いのち」とは、他の異なる存在と結びつく、関係性をつくるシステムだと思っています。 それを説明するためによくするたとえ話に「肝臓」の話をします。 肝臓が不調な患者がいるとします。他者から健康な肝臓を移植すれば健康で助かるとします。 その時、健康な人から取り出した肝臓は「いのち」ですか? そう、それ単体では「いのち」ではありませんが、他の臓器とつながることによって生命が保たれるのです。身体の中には何十億、何兆という自分の意志ではコントロールできない微生物が存在しています。彼が体内に存在していないと人間の生命は保たれません。地球上のすべての生物も地球と宇宙の関係も同じです。何かと何か、異なる存在との関係性によって生かされているわけです。

この原理原則が分かれば、他の異なる存在と連携することは「生きる-暮らすこと」の必然なのです・・・、

環境教育学会は、社会学や心理学、哲学とも連携して欲しい。

なんか、命題からはずれた ひとりつぶやきになっちまったなあー。

 

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環境教育学会の未来ビジョン 命題2

2025-02-17 11:52:37 | 主義・主張

北海道の環境教育のこれまでとこれからを考えるをテーマにした北海道自然体験活動推進協議会(通称:えぞCONE)と環境教育学会北海道支部との合同フォーラムは、環境教育学会がまとめている「環境教育学会の未来ビジョン」を下敷きに討議しようという流れとなっているのは、先のブログで何度も報告してきました。フォーラムの基調パネルディスカッションで、学会会長、道支部長と私で鼎談せねばならないので、ちょっと考えを整理するために徒然に今日も書きます。

ふたつめの学会ビジョンは

「研究と実践をつなぐ:研究成果に立脚した実践の捉えなおしと収集・発信」

自然体験型環境教育を旗印にして現場実践をしている私としても大きな課題です。かつて、NPO法人ねおす(北海道自然体験学校NEOS)を経営していた時に、専門学校のような学費が必要な実践者の養成コースを通年で実施をしていました。自然散策、登山、カヌーなどのアクティビィティの体験実習、ネイチャーゲームやプロジェクトラーニングツリー等のパッケージされた活動群体験、コミュニケーションや表現力トレーニングなど幅広く体験学習をするばかりではなく、 植物、動物など自然科学の専門家もお迎えして、(手前みそながら・・)かなり充実をしたカリキュラムを実施していました。 年間100万円がたの授業料を頂き、多い時で10人程、平均して4,5名は在籍して5,6年は続けていたかな。 その収支経営的には赤字にならない程度であり、自然学校経営全体にとっては収益部門とは言えませんでした。

が、しかし・・・。 これには大きなもうひとつの目的がありました。それは、学術的専門家とのつながり、ネットワークを形成することでした。 おかげで様々な分野の専門家とつながることができました。 学生やスタッフから質問があり私達職員スタッフでは答えられないことがあっても、誰かに照会すれば、その人ではなくても、そのまた紹介で専門家や研究者に出会わることで、応えることができるほどのネットワークができていたと豪語していました。「グリーンランドで野菜づくりをして販売したい」「アウトドア用品のLL,3L,4Lサイズばかりを商品に並べたインターネット商売をしたい」なんてこともありました。どちらも実現には至りませんでしたが、助言を受ける方々にはつながらせることは可能でした。

でも、このネットワークの維持・メンテナンスは、それなりのお金や手や暇がかかるのも実感しました。けっこう大変なのです。

研究者と実践者は、その思考方法や普段の生き方までそうとう違う、言ってみれば「生態」が異なる存在であるんじゃあないかな。そういった異なる者同士を出会わせるには、やはり「場」が必要であり、NEOSの人材養成コースは、その「場」に結果的になっていたのだと思うのです。

と、すると、この命題2の解決の方向性は、人材養成(インタープリターや自然ガイド)の「場」づくりであると考えます。

洞爺湖周辺をフィールドとしたジオガイドのネットワークがありますが、ここは実によくガイド・インタープリターの学習会を専門家をよんで開催して、勉強して知識を常時アプデイトしていらっしゃると、私はみています。

