はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

こちらからは開かないドア

2006年02月04日 | はなし
   [いつも魔女がドアを開ける 3の1]

「なによ、これ」
「ドア。」
「…。」
「…。」
「東京に引越したんだよな。」
「引っ越したね。」
「なんんだかなあ…」
「おれら、幽霊みたいだよな」
「ほんとだ」
「ドアがねえ、開かないね。取っ手がない。」
「壊すか!」
「だめでしょ、それ。」
「なんでー?」
「パーティーに招かれていないのに無理矢理参加してもねえ。」
「そうかあ。」
「…。」
「四段になったのにな。」
「なったのにな。」
「四段になったら東京へ行こうってな。」
「ウン。」
「四段の免状、いくらだっけ。」
「7万…ナンボ。」
「たけー。紙切れに…。」
「あれは、寄付だよな、ほとんど。」
「…はあ。なんとかならんか,このドア」
「CD聴く?」
「なにがある?」
「松たか子」
「もうずっと音楽聴いてなかっただろ。」
「うん。5年ぶり…かな。」
「5年前はなに聴いた?」
「美空ひばり。その前がビートルズ」
「うう…」
「ひどいなこのプレーヤー…  あっ!」
「… 何?」
「声が…! CD止めろ!」


『○○○くん?』

「おい、だれだ?」
「知らん。聞いた事ない声だ…。だけどオレのことクン付けで呼ぶ女って…。」

                    ガチャッ
『○○○くん? ねえ、映画行かない?』

ドアは開いた。
そこには背のちいさい魔女がたっていた。黒い服を着て。[つづく]

『亀は意外と速く泳ぐ』

2006年02月03日 | はなし
 映画のはなし。
 去年の7月のある日、「今日は映画が観たいなあ」と思いました。『ミリオンダラー・ベイビー』(女性ボクサーの話)をと思いましたが、時期すでにおそく、じゃあ何にしよう… と考えて新宿に観に行ったのがこれ。
 僕はけっこう邦画観ますね。洋画より軽くてしっくりくることがあります。
 この『亀は意外と速く泳ぐ』は「脱力系」が売りの映画。キャラとセンスがたまりません。主演は『スウィングガールズ』の主役のコ。なかなかイイ味です。
 僕は実はこの映画、最後の10分を観ずに席を立ったのです。用事があったものですから。
 こういうのもなかなかいいですよ。「ビデオ化されたら見よう」とたのしみがもてますから。というわけでやっとビデオ化されたのでレンタルできたというわけです。なるほどこういうオチだったんねー。

 ところで、最近、ブログ記事の画と文のアップの時間をわける、というコスイ技をおぼえまして…その成果もアクセス数に少しながら表れております。ライブドアの株式分割のような…。
 さて明日は「魔女ドア」シリーズ第3章をお送りします(笑)。

 たいへん、たいへん!
「毎月3日にファイル破壊活動を行う『ブイビー・bi』が世界各地で蔓延していますが…」ですって! へえーっ!

ケンカ

2006年02月02日 | はなし
   [いつも魔女がドアを開ける 2の5]

 さて、雪女の章も今日のはなしでラスト。なにを書こうかな~。
 くらやみの旅の話はここではしない。「魔女とドア」がテーマなので。

 では雪女との後日談を。
 一度だけ彼女に会った。数年後の冬に。(体調は「すこしはまし」だったがまだ悪いのは悪い。) そのとき僕はいずれ東京方面へ行くことを決めていたから、一度会っておきたかった。どうもまだそのときの僕には彼女の「冷たさ」へのウラミのようなものがあったので、せめて彼女と気持ちよく話し、よい印象をもってわかれたかったのだ。
 自分なりの「わかれの儀式」をイメージしていた。それは他愛のないものだったが僕にとっては重要だった。そのくだらない独りよがりの「儀式」をせつめいなしに受け入れてくれ、と思っていた。それによって僕の中では、彼女との時間をすべて「ハッピー」にできると信じていた。「終わり良ければ全て良し」の法則にのっとって。しかし…。
 しかし、雪女は最後まで雪女らしかった。
 断ったのだ。きっぱりと。
 僕はどうしたか。怒った。その僕の意味不明の怒りに彼女も怒った。
 彼女はひどい形相だった。
 そのまま二人はわかれた。あとで僕のほうから電話をして詫びたが、その「怒りの形相」がイメージとして残った。あーあ、思うようにいかないもんだな男と女って。

