さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

フマユーン廟(世界文化遺産、インド・デリー)

2012-12-22 18:05:28 | 海外旅行





フマユーン廟(1993年登録、世界文化遺産)
ムガール建築初期の傑作
ムガール帝国が最初に建造したイスラム様式の壮麗が墓廟、二代目の皇帝フマユーン死後、その妻が建てさせた墓(1565年建立~1569年完成した)
白い大理石と赤砂岩で作られた墓は、後に建てられたタージ・マハル等、多くの建築物のルーツになった。

□ ムガール帝国
初代  バーブル 1526-1530年
2代目 フマユーン1530-1556  バーブルの息子。一度、国を追われたが、再び奪還に成                      功。死後、妻がフマユーン墓廟を建立。
3代目 サクバル 1556-1605  アグラ城
4代目      1605-1627 
5代目 シャージャハーン 1628-1658 タージマハル、レッドフォート城
 ┃
17代目 バハードゥル・シャー2世 1837-1858 

 16世紀、ティムール帝国の末裔であったバーブルが北インドへ南下し、デリー・スルタン朝を倒して1526年ムガル帝国を立てた。ムガルはモンゴルを意味する。ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国であった。3代皇帝のアクバルは、インドの諸地方の統合と諸民族・諸宗教との融和を図るとともに統治機構の整備に努めた。

だが、6代皇帝のアウラングゼーブは、従来の宗教的寛容策を改めて厳格なイスラム教スンナ派のイスラム法シャーリアに基づく統治を行ったために各地で反乱が勃発した。彼は反乱を起こしたシーク教徒や、ヒンドゥー教のラージプート族やマラータを討伐し、イスラーム教徒の2王国ゴルコンダ王国・ビジャープル王国を滅ぼした。しかし、アウラングゼーブの死後、無理な膨張政策の反動で帝国は急激に衰退した。
ムガール帝国は、インドの植民地化時代に引き継がれる。
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