この「場づくり」を誰がするのか・・、それが えぞCONEの役割なんかなーと、ロートル爺さんはぽやぽやと思う昼下がり・・・・。

と、つらつらと書いて・・、再び思いつき課題・・・

自然や環境問題は実に幅広い課題が満載、実践側の興味関心もすでにフィールドを持っているので実に多種多様。 その人たちが総じて関心を持ち集えるテーマを絞るのが難しいんだなあ。 ジオガイドは、つまるところ、研究者のテーマとガイド実践側の興味関心が一致しているから学習会の場が継続つくりやすい。だから、ここのところをどーするかが次の課題だな。

つきるところは、「そもそも論(なぜ環境教育、自然体験活動が必要なのか」だと思うんだが、それだけをテーマにしても 人は集まらんしなあー・・・・。

 

 

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環境教育学会の未来ビジョン 命題1

2025-02-16 16:04:25 | 主義・主張

2月22日のえぞCONEと環境教育学会北海道支部との合同フォーラムのパネルディスカッションは、学会の「未来ビジョンを受けて~北海道の環境教育のこれまでとこれから」なのですが、これまでは、ざっと自分事として前のブログにしたためました。

私の問題意識としては、環境教育や自然体験活動の担い手は確かに増えたが、それで世の中がベターな方向にすすんだか・・、否(いな) である・・・。

で、学会の「未来ビジョン」のその1であるが、「自然と人をつなぐ:長時間・広域的な事象を実感的に認識する学びの提案」とある。

環境教育の学びの目標として、「時間的視野の拡大」と「空間的視野の拡大」がある。 この学会ビジョンにおいても 「現在行われている多様な実践活動を統合的に整理したうえで、直接的な自然体験に加えて情報通信技術(ICT)を活用した長時間・広域的な事象のバーチャルな体験も織り交ぜながら、環境との関わりながら生きていることを現実として実感できる学びを提案する」と提言されている。

環境教育のプログラムデザインには3つの段階があると考えています。

In the Nature         自然の中で(学ぶというより、感じる)

About the Nature 自然について知る

For the Natur   自然のために(行動する)

自然の中で過ごす心地よさ、自然の美しさ、不思議さを体験することが基本中の基本で、それをなくして、知識を増やしても、ましてや 植樹だけを、環境美化活動しても、身についた生活行動の変革には結びつかないと考えられます。 

この時、InからAboutにゆく段階でICTを活用したプログラムは効果があるのではないかな。 

私の住む地域では、各ゴミの地層処分地選定問題、新幹線トンネルから出る有害物質処理問題、金鉱脈の試掘問題、あいつぐ風車建設計画など次から次と未来に環境問題にかかわる事象が表出しています。 もちろん反対活動はありますが、それは地域全体のこととはなりにくい・・・。関心がない市民が多すぎるのです。関心がないというよりは、自分事とつながらない、生理的に不快感をもよおさないということなのだろうと思えます。  この部分にICTを活用したプログラムができないものだろうかな・・・。

もう一点、環境教育の土台な部分であるIn the Natureプログラムについてなのですが、体験をしたあとの「ふりかえり」「評価」が不十分であるとも考えられます。「あなたが、今ここで感じたことが大切、重要」という「あなたまかせ」なふりかえりが横行しているのかもしれない。

いかに効果的なふりかえりをプログラムのあとに行うか、ここのところ、プログラムの起承転結の「結」の部分の手法の深まりができていないのではないかなー、と自省を含めて思い当たりました。

 

 

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環境教育こと始め その1 プロローグ

2025-02-16 15:00:08 | 主義・主張

北海道自然体験活動推進協議会(通称:えぞCONE)と環境教育学会北海道支部との合同フォーラムが今月下旬2月22-23日に札幌で(もうすぐじゃあないか!)開催されます。私はえぞCONEの代表(あまり実体のないネットワークなのでありますが・・・)でもあって、合同フォーラムでは学会支部長と環境教育学会会長と私の三者で「北海道環境教育のこれまでとこれから~日本環境教育学会の未来ビジョンを受けて」なる大それたテーマでパネルディスカッションをしなければならないので、あまりに行き当たりでは、バッタリしてしまうので、ちょっとは下準備しておこうということで、つらつらと、書きつづります。 (長いですよー)

