はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

ハッシーの夢、散る。

2008年06月19日 | しょうぎ
 橋本崇載七段(はしもとたかのり、25歳)のタイトル戦初登場の夢、散りました。 あああ、名人羽生善治の城壁は、厚かった。

王位戦挑戦者決定戦
  羽生善治 ○ - ● 橋本崇載


◇名人戦
  羽生善治 4-2 森内俊之
  羽生、名人返り咲き。永世名人(19世)資格者に。

◇棋聖戦(5番勝負)
  佐藤康光 1-0 羽生善治


 こうなると、秋の竜王戦、渡辺明-羽生善治戦が観たいねえ!
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7 コメント

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上達するということ (mogurin)
2008-06-20 20:16:31
将棋のことは解らないので、絵のことに関して、考えた。
上達するとは、どういう事なのか。
絵画の歴史は古く、人物画の描き方から、風景、静物、どんなモチーフでも、技法書画あり、透視図法の本もあり。絵画技法の教授法はすでに、確立されている。で、初心者は、学校に通って、デッサンをしたり、模写をしたりする。
5~6年も熱心にやれば、格段に技術が向上する。
でも、10年くらいで、成長が止まる。
自分のスタイルを作ってその展開という形で、作品制作をするようになる。

おそらく上達のスピードは、生徒の性格(素直な性格)と、物事を吸収する能力、学習能力、集中力、記憶力などで、変わってくると思う。

で、100年後、200年後、300年後。
今度は作者がいなくなって、作品だけが残る。
同時代の作家の作品と比較されて、抜きんでた表現をしているかどうか?
それで、作品の価値が判断される。

上達の早かった、早熟な、素直な性格の生徒は、先人の技法を易々と学び、自分のモノにして、凡庸なコピー作品を大量生産して、歴史の闇に消えてしまう。

ひねくれた性格の、上達の遅かった生徒は、一風変わった作品を残し、後世の評論家に評価される。

おそらく、鍵は『生まれつきの感受性と、性格』
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なんのための「作品」か (han)
2008-06-20 23:47:40
こういう話は好きです。

自分の「快感」のために作品をつくるのなら、べつに評価されようがされまいが構わないですね。またその「快感」がどのようなものかで意味がかわってきますが。
「快感」がお金なら、べつに「凡庸」でもいいわけですね。お金さえもらえれば。 それも、アリ。
 でも後世に評価されたい、そんな「芸術作品」をつくりたい、というなら話は別。だけど「評価されたい」なんていう「凡庸な欲望」をめざして、それで凡庸でない作品をつくるというのは妙な話で、僕はそれは、ない、と思います。無駄な努力と思うんです。なんか、無理して天才気取りをしたがっているだけのような気がします。

>おそらく、鍵は『生まれつきの感受性と、性格』

なるほど、そうかと思います。ええ、そう思います。
そこで問題になるのは「生まれつきの…」ということです。それは、なにか?
僕らは、「生まれつきの…」でないものに覆われて存在しています。「欲望」は生まれつきのように言われることが多いですが、出世したいとか、女にもてたいとか、それ、生まれつきなんですかね。「感情」ってやつもあやしい。感情も、学習によって学んだ「生きるための技術」ではないんですかね。
すると、それらをとっぱらったところに、なにが残るか、ということになると思います。
いろいろ、芸術家、小説家の生き方や書いたものを調べると、そういうことをこの人は考えたんだなあ、と思ったりします。
「個性」とよく言われるものは、だいたいは、「生まれつきの感性」ではなくて、「自分にたまった感情の垢」のようなものではないでしょうか。
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負の感情が作品に昇華するか?? (mogurin)
2008-06-21 01:40:41
「負の感情が作品に昇華するか??」

しばしば、議論に取り上げられる命題です。
抑鬱状態、コンプレックス、欲求不満、精神錯乱、神がかり・・・・
健常者の目から見たら『病気』でしかない鬱々蒼々とした、精神状態が、クリエイティブな作品に変わるのだ。そういう礼は枚挙にいとまがない。

