昨年話題になった3Dプリンター。
昨年暮れには、3Dプリンターを使ったショーまで開催された。
AFP:パリで「3Dプリントショー」
このショーの写真を見ると、実に複雑な形状の立体物がコピーできるのだな~と、感心する。
一方、この3Dプリンターに関しては、手放しで喜べない話題もあった。
米国の学生が、プラスチック拳銃を作る過程を動画で公開したり、金属製の銃を部品メーカーが造ったりしている。
ITMediaニュース:3Dプリンタで作るプラスティック銃「Liberator」、発砲成功
同じく
ITMediaニュース:3Dプリンタ製金属銃で発砲成功「精密な部品の製造能力を証明」
一方、今日の日経新聞には米粉を使って、3Dプリンタによる食器の製造というニュースがあった。
日経新聞:3Dプリンターで食べられる食器 慶応など米粉使用
米国の「銃を作る」と言う発想は、何とも物騒な気がする。一方、日本の米粉を使った「食べられる食器」という発想は、いかにも日本的というのか?平和な感じだ。
考えて見れば、同じモノをどう使うのか?と言う発想の違いは、文化の違いなのかも知れない。
銃などが日常生活の中に無い日本では、3Dプリンターという製品を見ても「銃を作る」という発想はし難いだろう。
むしろ、身近な食器等のような日常生活で使っているモノのほうが、考え易い。
しかもそれが、新しい技術の利用範囲を拡げていくことのほうが多いように感じる。
その一例が「形状記憶合金」だろう。
拙ブログでも取り上げたことがあると思うのだが、この技術そのものは米国で開発された。
ただ、どのように利用したら良いのか、判らず様々な企業にアプローチをしたら、米国では軍事利用、日本ではワコールの「形状記憶ブラ」という商品となった。
その後「形状記憶」という特性を生かした製品が、数多く誕生したがその発想は「生活者が便利になるモノへの利用」だった。
インターネットそのものは、軍事目的で考えられた情報ネットワークだったことは、ご存じの通り。
しかし、今ではごく当たり前に様々な人が使いこなしている。
インターネットを通じて、「アラブの春」の様な動きも生まれる様になった。
おそらく、新しい技術の普及というのは、ごく普通に生活者が使いこなす、生活の中に溶け込むことで、大きく伸びていくのだと思う。
伸びるだけではなく、使われていく中で様々な発想が生まれ発展していくのではないだろうか。
もしかしたら、「日本の文化」の中には、その様な新しい技術を多くの人が便利に快適に使うと言う発想があるのかも知れない。
そもそも、マーケティングの発想のスタートも、そこからはじまっている様な気がする。