高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

スタートにあたって・・・

2007-07-27 23:39:26 | 日記

台湾の中学校の先生、陳さんと董さんが朝、札幌へ旅立ちました。その車に乗って子ども長期自然体験村に参加するする子ども達がやってきました。別れと出会いが一緒にある日でした・・・。

勘定するともう9回目となる夏の長期体験村。第一回はついこの間のような気がします。 第3回か4回の参加だったんでしょうか? T君が久しぶりの復帰参加です。もう中学2年生!! 再会は嬉しかったなあ・・・。 こんな、出会いと別れと、またの出会い。こういう仕事をしている醍醐味でもあります。

当初の頃は、長期活動の経験も浅く、毎日が小さな事件とそれを乗り越える毎日。
「生きる力を育む長期活動」は文部科学省のバックアップも手厚かったのですが、生きる力はスタッフの私達の方がもっと育まれたかもしれません。おかげで、今では3週間の活動は余裕を持って実施できます。

一方・・・ 我が身は、さすがにきつくなってきたなあ・・・。
当初は、若いスタッフとビーチフラッグやら競争ものは、率先してやっていたのですが、さすが今では・・力いっぱいやると・・・具合悪くなってしまうのです。

しかし・・、
朝は、6時から夜は12時までハードな毎日が始まっておりますが、こんな楽しいことはやめるわけにはいかんので、わかいもんに責任を委ねながら、もう何年かはまりこさんと第1.5線で頑張ろうと思います。
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豊饒の国へ

2007-07-27 08:31:06 | 主義・主張
自然学校が立地する黒松内町字作開は、サッカイと読みます。
もともと和名というよりは、アイヌ語発音が語源だとは思うのですが、その意味はわかりません。いずれにしても、作開という表記は開拓の匂いが強く感じられます。

酪農地帯であり、じゃがいも、種芋、だいこん、ビートなどの商品作物も若干作っています。和人の流入はとても古く、当初は隣町・寿都が漁業や交易で栄えていた頃の食糧耕作地として開かれたようです。寿都町はすぐに山が迫り、田畑が作れる場所がないのですね。

しかし、今やグローバル経済の影響はこの地にも影を落としつつあります。道央や道東のような何百頭も牛を飼育している農家はありません。地平線が見えるくらいの小麦畑があるわけではありません。国の政策は、大規模経営を支援する方向に行っているので、そのしわ寄せは小さな農業・酪農地域にやって来ます。 私がここへ移住してからも自殺された方が複数いました・・・・。

国土に広がるほとんどの小さな農山村地域の第一次産業が追い詰められています。
しかし、それは、実はグローバル経済の中で日本は生きて行きべきだという意見が多勢を占めている、つまり世論の反映だと思います。 

でも、これだけ緑が多く自然豊かな国なのに、農業が衰退して行っていいものだろうか?疑問です。

私は、豊饒な国として、安全で豊かな食生産が日本の田舎のあちらこちらで普通に続いて欲しいと思います。それが、日出る(ひいずる)国、東洋の東の国、日本の国際的に誇れる「美しい国」の姿だと思うんですね。

それを知ってもらうためにも、都会の人に田舎にいらして欲しいです。 
今日から、大勢の子ども達がやってきます。 海外からも5人のボランティア、都会から10代から60代のスタッフもやってくる 長期村がスタートします。

別ブログ、「長期村奮戦記」も ご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/bunamori/
コメント (4)
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