赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

高槻に行ったのが運の尽き

2010-10-06 00:46:31 | ぶらりアウェイの旅
また随分と前の話になるが、8月のアウェイ万博遠征の際のショートトリップの話。今回は近場の高槻に立ち寄って、高槻城跡を見学。

昼飯は既報のとおり、大阪在住の師匠引率で彩色らーめん きんせい高槻駅前店にてつけ麺を喰らう。入口は絵的には涼しげに見えるのだが、その実雑居ビル1階の奥まったところにあるため風通しがすこぶる悪くてその点についてはやや閉口。



さて高槻城だが、「城」と言ってもここもそう言われなければ城があったとは俄かにはわからないような状態。この城も他の城同様明治時代以降は帝国陸軍、具体的には工兵第4連隊の駐屯地だったようで、その門だけが残っていた。門の横には守衛(歩哨兵?)用のボックスも残っていたが、掃除用具がしまってあってややげんなり。ちなみに門の向こうは現在は公立の学校。



高槻城も城主はめまぐるしく代わったが、一番有名なのがキリシタン大名、そして「利休七哲」のひとりでもあった高山右近公。駅から城跡までの途中には「カトリック高槻協会」があり、高山右近の彫像もあった。この写真はもろ逆光・・・。



ご覧のとおり、パっと見は普通の公園にしか見えない。この後に「しろあと歴史館」で聞いたところでは、石垣さえも東海道線敷設の際に押収されてしまったとかで、昔の民家が移設されたものは公園内にあるものの、城についてはほぼ跡形もないという感じ。



城跡公園の近くにあった、その「しろあと歴史館」でのヒトコマ。展示もなかなか充実していて興味深く、また他にお客さんも少なかったせいかボランティアのおじさんがマンツーマンマークで解説してくれた。のは良かったのだが、この解説、ボランティアでやられているので文句を言える筋合いではないのだが、どうにも滑舌が悪く、説明も要領を得ないものでなかなか厳しかったかな・・・。時節柄頑張って実績作らないと仕分けられちゃうのかなw



そして夜は宿近くのお店で串揚げで舌鼓。大阪らしいってことで。



(高槻編・了)

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