◆北海道の自然環境教育のこれまで

私は北海道自然体験学校NEOS(Nature Experience Outdoor Schoolの頭文字で構成した名称)を1990年に設立し 子供向けの自然体験キャンプと大人向けのネイチャーツアーの活動を開始した。当時はまだまだ環境教育という言葉は社会に浸透しておらず、現在の(公財)日本環境教育フォーラムは山梨県清里のキープ協会が中心となって自然に関わる仕事をしている人々を全国から集めてのミーティングを開き始めた時代でした。 当時札幌では自然ウォッチングセンターという団体があり、有料で人々を自然観察会に連れ出すなどの活動を始めていた。NEOSはそれより多少遅れて1990年に設立したのであったが、その頃にウォッチングセンターは4つ位に分派した。 分派の中に丸山環境教育事務所というのがあって、札幌で同業者らしき人々に挨拶回りをしていたときに、主宰の丸山博子さんに出会った。 彼女は丸山環境教育事務所という事務所開きをしたばかりで手づくりの名刺をプリンターからチャチャチャと打ち出して鋏で切って渡してくれたのであった。 聞きなれない「環境教育って何?」という感じの初対面であった。 たぶん、その彼女から清里ミーティングのことを聞いて、1年後くらいに山梨で開催されたミーティングに初参加した。 当時は自然観察や自然保護系や教育関係者が多く200名以上の参加者がいた。その会場に入った瞬間に「間違った、自分が来るところではなかった」と感じてしまった。しかし、会場の中にただひとり、声をかけてくれる人物がいた。 それは国際自然大学校NOTSの代表の佐藤さんであった。「あー、北海道の高木さんでしょー」と。 インターネットも盛んでなく、遠方の情報交換はアナログ、手紙でやりとりをする時代でお互いに顔も知らなかったのに、よくまー声をかけてくれたもんだ、NOTSの活動内容を手紙で照会していたからだっと思うが、今考えると、きっと同質なにおいがしたんだあろうなあ。 その2泊3日のミーティングで様々な報告やワークショップ(なんて言葉は一般にはまだなじみがなかったが、)に参加して、私の活動も「環境教育のひとつの形態ではないか?」と感じて北海道にもどった。そして、「自然体験型環境教育」などと標ぼうしNEOSの活動を始めた。清里で知った情報で欧米から輸入された様々なアクティビティ(ネイチャーゲーム、プロジェクトラーニングツリー、開発教育活動やら)を試行錯誤しながら、当時専門学校でアウトドアインストラクターの養成仕事を始めていたので、その学生やらプログラム参加の子どもたちと実際に試した。(英文のものもあり、たとえ話が多くて実際においての理解に大いに想像をはたらかせたもんだったなー)

ちなみに、ファシリテーターなる輸入概念と実際を学ぶセミナーを北海道で実施したのも、丸山さんと私が最初である(と、ちょっと自慢)、インタープリターという役割と実践研修も数多く展開をした。

あれから30年・・・。

確かに北海道には数多くの自然ガイド・インタープリターやファシリテーターを仕事とする人は増え、環境教育も文科省や学習指導要綱にも明記されるようになりました。 ESDの概念、森のようちえん活動、木育、エコツアー、アドベンチャーツアー(生態多様性は人間の暮らしも含まれているので、私はATも環境教育活動のいったんを担っていると考えている)、そして今やSDGsという未来へ向けての目標も文言化されて広く周知されるようにはなり、30年前と比べれば隔世の感があります。

