はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

死について

2006年02月17日 | はなし
「死」はありふれたものですよね。だれにだって来る。
だけども特別だ。物語の最後の1ページが特別であるように。

 上の図は僕の古い写真の模写。僕といぬのエスが写っています。エスは老犬だったようです。僕は1歳半。このころの写真には僕とエスは自然にとなりにいたりします。記憶にはまるでありませんが、きっと僕とエスは親友だったことでしょう。お互いにひまだし、ことばはまだ十分に使えないし、目の高さも近いし。
 しかしこの後、エスは死を迎えます。
 突然、親友がいなくなってしまう… それを僕はどう受けとめたのでしょう?小学生のときの僕は皆と遊ぶことも大好きでしたが、「一人の時間」も必要とするこどもでした。それはこの「エスとの別れ」をどう理解するか、ずっとさがしていたのかもしれません。そんな気がします。

 成長とはなんでしょう。
 大人になるとはなんでしょう。強くなることでしょうか。強くなるとはどういうことか。身を硬くして守ることでしょうか。
 身体が、細胞が硬くなると「感じる力」が鈍くなります。それを成長といっていいのでしょうか。

 古くなった自分をフレッシュな自分へと脱皮させるとき、古い自分は死なねばなりません。「死」を受け入れることで脱皮できるのです。日々「新鮮な感覚」を持ちたいのならば、日々「死」を受け入れる必要があります。
 このように「死」はいつもそばにあるもの----と思うのですがどうでしょうか。
 たしかに死は怖い。けど、死は自然の一部、ありふれたものです。
 「死」を遠ざけて安全第一のひとは、「感じる面白さ」を放棄しているように見えます。まあ生き方はさまざまですね。
コメント
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