ふむ。たしかに、歴史を見たらそうかも知れない。
ゴッホは精神を病んでいたし、ロートレックはアルコール依存症で、ちびコンプレックスのトラウマを抱えていたし、ミケランジェロは鬱病だったし・・・


ただ、逆は必ずしも真ならず。
精神を病んだ「クリエイティブでない」人間がごまんといる。
おそらく精神病棟に一度足を運んでみれば・・・・。

だから、「負の感情が作品に昇華する場合もある」と
「あるタイプの人間にとっては負の感情を、作品に昇華させることが出来る。そのことによって、負の感情を一時的に解放し。自分自身にとって癒しとすることができる」
と言うのが真実ではないのか???


で、「抑鬱状態、コンプレックス、欲求不満、精神錯乱、神がかり・・・・」
などの「病的状態」を「感受性の証し」と勘違いして

訳の分からないことをする連中も後を絶たない。

●他の誰とも違う作品を作ろうと考えたあげく、
誰にも似ていないけど、何にも表現していない。ただ、気をてらっているだけ!!

●「感受性」と「感傷癖」を勘違いして、やたらセンチメンタルぶった、辟易するような、甘ったるい主張を繰り返す。勘弁してくれ~~!!!

●「壮大な、重厚な、偉大な作品」を作ろうとして、やたらに「膨大で、巨大な作品」を作って、うんざりさせる、連中~~!!



**********


やっぱり、「本物の才能」は、干し草の山の中から一本の針を探し出そうとするくらい難しく、存在がまれなものだろうか???



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絵画の如し (GOW左近)
2008-06-21 15:46:12

>気をてらっているだけ→奇を衒っているだけ

お二方の活字戦は とても高尚です。
素晴らしい。感動。
一幅の絵画の如し。

棋聖戦をそっちのけに
ぐぐっつと引き込まれました。
素晴らしい。。
後の展開に 期待す。
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Unknown (han)
2008-06-21 18:47:13
>GOW左近殿
おお。うけましたか。意外です。
ありがとうございます。
論点がずれていっていますが。ずらしたのは僕のほうですが。まあ、こういう会話ってそんなものでしょう。(はじめの御題は「上達とは」だったんですよね。)


>mogurin殿

概ね、賛同致します。


>訳の分からないことをする連中も後を絶たない。

どうやらmogurinさんは、彼らを敵としてたたかいたいみたいだ(笑)。そのように見えます。それがmogurinさんの重要なテーマなのかもしれませんね。
でも僕はそれと戦うことに興味はないです。巻き込まないでくださいネ。(…ココが賛同しかねるところ。)


>だから、「負の感情が作品に昇華する場合もある」と

ええ。あると思います。たとえば、
ある人の中で「怒り」があふれかえっているとしますね。その人は「怒り」の感情でつぶれてしまいそうになる。
それを、彼は、『絵画』のなかにその感情を注ぎ込むことで実生活とのバランスをたもつ。家族や隣人たちと穏やかに接することができた、とする。そうやって彼は、「危険」を内部に持ちながらも、一生を『絵』を描いてなんとか平穏に過ごし終えた…。
そういうことはあると思います。
で、そのような時、その人の『絵』が、後で評価されることもあるでしょう。(ただ、それが芸術作品かどうかは…わかりません。)
その場合、その『絵』は、彼の「闘病日記」のようなものです。ひとの日記なんてくだらないといえばくだらない、しかし、闘病日記って、ときに、すごく面白いものもありますよね。
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遭遇 (ichii)
2008-06-22 01:30:09
将棋の事はよく分からず、『銀』の活躍に「お?」と違う意味で目を留め、(うちの猫な名)
今日は、面白いなあと思いながら傍観者してました。
なかなか言葉で表現し切れない自分ゆえ、「ふむふむナルホド、そういうことか」と、ひとりで納得しながら、楽しかったです。
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遭遇?? (han)
2008-06-22 15:49:40
銀? カニカニ銀?

猫って、哲学するんですかね? 
なにも考えていない気もするし。



橋本七段の記事なのだが、なぜか人が寄ってくるぞ。
ハッシー、妙な人望あり?
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