 まあいいさ…。

 彼女とつきあっているとき、実はぼくらはケンカしたことがほとんどない。できなかったのだ。
 彼女はほんの一瞬でもこころが衝突すると、ハートを奥にしまいこむ、そういう性格の女だった。そうなるともうその日はハートがみえなくなる。そのままの状態が数ヶ月続くこともあった。彼女といっしょにいながら僕は孤独を感じていた。僕はいつも「ちゃんとケンカがしたいなあ」と思っていた。
 その最後の日にケンカになったのは、彼女がすでに僕を「男」としてみていなかったからだろう。「男」を意識した瞬間彼女はハートをしまい込んでしまうのだ。
 そしてそのハートは巨大な熱量をもっていた。

 彼女の正体は雪女ではない、とおもっている。
 抱くと、身体の奥から熱い波が押し寄せるような感じがあった。その熱が表に出ると、「雪女」としての彼女の存在は融けて消えてしまう…。そうならないよう、いつも彼女はその熱いハートを身体の奥深くにしまい込んでいるように思えた。しっかりと施錠して。
 そのしまい込んでいた彼女の「巨大な熱」のエネルギーが暗黒への分厚いトビラを開けてくれたのである。僕のために。彼女でなければ開かなかったドアだとおもっている。
 そして最終的に彼女は「雪女」としての自己を守ったのだ。僕を遠ざけることで。

 その後、彼女は結婚した。きっと「雪女」として彼女をまるごと受け入れてくれるひとをみつけたのだろう。

 ところで、彼女は映画がすきでシュワルツェネッガーのファンだった。飼ってた犬の名前は「千代」だったがそれは千代の富士からとったものだった。そのことを考えあわせると彼女は「筋肉フェチ」だったのではないか?そういえばブルース・リーの話もしていた気がする。
 僕の体形は筋肉とは縁がない…。こりゃあはじめから合わないコンビだったよなあ。

春の気配~祖母の四十九日

2006年02月01日 | はなし
   [いつも魔女がドアを開ける 2の4]

 祖母の葬式の後は福岡の海岸の近くにあるアパートでひたすら横になっていた。そのアパートはシロアリがいて壁に穴をあけている。それが広がっていくのを見たくないのでダンボールで覆っていたが、ときどき「さーッ」と音がして中で壁の砂が落ちていた。
 その半年前に読んだ宮本輝『春の夢』を思い出した。この本のなかには主人公がうっかり釘で打ちつけてしまったトカゲがでてくる。主人公の彼女はだんだん離れていくのだが、最後にはもどってくる。「おれはどうなるんだろう…」
 もはや本を読む体力もない。どの本を読んでも苦痛だった。TVもおなじ。
 考える時間だけはある。考えることは「しんどいなあ。いつになったらましになるのか。」そのくりかえし。100回「しんどい」をくりかえしても時間はわずかしか過ぎていない。そのうち「しんどい」より「死にたい」のほうがからだにいい(?)と気づいた。「死にたい」とは思わなかったが「死にてエ」が口癖になった。
 1月と2月が過ぎ3月になった。
 ある日、なんとなく「ラク」な日があった。まだ寒いのだけど、あったかい感じがする。「こんなラクな感じはこの1年一度もなかったなあ」と思った。
 よく考えるとその日は祖母の「四十九日」なのだった。祖母が死んでその日からかぞえて7×7=49日目。家族が「喪に服す」期間のオワリ。
 ばあちゃんの優しい声をおもいだした。ゆっくりといのちが立ち上がるような予感を感じた。「春はくる」とそのとき確信した。いまは沈んでもいつか春は来る、と。
 それから1週間、身体がつらいのはかわらないがなんとなく穏やかな気持ちでいられた。春分の日に雪女とデートをした。こんな優しい気持ちで彼女といっしょに時間をすごすのはそれがはじめてかもしれない。「これならすべてはうまくゆく」そんな気がした。それで僕は彼女に「なにか僕に望みはないか」と聞いた。すると彼女は「別れてほしい」と言った。
 それが彼女の望みか。せっかくやさしくなれたのにな…。
 だけれども大丈夫、僕の胸のなかには「春の予感」がたしかにあった。僕は彼女と繋いでいる手をはなした。あれはばあちゃんがくれた「勇気」だったとおもう。
 それを僕が受け入れたあとの彼女のこころははっきりと軽やかになっているのがわかった。なんだかなあ…。(春になって雪女と別れる…なんだかつくったような話だな。)
 僕は暗闇のより深いところへの旅をはじめた。落ちていった、というのが正しい。実質は横になって「死にてエ」と呟いていただけだから。
                      [つづく]