しかし、生き物が人々が暮らす環境はベターになっただろうか、何も変わっていないのではないか、むしろ悪化している・・・。

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原田マハさんの小説

2025-02-13 19:29:06 | 日記
小説を読み終えて、ひさびさに感動したあー。

ここのところ、司馬遼太郎さんの小説の読み直し(関ケ原、竜馬はゆく、功名が辻)をしているのですが、もうお一人、原田マハさんにはまっています。最初にそのお名前を知ったのは、寿都町で行われている(もう終わったのかな)ドラマロケでした。3月下旬にNHKで放映予定のドラマ撮影のセットが弁慶岬にできているというので、野次馬根性で見に行きました。ドラマの舞台が北国の断崖の上に立つ小さな食堂なのです。 撮影中で側を通る国道から通行止めになっていて側まで近寄れませんでしたが、題名「まぐたら食堂のマリア」という題名にひかれて調べたところ、浜田マハさんという小説家を知りました。最果ての小さな食堂に惹かれるようにやってくる人々の群像劇で、伏線がいろいろとありそれらが絡み合い、次へ次へと興味を尽きさせぬ構造になっていて、一気に読みました。まぐたらは、マグロとタラからとった漁師町の食堂名なのですが、聖書にもある「マグタラのマリア」から取っている題名なのだと途中から気づきます。主人公のマリアは純粋な人に優しい素敵な女性なのですが、実は不倫ありの複雑な人生を背負って、その地に流れ着いた人物でした。マグタラのマリアは、(たしか)キリスト愛人とも娼婦とも言われた人物でもあり複雑な背景があると伝説されているのです。
あまりに面白かったので、黒松内の図書館に行って探すと複数の文庫本がありました。そこで次に手をとったのは、「奇跡の人」。 時は明治時代、当時にはとても珍しいアメリカ留学帰りの去場安が青森の田舎町の富豪の「盲目で耳が聞こえす、口も利けない少女(介良れん)」の教育か係りとなります。使用人たちに「けものの子」のように扱われ、暗い蔵の座敷牢に閉じ込められていたのですが、安(あん)はれんの強烈な個性を感じ取り、その才能を開花させてゆく物語です。そのふたりの主人公の助演者として、津軽三味線を弾き歌う盲目の旅芸人キワが絡むのですが、このキワが小説のプロローグとエピローグに感動的な役割を果たします。 あー感動したなあ。
 
もうお判りでしょうが、そう主人公の介良れんの読みは「けられん」→ヘレンケラーであり、教師の去場安は「さりばあん」→サリバン なのでした。
 
kindleで、風神雷神という作品も読書中。これは俵屋宗達がテーマです。
さあー、図書館へ行って新たな文庫本も借りてこよっと。
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古希祝い

2025-02-11 16:53:39 | 日記

私に続きMRKさんも古希となり、20250210-0211に家族(長女&次と)で岩内高島旅館に泊まりがけで行って来ました。

高島旅館はかつては島牧村にあり、狩場山の麓の海岸にあったので、山岳ガイド時代には年に一度は登山ツアーで前泊利用をしていましたが、岩内に移転したあとは、1回泊ったような記憶はあるのですが、いつのことだったやら・・・。

料理旅館をうたっているだけあって、料理は豪華です。 特にアワビ料理は、炭火で焼いたり、海鮮鍋で煮たり、刺身で生ででたりで、貝類好きの私にとっては豊穣物であります。 このために先週は歯医者に行って、痛かった歯茎の治療までして用意万端ででかけました。

12月の私の古希誕生日にも北湯沢温泉にみんなでゆきましたので、贅沢な古希年でありました。

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感情の小さな起伏

2025-02-10 13:00:07 | 日記

札幌の友人KZさんから小型の耕運機を譲り受けてきました。私は旧小学校だった広大な敷地の中にある旧教員住宅に住んでいますので、手入れをすれば庭園や農園森づくりがいくらでも造成できるのですが、生来の怠惰性のためになかなか手をつけられていません。畑場所はミントが繁茂してしまっています。

それでも野菜作りに関心があるスタッフがいる年はけっこうな種類の自家野菜を作ることもありました。  なので、雪が消えたらすぐにでも雑草やミントがおがる前に処理をまずしなければなりません。それはスコップで除去作業をしなければなりませんが、あとはこの耕運機で耕すかなあと、心を入れ替えようと、「今は、」思っています。

が、改めて耕運機を確かめに行ったところ、これは小型のうえに電動ではありませんか。都会の家の前の家庭菜園用なんだな、きっと。 うちの圃場ではちょっと使い勝手が悪いかもしれない・・。

