浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-03-05 01:28:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二


          老人の呆けと憑依現象


ほかにも、何人かの老人呆けが治った例があります。
これは統計的に見まして、一種の憑依現象が起きているのです。
だから、憑依している方を救わせてもらったら、呆けが治る場合がよくあります。
呆けると、自分の家が分からなくなって、夜中に飛び出したまま迷子になるのですね。
外に出て行くのはいいのですが、帰り道が分からなくなる。
それで家族中で探さねばならなくなるのです。
そういう状態の方が何人も治っておられます。
それはどういうことかと言いますと、この世とあの世との間に境界があります。
生と死の境界線です。

人間は健康な時、幼い時など生命力が溢れている時は、
この死の境界線が遠のいているのです。
若くても病気をしてだんだん進行して生命力が弱まってくると、
死の境界線に近づいてきます。
病気が最悪の状態になると、死の境界の中に入って行くわけです。
そうしますと、死がおとずれます。
また年をとって次第に生命力が弱まりますと、やはり死の境界線に近づいていきます。
若い時は神も仏もあるものかと思っている仏心の無い人が、年をとったら、
しきりにお寺参りをするようになるね。
死が近づくから知らない間にあの世が恋しくなって、お寺参りをするのです。
そして、やがては死の境界に入ります。
もう全部入ります。

だんだん年をとって七十代、早い人は六十代半ばで呆けている人があります。
七十代を越えて死に近づいていき、死んだことを知らないでこの地上に思いや
執着を残した人が、肉体は無いのに意識となって境界線をうろうろしています。
その境界線をうろついている人がたまたま近づいてきた人と心の通じた場合、
その人にとりついてしまいます。
すると、他の人格ができあがります。

死後の世界、つまりこの境界線を越えた時は、いつも言うのですが、もう尻を
向けたら一目散にさんに走っていくことです。
境界線からいっときも早く遠のくことです。
この世への執着の思いを持てば、境界線の辺りをうろついてしまいます。
これが、迷える霊です。
いつまで経ってもこの世から離れないで、生命力の弱い人、或いは自分の
思いと一致した人の中にポッと憑依するわけで、取り憑かれたということに
なります。
老人にはそういう場合が多いように思います。


             ~ 感謝・合掌 ~



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