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女性マーケターから見た日々の出来事

最近の「いじめ」って・・・

2012-07-29 05:45:52 | 徒然
暑い毎日が続いている。
年のせいなのか?年々暑さが体に堪える様になってきた気がしている。

そんな暑い毎日だが、連日報道される「いじめ」による中高校生の自殺のニュースに、怒りのようなものだけでは無く、その「いじめ」の内容が「犯罪化」しているコトに、驚いている。

大津市の自殺した中学生の場合、「いじめ」の内容は「暴行・傷害・恐喝」というレベルの内容だった。
昨日ニュースにあった大阪の高校生の場合「暴行・傷害・恐喝・窃盗の強要」だけでは無く「賭博」までやっている。

これまで問題になっていた「いじめ」は、陰湿なモノが多くクラス全体で「無視をする」とか、「教科書や鞄を隠す、汚す」という感じだった。
もちろん、コレはコレで十分問題だと思うし、犯罪行為に近くないから許されると言うモノでも無い。

そもそも「いじめ」の背景にあるのは、「子ども」という未成熟な思考の中で「他者との違いを受け入れるコトができない」と言うコトが有ると感じている。
「個性が大事」とか「一人ひとりの存在価値が重要」などと言われていても、自分と違う存在には、不快感を持ちやすいのはなにも子どもだけでは無い。
ただ、大人はそれを受け入れるコトができる。
心では受け入れられなくても、頭で受け入れるコトで何とか問題を起こさずに済んでいる、コトだと思う。
最近では、「頭で受け入れる」コトができない大人も増えてきている様に感じる部分はあるが、その様な人は周囲から「問題有りと判断される」と言うコトだと思う。

それが「子どもの社会」という、小さな枠の中では受け入れられず、それでも大人顔負けの「力のピラミッド構造」の様なモノは形成されていて、その力関係がクラスや学年全体を覆ってしまい、集団の「いじめ」と化していると言う気がしている。
だからこそ、事件となったときその中心となった生徒が成績が優秀であったり、スポーツなどで成績を残している「一見優秀な生徒」という場合が多いのだと思う。
当然親御さんも、教育熱心でPTA活動なども積極的、と言うケースが多いと言う気がしている。
ただ、逆に教育熱心でPTA活動などにも積極的であるがために、子どもを見る視点がとても狭くなり、「一社会人を育ててる」という感覚が薄れているのでは?と、感じるコトもしばしばある。

ところが、今回事件となっている「いじめ」は、そんなレベルでは無い。
れっきとした「犯罪行為」だ。
「未成年だから許される」という行為では無い、と思う。
「陰湿ないじめ」も問題だと思うが、「犯罪行為を伴ういじめ」は、もっと問題だと思う。
それを「いじめ」では無く「いじり」だと、思っているのだとしたら「いじり」も立派ないじめだと、言う必要が有るのでは?
元々「いじり=いじる」という言葉は、「もてあそぶ・嬲る」という意味が有る。
決して遊びの延長線にある言葉では無いのだ。
「いじめではない。いじっているだけ」というのは、あくまでも詭弁である、と言うコトを教える必要が有るのかも知れない。
お笑いタレントさんの言う「いじり」とは、意味が違うのだ。
(お笑いタレントさんも、話芸で人気を得るようになれば、もっと社会的影響も違うのかも知れない・・・子どもからの人気は無くなるが)。

「犯罪化」する「いじめ」が起きている今の日本の子どもたちは、将来どんな社会人となるのだろう?
心理的な部分だけでは無く、経済や社会全体が機能するのか不安で有り、心配をしている。