***

今日の夕方から岩内町の高島旅館に長女次女家族も来て、泊りがけでMRKさんの古希祝い会をします。高島旅館はかつて島牧村にあり、NEOS登山ツアー時代は年に一度は狩場山登山の時は宿泊をしていました。食事が豪華で有名な温泉宿です。 岩内に移転後も一度は泊ったような記憶があるのですが、あれも登山ツアーの時だったんだろうか・・思い出せん。

ともかくも1か月も前から楽しみにして、待ち遠しくてそわそわしている今日昼下がり。

と、自然に・・・モチベーションが下がったりワクワクしたりの、複雑な気持ちの今日この頃。

 

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お気に入り

2025-02-09 23:36:54 | 日記

TVドラマは連続して毎週観ているものはあのVIBAN以来はなかったのですが、このところホットスポットという日曜の10時半から放映しているドラマにはまっています。 バカリズムさんの脚本ドラマなのですが、田舎町に人間そっくりな宇宙人がホテル従業員として雇われているという奇抜な設定で、シリアスでもミステリーでもなく、なんだかおかしい・・クッスっと笑ってしまうといったユーモアに富んだ物語なのですね。

一方、読書は司馬遼太郎さんにはまっています。人生で二度目のはまりかな。竜馬がゆくに続いて功名が辻を読んでいます。 現代日本人の明治維新の概念はこの司馬史観にとらわれているといいますが、司馬さんの膨大な取材と資料集めを基に書かれたので、大方のストーリーは史実に近いのでしょう。が、記述は場面詳細であり、かなりのフィクションがあるのは間違いなく、創作小説ではありましょうが、だからこそ、読み手を飽きさせないものだなあと感心し、のめり込んでいます。

 

 

 

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怠惰だなあ・・・「趣味は?」

2025-02-08 23:37:44 | 日記

帯広方面で24時間で1mを越えるような積雪被害が出ているが、黒松内は例年よりも少ないtあね・・と、同じ様な写真をあげてしまった。

随分とブログ投稿が空いてしまいました。 一方Facebookは比較的にこまめに投稿をしていますが、ここのところは他の方の投稿をシェアすることも多くて、手を抜いているなあ・・。 一方では昨年の10月から厚手の大学ノートを手に入れて、1ページを4つに区切ってその左側に日記をつけている。右側は空欄として来年の同月同日用であり、つまり2年日記であります。 それよりも毎日ブログを書けばいいとは思うのですが、ブログは他者に読まれることを前提にして書いているので、それなりに書く内容には気を使っていますが、大学ノートの筆記は日々の出来事というか、単なる行動をつらつらと数行書くだけにしています。 たわいのないことだらけで実に怠惰な毎日を綴っています・・・。つまり、その日にあったこと、したことを夜に思い出す認知機能保持を目的としているわけであります。 自分の忘備録みたいなものですが、怠惰な内容なので、死んだ後に読まれたらいやだなあ・・・。

まー、ちょっとは考えながら書くブログの方が頭を使うので認知予防効果が高いとは思いはするのでありますが・・・。

と、ここでもたわいのないことを書いとりますがね・・・。 ここでは、もうちょっと思考しようと反省する晩であります・・・。

つい先日に「自分の趣味はなんだろうなあ」と思ったのですが、特に無し・・、この頃は、山登りも自然歩きもしないし、楽器を弾くわけでも音楽を聴くわけでもない、強いて言えばよくある「読書」となるんでしょうかね。 考えてみると、昔から文章を書くことは嫌いではない「人」だあることは自覚はしています。 10数年前ほどに新聞への連続コラムを道新や朝日で1年半ほど続けたことがありました。特に朝日新聞のは毎週1回半年ほど、自然に関わることを800字原稿を書いていました。あの時はけっこうしんどかったなあ。いつも題材になることを探し続けて感性を開きっぱなしにしていました。感覚がするどくなり、山をあるいていても1m高くなれば空気温度が変わることも感じられたし、森とも話せたし、BBQの焼き台に乗せられる前のホタテが怒っていることも感じたもんでした。

そこまで感性がもどらんとしても、もう一度「感じていることをちょっと深く書いてみる」ことを再開しようかな。

趣味は・・?

ライティングです・・と、応えるのも かっこええかなー。

 

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